緑
簡易ゴーレムでブレス防ぎながら、ルチルナはカルアに並んだ。
「大丈夫なのよね?」
嘘でも探すように、じっとカルアを見つめた。
「分からいない……。けど、地上でアイツを捕まえるの無理」
「……」
暫くの間視線を交わし、ニヴェアを振り返った。
「分かったわ。やってみましょう」
「何かやる気だねぇ〜」
壁に向けて走り出したカルアとルチルナを眺め、ニアは楽しげに呟いた。
「でもでもぉ〜、二人食べちゃったし、ヴィクターは負けだね」
ニアは満面の笑みを浮かべ、ヴィクターを振り返った。
「もしこのまま倒したらキア姉の勝ちだからあたしも勝ち。もう一人食べたらあたしの勝ちだからキア姉も勝ちぃ〜。ヴィクターは負けぇ〜」
「……」
楽しげなニアを睨み、舌打ちを洩らした。
「〈浮力〉」
カルアはレムの手に乗り、自身の重さを調整しながら視界を同期させた。
(あの辺に……)
カルアの手に魔法陣が現れ、レムが大きく振りかぶりった。
ルチルナと視線を交わし、ゆっくりと頷いた――と同時にレムがカルアを撃ち出した。
カルアの体は山なりに高度を上げ、頂点に達した。
「〈糸繰〉!」
降下に転じる直前、壁に伸ばした糸を手繰りふわりと壁面に張り付いた。
眼下に、ルチルナとそれを追うニヴェアを捉え、鼻先に魔法陣を描いた。
「〈氷槍!〉」
楔形の氷が、ニヴェアめがけて撃ち出された――
〈氷槍〉を追い、ルチルナはニヴェアを振り返った。
事も無げに躱したニヴェアの目玉が、カルアへ向いたのが分かった。
(絶対に食われたりしないでよ……)
地面に弾かれるように飛び上がったニヴェアを見送り、ルチルナは足を止めた。
(かかった……!)
自分めがけて飛んでくるニヴェアを認め、カルアは足元に大きな魔法陣を展開し、壁を離れた。
「〈糸繰〉!」
糸を伸ばした先は――ルチルナだ。振り上げたメイメイの腕に繋げ、魚でも釣るように一気にカルアを手繰り寄せた。
空中でニヴェアと交差し、着地したカルアは地面を滑りながら大きく四つの魔法陣を描いた。
「〈糸繰〉!」
四つの〈糸繰〉が絡み合い、繋留ロープのような太い光の筋がニヴェアを捉えた――
「〈浮力〉!」
自身〈浮力〉を切り、壁に残してきた魔法陣へありったけの魔力を込めた。
同時にレムがロープのような〈糸繰〉を引き――宙を進むニヴェアが減速し、カルアは苦しげに顔を歪ませた。
カルアが持てる魔力を全て注ぎ込んだとしても、この巨体を浮かす事はできない。軽くするのが関の山だ。
しかし、次は無い。それだけの魔力を注ぎ込んだ。
ニヴェアを引くレムの体が引きずられ、〈糸繰〉が切れた――
しかし、十分だった。ニヴェアは壁に届かず手足をバタつかせながら落下を始めた。
浮力を切ったカルアが膝を突き、ルチルナが神眼を大きく見開いた。
落ちてくるニヴェアへ猛然と駆け寄り、地面から巨大な手を生やしてムズリと捕まえた。
「さあ――」
ニヴェアの半身を掴み、落下の勢いそのまま地面に叩きつけた。
滑るように回る四つの瞳孔が拡縮を繰り返し、メイメイとランラン腕に土塊が集まり巨大なフックが出来上がった。
「返してもらうわよ!」
メイメイは上顎にフックを掛け、頭を踏みつけて力任せに引いた。ランランが下顎を引き、徐々にニヴェアの口が開き始めた。
ルチルナの左目周辺に目玉が根を張るように筋が浮き、目玉は激しく暴れ瞼を押し広げた――
「さっさと吐き出せって言ってるのよ!!」
ニヴェアの半身を握る手が締まり、口に掛けたフックが皮膚を破り外へ飛び出した――
その時、生木を折るような鈍い音が聞こえ、ニヴェアが裂けた。ランランが尻もちをつくように、たたらを踏んで倒れた――
……ニヴェアは口から真っ二つに裂け、グッタリと動きを止めた。
「……何よ……これ」
ルチルナは、引き裂いたニヴェアの骸を呆然と見つめた。
ニヴェアの内側には、何もなかった。魔物であるため、骨や内臓の類いは存在しない。分厚い皮膚の裏側に、ビッシリと魔力結晶が付いている外は何もない。あるはずのものまでが……。
「あの二人は……? まさかもう分解されて……」
その時、大きな拍手が響いた。ゆったりと、しかし力強い。
見上げると、鬼族の男が観客席の縁に立ち拍手を送っていた。
剥き出しの厳つい腕とは対照的に、羽織っているコートの裾は床に届きそうなほどに長く、防具の類いは見えない。
額から突き出た二本の角は、ゴツゴツとしたコブのような形をしていた。……しかし、何故かそれが異様に鋭く思えた。
――と、彼が何かを蹴り落とした。
悲鳴を上げたそれは、地面へ当たる直前に減速したが……ドスンと少々乱暴に着地した。
「痛って……」
尻を擦るリンとアイクが、バツが悪そうに手を上げた。
「よう……」
「お疲れ……さま……」
続いてヴィクターがふわりと着地した。
「……どうなってるのよ」
睨むルチルナを制し、ヴィクターはニヴェアの骸を指した。
「まあ、落ち着けって。死んじまったから見えねぇけど、そいつの腹ん中にはポータルがあるんだ。そして……」
そう言って観客席を指した。
「奥に小部屋があってな、そこと繋がってる」
「……」
ルチルナは無言で踵を返し、しゃがんだまま杖にもたれるカルアの元へ向かった。
「大丈夫?」
「うん。少し休めば動けると思う」
カルアはホッと息をついてリンとアイクに目を向けた。
「もう分解されちゃったのかと思ったよ……」
「心配して損したわ」
憤るルチルナへ微笑み、左目に残る筋を見つめた。
「目は大丈夫?」
「ええ。最近力むとすぐこうなっちゃうのよね……。まあ、跡が残ったりはしないからいいけど」
「目に乗っ取られてしまうわよ」
振り返ると、二人のダークエルフが立っていた。
「初めまして。キア・フェイレンよ」
「あたしはニア・フェイレン。キアの妹よ、よろしくね」
「……フェイレン?」
首を傾げたカルアへ、キアは優しく微笑んだ。
「ああ、今は北の極地に住む者全体を指す言葉になってるみたいだけど……、私達は正真正銘フェイレンの一族よ」
納得するカルアを横目に、ルチルナは声を尖らせた。
「乗っ取られるってどういう意味よ?」
「神憑り。あなたは会った事があるでしょ? あれは神眼に支配されてしまった者の成れの果て。あなた、その目に主導権を渡した事があるんじゃないの?」
「……」
「心当たりがあるみたいね。そうやって自由にさせとくと、そのうち主従が逆転して乗っ取られてしまうわよ」
「……どうして分かるの?」
「色々見てきたから。伊達に長生きしてる訳じゃないのよ」
「……」
「ま、とりあえずもっと腕を磨きない。ローガンが見たら泣くわよ」
不意に登場した祖父の名に、ルチルナはたじろいだ。
「……お祖父様を知ってるの?」
「ええ」っと、ニア意味深に微笑んだ。
「隅々までね……」
「……」
「ところで……。あなた」
ふとカルアを見た。
「はい……?」
「あなたが描く魔法陣は、わたしにも掴めるのかしら?」
「私のはそうしないと不安定で……」
「あなたの、は……ね。魔法は誰に?」
「父の友人に」
「その方は今何処に?」
「おい、支えてんだ。後にしろ」
と、ヴィクターが割り込んだ。キアとニアを押し退け、不満そな彼女達を振り返った。
「それと、お前らは仕事しろ」
一瞬観客席へ送った視線の先で、鬼族と巨人属の男がじっと彼女達を見つめていた。
「……まあいいわ。今日は稼がせてもらったし、またね」
「……」
戻って行く二人を見送り、ヴィクターは顔を戻した。
「来い、間もなく初期化が始まる、ここを出るぞ。あと、アレを忘れんなよ」
そう言ってニヴェアの骸を指した。
「お前らなら自分で運べるだろ? 要らねーのなら置いてっていいが、要るんなら急げ。初期化が始まると消えちまうぞ」
――ルチルナが生成した歩く巨大な手と、レムとランランがニヴェアの骸を引きずり、一行はヴィクターの後に続いた。
観客席下の壁が開き、現れた大きな通路へ入った。
「いいか。こいつは独り言だ」
通路を進み、扉が閉まって間もなくの事だ。ヴィクターが唐突に喋り出した。
「はぁ?」
「独り言だ。いいな、独り言だ。どこぞの生意気なお嬢様にはとってはとても重大な独り言だ」
「それって私の事しら?」
そう言うルチルナは無視してヴィクターは続けた。
「キアとニア。姉妹だと言っているが、本当は親子だ」
「それが?」
ダークエルフはエルフに並ぶ長寿な種族だ。見た目で親子なのか兄弟なのか見分けるのは難しい。その為、あの二人が実は親子だと言われても特に驚きはない。ルチルナの素っ気ない返しは、ごく自然なものだろう。
「問題はニアの父親だ。なんでも、キア曰く隅々まで知っている男らしいんだがな……一体誰なんだろうな?」
チラと送られた視線に、ルチルナは目を剥いた。
「……まさか……本当に……?」
「とある一族に伝わる神眼が欲しかったらしい」
「……」
「いつの日か、あいつらは必ずその一族に厄介を持ち込む。ハーフとはいえ、ニアは長生きするだろう。当代の子供の、そのまた子供の子供よりもずっとずっと長生きする。人の寿命を物差しに考えてはダメだ。数代に渡る代替わりの間に、ニアに神眼が移っちまう可能性は十二分にある。
今は事の重大さが理解出来ないかもしれないが、時期当主かもしれないあのガキは知っておいた方がいいだろうなぁ……。あと、オレはあの親子が嫌いだ」
そうする間に、一行はポータルへたどり着いた。通路が少し開け、真ん中にぽつんとポータルがあった。
「独り言はここまで……。こっからはアドバイスだ」
ヴィクターは足を止め、一行を振り返った。
「青や紫、そして赤。お前達から見れば雲の上の存在だろう。
そんな連中に何か聞かれれば、素直にペラペラ喋っちまう気持ちも分からんではない。冒険者にいい憧れを持ってこの道へ入ったのなら尚更だろう……」
「……」
「だがな……残念な事に、登録証の色がそいつの誠実さを測る指針とはなりえない。むしろ逆だ。ランクが上がれば上がるほどに、腹に一物どころ十も二十も抱えている連中がゴロゴロ居る。
登録証の色は違えど同じ冒険者だ。同じ組織に属する者同士、仲間と言えなくはない。だが、友人ではない。
冒険者なんて、所詮は素性のよく分からない寄せ集め集団だ……勘違いするな」
暫し間を置き、ヴィクターはゆっくりと全員の顔を見つめた。
「ある時から、登録証は引力を持ち光を放つようになる。そしてそれは、色が変わる毎に強くなってゆく。
良いもの悪いもの、良い人間悪い人間……なんでも引き寄せる。本人の意志に関係なくな……。
時々、お前達のように駆け上がってくる連中がいる。本人達は気が付いていないが……そういう連中は、特に強力な引力を持ち、輝いている」
「……」
全員の顔をゆっくりと見回し、ふとヴィクターは顔を崩した。
「何か悪い事ばかりみたいに言っちまったが……。全部が全部ってわけじゃねえ。まあ、つまり、オレが言いたかった事はだな……。
気を付けろ。って事だ」
頷いた面々へ微笑み、脇へ避けてポータルを指した。
「見た目はパッとしないが、そいつはニヴェアを倒した時にだけ開く特別なポータルだ。胸を張って潜れ」
皆がポータルへ向う中――カルアはヴィクターの視線に気が付いた。
さり気なく後ろへ下がり、皆を見送って彼と向き合った。
「ペラペラ喋るなって……私に言ったんですよね?」
「半分はな」
目を細め、じっとカルアを見つめた。
「……かつて、お前と同じような手法で魔法陣を描く魔術師が居た。お前がやっていたように掴んだり、払い退けたり……。だが本人以外に触れ事はできず、あらゆる物を通り抜けたそうだ。
あらゆものの内部に押し込んで魔法を放てる……魔術の奥義と言っても過言じゃない」
「……」
「だが、その魔術師は弟子を取らなくてな、唯一の使い手と共にそれは失われた。そもそもが作り話なんだとも。……ついさっきまでな」
そう言って、ヴィクターは大きく息をついた。
「まさかお目にかかれる日が来るとはな……。表に出てくる事なく、ひっそりと受け継がれていたんだな……」
ぽかんと聞いているカルアを見つめ、ヴィクターは訝しげに眉を寄せた。
「……もしかして、アレは普通の事だと思っていたのか?」
「はい……」
「人前で使うなとは言われなかったか?」
「一言も……」
「一体どんな田舎で育ったんだ……」と、ヴィクターは大袈裟なため息を漏らし、天を仰いだ。
「お前のパーティ以外に知っている者は?」
「私達以外は多分……。特に驚かれた事もないですし……」
「いいか、やるなとは言わん。今更そんな事言われても無理だろうしな……。だが、そいつはキアのような連中を引き寄せる。もっと質の悪い奴も……。
分からないようにやれ。いいな?」
「気を付けます……」
ふと、カルアは浮かんだ疑問を口にした。
「あの……どうしてそんな事を教えてくれるんですか? さっきの話だと……」
「ギルドは、ギルドのルールを守っている限り、その者達を守る」
「……」
「とはいえ、さっきのアドバイスは当然俺達職員にも当てはまる。良い心がけだ」
微笑んだヴィクターは、「コイツはオマケだ」と付け加えた。
「講師が俺で、案内も俺で、試験官も俺。はて……コイツは偶然か?」
「……」
ニヤリと微笑み、カルアを促した。
「初期化が始まる。早く行け――」
ポータルを潜ると、何もない大きな部屋へ出た。
正面に見える両開きの扉から、チラチラと瞬くように光が溢れている。薄暗く寂しい部屋だが、扉から溢れる光と喧騒がそれをかき消していた。
「……」
遅れて出てきたカルアへ、ルチルナは訝しげに尋ねた。
「何してたの?」
「ちょっとね……。後で話そ」
続いて現れたヴィクターが扉へ手をかけ、一行を振り返った。
「いくぞ」
――重々しい軋みを上げてゆっくりと扉が開いた。喧騒が止み……扉へ向う自分達の足音だけが、コツコツと響いた。
「……」
見覚えのない部屋だ。どうやら入った所とは違う場所のようだ。一見酒場に見えるが……カウンターに立つのはギルドの受付嬢だ。
大勢のギルド職員と、先に試験を終えた者達の視線が一斉に彼らへ注がれた。
「……何処なの?」
その時、ルチルナの呟きに重ねるように拍手が始まり、瞬く間に部屋を覆い尽くした――
「諸君!」
先頭に躍り出たヴィクターが、大仰に手を上げて注目を集めた。
「五年ぶりの快挙だ!」
ニヴェアの骸が運び出され、群がった野次馬はその姿に驚きと歓声を上げた。
様々な声が飛び交い、瞬く間に膨れ上がった熱気に圧倒され……戸惑う一行をヴィクターが促した。
「どうした、胸を張れ!」
「……」
ふと――ルチルナがメイメイから降り、ランランと共に先行させて野次馬を押し退けた。
真っ直ぐにカウンターを見つめ、ゆったりと足を踏み出した。
――その姿を見つめ、カルアはルチルナと出会った時の事を思い出していた。
カウンターを睨み、肩を怒らせ、足を踏み鳴らしてギルドへ入ってきた。二体のゴーレムを引き連れ、キンキンと声を張り上げる小さな暴君――
自然と飛び交う声が止み、再び巻き起こった拍手が部屋を包んだ。
二体のゴーレムを従え、肩を怒らせるでも風を切るでもなく……しかし堂々と。見せかけの威嚇は、もう必要ない。
(ローレンスさんに見せたかったな……)
カルアは笑みを浮かべ、ルチルナの後に続いた。
一方、ニヴェアに飲まれたリンとアイクは……笑顔を振りまいて拍手に応えてはいるが、その胸中は複雑であった……。
「こんなに嬉しくない祝福も珍しいね……」
「……だな」
――登録証を黒い石版へはめ、受付嬢とヴィクターが手を添えた。
じわりと色が変わり、薄い緑と白の二色になった登録証を受け取った。
「今日この場に立ち会えた事を光栄に思う」
全員の登録証を渡し終え、ヴィクターは緑色の小さな板を並べた。登録証を刻んだような、縦長の小さな板だ。表面にはギルドのエンブレムと蜥蜴らしきものが彫り込まれている。
「これは?」
「メダルだ。そいつはニヴェア討伐の証、登録証の横に付けられる。ギルドが発行する勲章みたいなもんだ。
メダルを並べてゆけば鎖の代わりにもなる。頑張って集めな」
続いて、ヴィクターは丸めたスクロール取り出した。手の中に握り込んでしまえそうな小さなスクロールだ。
「あとは……コイツだ」
「これ……もしかして魔法契約ですか?」
「そうだ。ニヴェアの情報を秘匿しますって契約だ。正確には、ニヴェアに関する記憶の封印だ。登録証を返却しても契約は維持される。因みに、拒否は出来ない」
「魔法契約?」
「うん。今のところ冒険者ギルドしか持ってないギルドオリジナルの魔法。話には聞いてたけど……」
しげしげとスクロール眺め、チラリとヴィクターを窺った。
「広げて中を見ても……」
「ダメに決まってるだろ」
「デスヨネ……」
「それで、喋ったらどうなるの?」
「心配ない。喋りたくても喋れないし、文字や魔法で伝える事も出来ない。そもそも、ニヴェアの事は思い出せなくなる。守護者と戦ったという事は覚えているが、どんな奴だったかは思い出せない」
「ふーん……」
「昔は誓約書を書くだけだったんだが……お喋りが多くてな、本部を怒らせた結果だ」
「本当にニヴェアの事だけなんでしょうね?」
「そこは信じてもらうしかないな」
訝しむルチルナをよそに、リンとアイクはスクロールに手を伸ばした。
「俺は忘れられるんならとっとと忘れたい」
「僕は戦った事自体無かった事にしてくれても良いんだけどなぁ……」
「安心しろ、食われた事は思い出せなくなる」
そう言って、ヴィクターはポケットから魔力結晶を取り出した。
「封は切るなよ。そのまま持っていろ」
丸めたままのスクロールの中へ、ヴィクターが一欠の魔力結晶落とした。その瞬間――スクロールは灰のように崩れ、カウンターへ落ちる事なく消滅した。
「……」
「どう?」
「特に何も……」
「ニヴェアの事は?」
「ニヴェア?」
「さっきの戦ったガーディアン」
「ああ、えっと……」
と、リンとアイクは首を傾げた。
「たしかに……」
「戦った事は覚えてるんだけど……」
「因みに、ローレンスにもこの契約だけはやってもらった」
暫くの間、ルチルナは思い出そうと首を捻る二人を眺めていたが……諦めたようにスクロールを手に取った。
「……ふーん、まあいいわ」
「因みに、臭いも思い出せなくなりますか……?」
「ああ。ニヴェアに関する情報は全てだ」
二人が掲げたスクロールへ魔力結晶を落とそうとして、「そうだ忘れるところだった」とヴィクターは手を止めた。
「ニヴェアの骸はギルドが買い取る。持ち出せない理由はもう分かるだろ?」
「はい」
「記念に何か持って行きたかったけど……これで我慢するわ」
そう言って、ルチルナはニヴェアのメダルを手に取った。
「それで価格なんだが……。まあ、レアと言えばレアなんだが……体の作りまでサラマンダーの下位互換だからな、素材としては大した額にはならん。だが魔力結晶の方は五年分濃縮されている。そこそこにはなるはずだ」
「分かったからさっさと済ませて」
――二人が持つスクロールが崩れ、ニヴェアの記憶に封がされた。
◆
翌日、夕刻――
ノーキス冒険者ギルド。ギルド長執務室。
扉を開けると、机越しにルカがニコニコとヴィクター迎えた。
「ご苦労様」
向かいのソファーに腰を降ろし、ヴィクターは義足を外して足を揉み解した。
仏頂面で足を揉むヴィクターを眺め、ルカは楽しげに声を弾ませた。
「ことごとく思い通り運ばなかった。と顔に書いてあるぞ」
「ああ、そうだよ最低だ最悪だ。足は痛えし、キアに賭けを吹っかけて負けるし、あのガキは即答しやがるし、お前は楽しそうだし、最悪だ」
「フフフ、それで……何か分かったかな?」
「何も。見た目が変わってるってだけで普通のゴーレムにしか見えん」
ふと――ルカの目付きが変わった。ヴィクターに見えた一瞬の躊躇いを、ルカは見逃さなかった。
それを気取ったヴィクターは、目を合わす事なく尋ねた。
「お前の方はどうなんだ? 多少は調べたんだろ?」
「ああ。何処で見たのか思い出したよ」
「そうかい。じゃあ後は自分でやれ」
ルカに質問をさせぬよう早口に返し、雑に取り付けた義足を踏み鳴らして席を立った。
「――!!」
扉を振り返ると、鼻先に逆さまのルカの顔があった。
コウモリのように天井に立ち、両手を伸ばしてヴィクターの頬を挟んだ。
「何を隠している?」
「何の話だ?」
「無駄だ。私はお前がオムツを履いていた頃から知っているんだ。私に隠し事はきないぞ。何を見たんだ?」
「……」
同じ頃――
ジェフの店。テーブルを囲み、祝杯を挙げるカルア一行の姿があった。
「コイツはあたしの奢りです」
テーブルへ料理を置いたジェフが酒瓶を添えた。
「ありがとうございます!」
早速封を切り、それぞれが持つカップへ注いだ。
「ルチルナは?」
「わたしはいい」
「お祝いなんだから、ちょっとだけ」
「……」
無言で突き出されたルチルナのカップへ酒をたらし、誓を忘れたわけではなくあくまでも例外のローレンスのカップを満たした。
「それでは。お疲れ様でした!」
掲げたカップを合わせ、一息に飲み干した――
降ろしたカップが次々とテーブルを叩き、口から抜け出た魂が思い思いの呻きを漏らした。
……魂を仕舞い、リンは大皿に盛られた料理へ手を伸ばした。
「絶対ルチルナが最後の問題落とすと思ったんだけどな……」
「即答だったからビックリしたよ」
「うんうん」
アイクへ頷き、カルアは微笑んだ。
「俺は最初どういう事か分かんなくて固まったからな。スゲェ敗北感だったよ……」
「ルチルナはやる気さえ出せば、結構何でも出来ちゃうタイプなんじゃないかな?」
「認めたくはねぇけど、天才肌タイプなのかもな」
自分を褒めるリンとアイクの言葉が心地よく、ルチルナの機嫌は目に見えて良くなった。
大皿に手を伸ばし、肉を穿りながら得意気に返した。
「あんなの深度計を見るだけじゃない。一番簡単だったわよ」
「……」
たしかに、深度計を足掛かりに判断するのだが……ルチルナの返しには何処か違和感を覚えた。
「ねえ、ルチルナ。もしかして……、深度計が九を指してたの?」
「そうだけど。それがどうかしたの?」
カルアはきょとんと目を瞬かせ、リンとアイクは顔を見合わせた。
「……何よ?」
「ルチルナ、深度計を出せ」
程なくして――
「お前……これ壊れてんぞ」
「……うん。九を指したまま止まってる」
「ウソでしょ? まだ新品同然よ」
「そこじゃねぇ」
「九階層って、これを見て答えたの?」
「そうだけど……」
そう尋ねるカルアへ、ルチルナは戸惑いがちに返し、リンはため息と共に天を仰いだ。
「そうだよな……お前がそんなはずねえよ」
「なんだかホッとしたよ」
「きゅ、九階に降りた時に壊れよ! きっとそうよ」
「それはない。あの時、俺達の深度計は八を指してたんだよ。というか、深度計が正常なら八を指したんだよ」
「……何で? 九階じゃなかったの?」
「いや、九階だよ。でも俺達は七階層分しか降りてない」
「じゃあ七を指すんじゃないの?」
「階層転移ですな。小区画が閉じる際の揺らぎは、ダンジョン全体へ波及します」
「あのダンジョンは七階から二階層のセルになってる。つまり、七階と八階は一つのセルだ」
「僕らが六階を進んでる最中にそれを閉じたんだよ。だから深度計はセルが閉じた揺らぎを感知して一つ進んで七を指し、僕らが七階層と思ってた入ったフロアは九階層で、深度計は八を指したんだ」
「……」
「あーあー、感心して損したぜ。やっぱお前はルチルナだよ」
「どういう意味よ」
「そのまんまだ。ゴーレムしか能がねぇ」
ルチルナの目がキリキリと吊り上がった。
「脆い壁を出すしか能がないくせに言ってくれるわね」
「その脆い壁がお前を止めた事をもう忘れたみてぇだな、あぁ?」
「手を抜いてあげた事も理解出来てないなんて哀れね」
「……」
「……」
睨み合う二人が腰を浮かし、すかさずジェフが駆け寄った。
「やるんでしたら、表でお願いしますよ」
「なんか試験以来無性に腹が立つんだ。思い出せねぇけど、きっとお前が何かやらかしたに違いねぇ」
「奇遇ね、試験の時にあなたにとっても腹を立てた気がしてならいのよね。お互いスッキリさせましょう」
バチバチと火花を散らし、二人はツカツカと店を出た。
「ちょっと……、アレまずいんじゃない?」
「え〜、大丈夫よ」
「お元気そうでなりよりですな」
アイクが振り返った先には、空の酒瓶を振る二人の酔っぱらいが座っていた。
「ジェフさ〜ん。これもう一本お願いします〜」
「……」
追加の酒を置き、ジェフはアイクに尋ねた。
「止めなくて良いんですかい?」
「え? 何が?」
「何って、表の……」
「表? それよりお料理の追加お願いします」
と、アイクはまるでそこに自分一人しかいないかように全てを無視し、料理を頬張った。
ニコニコと微笑むアイクを見つめ、ジェフは悟った。
(逃げた……)
――執務室の机に座り、ルカは外を眺めていた。
沈み行く太陽が彼方の雲を燃やし、ノーキスの街を紅く染めている。間もなく雲は燃え尽き、夜が訪れる。
「……」
かれこれ一時間近く、身動ぎもせずにこうしている。だらりと椅子に背をもたせ、胸で組んだ指先だけが、時折何か数えるようにコツコツと動いた。
机には数冊の本が開いたまま放置され、卓上を文字で埋め尽くしている。
ルカは机に目を戻し、文字の隙間に二枚の絵を捉えた。
何処か見覚えのあるゴーレムと、長い髭を蓄えた厳しい老人……。
「……魔帝リリス。大賢者モーゼル。……はて、これは偶然か?」
2021/06/10誤字脱字等修正 2021/06/13微修正、誤字脱字等修正




