守護者(ガーディアン)
暫く森を進むと、先程の岩とは別の大きな岩が見えてきた。
半分が雪に埋もれ、すぐ側に長い杭が打たれている。杭の頭には白と青の細い布が結ばれている。
カルアを振り返り、ヴィクターは杭を指した。
「ありゃ何だ?」
「マーカー」
「白の意味は?」
「次階層へのポータル」
頷いたヴィクターは視線を滑らせ、リンを見た。
「続きは?」
「青……次の階層は開放型」
頷いたヴィクターは雪を掻き分け、杭の根本を晒した。
雪に埋もれて見えなかったが、雪の下に岩がもう一つ隠れていた。そして杭の根本――岩と岩の間の僅かな空間にポータルがあった。
「……毎回こうやって掘るの?」
「ここの初期化は約二時間。ニ時間で全てが元通りだ。掘ったここも、足跡もキレイさっぱり無くなる」
「ふーん……」
「だが、持ち込んだ物はそのまま残る」
そう言って杭に手を置いた。
「こういう物は、間違ってもダンジョン内で手に入れた物を使うなよ」
「どうして?」
「……」
ヴィクターは出かかった言葉を飲み込み、アイクを見た。
「初期化で元に戻ってしまうから」
大きく頷き、ルチルナへ顔を戻した。
「……な、何よ?」
「万に一つも、『聞いていなかった』なんて事はないとは思うが、念の為にもう一度言っておく」
「……」
「一人でも落ちたら、全員やり直しだ」
「……」
暫くの間ルチルナと視線を交し、「次の階層は夜だ。ランプを準備しておけ」そう言うと身を屈めてポータルへ手を伸ばした――
◆◆
雪山の迷宮。
全十階層の小規模なダンジョンだ。複数のセルを内包しているが、階層そのものが狭く、魔物の出現も極端に少ない。
加えて初期化も早く、開放型、密閉型、小区画とダンジョンの基本が全て詰っており、まさに試験の為に生まれてきたようなダンジョンだ。
緑への昇級試験の殆どがここで行われており、その為この試験は常に混雑している。それを解消するべく、ギルドは長年代替地を探してはいるが……ここに勝る場所は見つかっていない。
――カルアは魔力ランプをかざし、マーカーを照らした。
(白、赤――結び目は四つ。続きは赤、青……)
試験官が差し出した黒い石版へペンを走らせた。
(次階層は密閉型。四階層のセル。一層目とニ層目は密閉型、三層以降は開放型)
書き終えたカルアは試験官に促され、ポータルへ手を伸ばした――
今、カルアはネリス・ダンジョンのニ層目にいる。
先程確認したマーカーは試験用の物で実際の物とは異なる。実際は、次の階層は二階層の開放型のセルだ。
三階層へ移動したカルアは他の面々と合流し、ルチルナを待った。
程なく……ポータルが輝きを増し、吹き出した靄がルチルナを形作った。やがて――靄は時を巻き戻すようにポータルへ戻り、代わりにルチルナが残った。
「……」
不安気な視線を送る面々見渡し、目を吊り上げた。
「ら、楽勝よ!」
っと言葉は自信に満ちていたが……泳ぎ回る目からは今にも飛沫が飛んできそうであった。
続いて現れたランランへよじ登り、視線から逃れるようにズンズンと歩を進めた。
「もし落ちたら、ニ月以上待つ事になるんだからな」
ジトっと見つめるリンを振り返り、更に目を吊り上げた。
「分かってるわよ!」
試験の性質上、一度に行える人数には限界がある。
初めて挑戦する者は優先されるが、二度目以降は後ろへ回され順番待ちとなる。
ダンジョン見学の後、カルアはルチルナの部屋へ呼ばれた。本人曰く、『講習内容を復習する為に』講習でやった事をもう一度聞きたいと。
そして試験当日までの二日間、カルアと『復習』を続けたのだった……。
――回答を書き終え、カルアはペンを置いた。
現在一行は六階層まで進み、次の七階層で終了の予定だ。
試験は実際にダンジョンを攻略しながら行われる。便宜上、攻略と表現されるが……ここで魔物と遭遇する事は稀で、加えて一本道の狭いダンジョンだ。
設置された様々なマーカーを正しく読めているか、見落としはないか、マーカーを正しく設置できるか、それが主な内容だ。
カルアは足を止め、回答を書き込むルチルナを振り返った。
「……」
眉間に寄せたシワは固まったままだが、辛うじて手は止まっていない。
(大丈夫……かな)
あれだけみっちり『復習』したのだ、きっと大丈夫。カルアは踵を返し、ポータルを潜った――
目を開くと、雪ないカラリと晴れた森が広がっていた。木々の隙間から注ぐ陽射しを見上げ、カルアは目を細めた。
「よう」
声の主はヴィクターだった。正面の木陰に立ち、歩み寄ったカルアへ黒い石版を差し出した。
「最終問題だ」
「はい」
「ここは何階層だ? 口述でもいいぞ」
カルアは深度計を取り出し、数字を読み取った。
「えっと、……八階?」
「八階層。それが答えか?」
「いや、待って下さい」
(ここは七階層のはず……。このダンジョンの構成は――)
カルアは、入場してきたポータルを振り返った。
通常であれば階層を示すマーカーが設置されているのだが……流石に撤去されているようだ。
しかし、カルアには確信があった。
「九階層です」
「それが答えか?」
「はい」
フッと、ヴィクターは顔を崩した。
「正解だ」
そう言って指差された先に、皆の姿があった。
「そんじゃ、あそこで待機しててくれ」
程なくして――
ポータルを潜りルチルナが姿を表した。
「最終問題だ」
「どうぞ」
「ここは何階層だ? 口述でもいいぞ」
ルチルナはチラリと深度計に目を向け、自信たっぷり答えた。
「九階層よ」
「九階層。それが答えか?」
「そうよ聞こえなかったのかしら?」
ヴィクターは口を歪め、舌打ちを洩らした。
「あと一つでやり直しだったんだがな……。お前には特別補習も用意しておいたのに、実に残念だ」
ため息を漏らすヴィクターへ、ルチルナは威勢よく鼻を鳴らした。
「あら、それは是非とも受けたかったわ。本当に残念」
「ああ本当に残念だ。俺が話している間ゴーレムで遊び続けるような不届き者には特別教育もサービスしてやったのにな……本当に残念だ。だが決まりは決まりだ。仕方がない」
「そう。それで?」
「全員合格だ」
ルチルナは得意気に髪を払い、余裕タップリに続けた。
「それにしても拍子抜けね。これで終わりなんて」
ルチルナの態度は別として……、それは皆も思っていたようだ。嬉しいのだが、釈然としない。そんな心が顔に浮き出ていた。
「どうした? まさか魔物と戦うとでも?」
「ダンジョンまで来て『試験』って言わればそう思うわよ。それにローレンスが……」
ヴィクターはニヤリと笑みを浮かべた。
「では聞くが、我々が戦闘能力を測って……、それが何になるんだ?」
「何って……」
「質問を変えよう。兵士に求められるものはなんだ? 彼らが最も求められるものはなんだ? 戦闘能力の高さか?」
「そりゃ強い方がいいでしょ」
「たしかに、強いに越したことはない。それは何故だ?」
「何でって……戦えない兵士なんていらないでしょ」
「兵站を担う連中は殆ど戦わないぞ? そもそも全く前線立たない兵士だって大勢いる。
彼らに求められるのは、事務処理能力や分析能力の高さだ。強さはオマケ程度でしかない。前線の兵士が全滅したら……出てもらうかも、程度のものだ」
一同を見渡し、ヴィクターは続けた。
「兵士に最も求められるもの。それは、如何に忠実な駒であるかだ。命令に逆らわず、忠実に、着実に与えられた任務をこなす事。
そして『任務を忠実に着実にこなす』この為に強さを必要とする者も居るというだけだ。
そこだけを切り取って試験する事に何の意味がある?」
「……」
「冒険者に求められるものはなんだ? いや、『冒険者、ルチルナ・メイフィールド』『C.O.Lのルチルナ・メイフィールド』お前は何を求められている?
互いの能力は、お前達が一番よく知っているだろ。そしてその能力に不足を感じたのならどうするのかもよく分かっているだろう? 今回もそうしたんだろ?」
「……」
「我々がいちいちそんな事を試験などしない。我々の興味は、如何にギルドが定めるルールに沿って依頼に当たるかだ。お前の頭の掻き方や尻の掻き方などに興味はない」
「ふーん……」
チラリと送られるルチルナの視線に、ローレンスはバツが悪そうに頬を掻いた。
「以前はガーディアンと戦ったのですがな……。昔とは変わったのでしょう、もう何十年も前の話ですからな」
すると、ヴィクターは楽しげに笑い声を響かせた。
「何も変わっちゃいないさ」
「……?」
疑問符が浮かぶ顔を見回し、ニヤリと微笑んだ。
「これから二次試験を行う。初期化が始まる前に最深部の守護者を倒せ」
一瞬の間を置き、ぽかんと開いていた口から声が溢れた。
「はぁぁ? ちょっと、さっきの講釈は何だったのよ……」
呆れるルチルナへ、ヴィクターは「ハッハ」と笑み浮かべた。
「とは言えだ。あまりにも実力不足の者を野に放つわけにもゆかない。本人だけなら良いが、他人を死に追い込みかねんからな。
自身の力量を正しく見極め、自身が求められる役割を理解し、協力して事に当たれる協調性。
ここから先、それらを持っていない者は質の悪い死神でしかない。ここで身につけるか、既に持っているのか、それは見極めさせてもらう」
続けて、ローレンスへ視線を滑らせた。
「という訳であんたは免除だ。過去に黄を取得し、そして今日までの実績を鑑みるに、あんたにこの試験は不要だ」
「しかし――」
何か言いかけたローレンスを遮り、ヴィクターは続けた。
「経験者には参加してほしくない。特に、倒した事のあるあんたには参加して欲しくない。まあもうムダかもしれが……ネタバレはするなよ? ちなみに、あの時のサインは今でも有効だ。余計な事は喋るな」
一同を見渡し、口元に笑みを浮かべた。
「これは、勝てば合格、負ければ不合格という類いのものではない」
「倒せなくても良いって事か?」
「そうだ」
リンへ頷いたヴィクターは何か言いかけ、それぞれの顔にゆっくりと視線を巡らせた。
「ここ迄は、まさに駆け上がって来たようだが……楽しみにしている」
◆
ネリス・ダンジョン最深部。第十階層。
ここだけ、これまでの階層とはガラリと変わり、他とは似ても似つかぬ空間となっている。
しかし、それはここに限った事では無い。最深部は構造が異なるのが普通だ。
ポータルを潜った一行は、その巨大な空間を前に足を止めた。
井戸の底にいるような……円形の巨大な部屋。高く垂直に聳えた壁は、踏み入れた者を決して逃さぬという意思を感じさせた。ここはまるで――
「……闘技場?」
そう呟くと同時に、皆の視線が部屋の中央へ吸い付いた。
六、七メートルはあろうかという巨体な蜥蜴が居た。平たくずんぐりとした巨体は、どことなく蛙に似ている。皮膚はふやけたように白く、遠目からでも、ヌメヌメとした粘液に覆われている事が分かる。
ゆったりと体をくねらせ、鉄球を引きずっているような鈍重な足運びに警戒心は感じられない。しかし、左右別々に動く赤い目玉はしっかりとこちらを見ている。
「あれが……守護者?」
聞こえた呟きに、ヴィクターは頷いた。
「白化火蜥蜴、ネリス・ニヴェアちゃんだ。まあ、魔物だから雄雌の概念はないんだがな」
「サラマンダー……? 冗談だろ?」
「安心しろ。見た目も動きも何もかもがそっくりだが、お前らが考えている奴とは全くの別物だ。それに――」
ふと、ヴィクターは空を指すように背後の壁を指差した。見上げると……壁の一部が観客席のようにくり抜かれ、そこに数名の男女の姿があった。シルバーの髪に浅黒い肌――ダークエルフと思しき二人と巨人族。
タイタンの彼だけは、その巨体のおかげで朧気ながら厳つい顔が見える。
ダークエルフの二人は、シルエットを見る限り女性のようだ。髪の長い方は成人、短い方は多分子供だ。しかし、登録証は他の二人同様に紫だ。優に百才は超えているだろう。
そしてもう一人――
(鬼族……?)
人にしては大きく、タイタンにしては小さい。距離があるたため顔までは分からいないが、登録証は見える。
「クラス・レッド……」
カルアの口から、微かな呟きが溢れた。
「もしもの時はあいつらが介入する。心配するな」
とは言われても……安全だと言い切れるのか? そう問いかける顔を見回し、ヴィクターは肩を竦めた。
「何事にもロスや事故ってのは付き物だ。そん時は運が無かったと諦めろ。
それに、ある程度は覚悟の上だろ? こういう世界だと知りながら、この道を選んだんじゃないのか? まあ……、別にここで放棄しても構わんぞ。五体満足に長生きしたいのなら、むしろ放棄する事を奨めるぜ。尻尾巻いて帰んな」
「フン、望むところよ」
挑発するヴィクターを横目に、ルチルナは鼻を鳴らしメイメイを前へ進めた。
続いて、後を追うようにカルアとレムが前へ出た。
「……ま、オークの絨毯よりゃマシか」
「的も大きいしね」
そう言って、リンとアイクが並んだ。
「後三十分で初期化が始まる。それまでに終わらせろ」
言い終えると同時に、ヴィクターの足元で魔法陣が瞬いた。次の瞬間――彼の体は釣り上げられる魚のように宙を舞い、観客席に座るダークエルフの足元へふわりと着地した。
「……やる時は言えと言っただろ。舌噛んだぞ」
睨むヴィクターへニコリと微笑み、彼女は目を戻した。
肌の露出は少なく、服は張り付くようにピッタリとサイズが合っている。対して手足の守りは厚く、四肢そのものを武器として戦う様を容易に想像できる。
サラサラと滑り落ちる長い髪を耳へ戻し、じっとカルア一行見つめた。
「落ち着いてるわね」
「ザシャでいいを経験をしたらしい」
「ふーん」
(浮力と糸繰……あんな使い方も出来るんだ)
ヴィクターを追い、観客席を振り返ったカルアは何か閃いたらしい。戻した顔が、どことなく緩んでいた。
――耳へかけた髪を玩びながら、彼女は視線をルチルナへ絞った。
「あれがローガンの孫か……」
「ピンクとストライプは、そのローガン・メイフィールドの作らしいぜ」
「へー、ローガンの……」
ぽつりと呟き、レムを指した。
「アレもゴーレムよね? あの子もメイフィールドの一門なの?」
「いや、全く関係ない。あれは酒場で拾ったらしい」
「拾った?」
「詳しい事はオレも知らん」
そう言って、ヴィクターは金貨を弾いた。
「倒す」
「ちょっと、まだよ」
ヴィクターは、微かに血の滲む舌をチロリと突き出した。
「早い者勝ちだ」
弾かれた金貨は宙を舞い、側に置かれたコップの中へ吸い込まれた。
その時、何か言いかけた彼女を押し退け、小柄なダークエルフが顔を突き出した。服装だけでなく、顔立ちもよく似ている。
「いいよー、ニアも勝つ方に賭ける。ただしぃ、三人飲まれる。姉様は?」
そう言って、コップの中に金貨を放り込んだ。
「じゃああたしは二人飲まれて勝ち」
「一人飲まれて勝ちだ」
っと、続けてタイタンの男が金貨を弾いた。
「じゃ〜あ〜、ヴィクターは誰も飲まれずに勝ちって事だね」
ニアはシルバーのボブカットをゆらし、上目遣いにヴィクターを見上げた。
「早い者勝ち。なんでしょ?」
忌々しげに顔を歪め、ヴィクターは呟いた。
「ルカといいお前らといい……だからエルフと付くヤツは嫌いなんだよ」
一方、その眼下では――
「サラマンダーと戦った事は……」
アイクは皆の顔を窺い、言葉を止めた。
「話しだけなら、師匠から……」
カルアは鞄からノートを取り出してペラペラと捲った。普段彼女が使っている物とは違う見慣れない物だ。
「火蜥蜴……。手を出さない限りは比較的温厚。粘着性の高い火球の様なブレス、咆哮、尻尾による打撃が主な攻撃手段。
最も注意すべきは咆哮。咆哮の効果範囲は狭く、それそのものはさほどの脅威ではない。しかし、サラマンダーは見た目に反して非常に素早く、垂直の壁面にも張り付き駆け回る。非常に高い跳躍能力も有しており、一瞬の足止めが命取りとなる。咆哮への対応次第で、サラマンダーの強さは大きく変化するだろう……」
「……素早いって、どのぐらい素早いんだ?」
「そこまでは……」
「他には?」
ルチルナがノートを覗き込むように身を乗り出した。
「皮膚は弾力があり、加えて全身を粘液で覆っており、斬りつけたりといった直接的な攻撃は効果が薄い。しかし、腹は粘液が薄く皮膚も薄い」
「裏返せ……って事か?」
「うん。裏返すと地面に手が届かないみたい。尻尾を抑えれば起き上がれなくなるって。あと、咆哮を出す時は魚みたいに口をパクパクさせるって」
暫しの間を置き、アイクは背から弓を引き寄せた。
「ま、とりあえず一発撃って出方を見ようか」
頷き返したカルアとルチルナが身構え、盾を構えたリンが前へ出た。
「行くよ」
と、アイクは矢を番え――一息に引き絞った。
「ボンッ」と矢を中心に微かな衝撃波が走り、アイクは狙いを定めた。
(刺さりそうな場所は……あそこしかないかな)
乾いた破裂音と共に、弾丸のような矢が放たれた――
その瞬間、土煙を舞い上げ、ニヴェアは地面を滑るように素早く身を翻した。
(ッ! 避けた――)
そこからは一瞬だった。想像を超える素早い動きに呆気に取られ、僅かの間皆の意識が削がれた。もし、リンの反応がもう少し遅かったら、アイクはこの時点で食われていただろう。
我に返った時、そこにニヴェアの姿は無かった。
(何処へ……)
その時、舞い上がった土煙が破裂するように膨らみ、アイクめがけて宙を舞うニヴェアを吐き出した。
間一髪、リンが展開した壁に激突し、ニヴェアはピタリと壁に張り付いた。壁越しにアイクを食おうと、突くように壁に噛み付いた。
「あっぶねぇな……。大丈夫か?」
「……ギリギリ。助かったよ」
「にしても……この巨体でなんつう早さだよ。パワーもスゲー……」
カルアとルチルナはホッと息を吐き、リンは食い縛った歯を覗かせて傾いた盾を押し戻した。
と、その時――
リンの視界の端で、水面に顔を出した魚のようにパクパクと口を動かすニヴェアを捉えた――
(咆哮――)
「――ヤベ」
衝撃波を孕んだ女の金切り声――いや、ニヴェアの咆哮が放たれた。と同時に、壁が崩れリンが膝を突いた。
「……クソッ」
滴る涎が、リンの頭に落ちた――
大口を開け、リンに食いつく――その刹那、立て続けに乾いた破裂音が響き、ニヴェアは矢を躱して距離を取った。
「助かったぜ……」
その隙にリンは咆哮の支配を抜け、体勢を立て直した。
「ちょっと……! どうなってんのよ!?」
完全に不意を突かれたらしいルチルナは、フルフルと笑う膝を抑えてなんとか立ち上がった。メイメイの腕に立ち、リンを睨み付けた。
「筒抜けじゃない……!」
「わりぃ、俺のは咆哮は防げねぇんだわ……」
「てっきりみんな知ってるものかと……」
と、アイクはバツが悪そうに頬を掻いた。
「……じゃあ、距離を取りながらやるしかないね」
杖にすがるように立ち上がったカルアは、両手でピシャリと自分の頬を打った。
(距離を取りつつ、何とか足止めしないと……)
「ルチルナ、アイクとリンを乗せて走れる?」
そう言ってランランに目を向けた。
「それは大丈夫だけど、どうするの?」
その時、様子を窺っていたニヴェアが再び口をパクパクと動かした。
「来るぞ!」
リンが叫ぶと同時に、大口を開けたニヴェアが咆哮を放ちながらドタドタを前進を始め、カルアはレムの腕によじ上り全力で走らせた。肩越しに身を乗り出し、杖を構えた。
「乗りなさい!」
ルチルナはランランにリンとアイクを乗せ、レムに並んだ。
(咆哮を出してる間は動きが遅い……)
「〈風の刃〉!」
しかし、当たる直前にニヴェアは口を閉じ、ひらりと躱した。続けて放たれたアイクの矢も躱し、速度を上げて距離を詰めた。
「アイツ、射った矢を見てから躱してるんだよ! 狙いがどうのとかいう話じゃないよ!」
自分を睨むルチルナへ、アイクが声を荒らげた。
「温存とか言ってられないわね……」
ルチルナは神眼を開き、ニヴェアの進路上に二体の簡易ゴーレムを生成し躍り掛かった。
が、ニヴェアはそれを易易と躱し、去り際に振り抜いた尻尾で一体を叩き潰した。
「ほら! 僕の矢を避けるんだ、そんなの当たりっこないよ!」
そう吠えるアイクへ、忌々しげに舌打ちを漏らした。
翻弄される彼らの様子を眺め、ヴィクターは鼻毛を引き抜いた。
「どんだけ正確に狙っても無駄だ。設置型の魔法は論外。お前達は早すぎるんだよ。ここで負けを経験し、敗北を味わえ。その上で、本格的な冒険者稼業へ踏み出せ」
「なんか……思ってた程じゃないわね」
長い髪をクリクリと指先に巻き付け、退屈そうにボヤいた。
「咆哮の対処に困ってるねぇ〜、あの盾の子が防げたらよかったのにぃ〜」
そう言って、ニアは体を倒し姉の膝に頭を預けた。
その時――立て続けに大きな破裂音が響き、三人は目を見開いた。
「おいおい……ありゃなんだ?」
ニアは飛び上がるように身を起こし、駆け出して観客席から身を乗り出した。
「キア! キア姉! ねえ、見た!? 見た!?」
姉を振り返り、目を輝かせた。
「まさか……、一体何処に隠れていたのかしら……」
キアは一点を見つめ、驚きとも恍惚とも言えぬ顔にゆったりと笑みを浮かべた。
「あの子には……後でじっくりと話を聞かせて貰いましょう」
――ふと、キアの意識に鋭い声が割り込んだ。
「おい」
振り向いた彼女を、ヴィクターは睨むように見つめた。
「悪党の面になってるぞ」
取り繕うように微笑むキアを見つめたまま、ヴィクターは登録証を指差した。
「その看板を背負ったまま道を踏み外したらどうなるか……分かってるな?」
「……ええ、もちろん」
――カルアは再び手の中に三つの魔法陣を描いた。フリスビーを投げるように、ニヴェアめがけてそれを投げた。
「〈拒絶〉!」
投げられた魔法陣そのものは躱したが……発現した魔法までは躱せず、発生した衝撃波に曝され動きが鈍った。
威力を抑えている為ダメージは期待出来ない。しかし、足止めには十分だ。
尤も、威力を上げたとしても……あのブヨブヨした皮膚に阻まれ、あまりダメージは期待出来そうにない。
「アイク!」
呼びかけたカルアを見て、アイクは瞬時にその意を察した。
「二本!」
二本の矢を番えると同時に、矢尻先から山なりに光の筋が伸びニヴェアと矢を繋いだ――
「繋いだ!」
カルアの声を合図に、一際大きな破裂音が響いた。
空へ向けて放たれた二本の矢は、光の筋に沿って弧を描きニヴェアへ迫った。
右へ、左へ――ニヴェアは矢を躱そうと激しく動いた。しかし、筋にに沿って軌道を変える矢が、ついにニヴェアを捉えた――
アイクは拳を握り、思わず声に出した。
「当たった!」
高速で射ち出された鋭い矢は、ブヨブヨと弾力のあるニヴェアの皮膚を貫いた。しかし……。
「……浅い」
ポツリと洩らしたリンがアイクを振り返った。
「もっと威力を上げろ!」
「これ以上は……もっと足場が良いところじゃないと」
そう答えたアイクは、ハッとカルアを見た。
「カルア! 矢に〈加速〉を――」
同時に、口を窄めたニヴェアが何かを吐き出し、カルアが悲鳴を上げた。
透明の粘着質な何かがカルアを襲った。反射的に掲げた右腕を中心に、ベッタリと半身を覆った。
「何……これ……」
ネバネバと糸を引き、レムにくっついた右腕を引き剥がすのに関節が外れてしまうかと思った。
「何……なの……これ……。ネバネバして……」
不意に、カルアは言葉を詰まらせた。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
問いかけるルチルナを見つめ、カルアは声を絞り出した。
「……臭い。……凄く……生臭い」
カルアはしゃっくりでもするように胸を波打たせ、肩に鼻を押しあてた。
「……ブレス?」
「カルアも出しそう……」
カルアを見つめていた他の面々は、ハッとニヴェアを振り返った。口を窄め、こちらを見ている……。
ルチルナは神眼を開き、生成した簡易ゴーレムを走らせ射線を遮った。
ブレスが当たった簡易ゴーレムを捨て、新たに生成した簡易ゴーレムで射線を遮りながら後退を続けた。
「ったく! あんたが咆哮を防げれば楽勝なんじゃないの!」
「うるせぇ! 俺は物理特化なんだよ!」
「ならあのネバネバは防げないの!?」
「全部くっついちまうだろ!」
「そんな事はどうでもいいよ!!」
言い争うルチルナとリンを一喝し、アイクは身を乗り出した。ようやく反撃の足がかりを掴んだというのに、その肝心要が……。
「ねえ、カルア! それどうやっても落ちないの!?」
しかし……何かの弾みで左手にも付いてしまったらしく、左手も杖ごとレムに貼り付いていた。
「……」
「……あ、洗えば! 落ちるんじゃない……」
「どうすんだ? 水筒の水でもかけるか?」
正直……洗ってどうにかなるとは思えない。しかし、このままでは文字通り手も足も出ない。考えるよりも、やれる事をやらなければ……足掻き続けなければ――
カルアは僅かに首をもたげ、鼻先に小さな魔法陣を描いた。
「雨」
魔法陣がかき消え、現れた水球が弾けた。主に畑の水撒きに使っていた魔法だ。
細かな水滴が、カルアを包むように飛散した――
「……取れ……た」
水に触れたネバネバは縮むように溶け、するすると流れ落ちた。
「ほ、ほら! 洗えば大抵のものは落ちるのよ」
その時、リンとアイクが叫んだ。
「おい、ルチルナ!」
「前! 前!」
振り返ると、直ぐそこに壁が迫っていた。
「放って置いてもぶつかったりしなわよ!」
全員の視線が壁に向いた――その時、大きな影が頭上を横切った。
「――ッ!!」
ニヴェアが宙を舞い、頭上を飛び越え壁に張り付いた――
「これは詰みかなぁ〜」
観客席のニアが呟いた。
「頑張った方なんじゃない? ちょっと期待外れだったけど」
そう返したキアは、じっと成り行きを見守る鬼族の男を振り返った。
「あ〜あ、アイツの一人勝ちか……」
「……どうかな」
ヴィクターが呟いた。
「まだ分からん」
――ニヴェアはパクパクと口を動かし、踵を返そうとする彼らめがけて壁を離れた。
咆哮がくる。皆それは分かっている。
同時に、その範囲外へ出る事は最早不可能であるという事も理解していた。
咆哮に自由を奪われて食われるか、耳を塞いで食われるか……。
「リン!」
カルアの声が響いた。
気が付くと、大きな魔法陣が皆の足元に広がっていた。
足元の魔法陣が何なのかは全く分からない。しかし、カルアが何を言わんとしているのかは即座に理解し、リンは盾を構えた。
降ってくるニヴェアが咆哮を放つ――その瞬間、瞬きよりも短い僅かな差でカルアが早かった。
「無音――」
その瞬間――魔法陣の内側から一切の音が消え、取り残された衝撃波だけがピリピリと一帯を撫でた。
無音の中、迎え撃ったリンの盾と壁がニヴェアを受け止めた。皆の口は動いているが、声は聞こえない――
やがて一帯を撫でていた衝撃波が消え――音が戻った。
「よっ、こいせ!!」
リンは体を捻り、受け止めたニヴェアを裏返しに地面へ叩きつけた。
「ルチルナ!」
「言われなくても分かってるわよ!」
ルチルナの神眼が激しく動き、バタバタともがくニヴェアの足を取り込むように地面が盛り上がった。暴れる尻尾にレムとランランが取り付き、メイメイの腕に土塊が集まり巨大なハンマーが出来上がった。
「好き勝手やってくれたわね!」
振り下ろされたハンマーがニヴェアの腹にめり込み、ドリルのように突き出されたリンの槍が腹を抉った。
アイクは弓を引き絞り、半開きの口に狙いを定めた。
(フルパワーに加え……)
「カルア、〈加速〉を!」
矢の先に魔法陣が現れた――その時、裏返しのニヴェアがキュッと口を窄めた。
「うわっ!」
吐き出されたブレスが、ベットリとアイクを包んだ。
(しまった……!)
その時、アイクを振り返ったリンとルチルナの視界を赤い帯が横切った。
「――!?」
長い舌がクルクルとアイクに巻き付き、一瞬で彼を連れ去った。
ゴクリと……ニヴェア腹が波打った。
「コイツ……!!」
メイメイがハンマーを振りかぶり、リンは槍を突き出そうと構えた――が、このまま振り下ろして、腹を突き刺して……中のアイクは大丈夫なのか?
一瞬の迷いが、大きな隙を生んだ。
緩んだ拘束を振りほどき、パクパクと口を動かした。
「――ッ!!」
今度は……誰も間に合わなかった。
「クソッ……!」
膝を突いたリンにパクリと食いつき、上を向いてツルリと飲み込んだ。
続けてルチルナへ向き直った。
が、彼女は既に咆哮の支配を抜けており、メイメイがハンマーを振り抜いた。
「ルチルナ!」
素早く飛び退いたニヴェアを追おうとするルチルナを、カルアが呼び止めた。
「距離を取って!」
走ってきたレムがカルアを拾い上げ、ニヴェアを睨みながらルチルナも踵を返した。
「どうするのよ!? 早く吐き出させないと!」
言いながら、ルチルナは不意に顔を曇らせた。
「丸呑みなんだから、吐き出させれば大丈夫よね……?」
「……」
観客席に目を向けると、彼らはじっと座ったままで動く様子はない。
「多分……暫くは大丈夫だと思う」
そう言うと、カルアは振り向きざまに数枚の魔法陣を投げた。
立て続けに破裂音が響き、追ってくるニヴェアとの距離が開いた。
「ルチルナ、聞いて――」
2021/06/09誤字脱字等修正




