ダンジョン
テーブルにポツンと置かれたティーカップ。
「……」
スッと背筋を伸ばして椅子に座る、小綺麗なドレスの包帯女――クロエがじっとそれを見つめている。その脇には、身なりの良いご婦人が控えている。
クロエは、ついこの間まで魔術ギルドお抱えの暗殺集団に属し、エストが盗み出した遺物の回収と彼の抹殺という任を帯びていた。
「……」
窓に視線を滑らせ、中庭を見た。
花壇と鉢植えに水を撒く住人の姿がある。
ヒラヒラと舞う蝶と、その向こうに駆け回る子供達を眺めた。
(フン、どう転ぶか分かんねぇもんだな……)
視線を戻し、何も入っていないティーカップを見つめた。
(あいつはどうすんだろうな……)
あいつとは、ザシャで袂を分かった相棒の事だろう。
今のところ新たな討ち手が放たれた気配はない。しかし……、
(……バレんのは時間の問題だ)
そうなった時、彼はどうするのだろうか……。単にしくじったと見做されればまだ良いが……裏切りと見做された場合、まず命はない。
(結局のところ、あいつもこっちに来るしかねぇんだよな……)
ザシャで別れたあの時に、この未来が読めなかったなどという事はないだろう。
(何か秘策でもあんのかね……)
微かなため息と共に首を振り、頭を切り替えた。
(ま、知ったこっちゃねぇ)
プルプルと指を伸ばし、クロエはティーカップを掴んだ。
――っと脇に控えたご婦人が鞭を振るい、クロエの肘をピシャリと打った。
「ッ痛!」
すかさず投げ返したカップをヒラリと躱し、今度は頬を打った。
「ッ!!」
まだ癒えいない傷口を鞭打たれ、悶絶するクロエの瞳に殺気が満ちた。
「……ぶっ殺す!」
スカートを捲り上げ、内腿に隠した短剣を引き抜いた。
「あ、姉御! お、落ち着いて!」
割って入ったヘッジが、慌ててクロエを押し止めた。
「離せ! テメェもぶっ殺すぞ!」
っと吠えたクロエはビクリと身を強ばらせて頬に手を当てた。
「ほらもう……また傷が開いちまったんじゃねぇですか?」
睨み付けるクロエへため息を洩らし、ご婦人を振り返った。
「先生も、ちったぁ加減してくだせぇ」
「そうはゆきません。エルフリード氏より『厳しく』指導するようにと、何度も念を押して仰せつかっております」
そう言うと、ご婦人はクロエを見つめて大袈裟にため息を洩らした。
「しかし、獣を人にする覚悟でと仰せつかっておりましたが……このような野獣、本当に人が産んだのでございましょうか……」
ギリギリと歯を鳴らすクロエを、ヘッジは必死に宥めた。
「姉御、ガマンです。どうかガマンして下せい」
ギロリと視線をヘッジへ移し、肩を掴んだ。
「ッ痛たたたた!」
グリグリと鎖骨へ八つ当たりをしてドカリ席に着いた。
――っと、すかさず振り下ろされた鞭を、ヘッジが白羽取りのごとく受け止め――損ねて鼻を打たれた。
「痛ッ……」
鼻を押さえ、涙目のヘッジは鞭を掴んで立ち上がった。
「先生も……、やたらめったら鞭打つんじゃなくて、もうちっと穏便にできねぇんですかい?」
「獣はシッカリ鞭を打って躾るものだと、プロのに方に伺いましたわよ。半端な情けはかえって良くないと」
「そりゃ動物の話でしょ……。言葉で説明すりゃいいじゃねぇですか」
「言葉が通じていないから、鞭で教えているのではありませんか。貴方もご覧になっていたではありませんか。何度も何度も同じ事を……」
「それは……まあ、そうでなんすけど、姉御は単にこういうお上品な事が苦手ってだけで、別に言葉が通じてないわけじねぇですよ」
「では、貴方から言って聞かせてみて下さいませ」
大きなため息を吐き、ギロリと睨むクロエへ向き直った。
「社長にやるって言ったじゃねぇですか……。あっしも出来る限りお手伝いしやすんで、どうかここは我慢して下せぇ」
「……」
その時、扉が開き昼食の盆を持ったボブが現れた。
フワフワのアフロと、何処を見ているのか分からない真っ黒いサングラス。フリフリのエプロンが何故かよく似合う……。
「ヒル」
テーブルにそれを並べ、ヘッジ達を振り返った。
「メシ、クエ」
「……」
クロエは大袈裟なため息を返し、のそりと立ち上がった。
「……ったく。わーったよ。とりあえずメシ食ってからな」
股を開き、昼食の前にドカリ腰を下ろした。
――っと、振り下ろされた鞭がクロエの腿を打った。
「テメェ、いい加減にしろ!」
再び短剣を抜き払い、飛びかかるクロエを羽交い締めに捕まえた。
「あ、姉御! 落ち着いて!」
ヘッジはクロエを抑えつつ、部屋を出るボブを呼び止めた。
「ボブ兄! て、手を貸して下せぇ!」
ナイフと鞭を手に対峙するクロエとご婦人を見つめ――ボブはニカリと笑みを浮かべた。
「ヘッジ。シヌナヨ」
親指を立て、白い歯をキラリと光らせた。
「……」
パタリと閉じた扉から、鍵を回す音が響いた――
◆
窓辺に立ち、ヴィクターは前庭を見下ろした。
「……」
視線の先に、ギルドを出るカルア一行の姿がある。
「例の神眼持ちとゴーレム使いか……」
ふと響いた声で我に返った。いつの間にか、隣にギルド長のルカ・オルダーニが立っていた。
門を潜るカルア一行を見送り、長いプラチナブロンドの髪をサラリと揺らした。
「気に入ったのかな?」
「まあ……気にはなってる」
「ふーん?」
何か尋ねたそうなルカへ鼻を鳴らし、近くの椅子に腰を下ろした。
「それで、ヴェルムントの再稼働は出来そうなのか?」
席に着いたルカは、ニコリと微笑んだ。
「先ずは私の質問に答えて欲しいな」
「どうでもいいだろ……」
「私は気になる」
ヴィクターは舌打ちを洩らし、大袈裟なため息を溢した。
この非常に美しいエルフの男は、見た目とは裏腹にとてもしつこく頑固だ。先の質問に答えるまで話を進めないだろう……。
「最も簡単な試験に落ち続けていたヤツが、突然メキメキと頭角を表してきたら誰だって気になる。おまけに一門でもないゴーレム使い連んでいるんだ、気にするなと言う方が無理だろ?」
「たしかに」
「満足したか?」
「では君の興味はメイフィールドの神眼持ちの方か……」
偶然にもゴーレムを受け継いだ……それはたしかに珍しい事だ。しかし、メイフィールドというビッグネームと神眼の引き合いに持ち出すほどではない。それはつまり……。
ヴィクターは、再びため息を溢した。
「……何か知っているのか?」
「彼女……いや、彼女が受け継いだゴーレムに、黒ネコ達が興味を示している」
「……」
「何といったかな……あの不潔そうな男が特に強い興味を示しているそうだ。風呂にも入らずずっと工房に籠もっていそうな……」
「誰だって?」
「非常に優秀な魔導技師らしんだが……名前が思い出せない。知っているだろ? 私は名前を覚えるのは苦手なんだ。今度こそ君を会議に連れて行かないとな」
「悪いがその日は義足が壊れる予定だ。きっと古傷も傷んで歩けない。諦めろ」
ルカは困ったように微笑み、ため息を洩らした。
「で? 黒ネコがどうしたって?」
「彼女が受け継いだというゴーレムを調べたいそうだ」
「調べりゃいいだろ。本人にそう言え」
互いにジッと視線を交わし……ヴィクターあからさまに顔を顰めた。
「チッ……、何を企んでる?」
「実はあのゴーレムには見覚えがある」
「元はザシャの酒場にあったんだろ? なら――」
「そうじゃない。何かの文献で見たんだ。さっき実物を見たらそれを思い出してね、私も興味がわいてきた」
「……」
「しかし、あいにく私はとても忙しい。書庫を漁る時間も、あのゴーレムと触れ合う時間も作れそうにない」
イライラと頭を掻くヴィクターへ、ルカはニコリと微笑んだ。
「黒ネコに報告する必要はない。直接私に頼むよ」
――ギルドを出たカルアは、グイと大きく背伸びをした。
「あー、腹減った」
リンは欠伸と共にふにゃふにゃと空腹を訴え、つられるように背伸びをした。
「お昼何にしよっか?」
「んー、何でもいいや。味が濃い物を食いたいな」
「気が早いわね。昼までまだ結構あるわよ」
その時、ふとアイクが切り出した。
「ねえ、このままダンジョンを見に行かない?」
「今から?」
「試験をやってない日は入れてくれるって言ってたけど……日中だけなんでしょ? 今から行っても間に合わないわよ。日が暮れてしまうわ」
「だから近くの村に宿を取ってさ、明日の朝一で」
「そうだな……、早めに宿を抑えて当日までゆっくりと過ごすってのもいいな」
「面倒は先に片付けて、のんびり観光しようよ」
「ん〜……」っとカルアとルチルナは顔を見合わせた。
町の散策、宿探し、ダンジョンの見学に試験。
たしかに、試験の事を気にせずゆっくりと町を散策したい。
「私はどちらでも。皆様でお決めになって下さい」
一度試験を経験しているローレンスは特に不安はないようだ。
「どうする……?」
「……そうね、先に試験を片付けましょうか」
ちょっと未練がありそうだが、ルチルナもそう言って頷いた。
試験は定期的に行われており、次は三日後に行われる。
試験を行っていない日は、実際にダンジョンへ入り試験の手順や機器の作動確認を行えるとの事だ。
「深度計はどうしよっか? それも現地で揃える?」
「安物なら売ってるって言ってたし、とりあえずは最初はそれで良いんじゃないかな?」
「一度使ってみないと何とも選びようがなさそうだしな」
深度計とは、ダンジョンの階層を測る魔導具の事だ。
この世界に有るあらゆるものは魔力を帯びている。もちろん、ダンジョンも例外ではない。
魔力はそれぞれ異なる波長を持っており、深度計はその変化を感知し階層としてカウントするという物だ。ダンジョンへ入るのであれば必須となるな品だ。
「ローレンスの時はどうしたの?」
「私の時はギルドの貸し出し品を使用しました」
「貸し出しなんてあるの?」
「昔はそうだったって、講師のオッサンが言ってたじゃねぇか。聞いてなかったのか?」
「き、聞き漏らしたのよ」
「どうせ簡易ゴーレムで遊んでたんだろ……」
リンは鼻を鳴らし、呆れたように溢した。
「私の時は試験の日時も指定されておりまして、随分と待たされた事を覚えております。指定された日時にギルドへ赴き、ギルドの馬車で移動しましたな。早朝に出発し、町へ戻ったのは翌日の夜中でした」
「ふーん」
「今はやり方が変わったと、講師の方が仰っておりましたな」
「管理が大変だからやめたんだって。あと深度計を貸し出しでやってたら、結局買わずにダンジョンへ来ちゃう連中がいるから強制的に買わせるようにしたって。そう言ってたよ」
「ふーん」
アイクへ気の抜けた相づちを返すルチルナを、リンが振り返った。
「な、何よ……」
「お前……試験は大丈夫なんだろうな?」
「き、聞くべきところは……ちゃんと聞いてたわよ」
「……へー」
一斉にルチルナへ向けられた視線が、不安を覚えたのは彼だけではないことを物語っていた……。
一先ず深度計は保留し、東門近くで弁当を買い求めて先を急いだ。
「ザシャの屋台が恋しくなるな」
リンはポツンと佇む二つの屋台を振り返った。
「あの町はちょっと特殊だよ」
そう言って、アイクは門を見上げた。
「こっちは随分小さいんだね」
町へ入る際に潜った南門の半分にも満たない。人の出入りも疎らだ。
「先に小さな集落が幾つかございますが、これといった特産や産業のない静かな集落ばかりでしたな」
「ふーん。俺もシケた村に産まれたけど……なるほど、そんな言い方があんだな」
スタスタと門を潜るリンへ、何やら思い出したらしいアイクがクスクスと微笑んだ。
「そう言えば、初めて見たとき凄い挙動不審だったね」
「ふん、都会育ちには分かんねぇよ。ウジャウジャ人が居て、道が舗装されてて街灯があって、裾に泥の飛んでない小綺麗な格好しててさ、別世界だからな」
そこへ、カルアから思わぬ援護が入った。
「だよね。夜なのに暗い所の方が少ないとか信じられなかったよ」
「だよな!」っと振り返ったリンは、パッと笑みを浮かべた。
「話では色々聞いてたけど、実際に見ると飲まれちまってさ、衛兵の横とか通るとなーんかビクついちまってさぁ」
「わかるー!」
と、お登りさんあるあるで盛り上がる二人の背を眺め、ルチルナが呟いた。
「私はそのシケた村に押し込められた時、まだこんな未開の地が残っていたのかと衝撃を受けたわ」
「僕もリンの子供の頃の話とか聞いても、なんだか現実味がなくて作り話なんじゃないかと思っていたよ」
「わかるわ。カルアの昔話を聞いてもいまいちピンとこないのよね……。お互いに散髪しあってたとか、意味が分からなかったわ」
「そうそう、リンもそんな事言ってた。未だに金払ってやってもらう事はじゃないとか言って、自分で切ってんだよ」
「あのボサボサ頭はそういう訳だったのね……」
「それで兄弟の髪は全部自分が切ってたって、一体どんな髪型してんだろうね」
などとこちらはこちらで盛り上がっているようだ。
しばらく雪は降っていないらしく、道は歩き易い。ザシャとノーキスを結ぶ街道ほどは整備されていないが、多少の補助があれば大型の荷車も通れそうだ。しかし、そういう物が通った形跡はない。
「んなもん通んねぇよ」
とリンは呆れた。
「精々でっかい鞄を背負った行商だよ。お前もどこだか辺鄙な村に閉じ込められたって時に経験しただろ? 基本的に買物は行商頼み。アレが欲しいとか、こういう物はないのかとか伝えとくとその内持ってきてくれる」
「……そうえば、そうだったわね。お店がちっとも無くて、ローレンスに盛る薬――ひ、必要な物を揃えるのに苦労したわ」
ルチルナは横目に感じるローレンスの視線から逃れるように顔を背け、目についた木陰を指した。
「あ、あの辺でお昼にしない? お、腹が空いたわ」
昼を挟み、一行は歩を進めた。
行けども行けども代わり映えのしない山道が続き、たまに開けた場所へも出たが……これと言った感動はなく、ルチルナは何か言いたげなローレンスを意識の外へ追いやり、いつも以上の澄まし顔で歩いた。
やがて、空が赤みを帯びてきた頃――
地図を見ながら、アイクが呟いた。
「ディオの村……」
たまたまあったのか、持ってきたのか……並んだ大きな岩の上にアーチ状の看板が掲げられ、門のようになっている。
「……うん、合ってる」
「へー、なんか立派じゃん」
「これは……随分と様変わりしましたな」
最初に目に付くのは大きな宿だ。三つに棟が別れた立派な宿だ。並んで建つ数件も宿だ。村の規模に比べ、不釣り合いな事この上ない。
道の向かいには酒場などが軒を連ね、寂れた様子はない。むしろ賑わっている。宿とそれらを行き交う人々で騒々しくさえある。
「みんな考えることは同じか……」
カルアが呟いた。そう、試験に訪れた者は皆ここに泊まるのだ。
「早めに来て正解だったな……。あの講師のオッサンも一言混むぞぐらい言ってくれりゃいいのによ」
とは言ったものの……、
『ハハハッ! それも勉強、試験の一環だ』
と、みな同じ幻聴を聞いたようだ――
「いらっしゃい。五人か?」
「えっと……あの子達を待機させておける場所はありますか?」
主は入口を指すカルアから視線を滑らせ、窓の向こうに佇む三体のゴーレムを見た。
「へー、ゴーレムか。珍しいな」
そう言って物珍しそうに眺めていた主は、ハッとカルアへ視線を戻した。
「ああ、馬屋で良けりゃいいぜ」
「じゃあ五人お願いします」
「部屋はどうする? 大部屋か個室か、どちらも人数分の空きはあるぜ。言うまでも無いがだろうが安いのは大部屋だ」
そう言って、壁に貼られた料金表を指した。
「俺は大部屋でいいよ」
「僕も」と言ったアイクにローレンスが続いた。
「私も大部屋で結構です」
「私も大部屋で良いかな。ルチルナは?」
「私は個室がいいわ」
主は二冊の宿帳を押し出し、四枚の木札とペンを置いた。
「偽名でも何でもいいぜ。ただ、自分が何と書いたかは覚えておいてくれよ」
続けて取り出した鍵をルチルナへ手渡した。
「荷物は自分で管理してくれ。個室には一応鍵が付いちゃいるが、当てにはするなよ。それと、連泊するなら翌日の昼までに言ってくれ」
そう言って、記入の終わった宿帳に何やら書き込みながら続けた。
「木札は自分が使うベッドの上に置いてくれ。置き忘れると使われちまうぞ。
個室の鍵は持ち歩くなりココに預けるなり好きにしてくれ。でも無くしたら鍵の交換代を弁償してもらうぜ。
それから……、馬屋の分はまけとくよ。普通は水とエサ代で少し貰うんだがな。まさかあいつらは飲み食いしねぇだろ?」
チラリと一同を見渡し、宿帳を閉じた。
「大部屋はここを出て左の建物だ。個室はここの二階だ」
と、階段を指差した。
「んじゃ、寝床を確保して飯にすっか」
そう言ったリンは、ルチルナへ何か言いたげな視線を送った。
「……何?」
「いやー、こそこそ読書でもすんのか思ってよ。いい加減入門編は読み終えたのか?」
「後ろから本を奪ったり、盗み見てグチャグチャと煩いお猿さんが居なければ、私も大部屋で良いんだけどね」
「フン」っと鼻を鳴らし、ルチルナは背を向けてツカツカと階段を登って行った。
その夜……。
馬屋を訪れた者はビクリと身を震わせた。
「ッヒ!」
暗がりに佇む笑顔のゴーレムが、門番の如く彼らを出迎えた。
(……驚かすなよ)
嫌がる馬を引き、不気味な門番の間を抜けた。
そして……こっちもそうなのか、それとも大き過ぎて入れない人なのかとレムの前で首を捻った。
(ああ、ここに脱いで行ったのか。この宿狭いからな……)
しかしそんな大きな客は居たかな……と再び首を捻った――
◆
翌朝――一階ロビーでお茶を飲むルチルナの姿があった。
小さな簡易ゴーレムが、器用にポットのお茶を注ぎカップを運んだ。
まだ外は暗く、ルチルナの他には退屈そうに佇む給仕の女性と、暖炉の前でウトウトと揺れる誰かの頭が見えた。
「へー、そんな事まで出来るんだ」
向かいへ座ったカルアへ得意げに微笑み、給仕にカップを貰いお茶を注いだ。
「ありがとう」
簡易ゴーレムからカップ受け取り、カルアは尋ねた。
「ねえ、手の形は作ってたよね? じゃあさ、動物とか誰かのそっくりさんとかも出来る?」
「……そういえば考えた事なかったけど……うん、出来ると思うわ」
「なら精製系の魔法とか組み合わせられたら色も再現出来るんじゃない?」
ふと、ルチルナは悪い笑みを浮かべた。
「面白いわね……それ」
そう言って、何やら考え込むルチルナを見つめるカルアはとても嬉しそうだ。
――程なく全員が揃い、一行は宿を出た。
宿と酒場に挟まれた通りを抜け、整備された山道を進んだ。荷車などは通れそうにないが、歩くには十分だ。
空は明るくなってきたが、日が登るにはもう少しかかりそうだ。できればすぐにでも顔を出してほしところだ。
「やっぱ朝は格段に冷えるね……」
先を行くアイクは肩を抱いてワシャワシャと手を動かした。
「すぐ近くなんだよな?」
さすがのリンも身を縮めて手を擦り合わせた。
「はい。ここを登るとすぐです」
やはりルチルナのコートは性能に難があるようだ。もう見た目を気にする余裕はないらしく、毛布に包まりメイメイの腕の中で震えている。
「流石に一番よね……」
「………多分」
そう返したカルアも両腕を抱くように身を縮め、小刻みに体を揺らした。
「もし待たされるようなら私は帰るわよ……」
「もう間もなくでございます。今暫くご辛抱を」
周囲を見回すと、ポツポツと灯籠が姿を見せはじめていた。ローレンスの言う通り、ダンジョンが近いようだ。
ふと――カルアは灯籠の一つに目を留めた。
四角い杭のような味気ない灯籠に混じり、凝った造りの古い灯籠があった。
(これかな………? クレアさんが言ってた櫓みたいな灯籠……)
「……? どうしたの?」
ルチルナは足を止めたカルアを振り返り、差し込んだ光りに手をかざした。
「……ったく、遅いのよ」
彼方の稜線から光が溢れ、暖かな空気が体を包んだ――
雪山の迷宮
道は絶壁に穿たれた洞窟へ吸い込まれ、入り口の石柱にはそう刻まれていた。
「おや? 早いね」
職員らしき老人が、ちょうど入り口に張られた鎖を外しているところだった。
老人の後に続くように、一行は洞窟へ入った。
中は思いの外広く、ランプやストーブが設置されておりなかなか快適そうだ。
そして、正面にポータルがあった。
目にした瞬間、『祭壇』という言葉が浮かんだ。石造りの小さな神殿だ。
切り出した石を正確に並べ、浮かび上がった直線と直角が美しい模様を描いている。
幅の広い階段が数段続き、その先にポータルが見える。
剥き出しの岩の上から――微かな光を帯びた煙のようなものが、ユラユラと立ち昇っている。
「ただ触ればいいんだよね……?」
「なんだ? ビビってんのか?」
ムッと振り返ったカルアの脇を抜け、リンがポータルへ手を伸ばした。
「おっ先ー」
リンの指先が触れた瞬間――そこから吹き出すように現れた光の靄がリンを包み、時を巻き戻すように靄が吸い込まれた。
「……入ったの」
「……みたいだね」
そこにリンの姿はなく、残された三人は顔を見合わせた。
「私も初めて目にした時は驚きました」
ローレンスはニコリと微笑み、脇を抜けてポータルへ手を伸ばした。
ポータルへ触れた瞬間――目の中に光が溢れ、視界が白く染まった。思わず閉じた瞼の隙間から、一点に収縮するそれを見送った――
細めていた瞼ゆっくりと開き、目の前に広がる景色を見つめた。
瞬いた一瞬の間に、景色が入れ替わっていた。
「……」
洞窟を利用した小屋のようだ。魔力ランプが灯り周囲は明るい。
正面に木製の壁と大きな扉が見える。その脇には質素なカウンターがあり、その向かいで金属製のストーブがパチパチ炎を上げている。
それ以外に人工物はなく、剥き出しの岩肌が寒々しい。
カウンターには、先に入った二人と言葉を交わす受付嬢の姿が見える。
「なにコレ……」
いつの間にか隣に並んでいたルチルナが呟いた。
「入ったんだよね……?」
顔を見合わせた二人は、一先ず受付嬢の元への向かった――
「おはようございます。お早いですね」
微笑んだ受付嬢は――ふと視線をずらし、おや? と首を傾げた。
「ハッハッ、講師もガイドも俺とはツイてないな!」
振り返ると、昨日の講師――ヴィクター・ハンソンが立っていた。
ふと――宿のロビーでウトウトと揺れていた頭と、彼のそれが重なった。しかし、彼の方は記憶に無いらしい。
「なかなか熱心だな。だいたいの連中はここへ来るのに三、四日かかるんだがな」
何か言いたげな受付嬢へ歩み寄り、筒を差し出した。
「色々あってな、代理を務める事になった。確認してくれ」
本来ガイドを務めるはずの職員を、急遽別件で呼び戻したため彼が代理を務める。という旨のギルド長のサイン付きの通知だ。
「……たしかに」
普段はこういう手続きを勝手に省略する彼がきちんと手順を守っている事に違和感を覚えつつ、胡散臭い笑顔を向けるヴィクターへ筒を返した。
「では、よろしくお願いします」
去り際のウインクに、受付嬢はピクリと口元を引つらせたが……なんとか笑顔を保った。
ヴィクターは一行を振り返り、扉を塞ぐように佇んだ。
「よし、昨日渡した札は持ってるな? 受付に預けてこっちへ来い」
程なく全員が揃い、ヴィクターは面々を見渡した。
「これからこのネリスダンジョンを一通り案内する。深度計は持ってるな?」
皆、言われるがままに深度計を取り出した。丸く短い棒状で、握りこむと覗き窓が付いた頭がぴょこんとはみ出す。
真ん中に赤いラインが引かれた覗き窓の向うには、数字が刻まれた筒状の表示板が見える。
「宿で売ってる安物だな。使い方は分かるな? 握って魔力を込め続けると初期化される。表示板のゼロと覗き窓のラインが重なっている事を確認しろ」
「入る前にやったわよ」
ルチルナがボソリと呟き、皆同意するように頷いた。
「なら今は一を指しているはずだ。もし違うようならそいつは不良品だ。交換するなり買い直すなりして出直せ」
そう言って、ヴィクターは順に全員の顔を窺った。
「……問題ないようだな。そいつは十階層までしか測れない。十を超えると表示板が一周してゼロに戻る。後は何周したか自分でメモを取るしかない。十以降は一つずれるから数え間違うなよ。いやそれより、そんな物さっさと買い換えろ。では出発だ」
ヴィクターはまくし立てるように言い、扉に手をかけた――
「……」
扉の向うには、雪が積もる森が広がっていた。
木々の間隔が広い為、空は曇っているが周囲は明るい。
「ここは何時でも昼だ。日が沈む事はない。代わりに晴れる事もない」
「付いてこい」と、歩き出したヴィクターの後に続いた。
暫く歩き、キョロキョロと周囲を見回していたルチルナが呟いた。
「……ダンジョンってみんなこうなの?」
「『こう』とは?」
「これじゃ……ただ洞窟の向うに抜けただけとしか思えないわ」
「まあ、それはある意味間違いじゃない」
そう言って、ヴィクターは二つ並んだ大きな岩へ歩み寄った。
「こいつに見覚えはないか?」
ペシペシと叩かれる大岩――あ! っとカルアは声を漏らした。
「……入り口にあった岩」
「そう、ここはディオの村が開かれる以前の景色だと言われている」
ふとヴィクターは背を振り返り、先に見える山を指した。
「あそこに背の高い山が見えるだろ? だがあれは見えているだけで実際に行くことはできない。このダンジョンはここまでだ」
再び歩き出したヴィクターへ、ルチルナが尋ねた。
「どういう事?」
「昨日の説明は覚えているか? ダンジョンはどういう物だと言った?」
黙ってしまったルチルナへ幾つかの視線が突き刺ささり……代わりカルアが答えた。
「……空間のゴースト」
「そうだ。ところで、そもそもゴーストってのはどういうものだ?」
「魔力に記憶が投影されたもの……」
ヴィクターは足を止め、一行を振り返った。
「故郷を思い浮かべてみろ。自分の家、表の通り、近所の家や店……」
皆それぞれ思い出しているのか――目玉がクリンと上を向いた。
「家を出て通りを歩き、周囲を見回して見ろ。誰が住んでいるのかは知っているが、入った事のない家がある。ふと視線を上げれば彼方に山が見える。……そこへ行けるか? 入った事のない家へ入って行けるか?」
「……」
「どうだ? 縦横無尽に動き回れる記憶の中に確かにあって、しかしそこへは行けない」
そう言ってヴィクターは先程の山を指した。
「あれも同じだ」
「なるほど……」
カルアが呟いたと同時に、「あれ?」っとアイクの声が響いた。
「戻ってる……」
すぐ横に、入り口の扉が見えた。自分達が付けた足跡が、森の中へ続いている。
振り返ると、そこには壁のように聳えた崖があるばかりだ。
「どうなってんだ……?」
「今のところ……こういう場所だとしか言いようがない。空間が曲がっているんだとか、実は幻覚を見ていて足踏みをしてるだけなんだとか、色々言われてはいるが……どれも証明されていない。ま、考えるだけムダだ。そういうのは好きな奴に任せて、答えが出た時に教えてもらえばいい」
そう言うとヴィクターは踵を返し、顎をしゃくった。
「こっちだ。二階層へ降りるぞ」
2021/01/14誤字脱字等修整




