ある男の記憶3
気が付くと、水に浮かぶ感覚を覚えた。
(三度目の人生か……。次はどんな人生なんだろうな……)
一度経験しているので慌てる事はなかった。
(今度は女に産まれてみたないな……。男として生きた記憶が二回もある。男のツボは全て知っている。女だったらチョロい人生を送れそうだ)
暖かい液体に身を任せほくそ笑んだ。
(それにしても、ここは心地が良い……。今暫くはゆっくりと眠って――)
――などと考えていたらひり出されてしまった。
(出されてしまったのでは仕方が無い。目が開いたらまずは性別の確認だ)
――目を開くと、美しい女性におむつを換えられていた。
(エルフだ……しかも超が付く美人だ。この人が母なのか? 俺は――男か。小さいが、確かに付いている……)
体の自由は殆どきかない。かろうじて目だけを動かし、部屋を出て行く女性を見送った。
(エルフが居るって事は、ギース・トレントとして生きた世界か? それともよく似た違う世界とかなのだろうか?)
ここから見える範囲にでは何とも判断がつかないが……少なくとも、家電品の類いは見当たらない。
暫くして、戻って来た女性が俺を抱き上げた。あやすように抱く女性が頬ずりをした。
「おはよう~。ママでちゅよぉ~」
(しゃぁぁ! イケメン確定だ! 若干違うが言葉も分る。やはりよく似た違う世界なのか?
ま、そんな事はどうでも良い。漏れなく容姿端麗なエルフの家に生まれ、母はその中でも超が付く美人。産まれながらの勝ち組だ。イケメンで長寿命。引き継いだ容姿に物を言わせれば後はどうにでもなる。優雅なヒモ生活でも送るか?)
笑いが止まらなかった俺だったが、母の後ろから現れた男を見て固まった――
厳つすぎる顔、下あごから付き出した牙。もじゃもじゃの髭……。
紫かがった黒い肌。二メートルはあるであろう長身を持ってしても、ずんぐりと見えてしまう太すぎる筋肉まみれの手足と体。何処かの総統を焦がしたらこんな色か?
厳つい男は俺を膝に乗せ、母と何か言葉を交わしている。
(……いや、いやいや。きっとただの知り合いだ。――あれだ、ママ友ってヤツだ。種族によっては見た目や声からは男女が判別しにくい奴も居るし……)
情報を得ようと耳をそばだてる俺の意識を、背や尻に当たるでかすぎるナニの感触がかき乱した――
(ない。これはない。ありえない。母とこの男を並べれば、子供と大人並みの体格差だ。縮んでいてこのでかさ……こんな物があの小さな母に入る訳が無い。こいつが父だという可能性は消えた)
ほっと胸をなで下ろし、赤子らしい笑みを浮かべて見せた。
厳つい男の目がニヘリと下がり、針金の様な髭が顔に押しつけられた――
「パパでちゅよー」
泣いた。泣いた。泣き叫んだ。無論、髭が痛かった訳ではない。
俺はこの日から父の顔を見ると泣き叫び、父を寄せ付けなくなった。母だけを見て、彼女が両親だと、心と体にすり込みを始めた。
同時に、母の遺伝子に祈りを捧げながら眠るのが習慣となった。母遺伝子頑張れ。超頑張れ。
――しかし、そんな事をしても意味はない事は分っている。逃げだ、単なる現実逃避だ。
父そっくりに育ってしまった時の事を考え、今から行動しておかねばならない。
まるで違う二つの世界を生きて沢山の事を学んだ。そして、二つの世界で共通する不変の理を知った。
世の中、金とコネ。そして容姿だ。
容姿端麗であればあるほど、ほかの二つが向こうから寄ってくる可能性が生まれ、それは高くなる。逆玉一発逆転なんて事も夢ではない。
容姿に期待出来ないのであれば、何らかの才能を開花させるか、他を圧倒する何らかの力を付けるしかない。そうして金とコネを掴まなければ勝ち組にはなれない……。
まだまだ情報が少なすぎてはきとは分らないが、ギースとして生きた世界に近いようだ。
ならば、この世界でのコネを金を手に入れる方法はある程度分っている。前の世界と違い、この世界は個の持つ武力が大きく物を言う。
そしてもう一つ。俺にはとてつもなく大きなアドバンテージがある。異世界の知識だ。魔法ではなく科学が支配した世界――
そう、俺はこの世界において、様々な分野で最初の人となれるのだ。
高度な科学的理論や技術を使わなくとも実現できる物は無数にある。そしてそれに気が付いている人間は俺だけだ。ここがギースとして生きた世界なのであれば、雨ですら魔法的な現象だと思われている。
――だが、この世界は非常に危険だ。前の世界の基準で言えば、治安が良いといえる所は無い。
まずは、生き抜く――生き残れる力を身に付けなければあっと言う間に命を失ってしまう……。
だが、体が自由に動かせるようになるのはまだ先だ。今後の戦略を練りながら、まずは、魔法からだ。
魔法ならば足腰が立たずとも訓練できる。真面目に訓練した事はないが、基礎はある程度知っている。魔力の錬成と、母が暖炉に火を入れるのに使っている魔法を盗むところからだ……。
――母の手の中に光る紋様が現れる。
「炎」
紋様がかき消えると共に、油がかけてあったかのように「ボウッ」と炎が薪を包み赤々と燃え始めた。
(――あれが炎を起す式か。傭兵団にいた魔術師に見せられた物とは随分違うな……まぁ、基礎中の基礎とかなんとか言ってたしな……)
母が使っているのはもっと高度な物なのだろうか? 取り敢えず形は覚えた。
それからというもの、日々地道に魔力の錬成と放出の訓練を続けた。
体の中から魔力を湧き上がらせ、全身に巡らす。今度はそれを任意の場所に集め、圧縮し、するすると外へ放出する……。
ギースの頃とは比べものにならない程に上手く出来た。あの頃は全然上手くいかず、数回で投げ出してしまったのだが……。
(これが真っ新な体の能力か? それとも母の血の影響か?)
放出する魔力を更に圧縮し、絞る。絞った魔力を操作し、母の手にあった紋様を思い浮かべてなぞる。
(お? おお!)
かすれているが、鼻先に紋様が浮かび上がった。頭のイメージを消し、魔力の供給を絶つと、散らすようにふわりと紋様が掻き消えた。
(――もう一度)
何度も繰り返していると、くっきりとした紋様を描き出せるようになった。
早速試し撃ちを――
(いや、ダメだ。この柵付きベッドから自力で這い出せるようになってからでないと……火が付いたら焼け死んでしまう)
やるなら暖炉の中だ。威力の調整はさっぱりだが、あの中に放てば少々派手な事になったとしても大丈夫だろう。
早る心を抑えて紋様を描き、それに魔力を込める作業を繰り返していると……とてつもなく体が怠くなった。
(これが魔力切れってやつか? 今日はここまでだな……)
次回からは任意の場所――に描――
考えがまとまるより先に眠りへと落ちた。
2016/07/07… 2017/1/22句読点等修正 2017/07/19改行等修正 2017/09/29再編集 2020/08/31微修正