ノーキス
――空には星が瞬き、息は白い靄となって漂った。
「急かしちまってすいやせん」
白い息を吐きながら、ジェフが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、こちらこそ気が回らなくて……」
カルアは荷車で眠る彼の妻子を振り返った。
荷物もたれて眠るシンシアに寄り添い、ベルとアーサーが寝息を立てている。
順調に旅を進め、少々余裕ができた一行は、今日は早めに宿を取り明日の日中にノーキスへ入ろうかという話になっていたのだが――
「かなり疲れてたんですね」
「あたしもつい自分の感覚で考えちまって……」
随分と疲れた様子の三人に気が付き、到着を優先する事にした。
「宿暮らしも慣れないと気疲れしちゃって、体の疲れも取れないからね」
リンと五十歩百歩なコートを纏い、機嫌の直ったらしいアイクが隣に並んだ。
「やっぱりネコちゃんの方が似合ってるよ」
ムッと睨むアイクへニヤリと微笑み、最後尾を行くルチルナへ目を向けた。
「……ちょっとここお願い」
先頭をアイクに任せ、ルチルナの元へ向かった。
「ルチルナ。大丈夫?」
ルチルナにとって、この急な変更は誤算だった。
しかし、それを気取られぬように平静を装っていた。のだが……口数が減り、目が座ってきている。
一日中簡易ゴーレムを作り続けていたルチルナの魔力は底を突く寸前なのだ。
随分と無理をしていたようで、カルアが差し出したお守りを素直に受け取り首にかけた。
「……ありがと」
「もう少しだから」
とは言ったものの……地図上での話だ。
カルア自身、ゴールが見えず疲れを感じていた。
一歩前を行くリンが、隣を歩くローレンスへ尋ねた。
「まだ登るのか?」
「もう少しです。ここを登りきれば、正面に門が見えてくるはずです」
緩やかだが、もう長い事坂を登り続けている。ここまで一度も疲れた素振を見せなかったリンも、流石に辟易としてきたようだ。
抜きざまにポンっと背を叩き、カルアは先頭へ戻った。
やがて――道は大きく弧を描き傾斜が和らいだ。坂の頂きからこれまで進んできた道のりを見下ろし、弧を描く道を進んだ。標高は随分と高くなり、気温も一段と下がった。
しかし、景色は良い。できれば明るい内に見たいものだ。
――ふと目を戻し、「あ……」と思わず声を漏らした。
「着きましたぜ。北方最大の町、ノーキスです」
道の先に巨大な門があった。月明りを弾く山脈を背に、二つの巨大なアーチが並んでいる。
「ザシャとは違って、北門以外はずっと開いてます。まあ……正面に関しては閉める物が無んですがね」
ジェフの言う通り、門扉は見えない。門と言うより巨大な眼鏡橋だ。
左右で人の流れが違い、左は町へ入り右は町を出る人々が見えた。しかし、そういう決まりという訳でもなさそうだ。
アーチの向こうには、町を挟むように口を開けた絶壁が聳え、首元に霧のような雲が引っ掛かっている。
鋭く突き出た鐘楼も、背後の絶壁に比べるとまるで幼子だ。石造りの厳つい外見も何処か微笑ましく思えてしまう。
「あれが下で見た切れ目なんですぜ」
「いやはや……いつ見てもこの迫力は衰えませんな。かれこれ三十余年経ちますが……あの日に戻ったような気がします」
改めて絶壁を見上げるカルアと並び、ローレンスがしみじみと呟いた。
カルアはゆっくりと門に目を戻し、中央部に掲げられたエンブレムを見つめた。仰向けのドラゴンへ槍を突き刺す騎士が描かれている。
門を見上げるカルアへジェフが声をかけた。
「北から飛来するドラゴンと戦い続けてきたこの町のシンボルでさ。ま、大昔の話ですがね」
門の外まで街灯が並び、道は明るい。そして僅かだが地面から熱を感じたような気がした。
「ザシャと同じく地中に水路が通っておりまして、神殿の水を用いて雪が積もらぬように温めているのです」
「なるほど……」
とローレンスの解説を聞くカルアへ、ジェフが付け加えた。
「いくら温めてるつっても道で寝てたら死んじまいますからね、飲みすぎには気を付けて下せぇよ」
「……」
「ここに慣れねぇ内は、体を温めるのにガンガン飲んでつい帰り道で……ってのは多いですからね。少々高くても風呂にでも入って暖まった方が無難ですぜ」
「そ、そうですね」
つい自身の失敗に結びつけてしまい嫌味を言われたのかと思った二人だったが……そんな事ジェフが知るはずもない。
キョロキョロと首を回す一行はジェフに案内されるままに進み、彼の新居へと通された――
通りには幾つかの宿があり、裏手は住宅街。大通りからはちょっと遠いが、人通りは多い。
店舗脇の門を潜り、裏へ荷車を引込んだ。
「へえ、なかなか良い場所じゃない」
お守りの効果か……話す程度の余裕はできたようだ。
「こりゃ確かに、命がけで稼がないと買えねぇな」
店を見回してリンが呟いた。
ジェフはバツが悪そうに頬を掻き、併設された住居を指した。
「よろしければ今夜はこちらで。これから宿を探すのは大変でしょう。まだ暖炉しかありやせんが……、朝食ぐらいは用意しやすぜ」
「そうね、この子達が入れる所なんて限られるだろうし……」
と、ルチルナは三体のゴーレムを振り返った。
「非常食も消化しねぇと勿体ないしな」
と、袋を掲げたリンが続いた。
――荷車で眠る三人を魔法陣が覆い、カルアが手をかざした。
「〈浮力〉」
ゆっくりと三人の体が浮き上がり、下に敷かれていた毛布と幾つかの小物一緒にが浮き上がった。
「ちょっと失敗……」
カルアの目配せを受け、眺めていたリンが余計な物を取り除いた。
程なく――、一緒に浮き上がった物達が重さを取り戻し、寝室からカルアが出てきた。
「準備出来たよ」
暖炉に薪を並べていたアイクが振り返り、歩み寄ったカルアが手をかざした。
「〈炎〉」
魔法陣がかき消えると同時に炎が上がり、薪へ火が移った。
「ホント便利なもんだよなぁ……」
一連の様子を眺めていたリンがしみじみと呟いた。
「教えようか?」
「いや、俺は絶望的に才能が無いんだとさ。ガキの頃に少し習ったんだけど、三日目に槍と盾を持たされて道場に放り込まれた」
「僕も全然。本当は魔術師を目指したかったんだけどね」
暖炉で干し肉を炙りながら、アイクがボヤいた。
「ローレンスは使えるわよ。訓練すれば出来るんじゃないの?」
キョトンと尋ねるルチルナへ、毛布を敷いていたローレンスは首を振った。
「いえいえ、私は使えるといってもほんの補助レベル。『魔法ができる』と言えません」
「これは天賦の才なんだ。魔法が得意か武芸が得意か、どちらも不得手か、どちらも得意か。持って産まれた才能なんだよ。努力でどうにかなるものじゃないんだ」
はふはふと肉に食いつき、アイクは満足そうに微笑んだ
「ふーん……」
「だから私は魔法以外は苦手」
「あっしはどちらもダメ」
と、割り込んだジェフは酒瓶を取り出した。
「でも、こういった物の目利きには才があったようで。どうです? 安物ですがなかなかイケますぜ」
「お、いいね」
リンはニカリと微笑み、持っていた干し肉を投げた――
※
コトリと薪が崩れ、ルチルナは目を覚ました。
まだ暖炉の火は残っており――眠る面々をユラユラと照らしていた。
「……」
毛布に包まり、暖炉にもたれるように眠るジェフ。その向かいでリンが、そしてリンに寄りかかってアイクが眠っている。
前に置かれたカップにはまだ酒が残っており、アイクの手には噛りかけの干し肉が握られたままだ。表には出さなかったが、皆疲れていたのだろう。
ローレンスに至っては、横になった次の瞬間にはもう眠っていた。
「……」
ふと窓に目を向けると、庭に立つカルアの姿が見えた――
「……ホントだ」
毛布を羽織り、月を見上げたカルアは微笑んだ。
「何か見えるの?」
「ルチルナ……」
同じく毛布を羽織り、隣に並んだルチルナはブルリと身を震わせた。
「月……?」
「うん。ノーキスでは月が青く見える。昔そう聞いたの」
確かに、少し青いような気がする。
……いや、「月が」と言うより空全体が青みを帯びているように思えた。空を覆う澄んだ闇を、散りばめた星々が青く浮き上がらせ、より一層透明度を増している。日の届かぬ水底を覗いているようで、しかしスッキリと奥まで見通せる――
「なんだか……昼間よりもずっと遠くまで見える気がするわ」
ふと、カルアが魔法陣を描いた。
「<鏡玉>」
昼間見たものより小さいが、曇りのない透き通ったレンズを並べた。
「覗いてみて」
月へ向けられたそれを覗くと――月が目前に迫り、地表の様子までもが見てとれた。
「月ってこんなに凸凹してたの……」
肉眼で見える月と、即席の望遠鏡が映す月を交互に見比べた。
望遠鏡を通して見ると――何も見えなかった場所に星が現れ、光の点に色が付き模様や輪が浮かび上がった。
「不思議ね……ちゃんと見えてるはずなのに」
ルチルナは改めて空を見上げて呟いた。
その時、並んでいたレンズが浮力を失いグシャリと地面へ落ちた。
「ここが限界……」
そう言って、カルアはホッと息をついた。
「これ色んな魔法が組み込まれてて、目茶苦茶燃費が悪いんだ」
「あっ」っと思い出したルチルナは、首に下げていたカルアのお守りを引っ張り出した。
「借りたままだったわ。ありがと」
今度はカルアが「あっ」っと漏らしてお守りを受け取った。
「そうだった」
お守りを仕舞うカルアの隣で、ルチルナは首に下げていたもう一つの物を引っ張り出した。
美しい装飾が施されたメダルに紐が通してある。
「それは?」
「何かは知らないけど、東の拠点に居たおじいちゃんに貰ったの」
ふと、神殿で鉢合わせたマルコの姿を思い起こした。
(そう言えばあの時……)
「……今見えている物が全てじゃない」
ルチルナは空を見上げ、ポツリと呟いた。
「ん?」
「……何でもないわ。そろそろ寝ましょ」
「……?」
空を振り返ったカルアは、ブルリと身を震わせてルチルナの背を追った――
◆
翌朝、一行はジェフの案内でギルドへと向かった。
氷が張りそうな寒さだが、日が照っていれば割と過ごし易すそうだ。
「主要な通りはしっかり融雪されやすんで、雪が積もる事はありやせん。ですが、建物の側を通る時は気を付けて下せぇよ。上からドサッと来ることがありやすんで、なるだけ離れて歩く癖をつけて下せぇ」
やがて――大通りへぶつかりジェフは足を止めた。
「ここを真っ直ぐ行って、北門の手前を右に行くとギルドがありやす」
「わざわざありがとうございます」
「いえいえ、礼を言うのはあっしの方で。三、四日で店も開けやすんで、是非ともご贔屓に」
「はい」
「必ず、お伺い致します」
「もう無茶な事はしないでよ」
「んじゃチビ共によろしくな」
「僕は男だからね、ベルの誤解を解いておいてよ」
各々挨拶を交わし、言われた通りに道を進んだ――
妙な出で立ちのゴーレムに巨大な全身鎧。目立つ一行を、道行く人々が次々と振り返り、何やら言葉を交わしている。中には彼ら事を知っている者も居るようだ。
しかし、当の本人達はさすがに慣れたようで、特に気に留める様子はない。
「ホント、尖ってるか斜め向いた屋根ばっかりね」
メイメイの肩に座り、ルチルナは周囲の建物を眺めた。
「平たいと雪が積もって屋根が抜けてしまいますからな」
「ふ〜ん」
ふと、前を行くアイクが振り返った。
「そう言えばさ、ここにも神殿があるんだよね」
「ギルドの近くにあったと記憶しております」
そう答えたローレンスへ、リンが尋ねた。
「ザシャみたいに風呂もあんのか?」
「どうでしょうな……、私が知る限りは……」
「この寒い所にこそアレが要ると思うんだけどな……」
「ザシャとは違い農地が多くありますからな。作物と温室に融雪用の水路と、手一杯なのでしょう」
「汚れは拭って取れるけど、どうにも疲れが拭えないんだよね……。ザシャの生活に慣れすぎたかな……」
ぼやくアイクに続き、「なあ、ちっと高くてもいいからさ……」っと視線を送るリンへカルアが頷いた。
「うん。お風呂優先ね」
ザシャを立ってから、彼らは一つのルールを設けた。
宿はできる限り揃える。
「ジェフに聞いておけばよかったわね……」
「報告が終わったら散策がてらに宿探しに行こうか」
「そうだな。この町の事も覚えないとだしな」
「僕は防寒具を買い直したいな……」
「ネコちゃん返そうか?」
ニヤリと笑うルチルナから、アイクはプイと顔を背けた。
やがて見えてきた北門を横目に、ギルドを目指した。
カルアは歩調を緩め、いつか聞いたの話を思い出していた。
(ゴーレムの股に作った門……)
確かに……壁に穴を開け、そこに門を取り付けたようにも見える。
ルチルナもその話は覚えていたらしく、隣に並んで門を見つめていた。
「確かに……ちょっと不自然な感じはするわね。けど……」
「ま、後でもう一回こよう」
カルアへ頷き、先を行く三人を追って早足に歩いた――
ギルドは、背にした崖を取り込むように建っていた。
「でかいんだな……」
ギルドを見上げ、リンが呟いた。
無骨な石造りで、ザシャのギルドよりも大きい。窓の数からすると三階はあるようだ。しかし、寒いせいか時間が早いからか、前庭で商売をする者は少ない。
外見は寒々しいが、中は暖かく快適だ。暖炉の周辺にはゆっくりと寛げそうなテーブルセットが並んでいる。
受付は取り込んだ崖を掘って作ったらしく、壁や天井に岩肌が露出していた。
ローレンスの話によると――元は天然の洞窟に手を加えてギルドとして使っていたのだが、規模が大きくなり今の形になったのだとか。
時間が早いせいか、受付の半分は閉まっていた。
ザッと見渡し、退屈そうに爪を弄る受付嬢の元へ向かった――
「完了のご報告ですね」
ふと顔を上げた彼女は、声を掛けるよりも先に用件を言い当てた。
カルアから控えと札を受け取り、後ろに置かれた長い棚をゆっくりと見渡した。やがて――ツカツカ歩き一本の筒を引き抜いた。
中に詰まっていたのは、カルア達が受けた依頼票だ。
「お待たせしました」
と手際よく手続きを済ませ、報酬が乗ったトレイを押し出した。
「お疲れ様でした。ご確認下さい」
報酬を仕舞う一行へ、続けて受付嬢が尋ねた。
「昇級試験の講習はいかがされますか? 日に二回、午前と午後。二日置きに開催しております。まもなく本日一回目の講習がはじまります。空きがございますので参加可能ですが、いかが致しましょう?」
町の散策に行きたいところなのだが……。
「……先に終わらせとくか」と切り出したリンに、「そうね。午後だと眠くなりそうだし」っとルチルナが同意した。
アイクとローレンスも異議はないようだ。
「お願いします」
そう返したカルアへ、受付嬢はニコリと微笑み暖炉脇の階段を指した。
「場所は当建物の三階、左の部屋になります。お好きな席についてお持ち下さい――」
「ここだよね……」
入口立ち、部屋を覗き込んだ。
奥へ向けて階段状に床が高くなり、それぞれに長机と椅子が置かれている。正確なところは分からないが、詰めて座れば四、五十人は入るのではないだろうか?
席は半分ほどしか埋まっておらず、一行はバラけることなく座れた。
一番低い所に小さな机があり、その後ろの壁に黒い大きな板が貼られている。表面はザラついているようで光沢は無い。
「なんか学校みたい」
後ろからアイクとリンの会話が聞こえた。
「ふーん。学校ってこんな感じなのか?」
「うん。床は平らだったけど、他は同じだね。教卓があって黒板があって、あとは小言の多い先生が居れば完璧」
「ふーん」
心の内で「ふーん」相槌返しつつ、カルアは窓へ目を向けた。
(本当に大きな町……)
彼方まで続く町並みをゆっくりと見渡した。
これが終わったらまず何処へ行こうかと思案を始めたカルアは、引き開けられた扉に視線を移した――
男が入って来た。ローブの胸元に冒険者ギルドのエンブレムが見える。
たぶんこの男が講師なのだろう。真っ直ぐに教壇へ向かう男を目で追いながら、そんな事を考えていた。
歳は五十ぐらいだろうか? 目元と口元に渋みを感じる。眼光は鋭く、自信に満ちている。一部色素が抜けた髪を後ろで纏め、線を引いたように白い筋か幾つか見えた。
右足は義足のようで、膝から下は太い棒が生えいた。引きずる程ではないが、不自然さを感じた。
教壇に立ち、自然と静かになった室内を見渡した。
「揃っているな」
人数を数える彼の首筋を、荒く纏めた竹箒のような髪が掃いた。
「ヴィクター・ハンソンだ。講師というガラではないが、よろしく頼む」
低い声だが、くっきりとした輪郭を持ちよく通る。
「休憩を挟み、前半と後半の二回分けて行う。休憩の間は退室しても構わないが、後半の開始までに必ず戻るように。遅れた場合、修了証明の札は渡せない。退室する際に荷物は置いていっても構わないが、盗まれても責任は持てない。自身で管理してくれ。まあ……冒険者である君たちにわざわざ言うような事でもないか……」
見た目通りの声に、何処か安心感覚えた。
「では、早速始めよう」
ヴィクターは口元に笑みを浮かべ、教卓に手を突いた。
「迷宮への切符を取りに来た諸君らには退屈な話かもしれんが、最後までしっかりと聞いていってほしい。僅かな誤認や知識の欠如が死に繋がる。ダンジョンとはそういう場所だ」
そう言って、ゆっくりと受講者達を見渡した。
「ダンジョンとは何か? これについては実に様々な説が唱えられている。しかし、未だ結論は出ていない。だがここでは、冒険者ギルドの見解沿って進める」
僅かな間を置き、語気を強めた。
「ここは、ダンジョンを利用するための知識を得る場であってダンジョンとは何かを議論する場ではない」
異議がない事を確認し、語気を緩めた。
「時間の都合上、都度質問に答えるのは難しい。質問は最後に受けるので、そのつもりで聞いてほしい」
もう一度受講者達を見渡し「それでは――」っと、僅かに身を乗り出した。
「ダンジョンとは何であり如何にして発生するのか? それは解明されていないが、今現在冒険者ギルドが採用している説は、ダンジョンとは空間のゴーストである。というものだ。
空間に漂う魔力が、そこに暮らす動植物から滲み出た記憶を蓄え、何らかの切っ掛けでその空間のゴーストを生み出す。それがダンジョンであるという説だ」
黒板へ向き直り、手に取った小さな棒に魔導回路が浮かび上がった。
コツコツと小気味よい音を鳴らし、簡単な図を仕上げて行く――四角い箱に穴を開け、穴から外へ押し出される風船のようなものが描かれた。
「空間に別の空間が生み出された結果……このように、既存の空間の外側に押し出された。というものだ」
コトリと棒を戻し、再び教卓に手を突いた。
「つまり、ダンジョンは今我々がいるこことは別の異次元に存在している。よって奥行きなどを外から推し量る事は不可能と言って良い。そのダンジョンの事を知りたくば、中に入ってみるしかない。
また、内部は様々な記憶が混じり合うため、無秩序かつデタラメな造りになる場合が多い。
因みに、もしも未知のダンジョンを発見したならば速やかにギルドへ報告するように。これは決壊を防ぐために諸君らに課せられた義務である。
報告を上げた後は……入りたくば入っても構わない。これは発見者に与えられた権利だ。ただし、自己責任だ」
メリハリを付け、言葉が聞き手の耳に染み込む間を設ける事も忘れない。よく通る低音は、単なる音として聞いても心地がよい。このままおとぎ話の一つもお願いしたいところだ。
「――ダンジョンとは非常に特殊な空間である。時間や魔法の法則も我々の知るそれとは少々異なり、ダンジョンでしか再現できない魔法や現象、ダンジョンにしか出現しない魔物も存在する」
コツコツと、黒板に文字が追加された。
「その代表格が……、魔力結晶、転移門、守護者、そしてダンジョン核」
順にそれらを指しながら、話を続けた。
「コアは説明するまでもないだろう。ダンジョンの最深部にあり、ダンジョンを発生、維持しているダンジョンの本体だ。コア、または眠る瞳と呼ばれる。
古来、ダンジョンとはコアが見ている夢なのだといわれてきた。これはその名残だ。
因みに、同じ名称の邪眼が存在するが、特に関連性はない。
コアを破壊するとダンジョンが閉じる――つまり、消滅する。逆にコアを破壊しない限り、ダンジョンは元の姿に戻り続ける。
あらゆるものが元通りに復元されるが、復元の速度はダンジョンによりまちまちだ。閉じた階層やセルも元通りに復元される。倒したガーディアンも復活する。
ダンジョンを閉じると、中に居た者は入口付近に押し出される。洞窟のように狭い場所や、人数が多い場合は多少ズレる事もある。
尚、ダンジョンから何かを持ち帰る場合は直接運び出す必要がある。運び出す前にダンジョンが閉じてしまうとそれらも消えてなくなる。まあ、これはあまり心配する必要はないだろう。
コアの大きさは、ダンジョンの規模に比例して大きくなると言われている。しかし――」
親指と人差し指で円を作り、その穴を覗き込んだ。
「諸君が試験で入るダンジョンのコアはこの位だ。そして攻略に八年をかけたダンジョンのコアもこの位だった。
僅かに大きかったらしいが、私には違いが分からなかった」
懐かしむように微笑み、次を指した。
「魔力結晶は、通常は魔物の体内でのみ生成されものであり、我々が暮らすこの世界で魔力結晶を得るには魔物を狩るしかない。
しかし、ダンジョンでは滴る水滴が氷柱を作るが如く魔力結晶が生成される。
ダンジョンが魔物であるという主張する者達の根拠はここにある。
ポータルは、触れた者をそのダンジョン内の何処か、またはその外へ転移させる。何処へ行くのかは触れてみるまで分からない。また、必ず同じ場所へ転移するかも分からない。触れた者をランダムな場所に転移させる物もあり、利用する場合は相応の準備と覚悟が必要だ。
攻略が進んでいるダンジョンであればポータルの情報も集まっている。ダンジョンへ入る前に必ず確認するように。
次にガーディアンだが、ポータルや核など何かを守っている場合が多く、この名が付けられた。
ガーディアンはダンジョンでしか存在が確認されていない非常に強力な魔物だ。単に大型化した個体だという場合もあるが、見た目でそれと分かる特徴的な外見をしている場合が殆どだ。
これも攻略が進んでいるダンジョンであれば相応に情報が集まっている。ダンジョンへ入る前に必ず確認するように。
繰り返しになるが、ダンジョンへ入る際は事前にしっかりと情報収集を行うように。死にたくなければ、最低でもポータルとガーディアンの情報は押さえることだ」
一同を見渡し、「それでは、ダンジョンへ入ろう」と黒板へ向き直った。
黒板に手を置くと微かに魔導回路が浮かび、書かれていた文字が消えた。
「ダンジョンへ入るのに特別な手順などはない。普通に歩いて入れば良い。現在存在が確認されているどのダンジョンへ行ってもこれは同じだ。
一方、ダンジョンを出る方法は二つある。コアを破壊してダンジョンを閉じる。もしくは入った所から出る。このどちらかだ」
黒板に『開放型』『密閉型』と刻まれ、受講者達へ向き直った。
「しかしながら、ダンジョンを閉じるという事は滅多には無い。現在存在が確認されている殆どのダンジョンは、魔力結晶等の採掘場として我々冒険者ギルドによって管理されている。
したがって、これから諸君らが用いる脱出方法は後者の『入った所から出る』これが基本となる」
続けて黒板に刻まれた『開放型』『密閉型』という文字を順に指した。
「ダンジョンはこの二種に分類される。
開放型とは、常に扉の鍵が開いているダンジョンだ。出入りを阻むものはなく自由に出入りできる。
密閉型は、入場すると扉が閉まり鍵が掛かる。特定の手順を踏まなければ鍵を開く事ができない。
説明するまでも無いとは思うが、扉というのは喩えであって、実際にダンジョンに扉が付いているわけではない」
ダンジョンの出入口にはポータルがある。ポータルの見た目は、立ち昇る煙に似ている。光を帯びており、地面から出ているものや宙に浮かぶものなど様々だ。
ダンジョン内ではハッキリとその姿を見る事ができるのだが、ダンジョンの内と外を繋ぐそれは消えかけの焚き火から昇る微かな煙のように薄い。ほんの僅かな光を帯びているが、意識していなければ見落としてしまう。その為、意図せずダンジョンへ入ってしまう事もある。
この世界に於いて、神隠しの正体は未発見のダンジョンであったという事はままある。
「――開放型は取り立てて説明するような注意点はない。出たければただ戻れば良い。
しかし、密閉型はそうは行かない。特定の手順を踏まない限りダンジョンから出る事ができない。
手順はダンジョンによって様々だが、最も多いパターンが最深部付近のポータルから脱出するというものだ。魔力結晶を使用してポータルを発生させるというパターンも多い。または特定のガーディアンを倒す事によりその骸から脱出ポータルが出現するというものもある」
一度受講者達を見渡し、コツコツと黒板に文字を追加した。
「以上がダンジョンの基本型だ。そして――」追加された『複合型』という文字を指した。
「ここからが本番だ。複合型とは、ダンジョンを内包したダンジョンを指す。
世界最大とされる『ダーラの大迷宮』、パラド獣人自治区の悪名高いダンジョン『無限監獄』、エルフ領最大最凶と謳われる『深淵』。いずれも複合型のダンジョンだ。
複合型の攻略は非常に難しい。しかし、内包されたダンジョンが一つ二つであればそれほどではない。
だが残念な事に、殆どの場合幾つものダンジョンを内包しておりその組み合わせは実に様々だ。
開放型のダンジョンが密閉型のダンジョンを内包し、その中にまた密閉型のダンジョンが内包され、その中に今度は開放型のダンジョンが内包され……という具合に幾つものダンジョンが複雑に絡み合い攻略を困難なものにしている。
このダンジョンの重なりを『階層』と呼ぶ。
階層はあくまでもダンジョンの重なりを指すものであり、そのダンジョンが持つ上下の広がりを指すものではない。
この階層が深くなればなるほど出現する魔物は強力なものになる。理由は諸説あるが、これも解明はされていない。
そして内包されるダンジョンも階層持っている場合があり、この内包された階層を持つダンジョンを『小区画』という。
黒板に小さな円を描き、それを取り込むように円周の一部を共有する円を重ねた。同じように次々と円を重ね、中心から番号を振った。
「ダンジョンはこのように広がっていると考えられている。これは五階層のセルだ。これが単体のダンジョンであれば、コアは五階層にある。
コアは必ず最深部にある。最深部の階層はそのダンジョンで最も古い階層、つまり一番最初に発生したダンジョンだ。コアが泡を吐きながら後ろへ下っ行くと考えればイメージし易いかと思う」
そう言って、先程描いたセルの上下に、円周の一部を共有する別の円を描いた。
「ここが第一階層」
と、下から順に番号を振り直し、上部に描いた円を指した。
「ここが七階層。このダンジョンの最深部だ」
コツコツと円に書き込み、その下のセルを指した。
「君たちは今、このセルを攻略しているとしよう。だが思うように進まず二階層で足踏み状態だ」
ふと指を滑らせ、六階層を指した。
「だがここは他にも攻略中のパーティが居り、このセルの最深部である六階層を攻略中だ」
ぐるりと一同を見渡し、問いかけた。
「この六階層を行くパーティの行動によりセルが閉じた。この場合、二階層に居る君たちはどうなる? そしてこの上の七階層はどうなる?」
「……」
「……階層が変わる」
誰かがポツリと呟いた。
「そうだ。この場合、最深部である七階層がニ階層へ降りてくる。セルや階層が閉じた時、その中に居る者は隣接する階層に押し出される。この場合、君たちは七階層か第一階層のいずれかに押し出される。
これが『階層転移』、多くの命奪ってきた事故だ」
受講者達を見渡し、教卓に手を突いた。
「知っている者も居るかと思うが、かつて深淵で大規模な遠征が行われた。当時最大と言われる遠征隊が組織され、深淵へ挑んだ。
結果……大規模な階層転移が起こり、ベースキャンプを置いていた第一階層に居たほぼ全ての命が奪われた。瞬きをする間に、最前線であった二百階層がそこへ降りてきた……。以来、深淵は閉鎖されたままだ」
一呼吸置き、受講者達を見渡して話を続けた。
「このような悲劇を繰り返さぬよう、様々なルールが設けられてきた。しかし、この事故は未だに無くならない。つい先日も犠牲者が出たばかりだ。
後半はそういったルールについてだ。ダンジョンで発生する事故の殆どが、些細な連絡ミスや誤認により発生している。これをよくよく肝に命じ、後半に臨んでくれ。
ここ迄で何か質問がある者は居るか?」
ヴィクターはぐるりと室内を見渡し、質問が無い事を見届けた。
「では前半はここ迄――」
2020/11/26 誤字脱字等修正




