旅路 2/2
気候はずいぶんと変わり、日陰に入ると少し肌寒い。鼻を通る空気にも涼しさを感じる。
初日のリンの遅刻以外、日程に影響が出るようなトラブルはなく、一行は順調に歩を進めた。皆旅にも慣れてきたようで、足取りは軽やかだ。ベルとアーサーも、鼻の頭を赤くしながらなかなか頑張っている。
ふと、坂の向こうに鋭い頂が現れた。
歩を進めるごとに、それはゆっくりと瞳を覆った――
雲を貫き、白い返り血を浴びた山脈が立ちはだかっていた。鋭い頂は雲を見下ろし、空をも穿とうしているようだ。
『地の果て』というものがあるとしたら、あの頂がそうなのかもしれない。あの場所を進めば、多分空へ行けるのだろう。そんな事を思った。
その一方で、目の前に広がる緑の草原と、冷たい色をしたあの山が繋がっているとは到底信じられなかった。この景色がパズルであれば、きっとはめるべきピースを間違えたに違いない。カルアは不自然な継ぎ目でも探すように、ゆっくりと視線を漂わせた。
ふと隣に立ったジェフが単眼鏡を差し出した。
「あの一番高い山のちょい横です」
一ヶ所だけ、山脈に僅な隙間が見えた。
「隙間がみえたらそのまま下に下ろして行くと……」
「あっ……町が見えます!」
ハキとは見ないが、険しい岩肌の隙間にひょこりと飛び出した鐘楼と建ち並ぶ屋根が微かに見えた。
「あれがノーキスです」
「ねぇ、私にも見せてよ」
いつの間にか並んでいたルチルナが、ひょいと単眼鏡を奪った。メイメイの体の上を器用に動き回るその様は、猿の親子を見ているようだ。
「……なんか、大した事ないわね」
メイメイの頭に跨がり、単眼を覗いたルチルナは肩を落とした。
「あれはほんの一部、でっかい町ですぜ。ま、着いてのお楽しみでさぁ」
「ふ~ん」
「何か見えるのか?」
単眼鏡は追いついたリンへ回り、続いてベルとアーサーの間を往復した。
自分も見たいのだが割って入れないアイクを眺めている内に、カルアはふと思い出した。
正面に大小二枚魔法陣を描いた。一枚は体を隠せるほど大きく広げ、もう一枚はその半分ほど。
<鏡玉>
呪文を送ると、魔法陣が凍り付いたように氷の板が現れた。卵型に膨らんでおり、凸レンズのようだ。白く濁っているが、なんとか向こう側は見える。
「見えるかな……?」
二枚のレンズの位置や向きを調整するカルアの眉間にシワが刻まれた。難しい作業のようだ。
「あっ、見えるよ! ……逆さまだけど」
アイクが声を上げ、駆け寄ったベルとアーサーも「おお」っと歓声を上げた。カルアがレンズを調整すると少しだけ像がクリアになった。
「これがノーキスかぁ……」
首を傾けて覗き込んでいたベルとアーサーは、アイクを倣って股の間からノーキスの町を見つめた。
この三人を体格的な部分だけで比べたら、アイクが長男だと言われれば信じてしまうだろう。
最後尾を歩いていたローレンスとシンシアが追い付き、同じように並んだ。
(夫婦……お爺ちゃんと孫ならそんなに違和感は……)
「流石ですな」
ローレンスは大きなレンズへ歩み寄り、まじまじと眺めた。
「師匠に教わったもの劣化版です。透明度と硬度を犠牲にすれば魔力の消費を大きく削れるので、魔法陣にちょっと手を加えてみたんです。糸繰りと組み合わせようかと思って」
「なるほど」
カルアは股の間からレンズを覗く面々を振り返って肩を竦めた。
「もっと改良しないとですけどね……」
カルア魔力の供給を立つとレンズはグシャリと崩れ、ただの氷へと変わった。
「師匠のは本当に凄くって、何枚も並べてあっという間に巨大な望遠鏡をつくってしまうんです。それでよく星を見せてくれました」
「夜空に望遠鏡を向けると、星々は全く違う顔を見せるそうですな」
「ええ、師匠の望遠鏡で夜空を見ると、見えなかった星達も見えてくるんです。見えている星は、本当に手が届きそうなほどに近くに見えて、ワッカがついてたり、模様があったり、ただ見上げてるだけじゃ分からないことも沢山見えてくるです」
「絵や話で聞くことはありますが……私も実物を見てみたいですな」
「少しだったら私でも再現できると思うので、今度お見せしますね」
カルアそう言って、崩れた氷で遊ぶベルとアーサーを見つめて頬を緩めた。
再び歩みを始めた一行は、牧場に挟まれた街道を進んだ。
行く手に見える険しい山脈と長閑な街道が徐々に馴染み、不自然な継ぎ目はなくなった。
時間が早い事もあり、街道を行く人は疎らだ。カルアは大きく背伸びをして、緑と白から漂う空気を胸一杯に吸い込んだ。空はスッキリと晴れ、一段冷えた空気を日射しが和らげていた。
牧場の奥から、毛の長い牛のような動物がこちらを見ている。厳つい角と、首に下げた可愛らしい鈴を見比べて自然と頬が緩んだ。
「この調子なら、到着は今夜ですかな」
「今夜か明日の日中で予定してましから、予定通りですね」
ふと、カルアは前方の大きな茶屋を指差した。
「ちょっと休みましょうか――」
サイロや宿舎などの牧場の設備に混じり、茶屋と警備隊の詰所が建っている。有料だが水場もあるようだ。開けたスペースに荷車とゴーレム達を残し、茶屋へ向かった。
今は人は少ないが、なかなか繁盛しているらしい。結構な数の椅子とテーブルが外に溢れ出している。
外席に落ち着いた一行は、大きなジョッキを傾けてホッと息をついた。
「防寒具はまだいらないかな?」
そう言ったカルアへ、アイクが尋ねた。
「あ、僕の分はカルア達が持ってきてくれたんだよね?」
体調不良(食あたり)で買い出しをすっぽかしたアイクは、まだ品物を見ていない。
「おう、ちゃんと預けてあるから安心しろ」
そう言ったリンの笑顔の意味を、アイクは知らない……。
「それより荷物は大丈夫なんだよな?」
向かいに座るカルアへ尋ねた。
「うん。ちゃんと見てるから大丈夫だよ」
カルアはレムと視界を同期させ、レムが見ているものを彼女も見ている。こういった事にもだいぶ慣れてきたようだ。
「私も見てるから大丈夫よ」
隣に座るルチルナがニヤリと笑みを浮かべ、同時にリンが声を上げた。
「――うわッ!?」
地面から生えた土の手が右足を掴んでいた。
「おい、脅かすなよ……」
「キッチリ捕まえるから大丈夫よ」
ルチルナもコソコソと訓練を重ね、こういう応用を身につけたようだ。
「おい……ちゃんと戻せよ、俺がやったみてぇじゃねぇか……」
土の手は消えたが、盛り上がってしまった地面を戻すリンの隣で、テーブルに顎を乗せたアイクがぼやいた。
「いいな~、僕もそういう能力が欲しかったな」
「その代わりにすっごく面倒なしきたりやお付き合いが付いてくるけど欲しい? 結婚相手も選べないわよ」
「えー……能力だけでいいよ」
「そんな美味しい話があるかよ。世の中な、だいたい釣り合うように出来てんだよ。俺なんて貧乏で親にも恵まれなかったけど、悪運だけは強い」
「それって……結局マイナスなんじゃないの。人並みに運のある人は、そもそも悪運に頼るような状況には陥らないわよ」
「……たしかに。じゃあ俺は単に貧乏で運の悪い奴なのか……」
「今頃気が付いたのかい? 相変わらず鈍いね」
リンがキッと眉を吊り上げると同時に、ジェフが割って入った。
「いやいや、そんな事はありやせんぜ。こう言っちゃなんですが……本当に運が悪けりゃオークの襲撃でくたばってます。
仕事柄、いろんな冒険者や兵隊の愚痴や体験談なんかを聞いてきましたがね、亡くなった仲間の事を話す時、皆さん大抵こう言います。『あいつは、運が無かったんだ』ってね」
皆「んん……」と唸り、「そういうもんかな……」とリンは呟いた。
「でも考えてみれば……カールさんと出会ってなければ、あの酒場にカールさんがいなかったら、俺はあの戦いで死んでたかもな。運が良かったって事かなんかな……」
その時、様子を窺っていたベルが口を挟んだ。
「みんな、オ、オークの大群と戦ったんだよね? 姉ちゃん達はサ、サイクロスプとも……」
「おう」と返すリンに、澄ましたルチルナが続いた。
「まあね」
「ぼ、僕なら絶対死んでる。仮に戦う事になった、その事自体が不運なんだとしても、それを切り抜けられるだけの実力がないと……。運だけじゃないよ」
「……そうだな」
リンはワシャワシャとベルの頭を撫で、「後でコイツの扱いを教えてやるよ」と横に立て掛けた槍と盾を指した。
「ホントに?」
「おう」
その時、ふとジェフが手を打った。
「そうだ、あたしもお話を伺いたいと思ってたんです」
「槍盾術を学びたいのか?」
「いえいえ、あたしはそういうのはからっきしで」
そう言って、あの男の名を挙げた。
「カール・アクス。いえね、私は剣や魔法はからきしですが、そういうお話を伺う機会には多分に恵まれておりまして」
「知ってんのか?」
「そりゃもちろん。商売柄こういうネタはいくつあっても足りねぇですからね」
「こういうネタって……どういうネタなんだ?」
「いえ、ですから……」
ジェフは何かを悟り、そっと身を乗り出した。
「カール・アクスってのが、偽名だって事はご存知ですか?」
「……冒険者なんだから、本名じゃなくても別に驚いたりはしないけど……」
「オズヴァルド・ファランクスはご存知で?」
「当たり前だろ。田舎道場出身でも流石にそれは知ってる」
「誰?」
と、尋ねるルチルナへ、リンは得意げに返した。
「槍聖の称号を持つ別次元の達人だよ。長い事空席だった槍聖が、しかもファランクス宗家から出たって盛り上がってたんだけど、数年前に突如引退して消えちまったんだよ」
「ふ〜ん。あいつそんなに凄い奴だったんだ……」
というルチルナの呟きは聞こえなかったらしい……。
「で、オズヴァルド・ファランクスがどうしたんだ」
「……」
「鈍いわね……」
「……?」
「カールさん=オズヴァルド・ファランクスって事ですか?」
思わずカルアが口を挟んだ。
「ええ、オズヴァルド・ファランクスの最新の偽名が、カール・アクスってんでさ」
「……」
「凄いじゃんリン! そんなに達人に説教されるチャンスなんてそうそうないよ!」
楽しそうにバシバシと背を叩くアイクに続き、ルチルナも口を挟んだ。
「未熟者。だっけ?」
嫌味タップリにニヤリと微笑んだルチルナであったが……そのまま項垂れて動かなくなったリンの様子に流石に気が咎めたらしい。
「……ああいうタイプの人間は、見込みのない奴にそんな事言わないわよ。才のない奴にはズバリそう言うわ」
「誰か心当たりがあるの?」
そう尋ねるアイクへ、「まあね……」返してジョッキを傾けた。
「向いてないとか辞めろではなく『未熟者』なんでしょ。ここまでは出来るって見立てが外れた事の裏返しよ」
「……」
「その別次元の達人とやらがそんなに大きな見立て違いをするの?」
「じゃあ……俺は見込みがあるって事なのか?」
「知らないわよ、本人に聞きなさい。無能とは思わなかったってだけでしょ。……ったく、無神経なくせに何なのよ……調子狂う」
っとルチルナは不機嫌に視線を逸した。
「ルチルナの心当たりって誰なの?」
カルアの問にはローレンスが答えた。
「伯父のカーク様ですな」
ローレンスは水を詰めた水筒を置き、ルチルナ隣に腰を下ろした。
「すみません、ありがとうございます」
申し訳なさそうに言うカルアへ、ローレンスはバツが悪そうに頬を掻いた。
「そう言う約束ですから」
誰が水を組みに行くかというコイントスに負けたのがローレンスだ。
「伯父さん?」
「ええ、天才と呼ぶに相応しい才能をお持ちで――」
「ちょっと! もういいでしょ……。思い出しただけでもムカつくわ」
ルチルナの目が本気で吊り上がってきたのでその話題はそこまでとなった。
――休憩を終え、一行は街道に戻った。
まだ昼前だが、街道には随分と人が増えた。大きな荷馬車も増え、なんだか町中を歩いているような気分だ。
街道は緩やかに上り、呼吸が僅かに乱れた。特に疲れは感じていなかったが、休憩を挟んだのは正解だった。
カルアは微かに上気した顔を上げ、背を振り返った。
端を歩きながら、リンが約束通りベルに槍盾術を教えている。盾に見立てた鍋蓋を手に、ベルが真剣な顔でリンの話を聞いていた。
アーサーは先程の茶屋で欲張り過ぎたらしく、脇腹を押えて荷車の後ろに腰掛けている。荷車を牽いているのはレムだが……背に腹は変えられぬようだ。
「リン、離れ過ぎないでよ」
少し離れて歩くリンへ、伸び上がって声をかけた。だが特に心配はしていない。
ベルとアーサーの扱いが妙に上手く、二人の前では実に大人な振る舞いを見せる。長男だという話はどうやら本当らしい……。
ならばルチルナとももう少し上手くやってくれると良いのだが……。
「ルチルナは変に大人な所があるからね」
隣に並んだアイクが声をかけた。
「好意的に解釈すれば、見た目や歳に惑わされない。ってところかな」
ポカンと見つめるカルアへ、アイクはニコニコと微笑んだ。
「カルアは結構わかり易いよ」
そう言って、カルアの視線を辿るようにルチルナを振り返った。
「まぁ、リンはあんなだけどちゃんと大人だから、そう心配しなくても大丈夫だよ。それに彼女も……」
ルチルナはメイメイの肩に座り、真剣な顔で道行く人々を眺めていた。
視線をたどると……道行く人々の足元を、極小サイズの簡易ゴーレムがチョロチョロしている。
――っと、くちゃりと踏み潰されてしまった。踏み潰した男は、何か違和感を感じたようだが足を止めるには至らなかった。
ルチルナは舌打ちを漏らし、再び極小の簡易ゴーレムを生成してチョロチョロと走らせた。
前は隠れてコソコソと訓練していたが、最近は人目をあまり気にしなくなったようだ。いや、気にならなくなったのだろう。
最近のルチルナを見ていると、どうやら技術を磨く事に楽しさを見出したように感じられる。楽しい事に熱中している時、それ以外の事は目に入らないものだ。
「僕は出会って間もないけど……、それでも出会った頃とは全然違うよ」
「うん」
嬉しい変化に、思わず笑みが溢れた。
そしてその変化を誰よりも喜んでいるのは、言うまでもなくこの男だろう。
ローレンス・シェパード。
下がりに下がった目尻からは、今にも涙がこぼれ落ちてきそうだ。
神眼にあぐらをかき、努力が嫌いでワガママ放題……。空いた時間を自主的な訓練に費やすなど、ルチルナが産まれた時から側に仕えてきた彼には信じられぬ光景だ。
誰も知らないが、この間は簡易ゴーレムとメイメイに指を生やそうと試みていた事も知っている。人付き合いも、彼女なりの努力が見て取れる。
本当に、彼女は変わった。
(否! 成長である!!)
目尻の先で、キラリと光が瞬いた。
そして、そのルチルナはというと……。
また簡易ゴーレムが踏み潰され、しかめっ面で舌打ち漏らした。小さなため息と共に再び簡易ゴーレムを生成し――ふと顔を上げた。
しかめっ面のルチルナと目を合わせ、カルアとアイクは何か誤魔化すように微笑んだ。
(あの顔……どうせ私の事をコソコソ話してたんでしょ)
ニヤリと口元を歪め、二人を無視して先程生成した簡易ゴーレムを動かした。
てっきり石の一つぐらいは飛んでくると思っていた二人は、ポカンと顔を見合わせた。
「機嫌が良いのかな……?」
「……」
ハッと、カルアは足を止めて背を振り返った。何かを探すように、右から、左から、自身の背を覗き込んだ。
「あっ!」っとアイクが指を差した。
フードの裏に、小さな簡易ゴーレムが潜んでいた。
「今頃気が付いたの?」
追いついたルチルナがしてやったりと微笑みながら二人を追い抜いた。
「さっき付けたんでしょ?」
「朝からずっとよ」
「ウソ」
後を追いながらジトッと見つめるカルアへ、いつの間にか前を行く荷車からアーサーの声が飛んだ。
「朝会った時から付いてた」
「……ホントに?」
「うん」
プッと頬を膨らませたカルアへ、ルチルナは得意げに微笑んだ。
「それ、木の葉で作ったのよ。軽いから水にだって浮かぶわ。
葉を細かく砕いたり、中を空洞にしたりもの凄く手間がかかったんだから、まだ壊さないでよ」
「……」
彼女は、意外と職人気質なのかもしれない。一度火が着けば、とことん追求する。もしかすると彼女は――
得意げに語るルチルナを見上げ、カルアは楽しげに微笑んだ。
「……何よ」
「別に〜」
ムッとするルチルナであったが……フンッと鼻を鳴らしてすぐに気を取り直した。
カルアの元へランランを動かし、跪いて腕を差し出した。
「たまには良いでしょ?」
――ランランの肩に座り、カルアは周囲を見回した。高い視点からの景色を楽しめると思ったが……森を開いた街道は木に囲まれ、期待した程ではなかった。代わりに、木々の隙間にちらほらと雪が見えた。
(そろそろ防寒具を出した方がいいかな……)
遮るものがなくなり、吹き抜けた風に思わず身を縮めた。
「もう少し行くと休める所があるから、着いたらお昼にしよっか」
頷くルチルナへ、アイクが声を掛けた。
「ねえ、ルチルナ」
一瞬口をへの字に曲げたルチルナであったが……「まあいいわ」とランランが身を屈め、アイクがひょいと肩へ登った。
「僕もゴーレムが欲しいな〜」
続けて周囲を見回し、しみじみと呟いた。
「せめて人並な身長が欲しいな……」
◆
その頃、王都を目指すエスト一行は――
「間もなく入港するよ」
エストは面々を見渡し、クロエで視線を止めた。
クロエは包帯の隙間からため息を漏らし、プイと外を向いた。
「……分かってるってよ。大人しくしてろ。だろ?」
ニコリと微笑み、ヘッジへ視線を移した。
「覚悟はいいね?」
「ヘイ!」
やがて鐘の音が響き、船は動きを止めた。
――ボブに続き、両手にトランクケースを抱えたヘッジが甲板へ出た。貨物船ばかりを見てきたヘッジには、小綺麗な甲板はどうにもしっくりとこない。
先を行く三人を追って、タラップを下りながら港とその向こうに広がる町並みを眺めた。
ザシャとは違い、客船と貨物船は分けて扱われているようで随分と雰囲気が異なる。
威勢のいい水夫の声や忙しなく行き交う荷車はなく……客待ちの馬車や出迎えの人々がお上品に並んでいる。厳つい壁もなく、美しく舗装された道が町へ伸びている。
その彼方には王宮らしき建物が見えた。
「なんかキラキラして……上品な町っスね」
港に降り立ち、隣に立つエストへ溢した。
「そういえば、帝国以外の土地は殆ど知らないんだっけ?」
「オメェ帝国の産まれだったのか?」
そう言うと、クロエはまじまじとヘッジを眺めた。
「コイツがスラムを生き延びたとは思えねぇし、没落貴族のボンボン……いや、貴族って面じゃねぇな。粛清から漏れたどこぞのおボッチャマってところか」
「正解! 流石だね」
エストはニコニコと微笑み、一台の馬車を指した。
「お迎えが来てる。続きは中でやろう」
それを見た瞬間――クロエから笑みが消えた。
なんの変哲もない普通の馬車にごくごく普通の御者が座っている。宿の女中のような女がこちらにお辞儀をしていた。
――馬車が走り初めて間もなく、押し黙っていたクロエが口を開いた。
「おい」
声は鋭く、睨むようにエストを見つめた。
「コイツら龍神教――神殿の隠密じゃねぇか」
それには答えず、口元に微かな笑みを浮かべた。
「オメェにはいってぇ誰の首輪が付いてるんだ?」
「それを明かせるかどうかは……」
「働きしだい。……ってか」
微笑み返すエストの隣で、ヘッジは目を泳がせた。
クロエへ付いて行きたい一心でここ迄来たが……想像以上に厄介な事に首を突っ込んでしまったのではないか? 今更ながら、不安になった……。
「ヘッジ。モウオソイ」
向かい座るボブの口元で、真っ白な歯がキラリと光りを弾いた。
◆
カルア一行は昼食を終え、それぞれの防寒具に袖を通し通した。
街道を囲む森は針葉樹に変わり、緑が減り岩肌が目立った。澄み渡る空は、寒させいか密度が増したような気がする。澄んでいるが――透明な水やガラスのように、どこか質量を感じさせる。
空を見上げ、石清水のような空気を胸いっぱいに吸い込んだ――
カルアはモコモコとした白いコートを纏い、体を左右にひねり動きを確かめた。少し動き難くはなったが、十分だ。
ルチルナは首元と袖口にファーの付いた黒いコートを着ている。ファーの部分は暖かそうだが、スラリとしたシルエットは能性に疑問符が付く。
リンはカルアの物と似ているが、彼女の物より随分と地味だ。土色で肌触りもゴワゴワしている。彼の興味は、性能と値段だけらしい。
ローレンスは――ちょっと機能性を重視し過ぎたのではないだろうか……?
「いやぁ、年を取るとほどに寒さに弱くなりましてな」
っと、恥ずかしそうに頬を掻いた。
昼食をとった茶屋の周囲は大きく開かれ、だだっ広いスペースが確保され大きな宿舎のような建物も見えた。
「冬になると、あそこに大勢詰めて毎日雪かきをやるんでさぁ。この先、ポツポツ建ってましてね、お陰様でこの道で遭難する事はなくなりました。
冬場は冒険者ギルドの出張所なんかも開かれますんで、なかなか賑やかな場所になります」
ジェフの話に頷きながら、カルアは一帯を見渡した。
大きく空いたスペースは、待避用に確保されているのだろう。
「一冬こもればなかなかの稼ぎですぜ。冒険者ギルドへ依頼が出される事もありますんで、興味おありでしたら是非」
――各々の支度が終わり、ルチルナはメイメイの肩に上り荷車の陰に隠れたアイクを見下ろした。
「もっと堂々となさい」
「アイクちゃん出ておいで」
ここのところ詰られっぱなしだったリンは実に楽しそうだ。
ガラガラと荷車が引かれ、アイクの姿が露になった。
薄めのピンクに、白いレースとフワフワのファー。クリっとカールした裾はスカートのようだ。背中には羽が、胸元とポケットには花の刺繍が施されている。
「ほら、帽子と手袋も忘れるなよ」
お揃いの色に縁にファーが付いた暖かそうな帽子だ。両サイドの大きな猫耳と肉球手袋が愛らしい。
「……なんだよ」
アイクは火が付きそうな顔を俯け、ぼうっと自分を見つめるベルを睨んだ。
「いや……別に……」
っと頬を染めてリンの後ろに隠れた。
「なんだよ! 何で照れてんだよ!」
「ホラホラ、アイクちゃん。黙ってれば見た目は完全に女の子なんだから、もっとしおらしくお上品にな」
そう言って、リンはギリギリと歯噛みするアイクの頭を撫でた。
「これで今までの分は全部チャラにしてやるよ」
ニタニタと囁くリンへ、アイクが今にも噛みつきそうだ……。
少し前、昼食を終えたすぐ後の事だ。
アイクは用意された防寒具を見た瞬間、自分で買ってくると茶屋を飛び出した。が、すぐさまリンに取り押さえられた。
せっかく揃えたのだから一回は着せたい。まあ、それで買い物をすっぽかした件はチャラにしよう。と思っていたのだが……頑なに拒否するアイクへ、ルチルナがキレた。
「ねえ、結局あなたから謝罪の言葉を聞いた覚えがないのだけど? そこのお猿さんですら、迷惑をかけたって自覚がある時は謝るわよ」
っとリンへ目を向けた。
非常に腹立たしい振られ方ではあるが……ここは乗るしかない。
「いつも人に謝れ謝れ言う奴が、自分は例外かよ」
「あの後、バタバタしてたら有耶無耶になって……謝るタイミングを逃しちゃったんだよ……」
勢いを挫かれたアイクへ、リンが畳み掛けた。
「そのタイミングが今だ。次の茶屋までそれを着て行け」
――紅い顔を俯け、アイクはギリギリと歯を鳴らした。
ニタニタと頭を撫でるリンと入れ替わりに、今度はルチルナを乗せたメイメイが歩み寄った。
「今回だけ特別よ――」
道行く人々が、メイメイを振り返った。
頭に真っ赤なリボンを乗せたピンク色のゴーレム。そして肩にはピンクの猫耳少女。
すれ違う人々が、思わず笑みを溢した。
ルチルナは荷車に座り、顔を伏せてモゾモゾ動くアイクを見上げた。
「ホントに女の子に見えるわね。可愛くて嫉妬しちゃうわ」
ニヤニヤと笑うルチルナの隣で、ベルはぼうっとアイク見つめた。
そしてもう一人……リンの陰に隠れながらじっと兄の様子を窺うアーサーの姿があった――
――数日後。
ザシャ冒険者ギルドの裏庭。
クレアはテーブルに置いた筒をじっと見つめた。
「……」
送り込んだスパイは、一応任務? を続けているらしい。
「……」
筒を手に取り、取り出した布紙をクルクルと広げた。
『兄ちゃんはアイクにゾッコン』
「…………?」
2021/01/04誤字脱字等修整




