それぞれの 3/3
一夜空け……エルフリード商会の倉庫。
顔にぐるぐると包帯を巻いたクロエは、頬を押さえて組んだ足を苛立たしげに揺らした。
隅に置かれた木箱に座り、向かいでじっと彼女を見つめるヘッジへ舌打ちを漏らした。
「なんだよ?」
「い、いえ。あ、あの飲み物でも……」
「これでどうやって飲むんだよ」
「……そう……っすね……」
昨夜から、彼女はなぜかヘッジ纏わり付かれていた。追い払っても追い払っても、彼はずっと視界の何処かに居続けた。
ヘッジの視線に晒され、小刻みに揺らしていた足はいつの間にか地面を掘れそうな程に激しく揺れていた。
「だから何なんだよオメェは! そんなにヒマなのかよ!」
怒鳴ると同時に彼女は顔を歪め、左の頬にじわりと血が滲んだ。
「もう……大人しくしてて下さいよ。せっかく先生が良いお薬を頂いてきたのに、それじゃ何時までたっても塞がりませんよ」
クロエの様子を見に来たエミリーは溜め息混じりに溢し、ヘッジへ向き直った。
「ヘッジさんもちょっとは遠慮して下さい」
「あ、あっしは……あっしも何か姉御のお役にたてねぇかと……」
「あぁ? あたしは何時からテメェの姉貴分になったんだ? だいたい、テメェはあいつの子分だろうが!?」
と、指を指されたローデックは、自分に振るなとでも言いたげに肩を竦めた。
「子分にした覚えはねぇぜ」
と返すローデックへ舌打ちを漏らし、クロエはつかつかと倉庫を出行った。
「――包帯を替えますから、じっとしてて下さいよ」
社長室のソファーに寝そべっていたクロエを起こし、エミリーは包帯を解いた。
雑に縫われた傷口に顔をしかめ、そっと薬を塗り付けた。
爛れた右目は瞼が捲れ、こぼれ落ちそうな瞳がギョロりと資料室の扉を見つめた。
「なぁ、隣にはあいつ以外に誰か居るのか?」
「いいえ。先生だけですよ」
クロエは普通の人族だ。獣人や獣族のように飛び抜けた聴覚や嗅覚を持ち合わせてはいない。
しかし――長年培ってきた鋭い勘が、エミリーから漂う嘘を嗅ぎとっていた。
「ふ~ん……」
疑わしげな相づちを返したその時、資料室の扉が開きエストが現れた。
「ああ、ちょうど良い所に」
クロエの姿を認め、そう言うと上着を羽織りながら彼女へ歩み寄った。
「お出掛けになるんですか?」
「ちょっと友人の見送りにね」
エミリーへそう返し、クロエに視線を戻した。
「戻ったら僕らも出発するから、支度をしといてね」
「あん? 神殿なら行かねぇぞ」
「生憎、僕は神殿へ立ち入る事を禁じられていてね。まあ、それはもうすぐ解かれるけど……」
そう言うと、エストはくるりと背を向けて出口へ向かった。
「戻ったらすぐに出発するよ、急いでね」
外へ出たエストは、周囲を見渡してしみじみと呟いた。
「なんだか新鮮だなぁ」
変装せずに外出するのは久しぶりの事だ。空気を味わうかのように大きく息を吸い、鼻歌混じりに通りを歩いた。
◆
デールの宿。
旅支度を終えたカルア一行が、テーブルを囲み朝食を取っていた。
ふと、入り口を振り返ったローレンスが立ち上がった。
「これはこれは、おはようございます」
「やぁ、いよいよだね。準備は万端かな?」
「エストさん。おはようございます」
そう返したカルアの向かいで、ジャムの付いた口をモグモグと動かすルチルナが振り返った。
「――ありがとう」
椅子を引いたローレンスへ礼を述べ、立ち上がろうとするカルアを制して腰を下ろした。
「どうぞ」
「ありがとう」
お茶を差し出したカルアの瞳には、困惑とも不安ともとれるもの浮かんでいた。
「あの……大丈夫なんですか? 変装しなくても……」
その問に、エストはニカッと笑み浮かべた。
「その件は解決したんだ」
「そうなんですか?」
「うん」
エストはカップに口を付け、一息ついて抱えていた包みをそっと開いた。
「本……ですか?」
「僕からの餞別だ」
尋ねたカルアを、エストは目で促した。
手に取ってみると、何も書かれていない白紙の手帳だった。
「……手帳?」
エストも一冊手に取ってパラパラと捲って見せた。
「そう、正真正銘本物の紙でできた手帳さ。それも大業物だ」
そう言うと、最初のページを捲り少し破いて表紙を閉じた。
「このぐらいなら暫くおいておけば勝手に直る。濡らしても平気だ、よれたり滲んだりもしない。
ただ……書くのにちょっとコツがいるけどね。そこは、魔法が得意な人に教わるといい」
チラリとカルアへ視線を送り、表紙に手を被せてコツコツと指先を鳴らした。
「時々、寝る前にでもこの上に魔力結晶を一欠片置いておくだけで、ずっとこの状態を維持してくれる」
そして先ほど破いたページを捲った。
「ほら、この通り」
先ほどエストが破いたページは、何事もなかったかのように復元されていた。
感心する面々を見つめ、エストは尋ねた。
「人間が最も多く犯す過ちはなんだと思う?」
「……?」
訪れた静寂に、エストが声を重ねた。
「忘れる事さ」
「……なるほど」
とローレンスが呟いた。
「出来事だけじゃない。想いや決意、そういったものも、人は時と共に忘れてゆく。……そして、それがあった事、抱いた事、それ自体をも忘れてしまう。
無論、忘れた方が良い事もある。そして忘れるからこそ、人類はここまで繁栄してこれたのだとも言える。
しかし、厄介な事に忘れる事は選べない。本当に忘れてはいけない事も、割とあっさりと忘れてしまう。そして、忘れた事すら忘れてしまう……」
順に視線を送り、エストは言葉を続けた。
「これからも、君たちは様々な事を経験する。良い事も、悪い事も……。喜びもあれば、後悔もするだろう……」
そう言って、白紙の手帳に手を置いた。
「忘れる事は選べない。でも、忘れたくない事は選べる。その手助けができればと思ってね」
ふと顔を崩し、残りの二冊をルチルナとローレンスへ手渡した。
「ふ~ん。ありがと」
「ありがたく、頂戴いたします」
ローレンスは慇懃に礼を述べ、そっと表紙を撫でた。
「本当に良い品でございますな。また……日記でも付けてみますかな」
そう言うと、ローレンスはルチルナへ水を向けた。
「どうですか、これを機にお嬢様も日記をつけてみては?」
「それはいい。ああは言ったけど……何を残し何を忘れるべきかが明確に分かるのであれば苦労はしない。日記のように情報を限定しない記録は理想的だね」
「ふ~ん……」
「若い頃……昔の冒険者時代に日記をつけておりまして、それが今大変役に立っております」
「ふ~ん、日記ね……。でも日記なんてつけたことないわ、何を書けば良いの?」
「何でも良いんだよ。出来事にこだわる必要もない。印象に残った言葉や景色とか、何でも良いんだ。そこに何時何処でと書き足してあげるだけさ」
「ふ~ん……」
「日記はね、最小単位の歴史書とも言える。その人が、自分が、そこへ至る変遷を垣間見る事ができるその人の歴史書さ。時にはその時代の空気なんかも垣間見れたりしてね、非常に面白い」
「え? あんたに見せるの?」
っと、お茶を飲んでいたルチルナは、思わず手を止めてエストを見た。
「いやいや、僕が読んだのはもう資料と分類されてしまった遠い過去のものだよ。君らだって部分的には読んだ事があるはずだよ? 英雄譚やそれにまつわる話は、当時の関係者が残した日記などからの引用が数多く出てくる」
「……たしかに」
「言われれてみれば……」
そう溢したカルアとローレンスに続き、エストは少しバツが悪そうに付け加えた。
「まぁ、知人の日記を読ませてもらった事もあるけど……勿論、本人の許しを得てね」
「ふ~ん……」
「無論、誰かに読ませるなんて事は考えなくていい。自分が読んで、自身の歴史を、歩みを振り返れればいい。……何時かきっと、そういう時が来るからね」
「ふ~ん……そういうものなの?」
っと、ルチルナはローレンスに目を向けた。
「そうですな……。人生を振り返り、あれこれと思案した事はあります」
「ふ~ん……」
疑わしげに頷くルチルナの向かいで、カルアも記憶に沈むぼやけた言葉を思い出していた。
(師匠もそんなような事を言ってたな……。何時か――私は、何に思い悩むのかな……)
「一つお願いがあるんだけど……」と、エストは言いにくそうに切り出した。
「何時か……いや、君達の死後に見る事を許可してほしい」
ルチルナは顔をしかめたが、単なる好奇心からそう言っているのではない事はすぐに分かった。
「僕らは……君達と比べて長寿だ。順当行けば、僕は君達の何倍もの時間を生きる。君達の子供よりも、孫よりも、そのまた孫よりも……。
もし彼らに出会った時、僕は君達の事を語りたい。可能な限り詳しく話したい。勿論、今後も君達に直接会える機会があれば逃したりしない。だけど……」
エストの声が途切れ、代わりにティーポットを取り替えに来たデールが後を継いだ。
「どうにも俺達の時間の感覚はずれているらしくてな、一緒に酒を飲んで殴り合っていたやつが……ちょっと見ない間に、手を貸さなきゃ歩くことすらままならないジジイになってやがる」
ついでにカップのお茶を注ぎ足し、カウンターへ戻る彼の寂しげな横顔がとても印象的だった。
「そうなんだ……ほんの少しのつもりが、再会するともう孫も居る老人になっていたり、訪ねた先は草だらけのお墓だったりね……」
エストはそう言って、仄かな湯気が昇るカップに目を落とした。
「……まあ、死んじゃった後なら、私は別に……。でも、ある程度は選別して下さいね」
っと、カルアは恥ずかしそうにカップに口付けた。
「私は何時でも構いませんぞ。むしろ、エスト殿のお目に触れるかと思うと楽しみですな」
「まぁ……考えとくわ」
そう答えた面々を見渡すエストの瞳は――とても暖かく、穏やかだった。
「ありがとう。僕はね、親交を結んだ者達の生様を、後世の者達へ伝える事は僕らの義務だと思っている」
そう言って、カップに残るお茶を流し込んでホッと息をついた。
「それじゃ、僕はこれで失礼するよ。本当は門まで見送りに行くつもりだったんだけど……急に立て込んでしまってね。申し訳ない」
「そんな、忙しい中わざわざありがとうございます」
カルアは慌てて席を立ち、エストへ駆け寄った。
「大切に使わせていただきます」
手帳を押し抱き、深々と頭を下げた。
「書斎に籠っていても、君達の名が聞こえてくる。そんな活躍を期待しているよ」
エストは改めて面々を見渡し、言葉を続けた。
「君達の生は短い。まるで、放たれた矢のように進む。でも、それは濃密で――とてつもなく濃い時間の中を進んでいる。それを忘れないでほしい」
っと、エストは顔を崩して何時もの調子に戻った。
「ただ、ムリをしちゃいけないよ」
シリアスな雰囲気も良いが、やはり彼はニコニコと笑みを湛え、飄々と掴みどころのない雰囲気がしっくりとくる。誰も言葉には出さなかったが、そう思った。
◆
慌ただしくエストの荷造りをするエミリーを、クロエがぼんやりと眺めていた。
「クロエさんもそろそろ準備しないと間に合わないですよ。先生は結構時間にうるさいですよ」
「あたしは身一つでここにきたんだよ、何を持っていくてんだよ」
「そっか……そうでしたね。じゃあちょっとお買い物に行きましょう。着替えとか日用品とかそろえとかないと」
「いらねぇよ。必要になれば自分でどうにかする。つか、わざわざ買いに行かなくても、必要になったら道すがら買えば良いじゃねぇか」
「でもでも、王都まで結構かかりますし、途中で買えるかわからないですよ?」
「日用品なんて人さえ住んでれば何処ででも買えるよ……。最近は船の中ででも最低限は揃うっての」
ふと、クロエはエミリーに視線を合わせた。
「お前さ、遠出する度にアレやコレや買い込むタイプだろ? 結局使わねぇ物で荷物増やす奴だろ? ったくよ……これだからお嬢様育ち――」
その時、頬を膨らますエミリーの背で扉が開き、エストが現れた。
「やあ、お待たせ。準備は出来てるかな?」
そう言って、軽く手を上げて応えるクロエからエミリーへ視線を滑らせた。
「エミリーくん。僕の荷物は出来てるかな?」
「あ、先生、もう少しです」
慌てるエミリーへ歩み寄り、エストは鞄を覗き込んだ。
「こんなに必要無いよ、着替えは一着あれば良いから、鞄も一番小さいやつでいいよ」
「え、でも――」
っと更に慌てるエミリーをさらりと制してエストは続けた。
「それより、クロエを連れて買い物に行ってきてもらえるかな? 彼女の普段着と、ドレスを一揃え頼むよ」
「ドレスですか……?」
「物は君のセンスに任せるよ」
「はぁ? テメェの趣味ってんならお断りだぜ」
エミリーはきょとんと聞き返し、クロエ不快感を隠そうともしていない。
「もちろん仕事で使うんだよ」
クロエに返しつつ、早口にエミリーへ告げた。
「あと――着こなしと、最低限のテーブルマナーを覚えさせてほしい」
「テメー何考えてんだ?」
包帯越しでも、クロエの顰めっ面が分かった。
「これからはそういう場へ出る機会が増えるってことさ」
そう言って、エストはニッと微笑んだ。
「はぁ? そいつにやらせりゃ良いだろ」
「それが出来るなら君を誘ったりしないさ。彼女には別にやって貰わなきゃならない事があるからね」
「ハンッ、じゃあもう一人誘うんだな」
ごろりとソファーに寝そべるクロエを覗き込み、エストはズイッと顔を寄せた。
「君はね、貴族になるんだ」
「は? 頭大丈夫か?」
「君の新しい名前と貴族の位を貰う事。王都に行く理由の半分はそれだよ。もう半分は、その上でやって貰わなきゃならない」
「王都じゃ名前や身分がその辺に落ちてんのか? アホらしい……」
「このご時世、身分なんてお金でどうにかなる事ぐらい君だって知ってるだろう?」
「……」
「君はね、名門貴族のご令嬢になるんだ……楽しそうだと思わないかい?」
彼女は何も答えなかったが……包帯越しに浮かんだ笑みを、エストは見逃さなかった。
「じゃ、エミリーくん。彼女を頼んだよ。夜には戻るから、戻ったら今度こそ出発だ」
そう言うと、エストは慌ただしく部屋を後にした。
――その頃、カルア一行は北門で依頼人を探していた。
「ここでいいのよね?」
メイメイの肩に上り、周囲を見回していたルチルナが尋ねた。
「うん。ここで合ってるけど……」
メイメイの腕の先へ乗り、目一杯高い所から周囲を見回した。
門を離れ、街道を少し行った所に旗でも振るように帽子を振る男が見えた。
「多分あれね――」
「その節はどうも」
「あー」っとカルアとルチルナは思わず声を漏らした。
「依頼を受けて頂きまして、ありがとうございます」
東の拠点で、ルチルナが助けたあの商人の男だ。
「主人から伺っております。助けていただき、本当にありがとうございます」
そう言って、隣に佇む女性が慇懃なまでに頭を下げた。
「ジェフ・マーレイと申します。そう言えば、名乗るのは初めてですね」
少しバツが悪そうにそう言うと、ジェフは隣の女性を指した。
「妻のシンシアです。そして――」
その隣でポカンと三体のゴーレムを見上げる男児を指した。
「長男のベルと……」
キョロキョロと足下を見回し、シンシアの後ろに隠れいるもう一人の男児の背を押して先頭に立たせた。
「次男のアーサーです」
挨拶を返すカルア一行を……いや、カルアを、母の足下に隠れてじっと見つめるアーサー。その胸中は……。
(こ、これが……カルア・モーム。兄ちゃんに下痢の呪いを……そして、クレア姉ちゃんを惑わした凶器の女――)
◆
――所変わって冒険者ギルドの二階。
テラスに並んで立つエストとロイの姿が見える。
「正直、君が話に乗って来るなんて思ってなかったから、本当に嬉しいよ」
「私もまさかこんな選択をするとは思っていなかったよ」
そう言うと、ロイは横目でエストを窺った。
「ところで、お前は死んだそうだな」
「君の情報網はなかなかのものだね」
っとエストは驚きつつもは嬉しそうに返した。
「それで、早速仕事をさせようというわけか?」
「ご名答。ウィリアム・ウォルコットの行方が知りたい」
「ウィリアム・ウォルコット……」
呟いたロイはポンと手を打った。
「ああ、お前が人生を狂わせた哀れな名門貴族様か」
「狂わせたなんて失礼だな。彼は元々狂っていたよ。そもそも、研究者を自称する者にまともな人間なんていないさ」
「お前が言うと説得力があるな」
そんな皮肉を口にしつつ、ロイは早くも頭の中で捜索の算段をつけている。
「王都へ越したらしいんだけど、何処に住んでいるのかさっぱりなんだ。まあ……正直なところ、彼の経済状況で王都というのは怪いのだけれども……引っ越している事は間違いなさそうなんだ」
「分かった、ともかく調べてみよう」
「ありがとう。それと……暫くの間エミリーくんと一緒に会社の方も頼むよ。僕の部屋を自由に使って貰って構わないから」
「それはこっちの引き継ぎが終わってからになるぞ」
「もちろん。それで構わないよ。それと、ある程度の資金を預けてあるから、必要な時は彼女に言ってくれるかな。遠慮する必要はないよ」
「分かった。その時は遠慮なく使わせてもらおう」
「ああ、そうだ。それと、マドック君達には君の指示に従うようにと言ってあるから、必要な時は自由に彼らも動かしてくれてかまわないよ」
早口に言い終え、他に何かあったかな……っと、顎に指を当てて呟いた。
「なんだか初っぱなから慌ただしいな」
「フフフ、何事も出だしは大事さ」
――昼食から戻ったクリスは、執務室の扉へ手をかけ――ふとテラスを振って微笑んだ。
続いて振り返ったニーナの視線の先に、何やら話込んでいるエストとロイの姿があった。
「まだやってたの……」
呆れたように呟き、クリスに続いて扉を潜った。
――席に座ったクリスは、運ばれたティーカップに口を付けて呟いた。
「あの二人、何の話をしてると思う?」
椅子を運び、クリスの前に座ったニーナは肩をすぼめて答えた。
「さあ? でも……あまり良い話ではないんじゃない?」
「どうして?」
「どうしてって……あのダークエルフ、あなたも知ってるでしょ?」
「ガトー・フェイレン博士は死んだそうよ」
「じゃあ、今テラスに居るのは誰?」
「さあ?」とクリスは首を竦め、カップを口に運んだ。
「よく似た誰か……」
「何か嬉しそうね」
頬を緩めたクリスを、ニーナはまじまじと見つめた。
「正直少し不安だけど……なんだがあの人が楽しそうだから」
そう言って、カップに視線を落とした。
「年を重ねる毎に、とても寂しそうにしてたから……」
暫くの間――カップを覗き込んでいたクリスは、フッと顔を上げて話題を転じた。
「ところで、クレアとは仲が良のよね?」
「……」
瞳で何かを語るニーナを見つめ、クリスは首を傾げた。
「……?」
「当てましょうか?」
「何……?」
「クレアがノーキスへの異動願いを出した」
「……当たり」
「……」
(やっぱり……)
「ノーキスに住んでる両親の調子が悪いから、ノーキスへ移動したいって……聞いてた?」
「……」
「それでね、あの子はたしか孤児だったと記憶していたのだけど……資料が見当たらないのよね。たしか王都だって書いてあった気がしたんだけど……」
「クレアはウインバード孤児院の出です。両親と呼べるのはウインバード夫妻しか居りません。ちなみにウインバード孤児院は王都にあり夫妻も健在です」
ニーナはカップを置き、居住まいを正した。
「クリス――ギルド長。今後、クレアを経由した食品は絶対に口にしないで下さい。頻繁にお茶のお誘いもあるかと思いますが、絶対に行ってはいけません。どうしてもの場合は私が同席します。いえ――クレアと接触する場合は必ず私を同伴して下さい」
「……」
「よろしいですか?」
「大袈裟ね、まさか何か盛る……なん……て……」
一寸たりとも表情の動かないニーナを見つめ、クリスの声が尻窄みに消えた。
「前科がありますので」
「そんな――」
まさか、っと言いかけて……少し前にニーナが謎の病に倒れた事実が脳裏を過った。
「よろしいですね?」
「……はい」
◆
日が沈み――倉庫街ではちらほらと酒盛りが始まっていた。時折響く陽気な笑い声を、まだ仕事を終えられぬ者達が恨めしげに振り返った。
その中を、なんとも場違いで……悪趣味な馬車がゆったりと進んでいた。これでもかと金色を多用したこの馬車を目にした者は、はて? 乗っているのはどんな金持ちか……はたまた物好きな貴族かと、想像を膨らませた。
ほどなく、それは商会の倉庫の前に止まった。一体どんな奴乗っている窺っていた者たちは、ヒラリと降り立ったエストの姿を認め……一様に興味を失い元の作業に戻った。
彼らの心に浮かんだであろう言葉を代弁するならば、「あー」または期待ハズレの舌打ちであろう。
一方、倉庫の中では……ドレスを纏ったクロエが、エミリーの手を借りてよたよたと歩いていた。
「んだよこの靴……あいつらこんな物履いてたのか? そりゃあいつはアッサリ殺られるわけだよ……」
っと、一体何を思い出したのか……包帯で顔は見えないが、顰めっ面がハッキリと見えた気がした。
「ちょっと、物騒なこと言わないで下さい」
「クソッ……もうちょっとマシなやつはねぇのか?」
「ヒールってこういうものなんです。慣れてください」
「あ~、クソ……」
その時、扉が開きエストが現れた。
「うん、良く似合っているよ。ちょっと筋肉が目立つけど……うん。良いと思う。とても良い」
クロエの姿を目にすると同時に、エストはそう言って手を差し出した。
「では、お嬢さん。参りましょう」
むずりとエストの手を握ったクロエにエミリーの指導が入った。
「ああ、もう。そんな握手するように握るんじゃなくて……こういう風に、軽く――」
「ああああ! 面倒臭ぇ!!」
っとクロエは手を振り払い、ヒールを脱ぎ捨て、投げ飛ばした。
「アッハハハ!」
っと、それを見ていたエストは実に楽しそうに笑った。
「どうだい? 散々バカにしてたみたいだけど、やってみると中々大変だろ?」
「クソ……いちいちいちいち、作法作法作法作法ってよ。どんだけ暇を持て余してたんだよ……クソが」
「ほら、そういう言葉遣いもダメですよ。普段から気を付けてないと、ポロっと出ちゃいますからね。今後『クソ』は禁止です」
「……クソ」
ポツリと呟いたクロエは、プッと頬を脹らますエミリーから視線を逸らした。
「なあ、もう向こうに着いてからで良いじゃねぇか……疲れちまうよ」
「何を言ってるんだい。王都に着いてからが本番だよ」
「……」
「向こうに着いたら専門の先生に指導してもらうからね、着くまでの間に最低限の事はやれるようにならないと後が大変だよ。とっても厳しい先生だからねぇ……」
「……クソ」
悪態をつきつつ、エストに手を引かれてようやく外へ出たクロエは……目の前の馬車を見て呟いた。
「マジでこれに乗るのか……?」
「どうだい? 君が思い描く貴族様って言えばこんな感じだろ? 探すのが大変だったよ」
得意げに笑うエストへ、包帯の隙間から殺気に満ちた視線が投げ掛けられた。
「テメェ……おちょくってんのか?」
「うん」
満面の笑みで頷くエストへ飛びかかる――その寸前でクロエは踏み止まった。
「こうやってボロを誘うわけか……」
「素性の怪しい僕らには、これからこういった攻撃が予想される。くれぐれも、短絡的な行動は慎んでね」
「フン、二度もかかるかよ」
差し出された手に指を重ね、ぎこちない動きで馬車へ乗り込んだ。
◆
悪趣味な馬車が南門を通過してから数刻――
客が捌けた店内を見渡し、デールは表に出た。
通りに人影はなく、道を照らす街灯が余計に寂しさを引き立てていた。
「風呂にでも行くか……」
札を裏返して扉を閉めようとした――その時、確かな気配を感じて振り返った。
少し離れた街灯の下に、誰か立っている。
「こりゃ……明日は雪かね」
それが誰か分かった時、デールは思わずそう溢した。
――テーブルに置かれた酒瓶をチラリと窺い、白髪混じりの坊主頭をシャリシャリと撫でた。
並べたグラスに酒を注ぎ、向かいにデールが腰を下ろした。
「ったくよ、朝に来ればよかったのに。常連だったんだろ?」
「……苦手なんだよ」
「苦手ね……。友人の葬式ですらそれだもんな」
「……」
「ホント、筋金入りだな」
「うるせ」
男はグラスを手に取り、一息に流し込んだ。
「これはお前のカミさんにあげたはずなんだがな……」
「あいつの物は俺の物だ」
そう言うと、デールも飲みかけのグラスを一息に空け、代わりを注ぎながら呟いた。
「そして、俺の物はあいつの物」
「今日は居ねぇのか?」
「ああ。カルア達を見送った後、急に友人の顔が見たくなったって出かけちまった。まさかお前が来て一緒に飲んだ、なんて言ったらもう一回って騒ぐぞ。覚悟しとけよ」
「フン、二度と来るかよ」
「一回も十回同じだ! って一蹴されるさ」
「じゃあ黙っとけ」
そう言って――男はふと笑みを浮かべた。
「たしかに言いそうだ」
「お前の屋台まで押し掛けるぞ」
「ハッハッハ、ちげねぇ」
そう言うと、笑いの余韻を味わうようにゆっくと酒を含んだ。
「ところで……オメェ墓参りは行ってんのか?」
「ああ。暇があれば行ってるぜ。この間も小便かけてきたよ」
その言葉に、男はぎょっと目を見開いた。
「なんちゅうバチ当たりな……どおりでりいつも小便臭ぇわけだ」
「化けて出るとか言ってたくせによ、ちっとも出やしねぇ」
「……」
「……」
暫しの沈黙を挟み、男が口を開いた。
「エルフやドワーフの国で暮らそうとは思わねぇのか? 人の俺ですら、ダチがどんどんくたばっちまって……なんだか蚊帳の外に置かれてるみてぇでよ。オメェは……」
「思ったさ。誰かが居なくなる度に、今度こそ出て行こうって思ったさ。けど……」
デールは言葉を切り、誰もいない店内を見渡した。まるで――そこに誰かを見ているかのように、ゆっくりと視線を漂わせた。
「けどその度に、暫く一緒に飲んでいたい奴が現れる。その子供が巣立つのを見届けたくなる……。そうやってがんじがらめになって、身動きとれない……そう思ってた」
「……」
っと、デールは打って変わって明るい声を発した。
「けど、ちょっと考えが変わった」
「……へぇ、どう変わったんだ?」
「お前らの子孫にお前らの事を語り伝える。その為に、俺はここで暮らし続ける」
そう言って、デールは男を見た。
「子孫に言いてぇ事があるなら伝えるぜ?」
「……」
「ま、その前にお前は先ず子孫を作らねぇとな」
「ほっとけ」
声は尖っていたが……その顔はとても穏やかだった。
「子孫はいねぇが、俺はこれで満足してる。けど……もし俺に似た奴がいたら、俺の話でもしてやってくれ」
「いいぜ。もっと素直になった方が良い人生を送れると言えばいいんだな?」
「フンッ」
と鼻を鳴らし、グラスを傾けた男は「そう言えば……」思い出したように切り出した。
「あの娘、カルア・モームといったよな?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「覚えてねぇか? 二十年前――俺がこの店を出て行った、その前の日。駆け出しの冒険者で、やたら貫禄のあるジジイと若いナンパ野郎って妙な組み合わせのが……」
「ああー、酔い潰れて神殿に放り込んだ自称大賢者様の爺さんと――」
「お前のかみさんのケツを触って……」
「殴られて伸びてたガキが居たな」
「あの伸びてた若い男がモームって名乗ってなかったか?」
「……ああ、そうだ……たしかそう名乗ってた」
続けて、デールは記憶を手繰るように呟いた。
「親父は元冒険者……魔法の師匠は親父の知り合いでかなり高齢……」
「年から考えると……ひょっとしたらと思ってよ」
そうは言ったものの……男は首を振ってシャリシャリと頭を撫でた。
「さすがにねぇか」
「そうだな……」
デールは、カルア達がよく座っていたカウンター席を振り返った。
「でも……そうだといいな」
一方、噂の当人は……。
予定より到着が遅れ、遅い夕食を終えたカルアは宿のベッドへ身を投げた。
(たまには綿のお布団もいいな……)
布団に顔を埋め、そのまま微睡んでいたかったが……身を起こしてサイドテーブルを引き寄せた。
エストに貰った手帳を開き、何やら思案をはじめた。
(今後はこっちに書くとして……)
今までの分を書き移すか否か……。
悩む内に、ふと何かに気が付いてペンを手に取った。
表紙を捲り、ペンを走らせた。
『私の名は、カルア・モーム』
書き出しはこうだった。続けて――
『あなたにお願いがあります。どうか、これをザシャの町、エルフリード商会のエスト・エルフリード氏の元へ届けていただきたい』
そこでカルアはペンを止め、暫く思案していたが……ニヤリと笑みを浮かべて再びペンを走らせた。
『届けていただいた暁には、エルフリード氏より金貨五枚が支払われます』
(乙女の日記を読むんだから、このぐらい良いよね……?)
一方、隣室のルチルナもサラサラとペンを走らせてニヤリと微笑んだ。
『エストへ。読んだら殺す』
2020/11/02微修正




