冒険者ギルド
ザシャの町。
中央広場を東へ進むと、龍神教の神殿にぶつかる。東の絶壁をくり抜いて作られた神龍を祭る神殿だ。
神殿から湧き出す水には魔力の回復を促し、傷や病の回復を早める効果があり、微量の魔力も帯びている。
時々巫女が祭事を行い、湧き出す水に神龍の加護を付与しているのだそうな。
巫女は信徒の中から指名され、巫女を襲名する。歳も期間もばらばらで、何を基準に交代しているのかはよく分らない。
そして、『巫女』とは言っているが男も指名され、巫女である間は女として扱われる。
当代の巫女は――オネエ様と呼ぶのが適当だろう。
神殿へ登る階段は広く、町という舞台を眺める観客席のようだ。白い石造りで、継ぎ目は見当たらない。一段一段の幅も広く、段を飛ばして登る事は出来ないだろう。
中央が一段低くなっており、そこを水が流れている。幅があり、飛び石を使わずに渡るのは難しそうだ。
階段を下った水は、水槽のような囲へ落ちる。水は数カ所の穴開から飛び出し、町を巡る水路へ入る。
水路は町の街灯の下を通り、海へと出て行く。街灯の動力の正体はこれだ。
飛び出している水は自由に使う事が出来る。脇に立つ信徒に寄進をすれば汲んで持って行く事も出来るが、上限はある。
――囲いの前に、緑色のローブを着た魔術師と思しき人影が見える。
短く刈り込んだ栗色の髪は少年を連想させるが、光を弾く瑞々しい艶は少女のそれだ。
やや中性的な顔を短い滝に映し、身なりを改めている。
手に汲んだ水に口を付け、決心したように北へ歩き出した――
北へ向かうにつれ、武器や防具、薬などを扱う店が目立ってきた。行き交う人々も傭兵を思わせる身なりが目立つ。
傭兵のような者達は、皆似たようなプレートを何処かしらに身につけていた。
手首に巻いている者、ネックレスのように首から提げている者、腰にぶら下げた者、鉢金のように額に巻いている者と様々だ。色も様々で、何かの図柄が描かれた物もある。
それらにチラチラと視線を送りながら北を目指した。
やがて――、北門と神殿の中間付近に位置し、東の絶壁に向かい合って建つ広い前庭を持つ建物が見えた。
道と庭を隔てる塀に沿って進み、開け放たれた門扉の前に立った。
ここが【ザシャ冒険者ギルド】だ。
門柱には冒険者ギルドを示す大きなエンブレムが掲げられている。
芝生張りの前庭を左右に分けるように、門から入り口へ向けて石畳の通路が真っ直ぐに伸びている。両脇には街の灯と同じ物が数本生えている。
息をゆっくりと吐き、門を潜った。
前庭では、そこかしこで冒険者同士での物品の取引が行われており、市場を彷彿とさせた。品定めする商人の姿もちらほら見える。
間もなく自分もそこに混ざるのだと思うと胸が高鳴った。
今すぐ見て回りたい衝動を抑え、開け放たれた扉を潜りギルドの中へと踏み込んだ。
――依頼書を見る者、情報交換や雑談をする者、受けた依頼書を前に打ち合わせをする者。様々なやり取りが聞えてくる。
ますます高鳴る胸を押さえ、正面に並んだ受付に目を走らせながら歩を進め――目が合った受付嬢の元へ足を向けた。
「冒険者登録をしたいのですが」
受付嬢は引き出しから石版のような物を取り出し、細い棒を添えてこちらへ向けた。
「記入をお願いします」
石版には――種族に名前、年齢などのを尋ねる項目が並んでいた。触った感触では石版は堅く感じたのだが、渡された棒で擦ると粘土のようにへこみ、するすると文字が書けた。
書き終えると、受付嬢は石版の下に別の薄い板を挟んだ。
「手を置いて下さい」
「はい……」
「右、左どちらでも構いません。手の平を押しつけるように置いて下さい」
どちらの手を置こうかとまごついていると、事務的だが優しい声で促された。
手を置くと、受付嬢が石版の淵に両手を添えた。
一瞬――指の隙間に光が見え、先程書いた文字が消えた。
「いいですよ」
受付嬢は石版を戻し、下に敷いていた薄い板を手に取った。
「カルア・モームさん」
板を見ながら名前を読み上げ、板を置きこちらへ向けた。先程石版に書いた文字がそのまま板に彫り込まれていた。
「内容に間違いはありませんか?」
「はい」
「一時間ほどで登録証を発行できますが、一週間以内であれば――」
「待ちます!」
最後まで聞かず、返事を返した。
「後程お呼び致しますので、掛けてお待ち下さい。一階の席は自由に使っていただいて構いませんが、二階へは上がらないようにお願いします」
入り口に立ってこの建物を正面から見ると、正面に四つの受付けがある。カルアが訪ねた受付は一番左だ。その隣りにスイングドアがあり上へ登る階段が見える。
ドアの前には太いロープが張られており、普通に考えれば上がろうとする人間はいないと思うが……やらかす奴もいるのだろう。
右側には依頼票の掛かった衝立のような大きなボードが並んでいる。
斜めを向いている為、入り口から見てもある程度依頼の中身が見える。玄関脇の壁にも小振りなボードが見えた。
衝立の向かいに、質素なテーブルと、丸太を輪切りにした椅子が幾つか設置されていた。
カルアは受付に一番近い席に座り、テーブル越しに見える受付をちらちらと気にしながら――モゾモゾごそごそと、そわそわと名を呼ばれるのを待った――
……待つ時間というのは、長く感じるものだ。
テーブルの板の目を指でなぞるのも、爪を弄くるのも、手を見るのも握ったり閉じたりするのにも飽きた。
別の事に意識を向け、時間の流れを早めよう。そう思い、前庭の様子を眺めようと腰を浮かした――
その時、それは来た。
先行して動いていた目が、入り口に立つ幼い少女の姿を捕らえた。
腕を組み、大股で仁王立ちした少女。歳は十に満たないだろう。体はか細く、表情から少女がすごく不機嫌であることが分かる。
黒いリボンを使い、銀色の髪を耳の少し上で対称に纏め、軽くウェーブの掛かった毛先が剥き出しの肩に乗っている。
およそ肉体労働とは思えぬ白く艶のある肌と、均整の取れた可愛らしい顔は、あと数年経てば美しいと表現されるだろう。
黒い袖無しのワンピースは、高価な物であることが一目で分った。胸とスカートのフリルから覗く白と赤のレースが目を惹いた。
――自然と周囲の視線が少女に集まった。彼女も視線に気が付いているようだが、顔は動かさない。さっと視線だけを走らせた。
ややあって――、少女は腕組みを解き、肩に掛かる髪を払い退けて大股に受付へと歩き出した。
少女と少し間を開け、燕尾服の老紳士が後に続いた。
白髪のオールバック、手入れの行き届いた白い口髭は美しいアーチを描いている。落ち窪んだ細い目は誇りに満ちていた。
顔に刻まれた深い皺とは対照的に、ピンと伸びた背筋と確かな足どりは全く歳を感じさせない。
ここが貴族の邸宅などであれば、すっぽりと嵌まり込む姿なのだが……この冒険者ギルドにおいては、少女共々酷く場違いで異彩を放っていた。
そして、少女と老紳士に続いて入って来た二つの大きな影にカルアは目を見開いた。
二メートルは超えるであろう巨体――
(ゴーレムだ!)
ゴーレムの存在は知識としては知っていたが、実物を見るのは初めてであった。目を見開き、湧き上がってくる興奮を抑えると同時に……その出で立ちに戸惑いを覚えた。
一体は全身ピンク色で、その後ろに続くもう一体は、空を思わせる青と白の横縞のストライプ模様をしていた。ピンクの方は頭に赤い大きなリボンも乗せている。
そして、二体とも顔があった。
(顔がある……?)
ゴーレムの生成は、高い魔力と物質を操る高度な魔法技術を必要とし、それを使役するにはまた別の高度な技術が必要となる。
ゴーレムの前を歩く少女と老紳士のどちらかが、このゴーレムを使役しているのは間違いないだろう。
しかし、とてもではないがあの幼い少女にそんな芸当が出来るとは思えない。
かと言って――、ゴーレムの出で立ちが老紳士の趣味とも思えない……。
二人と二体に交互に視線を巡らすカルアを他所に、周囲の者達は興味を無くしたように顔を戻した――
少女は踵の高いパンプスを踏み鳴らし、受付へと迫った。
大人が履けば「コツコツ」と小気味良い音を鳴らすのだろうが、少女のそれは何処か気の抜けた音を鳴らして受付の前で止まった。
入って来た時と同様に腕を組み、仁王立ちした少女はムスっと受付嬢を見上げた。
ややあって、顔も視線も動かさずに耳にキンとくる声を張り上げた。
「ローレンス!」
「はい、お嬢様」
顔に似合わぬ優しげな声を出した老紳士は、小さな礼で応え受付へ歩み寄った。
提げていた白い二つの布袋を受付に置き、袋を開いた。
間もなく……。
「はぁ……」
っと、受付嬢の呆れた溜め息が聞えた。
「何度も申し上げておりますが……、もっと綺麗に摘んで下さい」
「どうせ磨り潰すんだから関係ないでしょ」
少女は相変わらず顔と目は動かさず、不満そうに、かつ、当たり前の事のように言い返した。
「ですから、薬の材料になるような物は、決まった手順を踏んでからじゃないと薬効が落ちてしまうんです。それと……これも何度も申し上げておりますが、外に待機させて――」
「いちいちうるさいわねぇ……さっさと報酬を寄越しなさいよ!」
「お嬢様」
ローレンスは、キンキンと吠える少女を優しげな声で諭すように宥めた。
少女は「フン!」と鼻を鳴らし、ちらりとカルアの座る席を振り向いた。
――それに応え、二体のゴーレムがのしのしとカルアへ歩み寄り、向かいの椅子に座った。
「はぁ……」
と、再び受付嬢の溜め息が聞えた……。
一方のカルアは目を白黒させ、向かいに行儀良く座るゴーレムを見つめた。
近くで見ると、ゴーレムの体は丸太の様な形に荒く削った岩を組み合わせ、人を模した形をしている事が分った。
関節部分はそれぞれが互いに磁力を持ち、吸い付いている様に見える。これはカルアの知るゴーレムとだいたい符号している。
それと、色は後から塗られたものだという事が分った。顔も描かれたものだ。頭に見えた部分は胴の延長だ。
白く塗った楕円の上に、黒く塗りつぶした丸い目玉と、にっこりと笑う口が一本の太い線で表現されている。
二体とも同じ顔が描かれているのだが、青白ストライプの方には口の右端から上に向けてぺろりと出した舌が描かれていた。
描いてあるだけなので表情が動かないのは当たり前なのだが……ぴくりとも動かない笑顔でじっと見下ろされると不安になってくる。
描いてあるだけなので決してカルアを見ているわけではないのだが……やはり不気味だ。
徐々に精神の安定を欠き始めたカルアを他所に、受付のやり取りはヒートアップしていた。
「――から、こちらももっと丁寧に剥いで頂かないと、こんな粉々だと使い物になりません」
「じゃぁそう書いときなさいよ!」
「お嬢様。これは依頼ではなく、必要な物を剥ぎ取ったり、食料として捌く為の技術を学ぶ為に――」
「そんなのあの子達に任せてれば十分よ」
「でしたら、もっと手先の器用なゴーレムの生成を――」
「ゴーレムに必要なのはパワーよ!」
「ならばお嬢様ご自身の手で――」
「イヤよ! 汚い」
どこからともなく溜め息が聞えてきそうなやり取りに、辟易とした受付嬢が報酬を取り出した。
「こちらは殆ど値をつけることは出来ませんが……、依頼の方は――なんとか納得して頂けるでしょう」
受付嬢がカウンターに置いた報酬を、少女は「フン!」と鼻を鳴らして引ったくった。
その様子に、ローレンスが流石に語気を強めた。
「お嬢様! そのような振る舞いはなりませんぞ! このような――もし、先代様とお父様ご覧になられたら――」
「ああああ! もう! うるさい!!」
キンキンと叫び声を上げ、再び周囲の視線を集めた少女はくるりと向きを変え、肩を怒らせてカツカツと出口へ歩いた。
それに呼応するように二体のゴーレムも立ち上がり、少女の後に続いた。
「お嬢様、次の依頼を――」
ローレンスを無視し、少女はゴーレムを従えてそのまま出て行った。
後ろ姿を悲しげな表情で見送ったローレンスは、思わず漏れそうになった溜め息を噛み殺し、キュッと顔を引き締めた。
「申し訳ございません」
と、受付嬢に深々と頭を下げ、顛末を見守っていた者達へも、
「お騒がせしました」
と深々と頭をさげ、足早に少女の後を追って出て行った。
ゴーレムの圧迫から解放され、呆然とするカルアの耳に「クック」と詰まった笑い声が届いた。
振り向くと、隣のテーブルに座っていたベテラン風の三人組が「お疲れさん」とでも言いたげな顔で、ニヤニヤと笑っていた。
その中の剣士風の男が口を開いた。
「災難だったな」
「はあ……」
「『暴君ルチルナ』だ」
カルアの頭の中に、『暴君』という言葉がストンと落ちた。
(小さな暴君……)
「ピンクがメイメイでストライプがランランだ。ゴーレムって呼ぶとブチ切れるから気をつけろ」
「はあ……あの、有名な方なんですか?」
その質問には、向かいに座る弓を背負った女性が答えた。
後ろで纏めたブロンドを揺らし、肩を竦めて見せた。
「メイフィールドの次期当主様だとさ」
カルアの知るメイフィールド家なのであれば、ゴーレムの生成と使役、そしてマリオネットの製造で有名な名門だ。
「現当主になって落ち目だって噂だったけど、次期がアレじゃもうダメかもな」
女性の隣に座っていた男がこぼした。赤茶色のローブとテーブルに立てかけられた杖から察するに魔術師だろう。
「でも魔術師ならあのゴーレムの生成と使役は見といて損は無いと思うぜ」
最初に声を掛けてきた剣士風の男がそう付け加えた。
「モームさん」
受付から響いた声に、カルアは飛び上がるように席を立った。
「あ――、はい!」
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