憤激の暴君
「〈浮力〉」
枝を蹴り、エストは木々の上へ出た。
「〈加速〉」
正面に描いたリングを次々と潜り、加速して東を目指した――
やがて、前方にポツポツと淡い光が見えた。
「そろそろだね……」
速度を緩め――監視塔の屋根へ静かに着地した。
(警備以外誰もいない……やっぱり何かあったんだね。まっ、何があったのかは知らないけど、手間が省けたよ)
周囲に視線を走らせ、ぽっかりと口を空けたダンジョンの入り口を見つめた。
再びヒラリと舞い上がり、入り口を囲う壁の上へ着地して身を伏せた――
筒へ蓋をしたように〈障壁〉が張られ、その向こうに階段が見える。
(パターンは……)
〈障壁〉に押し付けた手の下から微かな光が漏れ――エストの体が沈み込んだ。
そのままするりと障壁を抜け、静かに着地した。
「後は我慢比べだね……」
フードを被り直し、暗い階段の奥へ姿を消した――
◆
大きな揺れを感じ、ライルは目を覚ました。
ぼやけた視界の中を、治療師に混じり避難していた者達も負傷者の手当てに駆け回っていた。
ライルは身を起こし、感覚を確かめるように拳を握った。
側に置かれていた弓と矢筒を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。
室内は苦しげな呻きが充ち、怪我人で埋め尽くされ足の踏み場もない。
体は痺れ、足元は綿を踏むように覚束なかった。
「……」
廊下も怪我人が溢れ、半開きの扉からは横たえられた遺体が見えた。
忙しなく廊下を行き交う人々の中に、フラフラと出口へ向かう彼を気に留める者は無かった。
――階段を上り、地上へ出たライルは我が目を疑った。
建物の壁は崩れ落ち、その向こうに――外壁に迫ったサイクロスプの姿があった。
「冗談だろ……」
自分はまだ気を失っていて、夢を見ているのだろう……一瞬、そんな考えが頭の中を駆けた。
その時――、轟音と共にサイクロスプの腕が削り飛ばされ、巨大な矢がサイクロスプの目玉に突き刺さった。
状況が飲み込めず、呆然と佇むライルを再び轟音が襲い、視界が白一色に染まった――
……徐々に色が戻り、無意識にかざしていた手の向こうに――焼け焦げたサイクロスプの姿が見えた。
(一体何が……。倒した……のか?)
外壁を突き崩し、倒れるサイクロスプを呆然と見つめていたライルは、大きく目を見開いた。
(あれは――)
ルチルナは、倒れたサイクロスプの脇から顔を出すオークを睨み付け、素早くメイメイの腕に登った。
「ランラン!!」
声と共に飛び出したランランを追うように、ルチルナを乗せたメイメイが駆け出し――地を這うように流れた砂利がランランの腕に集まった。
一回り太くなった腕を振り抜き、数体のオークが血飛沫と共に宙を舞った――
「続け!!」
「押し返せ!!」
咆哮を切り抜けた者達が声を上げ、ルチルナに続いて侵入するオークと激突した。
ルチルナを中心に、崩れ落ちた壁を囲うように広がり、激しい押し合いが繰り広げられた――
階段を駆け降りたカルアは、二階の吹き抜けで足を止めた。
建物の壁が、北から西側にかけて大きく崩れ落ち、オークと押し合うルチルナの姿が見えた。
(押されてる……)
それは一目で分かった。
メイメイの脇をすり抜け、回り込もうとする者をローレンスと数人の衛兵が辛うじて食い止めている。
オーク達は相変わらず四方から攻め寄せ、戦力を集中させることができない。加えてまだ多くの者が咆哮の支配から抜けきれておらず、薄皮のような前線を辛うじて保っていた。
その要はルチルナだ。彼女へ殺到するオークの数が、それを物語っていた。
「……」
意を決し、彼女を援護するべく飛び降りようと手すりに手を掛けた――その時、不意に名を呼ばれた。
「カルア・モーム」
「……ライルさん」
崩れた階段の踊り場に、ライルが立っていた。踊り場から先は階段が崩れ落ち、そこも今にも崩れ落ちそうであった。
そしてライル自身も、ひび割れた壁に手をつき今にも崩れ落ちそうな体を支えていた。
――しかしその目は鋭く、力強い光を湛えていた。
「屋上へ運んでくれ……」
「む……無茶ですよ! 早く地下に――」
「頼む、この機を逃すわけにはいかないんだ……!」
その時、踊り場に大きな亀裂が走り、カルアは咄嗟にライルの足下に魔法陣を描いた。
「〈浮力!〉」
浮き上がったライルを残して踊り場が崩れ落ち――カルアは目一杯杖を伸ばし、掴まったライルを二階へ引き上げた。
――不意に体が重さを取り戻し、ライルは膝をついた。
「地下まで運びます。掴まってて下さい」
助け起こしたカルアの肩を掴み、ライルは鋭い目で彼女を見つめた。
「群れのボスを見つけた……!」
「え……」
「この上からなら……、今なら狙える」
「……」
「頼む……!」
――カルアはライルの肩に手を回し、屋上へ向かって歩き出した。
「魔法で運びたいところなんですけど……重いと魔力の消費がとても大きくて」
ライルはバックルに手をかけ、剣やポーチが提げられたベルトを落とした。
「少しはマシか?」
カルアは口元に微かな笑みを浮かべ、屋上を目指した。
※
――舞い上がった血飛沫の向こうに、次々と侵入するオークを見据えてルチルナは目を吊り上げた。
潰しても潰しても湧き出すように現れる。
(キリがないわね……)
だが、ルチルナを始め、前線を維持する者達は感じ取っていた。
(勢いが落ちている)
オークの攻勢に、初めて陰りが見えていた。それが咆哮による一時的なものなのか、底が見えてきたのか、それは分からない。
だが、何れにせよ流れを変える好機だ。
ルチルナはニヤリと笑みを浮かべて左目を大きく見開いた。その瞳には、オークに混じり侵入する数体のオーガの姿あった。
(こいつらを一気に押し返して――)
神眼を開き、勝負をかけた。
散乱した外壁の残骸に視線を走らせ、一体の簡易ゴーレムが立ち上がった。瓦礫をぐんぐん吸い寄せ、オーガの倍はあろうかというサイズに達した。
(もっと、もっと重く)
瓦礫を更に吸い寄せ、ずんぐりと太く成長した簡易ゴーレムがオーガに組み付いた――
体を傾け、数十トンはあろうかという巨体でのしかかった。
怪力を誇るさしものオーガも、腕や体をあらぬ方向へ曲げ、ぐしゃりと押しつぶされた。
ランランの腕も更に一回り大きく膨らみ、力任せに振り回した。オークは弾き飛ばされ、オーガはよろめいた。
よろめくオーガを簡易ゴーレムが押し潰し、ルチルナはメイメイを前へ進め、前線がじわりと押し上げられた――
一方、屋上へ上辿り着いたライルは北西を指差した。
「あの辺りだ」
舞い戻ってきたカルアを見つめ、マルコは杖にすがって立ち上がった。
「何をしてる!? 動けるのならば――」
「群れのボスを見つけた」
遮ったライルの言葉に、マルコは目を見開いた。
「まことか……?」
ライルが頷くと、マルコは側でへたり込んだままの二人の衛兵に杖を振り下ろした。
「いつまでそうしているつもりだ!!」
慌てて立ち上がった衛兵がカルアに駆け寄り、彼女に代わってライルを支えた。
彼を衛兵に任せ、カルアは北西の角まで進み単眼鏡を覗き込んだ。
(何処に……)
「崩れた外壁の……。多分、もう少し右だ……」
ライルに誘導されながら、カルアは単眼鏡を動かした。
「森から少し出た所……大きな岩と重なっている倒木の――」
「居ました!」
ライルが指示した場所の少し奥――頭と首にアクセサリーらしきものを身に付けたオークが、森の縁からチラチラと見え隠れしていた。
体は一回り大きく、何かの骨を被り、首にも牙か骨と思しき物を数珠つなぎに下げていた。
そして……腰の辺りで揺れる二枚の板が、時折光を弾いた。
(登録証……)
ライルは目を瞑り、細く息を吐いた。
「誘導を頼む」
言い終えると同時に、大きく息を吸い一気に弓を引き絞った。
「ボンッ!」と大きな音が響き、衝撃が走り風が巻き起こった。
「エルフに教わった一撃だ……」
「〈糸繰〉は使えるか?」
そう尋ねたマルコに、カルアは首を振った。
マルコはカルアの前に手をかざし、うっすらと魔法陣を描いた。
「覚えろ……」
不規則に揺らぎ、今にもかき消えてしまいそうなそれを、マルコは顔を歪めて維持した。
カルアはしばらくの間魔法陣をじっと見つめ、そっと手を重ねた――
「……引き継ぎました」
魔法陣がくっきりと輪郭を持ち、カルアの手に吸い付くように動いた。
「良い師を持ったようだな……」
マルコは微かな笑みを浮かべ、すぐに険しい顔に戻った。
「呪文は〈糸繰〉だ。矢尻の先と標的を結べ」
カルアはライルに向き直り、矢尻の先に魔法陣を貼り付けた。
「〈糸繰〉」
矢尻の先に光が集まり、糸のように細い光がスラリと伸びた。
その時――弦を引くライルの腕に無数の切り傷が現れ、流れる血が破裂するように飛び散った。
「ものには出来てなくってな……一発こっきりだ。早めに頼む……」
カルアは右目に単眼鏡を押し付け、標的を見つめた。
「魔法陣を描くのと同じ要領だ。糸を導け……」
――ふと目を落とすと、小さな点が動いていた。それはゆっくりと動き、足元から体を這うように上ってきた。払いのけようとするも……まるで手応えがない。
これは光だ。何処から自分に向けて……
単眼鏡の向こうで、オークが顔を上げた。
「今!!」
破裂音と共に周囲に衝撃が走り、カルアは思わず顔を背けて手をかざした――
弓は二つに砕け、後ろに弾き飛ばされたライルを二人の衛兵が受け止めた。
撃ち出された矢は自身の勢いで熱を持ち、雲を引いた。
一直線に森へ吸い込まれ、幾つかの木が倒れるのを横目に見た――
カルアは顔を戻し、急いで単眼鏡を覗き込んだ。
――幹に大穴が開き、倒れる木と、腰から下だけになったオークが膝をつく様子が見えた。
周辺のオーク達が逃げ出し、動揺が伝播して行くのが手に取るように分かった。
「やった……」
カルアの呟きを耳に入れ、ライルは目を瞑り微かな声で呟いた。
「……ン、仇は取ったぜ……」
マルコは下で戦うルチルナに目を向け、ホッと息をついた。
次々とオーガが倒され、勢いを削がれたオーク達へも動揺は伝播し、一体、また一体と踵を返し逃走を始めていた。
勢いに乗り、ルチルナは一気に前線を押し上げて前へ出た。
(後は時間の問題だ)
そう思った。その時――
小さな悲鳴と共に、突き飛ばされたようにルチルナが地面へ転げ落ち、簡易ゴーレムがガラガラと崩れ落ちた。
「お嬢様!!」
ローレンスが駆け寄ろうとするも――次々とオークが割り込み、ジリジリとルチルナから引き離された。
周囲に居た衛兵や冒険者も、ここぞとばかりに一斉に群がるオークに阻まれ、引き離された――
オーク達は本能的に理解していた。彼女を倒せば、敵は瓦解する……。
逃走していた連中までもが踵を返し、ルチルナへ殺到した。
ランランの腕から砂利が剥がれ落ち、踵を返してルチルナの元へ戻った。メイメイも前進を止め、ルチルナの側に張り付いた。
――気が付くと、カルアは地面を走っていた。屋上からどう降りたのかも分からなかった。
周囲に魔法陣を浮かべ、ルチルナの元へ急いだ。
(レムさんは何処に――)
周囲に視線を走らせたが、レムの姿は見えない。
(もしかしてサイクロスプの下敷きに……)
ルチルナは俯せに倒れたまま、ピクリとも動かない。
「ルチルナ!! 起きて!!」
カルアが叫んだ、その時――
――サイクロスプが動いた。
カルアは目を瞠り足を止めた……。
カルアだけでなく、敵も味方も一斉動きを止め、サイクロスプに視線が集まった。
「そんな……まだ生きて……」
むくりと起き上がったサイクロスプを見上げ、後ずさり息を呑んだ――
が、サイクロスプの目はどろりと濁り……とても生きているようには思えない。
(まさか……)
マルコはハッとルチルナに目を戻した。
――ルチルナがのそりと身を起こし、肩に刺さった矢を荒々しく引き抜いた。
投げ捨てられた矢が地面に赤い弧を描き、彼女の腕から血が滴った……。
――カルアもローレンスも、勘違いをしていた。
ルチルナはストレスを解消する術を身につけつつある。そう思っていた。
確かに、ルチルナはストレスに対処する術を身に付けていた。だがそれは、カルアとローレンスが考えていたようなものではない。
彼女が身に付けたのは――
圧縮だ。
ルチルナはこれっぽっちも解消などしていない。内にパンパンに押し込め、自我という蓋がちょこんと乗っていたに過ぎない。
今にも弾け飛びそうだったそれに、矢が突き立てられた……。
「いいいいいいいぎぎぎぎ……!!」
剥き出した歯をギリギリと鳴らし、異常なまでに見開かれた神眼がグリグリと目まぐるしく動いた。
サイクロスプに瓦礫が吸い寄せられ、瞬く間に全身を覆った……。
次の瞬間、両腕を振り上げ激しく地面を打ち叩いた。地を伝い突き上げる衝撃が、打ち上げるように周囲の瓦礫もろともオークを打ち飛ばした。
地を揺らしオークを噴き上げ、ルチルナ・メイフィールドの噴火が始まった――
駄々をこねる子供のように手足を振り回し、尚も激しく地面を打った。地震のような揺れに曝され、立っているのも困難であった。
声は無いが、この場にいた誰もが、この巨人の雄叫びを聞いた気がした――
「いぎぎぎあ゛あ゛あ゛!!!」
ルチルナの声に知性はなく……破壊衝動そのものが口から這い出しているよう思えた。
暴れ回る巨人は、尚も周囲の瓦礫や放置されていた木々を吸い寄せ、さらに大きく成長を続けた――
腕を、足を振り抜く度に、地面を抉り砂利玉をばらまくようにオーク達が宙を舞った。足下は瞬く間に血に染まり、転けようものならその下には吐き気を催す光景が広がった。
図体が巨大な為動きは鈍い。だがここまで大きいと歩き回るだけでも脅威だ。そしてその一歩は、全力で逃げ惑うオーク達を易々と追い抜いた。
ルチルナの左目はせり出し、暴れるように激しく動いた。
まるで、彼女の体から抜け出そうとしているように思えた――
ローレンスは、このような状態を見るのは初めてであった。だが、これが良くない事であるとは容易に理解できた。
「お嬢様!! お止め下さい!!」
激しく暴れる左目とは対照的に、右目は光を失い、眠っているかのようにぼんやりと何処かを見つめていた。
肩を掴むローレンスの姿は、まるで映っていなかった。
拠点を囲んでいたオーク達は我先に逃走を図り、四方へ散らばるオークを巨人が追い回した。
足を踏み鳴らして地を揺らし、コロコロと転ぶオーク達の上に体を開いて倒れ込んだ。
――全身を血に染め、あちこちに突き出した木々に残骸をぶら下げ、ルチルナの怒りの化身は暴れ続けた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ルチルナは獣のような叫びを上げ、左目からは涙を流すように血が流れ、尚もせり出した。
「お嬢様!! これ以上は為りません!!」
肩を掴んだローレンスが大きくルチルナを揺さぶった――
その時、巨人の胸元が淡く光った。
(まさか……!)
カルアは咄嗟にフードを被り、両耳を塞いだ。
「――耳を塞げ!!」
悲鳴に近い叫び声がこだまし、直後に巨人の雄叫びが響き渡った――
地面が、大気がビリビリと振動し、咆哮に当てられた者達が武器を取り落としその場にへたり込んだ。
しかし、それはオーク達も同じこと……ただでさえ士気を大きく削がれていたところに咆哮を浴びせられ、殆どの者が戦意を失い蹲った。
巨人は容赦無く巨大な腕を振り下ろし、足を振り抜き、地形までもが変わり始めていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ルチルナの左目は更に激しく暴れ、左目を中心に根が張るように筋が浮き出た――
「お嬢様!! お止め下さい!!」
耳を塞いでいた手を下ろし、ローレンスが手を伸ばした。その時――視界に割り込んだ杖が、ルチルナの首筋を勢いよく打った。
同時に神眼が動きを止め、巨人もピタリと動きを止めた――
杖を放り、マルコは膝を突いてルチルナの肩を掴んだ。
「よい。もう良い」
ルチルナの右目に光が戻り、微かに動いた――
糸の切れた人形のように――崩れ落ちたルチルナをマルコが受け止め、同時に巨人がガラガラと崩れた……。
あまりの出来事に皆言葉を失い、拠点の中は異様な緊張感と沈黙に包まれた。
「お嬢様……」
そう呟いたローレンスの声が、はっきりと聞き取れた――
「ルチルナ……」
呟きに被せるように朝日が差し込み――カルアは目を細め、手をかざした。
(……飛空艇)
かざした手の隙間から、朝日を背に進む飛空艇の姿が見えた。
船首付近で幾つかの光が瞬き、敗走するオーク達を追うように次々と爆発が起こった。
「……終わった」
何処からともなく、そんな呟きが聞こえた――
遅いと詰る者、奇声を上げる者、座り込んでしまう者……。カルアはルチルナへ駆け寄り、マルコの手から彼女を受け取った。
神眼は閉じたようだが、目の周辺に浮かび上がった筋は残っており、血管のように脈打っていた。
カルアの視線に、ローレンスは首を振った。
「私も初めて目にします……。どのように対処すれば……」
「ともかく肩の出血を止めるのが先だ」
「薬と包帯を貰ってくる」
「止血薬なら持ってる、何か縛る物を――」
周囲の者達も次々と加わり、手早く傷の処置が行われた――
応急処置を終えると――いつの間にか爆音は止んでおり、聞き覚えのある独特な音と強い風が彼らを包んでいた。
直上へ飛来した飛空艇が高度を下げ、タラップから高位の冒険者が次々とが降り立った。崩れた外壁から馬に乗った一団が拠点へなだれ込み、一直線に飛空艇を目指して駆け抜けた――
飛空艇は地面すれすれまで高度を落とし、最後に剣士と思しき女性が降り立った。
先に降りた者達と合流した一団になにやら指示を出し、数名の龍神教の信徒を従えて真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
キュッと纏めらた髪、切れ長の目と細い銀縁のメガネに、堅そうな印象を覚えた。
後ろに続いた信徒達は、いずれも治療師である事を示す赤い十字が描かれた腕章を身に付けていた。
「ギルド長代理、クリス・ヴィッカーです。これより私が指揮を執ります」
居合わせた面々を見渡し、クリスは続けた。
「動ける者は負傷者の救護を、重傷者は飛空艇でザシャへ搬送します。彼らの指示に従って下さい」
そう言って後ろに控えた治療師達をチラリと振り返った。
「戦える者は周辺の警戒とオークの死体の処理を。ここはダンジョンの影響下にあります。アンデット化の恐れがある為、原型を留めた死体は速やかに破壊、又は焼却を行って下さい」
クリスは言葉を切り、マルコに目を向けた。
「マルコ・ファーナー。暫くの間、その指揮監督は貴方にお願いしたいのですが、可能ですか?」
「……口を動かすだけでよいのならな」
「ではお願いします」
そこへ、先程の一団から一人のドワーフの男がクリスへ歩み寄った。
「何時でも行ける」
「では速やかに追撃を開始して下さい。馬はオーガの追跡班へ、一匹たりとも逃がしてはなりません。周辺の町や集落へ守備部隊を派遣しています。必要であれば彼らと協力して事に当たってください」
「承知した」
「以降はクラス・レッド、レイ・ハモンドの指揮下に入って下さい。お気を付けて」
戻って行く男を見送り、クリスは向き直ってルチルナへ目を向けた。
ちらりと送られた目配せに応え、信徒の一人がルチルナに歩み寄り左目を覗き込んだ。
「あの――」
何か言いかけたカルアに、彼は優しく微笑みかけた。
「大丈夫。私はこういったものの――邪眼や神眼の専門家です」
――診察を終え、不安げに見守るカルアとローレンスへ、彼は再び微笑みかけた。
「大丈夫です。ですが、念のため神殿へ運びましょう」
そう言って促すようにクリスに目を向けた。
「そういった判断はあなた方にお任せします。必要な物資や人員があれば申し出て下さい」
クリスは続けて全員を見渡した。
「では、速やかに行動を開始して下さい――」
戻って行くクリスの背を見送り、治療師の男は顔を戻した。
「運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「はい」
「それは私が」
カルアを遮り、ローレンスがルチルナを抱き上げた。
――しばらくの間、カルアはローレンスの背を見送っていたが、後を追って駆け出した。
「ローレンスさん」
カルアは首からお守りを外し、ルチルナの首へかけた。
「よろしいのですか……?」
優しく微笑み、ルチルナの頭をそっと撫でた――
※
一人戻ったカルアは、崩れ落ちた外壁の前に立った。
(多分……この辺だと思う……)
瓦礫の山によじ登り、隙間を覗くカルアへマルコが声をかけた。
「この下に人は埋まっておらん。破壊された時、この上にいた者達の確認が取れた。……ところで、お前のゴーレムはどうした?」
「多分……この下に……」
そう言って瓦礫の山を指した。
(今は無理だ……。ここに割く手も、そんな魔力を残している者もおらん……)
「……今は無理だ。死体を焼く方に回ってくれるか」
「……はい」
「増員がきたら掘り起こそう。暫く待て」
瓦礫の山を下り、カルアはそこを振り返った。
(もう少し待ってて……。すぐに掘り起こすから……)
と、その時……突き上げたように瓦礫の山が揺れ、ガラガラと崩れた――
瓦礫を押し退け――鶏冠が欠け、右腕の無いレムが這い出した。
「レムさん! よかった……」
五体満足ではないが……レムの無事が確認でき、カルアはホッと胸を撫で下ろした。
(でも……あまり動かさない方が良いよね……)
レム状態を改めるカルアへ、マルコが尋ねた。
「直せるか?」
メイメイとランランは勝手に修復していたように見えたが……。
(その辺も核によって違うのかな……。治し方を教わっておけばよかった……)
首を振るカルアの後ろで……瓦礫の隙間から、サラサラと黒い砂が漂い出た――
砂はレムに吸い寄せられるように集まり――見る間に鶏冠と腕が復元された。
「……直したのか?」
「え――、あ……直っちゃいました……ね」
怪訝な顔をするマルコへ、カルアはおたおたと説明を試みた。
「私、ゴーレムの事をまだよく知らないんです……。レムさんは受け継いだだけで……」
「ふうん……。まあ何でも良い。飛空艇から灯籠を運んでくれ」
「……はい」
◆
――積み上げられたオークの死体に火がかけられ、漂う臭いにカルアは顔をしかめた。
無数に立ち上る煙の隙間から飛び立った飛空艇を見つめ、地図に目を戻した。印が書き込まれた場所にレムを動かし、灯籠を打ち込んだ。
(ここは完了……と)
印に丸を書き込み、次へ向かおうとした時――こちらへ歩いてくるローレンスに気が付いた。
「ローレンスさん……。ルチルナに付いてなくて良いんですか……?」
「お嬢様にはメイメイとランランがついております」
遠ざかって行く飛空艇を見つめ、ローレンスは少し寂しげに続けた。
「私がついていても、出来る事はありません。今は治療師の方々にお任せする外ありません」
「でも……」
「それに、私はまだ動けます。今はカルア様のお側に居るのが最善かと」
ローレンスは胸に手を当て、頭を垂れた。
「何なりとお命じ下さいませ」
「そういうのは止めて下さいよ……」
はにかむカルアへ、ローレンスはにこり微笑み一枚の布を手渡した。
「ありがとうございます」
口元に巻きつけると、幾分か臭気がマシになった。
「……じゃ、次に行きましょう」
「はい」
――先導して歩く一団が、オークの死体に槍や剣を突き刺した。まだ息のある者や、隠れている者をあぶり出す為だ。
時折、逃走を図るオークが刈り取られ、カルアは黙々と灯籠を打ち込み続けた――
※
――日没を迎え、二人は拠点の中へ戻った。
北側の宿舎は全壊した為、拠点の中は屋根と柱だけの仮設テントが立ち並んでいた。
南側にあった宿舎や倉庫は倒壊を免れたが、今は指揮所、出張所、救護所になっている。
二人は出張所で毛布を受け取り、テントへ向かった――
「カルア・モーム」
ふと名を呼ばれて振り返ると、灯籠の束の前で数人の衛兵が手招きをしていた。
「ちょっと手を貸してくれ」
「あ、はい。ローレンスさん、これお願いしても良いですか?」
「畏まりました」
場所取りに向かうローレンスへ毛布を預け、カルアは衛兵の元へ向かった――
レムに灯籠の束を持たせ、カルアは尋ねた。
「何処へ運ぶんですか?」
「……」
衛兵達は視線を逸らし、微かに唇を噛んだ。
「……?」
「……安置所だ」
※
――東の外壁の前に、無数の遺体が横たえられていた。
(こんなに……)
遺体の側に座る者達の嗚咽やすすり泣きが、一帯に漂っていた。
「あれに合わせて並べてくれ。あんたは向こうから、俺たちは逆からいく」
そう言って、既に設置されていた灯籠を指した。
――衛兵、冒険者……中には遺品だけが置かれ場所もあった。
遺体には、首に抜き身の剣が立て掛けられていた。アンデット化してしまった場合、起き上がると同時に首が落ちるように抜き身の剣を立て掛ける。
しかし、実際は固定していても首が落ちる事は無いと言って良い。形ばかりのまじないだ。
灯籠を並べ始めたカルアは、遺体の側に座る見覚えのある男に気が付いた。
(屋台で話した……)
彼の前に横たわる遺体は、あの時隣に座っていた男だ……。
「あんたか……」
歩み寄ったカルアに気が付き、男は顔を上げた。
「何て顔してんだ……。冒険者ってのはこういうもんだ」
男は酒を満たしたグラスを二つ並べ、一つを遺体の側に置いて一息に飲み干した。
「つっても……。こたえるよな……」
その時、青白い物が男の後ろを横切った。
おぼろ気に人の形をしたそれは、灯籠の側で消え、灯籠が一瞬強く光った。
「ゴーストだ。初めて見るか?」
「はい……」
男は再びグラスを満たし、一息に飲み干した。
「遺体から滲み出した魔力に、そいつの記憶が投影されて起こる現象だと言われている。
これを見ちまうとな……。魂って物があって、肉体に宿っている……。そう信じたくもなるよな……」
その時――、別の場所で灯籠がパッと光を放った。
「ダンジョンの影響下だからな……。ゴーストも出やすい。古いダンジョンへ潜ると、まるで生きているかのようなゴーストに出くわす事があるぜ」
そう言って、男は手酌で酒を呷った。
「さ、行ってくれ。今は一人にしてくれ――」
灯籠の設置を終えたカルアは、安置所を振り返った。時折ゴーストが現れ、強い光を放つ灯籠をじっと見つめた。
(魔力が記憶を運び出して……。それは……その記憶は何処へ行くんだろう……)
あの光った灯籠の側に、それが落ちているのだろうか――
「……」
光った灯籠を見つめ――首を振って背を向けた。
――テントへ向かったカルアは、程なく手を振るローレンスを見つけた。
雑魚寝をする者達の間を縫い、ローレンスの元へ向かった。
敷かれた毛布に腰を下ろし、大きく息をついた――
(疲れた……)
……とてつもなく濃い、長い日だった。
どっと疲れが溢れ出し、急激に体が重くなるのを感じた。
「カルア様」
振り向くと、ローレンスが湯気の上るカップを差し出していた。
「ありがとうございます」
立ち上る香りを鼻に潜らせ、カップに口を付けた。
お茶の香りに混じり、仄かなアルコールが鼻を抜け――雑然と散らばった物が、在るべき場所へ納まって行く――そんな心地の良さに身を任せた。
ローレンスもカップに口を付け、大きく息ついた。
ピンと張った背筋が、空気でも抜いたようにしにゃりと崩れた。
「肩でも揉みましょうか?」
カルアは立ち上がり、ローレンスの肩に手をかけた。
「お気持ちだけで。私にその様なお気遣いは――」
言いかけて、カルアの手が小刻みに震えている事に気が付いた。
「……なんか、今更怖くなって……。何かしてないと……」
ローレンスは手を下ろし、顔を戻した――
「どうですか?」
「生き返りますな……」
カルアに身を任せ、ローレンスは心地よさげに呟いた。
――戦いの最中、確かに聞こえた仲間の悲鳴や断末魔が、耳の奥で渦を巻き、カルアは無心に手を動かした。
強大な敵を前に感じた恐怖、無力感……。腕だけを残し、一瞬にして消えた仲間の顔が、安置所に横たわった男の顔が、倒れたルチルナの姿が、目の中をチラついた――
溢れ出した涙を肩で拭い、手を動かし続けた。
「……こういう世界なんだって……分かっていたのに。覚悟していたのに……。情けないですよね……」
絞り出すような声に耳を傾け、ローレンスが口を開いた。
「……駆け出しの頃。ベテランの冒険者に言われた言葉があります」
「……」
「今日話をした者と、明日も話すことが出来るとは限らない。今隣に立っている者が、不意に居なくなる。それが我々の日常だ。
人の死に慣れろ。慣れなければやっていけない」
「……」
ローレンスはカルアの手を取り、振り返った。
「――でも、心は殺すな」
優しく微笑みかけ、涙で濡れた頬をそっと拭った――
「それで良いのですよ」
――胸に顔を埋め、嗚咽を漏らすカルアの頭を、ローレンスの手が優しく撫でた。
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