防衛戦2
ライルに処置を施す治療師へ、カルアは尋ねた。
「どうですか……?」
その問いに、治療師は顔を俯けて首を振った。
「ある程度しか……。ザシャに戻らないと完全には……」
彼女の動きに合わせ、三つ巴の龍を象ったペンダントが淡い光を弾いた。腕には赤い十字が書かれた腕章が見える。
この世界において、医者と言えば多くの場合龍神教の信徒を指す。
古くから神殿では龍の涙を用いた医療が行われており、周辺で暮らす者達の病院としても機能していた。
必然的に治癒魔法の研究が盛んに行われ、結果的にこの世界の医療を牽引する存在となった。
「そうですか……」
救護所には怪我人の他に、ライルと同じ毒に犯された者が多数運び込まれていた。
治療師と話している間にも次々と負傷者が運び込まれ――救護所は無論の事、廊下の床にまで患者が溢れていた。
邪魔にならぬようカルアは早々に引き上げ、出口で待つルチルナの元へ向かった。
出口側の席に座り、体を拭うルチルナの髪をローレンスが整えていた。
「一つに纏めてもらえるかしら? 首を振ると髪がチラついて邪魔なのよ」
「畏まりました」
「次は何処に向かえば良いのかしら?」
戻ってきたカルアにルチルナは尋ねた。
「え……何処……」
口ごもるカルアの様子を見て、ルチルナは不思議そうに首を傾げた。
「あなた上から見てたんでしょ?」
(そっか……この二人は壁の向こうを見て――)
その時、聞き覚えの無い声が二人の名を呼んだ。
「ルチルナ・メイフィールド、カルア・モーム」
吹き抜けの二階から身を乗り出した衛兵が、振り向いた二人に手招きをしていた。
「来てくれ――」
二階に上がった二人を、衛兵は更に上へと案内した。
屋上へ上がったルチルナは、東の外壁を見上げてカルアに尋ねた。
「あの子どうやって登ったの? 魔法で浮かせたの?」
ルチルナの視線の先で、レムの鶏冠がチラチラと見え隠れしていた。
「ピョンって……」
「飛び乗ったの?」
肩を竦めて見せるカルアに、ルチルナは呆れたように溢した。
「デタラメな子ね……」
それはこっちの台詞だ。
あの死霊術のようなゴーレムは何だ!?
カルアは喉まで出かかったそれを飲み込んだ。
そんな二人を尻目に、衛兵はソワソワと先を急いだ。
「こっちだ」
二人を促し、監視塔の梯子を登り始めた。
「では、私から」
衛兵の後に続き、ローレンスが梯子に手を掛けた。続いてルチルナ、カルアの順に梯子を登った。
その途中、不意にローレンスが動きを止め、ルチルナは怪訝な顔で彼を見つめた。
(早くしてよ)
などと考えていたルチルナだったが、目線が外壁を越えた時、彼女もぴたりと動きを止めた。
「な……」
(何よこれ……)
敷き詰めた様に群がったオークが、まるで地面その物が蠢いているように見せた。
さしものルチルナも言葉を失い、呆然とその光景を見つめた。
「お嬢様」
梯子を登り切ったローレンスに呼びかけられ、ルチルナは我に返った。
――ローレンスの手を取り、ルチルナに続いてカルアが監視塔へ上がった。
そこには、据え付けられた望遠鏡を覗き込む衛兵と、単眼鏡で周囲を見回す衛兵の姿があった。単眼鏡を手にしているのはカルア達を呼びに来た男だ。
そしてもう一人、長い髭を蓄えた厳めしい老人の姿があった。
「マルコ・ファーナーだ。この拠点の指揮を任された者だ」
老人はそう名乗り、ぐるりと周囲を指した。
「我々が置かれている状況だ」
先程はあまりの数の多さに圧倒されたが、早くもそれを飲み込み闘争本能をたぎらせたルチルナが苛立たしげに返した。
「見りゃ分かるわよ。何か用があるんでしょ? あるのならさっさとしてくれない?」
無礼な物言いを諫めようとするローレンスを制し、マルコは口元に微かな笑みを浮かべた。
「座れ」
そう言って据え付けられた簡素な椅子を勧めた。
「ブリムコロニー。少くとも三千は居るそうだ」
「ブリム? ブリムと言いますと……ブリム渓谷のブリムでしょうか?」
「そうだ」
驚いたローレンスが、おそらく誰もが思うであろう疑問を口走った。
「まさか、なぜこんな所に……」
「連中は現にここに居る。なぜ来たかなどどうでも良い」
マルコは手の中で折り畳まれた小さな布紙を弄びながら続けた。
「援軍は来る。だがそれまで耐えねばならん。もっとも、逃げ場などないがな……」
「それで、私達に何をさせたいの?」
面倒臭そうに尋ねるルチルナに、マルコは微かに微笑んだ。
「連中にはオーガの群れが寄生しているそうだ。オークだけならば、現状を維持できれば切り抜けられる。だが、少しでも怯めば終わりだ」
そう言うと、マルコは二人の衛兵を振り返った。
「群れのボスとオーガを探させているが、どちらもまだだ――」
顔を戻したマルコの目に力がこもった。
「オーガが現れ壁を越えようとした場合、そのまま引き込む」
「引き込んだ奴を殺れば良いのね」
「そうだ。確実に倒せ。他は無視してオーガにだけ集中しろ。動きを止めるだけでも構わん。他の者が始末する」
続けてマルコは東を指してカルアに尋ねた。
「あれはお前が使役するゴーレムだな?」
「はい」
「あの巨体が飛び上がるとはな……。お前も出来るか?」
視線を滑らせルチルナに尋ねた。
「ムリよ。出来たらとっくにやってるわ」
「そうか……」
ふとマルコは立ち上がり、様々な資材が積まれた一画を指した。
「あれを投げろ。投げる物が無くなったらその辺にあるものを破壊しろ。外壁以外は全て破壊して構わん」
「そんな事して良いの?」
「援軍の到着まで持ちこたえられれば良い。壁以外は無用だ。なんならここも破壊して構わん。どのみち壁を越えられたら終いだ」
何か尋ねたそうなルチルナの意を読みマルコは付け加えた。
「デタラメで良い。投げまくれ。少しでも連中の動きが鈍れば良い」
「分かったわ」
続けてマルコはカルアに向き直り、西と南の壁上を指した。
黄と青に率いられたパーティが、援護を行いつつ時折単眼鏡で森を窺っていた。
「お前は北だ。オーガが登ってきた場合は引きずり込め。可能であれば倒せ」
そう言って単眼鏡を手渡した。
「さぁ、行け」
その頃――
東へ向かうラルフは手の中に魔法陣を描いた。
それは二つに分離し、一つは手を離れ空に舞い上がった。
「〈千里眼〉」
手に残った魔法陣がゆらゆらと揺らめき、パッと掻き消えた。
「どうだい?」
ラルフの手を覗き込むように振り返ったレイが尋ねた。
「ダメだ、まだ遠すぎる」
ラルフは顔を上げ、木々の隙間を流れる星空を見つめた。空はすっきりと晴れ、雲は見えない。
顔を戻し、二十名程のメンバーを見回した。レイのパーティの他に、明日東へ行方不明者の捜索へ向かうはずだった者達の姿もある。
(タイミングがほんの少し違えば、こいつらを死地へ送り込む事になったのか……)
仮に立場が逆でそうなっていたとしても、それを責め立てたりはしない。彼らとてそれは同じだ。
だが……なんとも言い難い心地の悪さが、払っても払っても纏わりつく羽根のようにチクチクと心を刺した。
(赤なんて目指すもんじゃねぇな……)
馬を駆るレイの横顔を窺い、そんな事を思った。
――同じ頃、ザシャ南門。
門の外で、異様な空気を感じ取った人々が壁上を見上げていた。
壁上を武装した衛兵が忙しなく行き交い、次々と大砲が顔を出し人々が大きくどよめいた。
港側には常に幾つかの砲が設置されているが、それ以外の場所に砲が並ぶのは年に数回行われる訓練の時だけだ。
「何事だ……?」
「決壊か?」
「ならそう言うだろ」
「……ドラゴンが飛来したとか?」
様々な憶測が飛び交い、緊張が高まった――その時、跳ね橋が動いた。
見たことのない早さで下りてくる跳ね橋の向こうに、武装した衛兵と馬に跨がる一団が見えた。
「道を空けよ!!」
跳ね橋が下りると同時に、飛び出した衛兵が人々を左右に押し退け、その間を馬に跨がった冒険者が次々と駆け抜けた。
その背を見送り、沸き起こったどよめきを一人の衛兵がかき消した。
「今より、ザシャは戦時下となった!!」
しんと静まり返った人々を鋭く見回し、彼は言葉を続けた。
「我々の指示に従い、速やかに退去せよ!!」
橋の向こうには、行く手を塞ぐように衛兵が立ち並び、側の倉庫へと至る道を作っていた。
――それから間もなく、ザシャ冒険者ギルド裏庭。飛空艇ドック。
「これで最後です」
白ネコの言葉に頷き、ロイは飛空艇に運び込まれる大砲を見つめた。
「門外の収容は完了したそうです」
足早に歩み寄り、そう告げたクリスをまじまじと眺めた。
「その方がしっくりくるな」
「これを脱ぐためにここへ来たのですが?」
クリスは身に付けた軽鎧にチラリと目を落とし、苦笑いを浮かべるロイを一瞥してタラップに足を掛けた。
「頼んだよ」
背に投げかけられた言葉に、クリスは微かに首を傾けて応えた。
(当分はこの調子か……)
ロイは深いため息をつき、空を仰いだ。
(……夜明けには着くか)
一方、東の拠点。
壁上で弓を構えた者達の前に魔法陣が並んだ。
「<加速>」
中心から押し広げるように穴が開き、通過した矢が弾丸のように加速してオーク達の持つ盾を貫いた。
一定の間隔を空け、拠点が衝撃波を放っているかのように四方へ矢が放たれ、オーク達の動きは確実に鈍った。だが、数にものを言わせ次々と壁へ取り付いてくる。
壁に取り付き丸太や梯子をかけようとする者達を、外殼塔から放たれる矢と魔法が撃ち倒した。
体勢を立て直し、拠点の守りは安定したように思えた。
しかし……それが故か、生じた僅かな余裕と平静が心に不安を呼び込んだ。
(本当に減っているのか……?)
矢は着実に減り、傷を負った者や魔力を消耗した魔術師が後詰めと入れ替わる……。
対して敵は、倒しても倒しても衰えることなく押し寄せてくる。
(このままジリジリと削られ……いずれ……)
不安は、徐々に恐怖へと染まりつつあった――
「いくわよ」
メイメイとランランが石材を抱え上げ、大きく振りかぶった。
(落下点を見れないのが残念ね……)
そんな事を考えていたルチルナの目に、隅に盛られた砂利が留まった。
「……」
砂利山を見つめ、ルチルナは僅かに神眼を開いた。虹彩に小さな点が現れ、瞳孔の回りをゆっくりと動いた。
砂利の山から膝丈ほどの小さな簡易ゴーレムが立ち上がり、テケテケと監視塔を目指して走り出した。
程なく、小さな簡易ゴーレムは監視塔の梯子にしがみついていた。
ルチルナは口角を吊り上げ、メイメイとランランが抱えた石材を放り投げた――
弾き飛ばされたオークと、巻き上がった土にパッと血飛沫が混じるのが見えた。
バウンドしながら転がる石材は血に染まり、行く手を塞ぐ数体を弾き飛ばし、押し潰した。
(思ったより悪くないわね)
簡易ゴーレムを通し、その光景を見つめていたルチルナは満足げに微笑んだ。
積まれた石材を眺め、早くも破壊する物に目星を付け始めていた。
壁上を見回したマルコは、僅ながら士気が上がるのを感じた。
(……そうだ。決して飲まれるな)
マルコは壁上を見つめたまま、側の衛兵に尋ねた。
「どうだ?」
「いえ……それらしいものは……」
(オーガは来ていないのか……? 北へ向かったのか?)
絞るように髭を掴み、北の壁へ飛び乗るレムを見つめた。
(……妙なゴーレムだ)
――北の外殻塔へ登ったカルアは、単眼鏡で森の縁をサッと見回した。
オーガの姿がない事を確認すると、壁に取り付こうとするオーク達の前に魔法陣を描いた。
「〈拒絶!〉」
乾いた破裂音が響き、弾き飛ばされたオークが後続の数体をなぎ倒した。
レムは壁上を移動し、取り付いた丸太や梯子を拾い上げ群がったオークの上に叩きつけた。
カルアは時折単眼鏡を覗き込み、援護を続けながら西と南の壁上に視線を走らせた。
南を見ている者達が、時折東へ移動する以外目立った動きはない。
オーガは強敵だ。単眼鏡を覗き込む度に、否応なしにそれと対峙した記憶が呼び起こされた。
幼き日、森で遭遇した――壁のように見えた大きな体と下顎から突き出た太い牙。鼻を突いた強烈な獣臭……。オーガを直に見たのはそれが最初で最後だ。
冒険者になると決めた時、いつかは対峙する事になる。それは分かっていた。だが……
(出来れば……二度と見たくない)
あの時の冒険者は居ない……。だがルチルナが居る。レムが居る。
杖を握る手に力を込め、顔を戻した。その時――
横目で捉えた光景を、カルアはハッと振り返った。
(オーガ……?)
森の木が大きく揺さぶられ、次々と倒されていた。
監視塔を振り返ると、指を差す衛兵と身を乗り出すマルコの姿が見えた。
(気づいてる)
カルアは単眼鏡を覗き込み、揺さぶられる木々を見つめた。
オーガの知能はオークと大差ない。だが、身体能力は非常に高い。皮膚も硬く、並の攻撃では通用しない。力勝負であれば、人間族で対抗出来るのは巨人族だけだ。
木々をなぎ倒し、次々と姿を現したオーガを見つめた。
(来た……。何とか引きつけて壁に取り付かせて――)
「……?」
何か……様子がおかしい。
オーガ達はしきりに何かを引っ張っていた。
(鎖?)
ピンと張った太い鎖の束が、森の中へ幾つも延びていた。
やがて――ズルズルと引きずられ、大きな塊が月明かりの下へ引き出された。
(……岩? 何の為に……?)
上に乗っていたオーガが次々と飛び降り、塊に巻かれていた鎖が緩んだ。その瞬間――
それは勢いよく立ち上がった。
「――ッ!!」
溢れんばかりに目を剥き、思わず後ずさった。背で壁を押すように、足は無意識に動き続けた。
老木のような巨大な一本角……目隠しの隙間から僅かに覗く巨大な一つ目。上下から突き出した太く鋭い牙。体に対してバランスの悪い太い手足。
無秩序に絡まった長い体毛は、頭から背へ鬣のように繋がっている――
(……サイクロスプ!!)
「バカな……!!」
マルコは思わず口走り、衛兵の一人は耳を塞ぐように頭を抱えてへたり込んだ。
目隠しをされ、丸太のような猿轡と手足に刺された幾つもの杭から鎖が延びていた。
鎖を振り解こうと激しく身を捩り、それを引くオーガ達がズルズルと引きずられた。
(なんという事だ……)
サイクロスプ。非常に強力な魔獣だ。知能はとても低いが、桁外れの巨体とパワーを誇る。魔法への耐性が高く、魔術師との相性は非常に悪い。
体には大きな傷が幾つも刻まれ、手負いである事は一目で分かった。しかし、その姿を目にした者達の戦意が失われて行くのを手に取るように感じ、マルコは初めて敗北を意識した。
(凌げるのか……。あれを押し返すだけの力が……意志は残されているのか?)
――右腕の鎖を引くオーガの体が持ち上がった。鈴なりにオーガがぶら下がった鎖を振り回し、地面へ叩き付けた。
鎖にしがみついていた者は四散し、千切れ飛んだ鎖がさらに数体を巻き込んだ。振り落とされた者はオーク達の上に落下し、血飛沫が舞った。
左腕の鎖を手繰るように引き、引きずられたオーガ達が鎖を手放して一斉に逃走を図った。足の鎖を掴んでいた者達も鎖を手放し我先に逃げ出した――
体の自由を取り戻したサイクロスプは、猿轡と目隠しを引き千切り、逃げ惑うオーガとオークへ向けて腕の鎖を叩き付けた。
鎖は瞬く間に血に染まり、波が退くようにサイクロスプの周囲から動く物が消えた。
サイクロスプは何かを探すように左右に体を捻り、地響きを鳴らして走り出した。
動きはひどく緩慢に見えるが、桁外れな巨体の一歩は広い。逃げるオークに瞬く間に追い付き手を伸ばした。
大きな手を広げ、数体を鷲掴みに拾い上げてバリバリと食い始めた。
サイクロスプは逃げ惑う者達にギョロリと目を動かし――、ふと動きを止めて何かに気が付いたように再び歩き出した。
食べかけの束を捨て、また数体を鷲掴みに拾い上げて口に運んだ。
――貝殻でも拾う子供のように、次々と新しい獲物を掴み取った。
「ハハッ……そのまま潰し合え!」
心中の呟きを、マルコは思わず声に出した――
その時、数本の矢がサイクロスプめがけて放たれた。
大きな目玉がギョロリと動き、拠点を捉えた。
食べかけのオークを投げ捨て、サイクロスプが拠点を目指して動き出した。
(余計な事を……)
マルコは口を歪めて歯を鳴らした。だが、すぐに首を振って思い直した。
手を出さずとも、いずれこちらへ誘導された事は分かりきっている。その為に運んできたであろう事は誰の目にも明らかだ。
今ならば、まだ対抗出来るだけの力はあるはずだ。
(そう信じるしかあるまい……)
「〈千里眼〉」
ゆらゆらと魔法陣が揺らぎ、中央の小さな円が周囲を押し退けるように広がった。
その瞬間、ラルフは顔を引きつらせた。
「冗談だろ……」
(どういう事だ……!? なんでこいつが居るんだ!?)
見下ろした視界に、拠点へ向かって進むサイクロスプの姿が映し出されていた。
振り返ったレイは、一瞬驚いた顔をしたがすぐに表情を戻して冷静にサイクロスプの状態を確認した。
「もっと寄せてくれ」
拡大されてゆく像を見つめ、レイは目を細めた。
(……だいぶ弱っているな)
レイは馬を止め、続いて馬を止めた一行を振り返った。
「エリィ!」
エルフの姉妹へ呼びかけると、畳んだ弓を背負ったエルフの女性がチラリと〈千里眼〉に目を動かし、素早く馬を降りた。
背の弓を掴み、剣を振るように振り抜いた――
折り畳まれていた弓は勢いよく伸び、体ごとクルクルと回りその勢いを殺すこと無く地面へ突き立てた。
流れるように繰り出された一連の動きは、まるで演舞を見ているようであった。
背丈を超える巨大な弓を構え、彼女が「リリィ」と呼びかけると、もう一人のエルフの女性が背から槍のような矢を引き抜いて差し出した。
下部の突起に足を掛け、巨大な矢をつがえた。弦を引く彼女の腕が僅かに膨らみ、筋が浮上がる。
弦を掴んだ指の周辺で空間が歪み、腕を伝い渦を巻くように揺らめいた――
徐々に弦が引かれ、指へ向けて揺らいだ空間が収束するように動いた――その度に、「ボンッ!」という低い音と衝撃を放ち、ラルフは顔に手をかざした。
(竜狩りの技か……)
「他は先行して本隊を待て! 可能であれば攪乱して時間を稼げ!」
レイの指示に従い、姉妹とラルフを残して一行は東へ向けて走り去った。
音と衝撃は徐々に大きくなり――弓は限界まで引き絞られた。風が巻き起こり、吸われた木の葉が矢の回りをクルクルと回っていた。
リリィが杖をかざし、呪文を唱えた。
「〈糸繰〉」
矢尻の先へ光が集まり、スッと伸びた光の筋が東の空へ吸い込まれた。
「いけます」
エリィは目だけを動かし、ラルフを見た。
――オークの群れが左右に割れ、サイクロスプが拠点へ迫った。
それに合わせ、入れ替わるように攻め寄せていたオーク達が引き始めた。
毒をもって毒を制す。潰し合わせ、勝利だけさらえば良い。余計なチャチャを入れて踵を返されてはたまったものではない。
北側からオークの姿が消え、代わりに南へプレッシャーをかけ始めた。
サイクロスプへ向けて一斉に矢が放たれ、カルアはハッと我に返った。
迫るサイクロスプを見つめ、大きく息を吸い込んだ。
(逃げ場なんてない……。迎え撃つ以外に道はない)
正面に魔法陣を描き、狙いを定めた。
「〈氷槍!〉」
魔法陣から大きな楔形の氷が撃ち出され、矢と共にサイクロスプめがけて飛翔した――
しかし、矢は刺さったがカルアの放った〈氷槍〉は刺さること無く粉々に砕け散った。
(……師匠の言ってた通りだ。直接的な魔法攻撃は効果が薄い。なら――)
壁上を振り返り、並んだ〈加速〉のリングに新たな〈加速〉を重ねて大きく魔力を込めた。
二重のリングを通過した矢が唸りをあげ、サイクロスプに深々と突き刺さった。だが、サイクロスプの巨体に比べて矢はあまりにも小さい。
(もっと……! 貫通するぐらいに――)
壁上へ顔を戻し、更に重ねて魔法陣を描いた。その時――大きな音と衝撃が塔を襲った。足下が揺らぎ、壁に叩き付けたれたカルアは尻餅をついた。
(痛っ……)
痛みを堪え、立ち上がろうとしたカルアの眼前を巨大な岩が通過した――
塔の半分が削り取られ、ついさっきまで立っていた者達の姿はなく……飛び散った血と、一本の腕だけが転がっていた……。
歯を食いしばり、カルアは鋸壁の狭間から様子を窺った。
サイクロスプはキョロキョロと辺りを見回し、大半が地中に埋まった岩を易々と引き抜いて振りかぶった――
ルチルナは目を見開き、亀裂が走り半壊した外殻塔を見上げた。
(ウソでしょ……)
あそこにはカルアが居た……。
唇が震え、内から湧き出したどす黒い物が全身を支配して行くのを感じた……。
その時――身を伏せて外を窺うカルアの姿が見えた。
(脅かさないでよ……)
ホッと息を吐き出すと同時に、立て続けに飛来した巨石が北の外壁をかすめて拠点内に飛び込んだ。崩れ落ちる瓦礫に混じり、落ちて行くレムの姿が見えた。
飛び込んだ巨石は中央の建物に激突し、壁が崩れ監視塔が傾いた。もう一つは地面を滑りルチルナに迫った。
簡易ゴーレムと視界を同期させていたルチルナは、向かってくる巨石に重なったサイクロスプの姿を睨み付けた。
(やってくれるじゃない……!)
巨石をメイメイとランランが辛うじて押し止め、ルチルナは更に目を吊り上げた。
お返しとばかりに、メイメイとランランが石材を投げ返した。
しかし……それを易々と払いのけ、サイクロスプは再び前進を始めた。
「いいいいい!!」
ルチルナはギリギリと歯を鳴らし、次々と石材を投げ続けた。
北の外壁は上部が大きく破壊され、壁上で弓を撃っていた者達の姿はない。崩れた瓦礫から、負傷者が引き出されていた。
射かけられる矢が止まり、サイクロスプへ放たれるのはルチルナの投げる石材だけとなった。
(これじゃ止められない……)
カルアは首を回してルチルナの投げる石材を追った。
「<加速!>」
落下する石材の前に〈加速〉のリングを作り、そこへ石材を撃ち込んだ。
「〈拒絶〉!」
乾いた破裂音が響き、弾き飛ばされた石材がリングを通り弾丸のように加速してサイクロスプの顔面を打った。
頭を振り、僅かにサイクロスプに動きが鈍った――
(効いてる!)
続けて石材を撃ち込むカルアに倣い、他の魔術師達も次々とそれに加わった。
次々と石材が撃ち込まれ――ついに、サイクロスプは足を止めて頭を守るように両手を掲げた。
(いける……!)
誰もがそう思った。その時――
サイクロスプの角が淡い光を帯びた。
「――耳を塞げ!!」
叫び声が響いた――その瞬間、光を増した角が煌めいた。
「咆哮が――」
その声を、最後まで聞き取る事はできなかった。
およそ生物が発したとは思えぬ轟音が津波のように押し寄せ、体を引き裂くような衝撃が腹の底から全身を突き抜けた。
耳を塞ぎ損ねた者はその場に崩れ落ち、耳を塞いでいても、恐怖に支配されつつあった者達は腰が砕けたようにへたり込んだ。
壁に囲われた拠点の内部では、咆哮の効果は数段落ちていた。しかし、多くの者達が後ずさり武器を取り落とした――
正面に迫るサイクロスプを睨み付け、ルチルナはじっと立ち尽くしていた。
拠点の中は咆哮の効果は数段落ちているとはいえ、まともに受けたルチルナは抜けそうになる膝を支えるので精一杯だった。
ギリギリと歯を食いしばり、湧き上がる恐怖をかみ殺していた。すぐ後ろに居たローレンスは膝をついてはいるが、目は鋭く光っている。
(もう少し……あと少しで動ける)
カルアは耳を塞いでいた手を離し、小刻み震える両手を見つめた。
立っていたはずが、知らぬ間にへたり込んでいた。立ち上がろうとするも……力の焦点が合わず、足も腰も体を支えようとしない。
(違う……違う! これは咆哮のせい! 咆哮に当てられただけ!)
壁に頭を打ち付け、全身を支配しようと膨れ上がる恐怖に抗った。
歯を食いしばり、杖にすがり付いて立ち上がった。
しかし、サイクロスプは既に外壁まで辿り着き、壁を破壊しようと腕を振り上げたていた。
掲げた腕がピタリと止まり、振り下ろされた――
その刹那、糸のように細い光が、サイクロスプの目を捉えた。
それに続き、星に紛れて微かに瞬いた光に気が付いた者は無かっただろう。
――乾いた破裂音が轟き、駆け抜けた衝撃波は空間が波打ったのかと思えた。
飛来した巨大な矢が、サイクロスプの腕を手のひらから肩にかけて削り取り、その後ろにクレーターのような大きな窪み作った。
巻き上がった土砂はサイクロスプよりも高く昇り、衝撃は周囲から地面以外の物を全て吹き飛ばした。
矢は自身の勢いで跡形もなく消しと飛び、何が起きたのか理解できた者は無かった。
(何が起こった……?)
マルコは傾いた監視塔から身を乗り出した。
再び破裂音が轟き、呻きを上げるサイクロスプの目を巨大な矢が射貫いた。
――ふと、マルコはある姉妹を思い出した。
「竜狩りの……」
数日前、拠点の視察に訪れた一団の中に居たエルフの姉妹……空を見上げると、一カ所だけ丸く切り抜いたように光が失われていた。
(〈千里眼〉……)
マルコは杖を突き出し、空に手を掲げた。
(援軍は近くまで来ている――)
サイクロスプは残った手で矢を掴み、断末魔のごとき叫びを上げて体を捩った。
ぶら下がった腕の残骸が外壁を打ち叩き、半壊した塔が大きく揺さぶられた。
(ここはもうダメ……!)
カルアが飛び降りると同時に、塔は崩れ落ちた。そのまま東の壁上を駆け抜けながら、カルアは傾いた監視塔に目を向けた。
監視塔の上に、割れた皿を巻き戻すように巨大な魔法陣が描かれた。
(……早い!)
その下に、空に手をかざし杖を突き出したマルコの姿が見えた。
「……〈雷〉」
巨大な魔法陣が一点に収束し、小さな光球をマルコの杖へ撃ち出した。それは杖に弾かれ、フワリとサイクロスプの元へ飛んだ――
一瞬の間を開け――サイクロスプめがけて稲妻が走った。
轟いた雷鳴が空気を引き裂き、閃光が視界を真っ白に染め上げた。周囲の音が遠退き、耳鳴りが全てを包み込んだ――
――やがて、徐々に視界に色が戻り、焼け焦げたサイクロスプが姿を現した。
全身に煙を纏い、至る所にできた水疱のような膨れから沸騰した体液が流れ出していた……。
……程なく、切り倒される巨木のように、ぐらりと傾き外壁を突き崩して地面へ横たわった。
(もう十年若ければな……)
横たわったサイクロスプを見つめ、マルコは膝をついた。
――素早く弓を仕舞うエリィを見つめ、ラルフが呟いた。
「あれを連射かよ……」
「二発目は威力が低い。仕留めるのは難しい……」
険しい顔をするレイに、ラルフは〈千里眼〉に写る焼け焦げたサイクロスプを見せた。
「そこは何とかなったみたいだぜ」
(無茶しやがる……)
ラルフは視点を動かし、膝をつくマルコを見つめた。
――沸き起こった歓声が耳鳴りを押し退け、カルアは無意識に呟いた。
「倒した……?」
(凄い魔法……師匠みたい……)
その時、傾いていた監視塔がゆっくりと倒れ始めた。
(いけない……!)
「〈浮力〉!」
自身に魔法をかけ、カルアは監視塔へ飛び乗りマルコに駆け寄った。
「動けますか!?」
助け起こすカルアを押し退け、マルコは今にも滑り落ちそうな衛兵の一人を指した。
「お前はそいつを運べ」
「はい!」
二人はそれぞれに衛兵を抱え、監視塔を飛び降りた。ゆっくりと降下する二人の後ろで、監視塔は外壁に激突して二つに折れた――
着地したマルコは再び膝をつき、駆け寄ったカルアの肩につかまり倒れたサイクロスプを指した。
「まだ終わりではない!」
サイクロスプが突き崩した外壁から、早くもオークが侵入を始めていた。
「行け! 援軍は近くまで来ている! 何としてでも持ちこたえろ!!」
2017/7/3 一部追加・修正 2017/08/02再編集 2020/11/02微修正
2021/05/21微修正




