閑話:ある受付嬢の戦い
ニーナ・フロスト。
ザシャ冒険者ギルドで受付嬢を勤めている。
趣味は節約と貯金。夢はザシャに風呂付きの一戸建てを買うこと。そして、できればそこに理想の旦那も……。
勤務態度は極めて良好。遅刻や欠勤も無く、仕事の手際も良い。大変真面目な女性だ。
クレアのような飛び抜けて優れた容姿は持ち合わせてはいないが、彼女を口説いた冒険者は多いだろう。
現在は風呂無し便所共同のボロアパートで暮らしながら、コツコツと夢に向かってまい進している。
彼女が住むアパートは、表通りを外れ随分と奥まった場所にある。
コの字型をしたそこには、彼女の他に数組の家族と、彼女とはまた違う夢を追う者達が暮らしている。
日当たりは悪くじめじめとした場所だが、ここに住む者達は皆明るく、逞しく生きている。
中庭中央の木陰に、横たわる一匹の黄色いクロウラーとニーナの姿が見える。
クロウラーは『ココちゃん』ここの大家がペットとして飼育しているクロウラーだ。
「ココちゃ~ん。クッキーですよ~」
頭上で揺れ動くクッキーを見つめ、ココちゃんはむくりと体を起こしてニーナの手からクッキーをはたき落とした。
クッキーはころころと地面を転がり、アリの巣の側でぱたりと倒れた。
「……」
気を取り直し、ニーナはバスケットからマフィンを取り出した。
「ほらほら、マフィンも――」
言い終えるよりも先に、ココちゃんはニーナの手からマフィンをはたき落とした。
マフィンは地面をころころと転がり、先程のクッキーに当たって動きを止めた。
――巣のそばに巨大な食料が二つも出現したというのに、アリ達も迷惑そうに避けるばかりで触ろうともしない。
「アリも食べないのね……」
ニーナの脇に置かれたバスケットに入ったクッキーやマフィン……全てクレアから差し入れられた物だ。
連日謎の腹痛と吐き気に見舞われていたニーナは、ある時気が付いた。
クレアの差し入れを食べなかった日は快方に向かう……。
そんなまさかとは思いつつ、ココちゃんに与えてみたところ……ココちゃんはクレアから差し入れられた物はことごとくはたき落とした。
クレアの差し入れを口にしなくなって以降、ニーナの体調はみるみると回復した。
そして数日前、盗み食いを働いたとある人物が便所の住人となった。
クレアは目的の為なら手段を選ばないところがある。それは知っていた。クレアならやりかねない。人に少々毒を盛ったぐらいで驚きはしない。ただ――
私が何をした?
体調が回復している事は隠し、ニーナは休み続けている。
「あ! 姉ちゃん、そんな事するんだったら俺にくれよぅ」
アリの巣を見つめるニーナに、階下に住むマーレイ夫妻の息子――ニーナが雇ったスパイ二号が駆け寄ってきた。
「捨てるんだったら食っていいだろ?」
ニーナの脇に置かれたバスケットから、スパイ二号が掴み出したクッキーをニーナがはたき落とした。
「メッ! ああなりたいの?」
スッと指差された先には、げっそりと頬のこけたスパイ一号(兄)が、共同便所の脇に置かれた椅子に座り、青い顔で何やらブツブツと呟いていた。
「……姉ちゃん。なんて物つくってんだよぅ」
「私じゃないわよ!」
脅えた目を向けるスパイ二号の背を押し、ニーナはこそこそと部屋へ戻った。
――報酬のタルトを前に、スパイ二号は浮かぬ顔をしていた。
窓へ目を向けると、すくりと立ち上がったスパイ一号が便所へ駆け込んで行くのが見えた。
様々な果実がこんもりと乗ったタルトからは、甘い香りが立ち上ってくる。今すぐにでもかぶりつきたいところなのだが……。
「……姉ちゃん。信じていいんだよな? 仕事だけやらせて始末しようとか……」
「だから私じゃないって言ってるでしょ! いいわ。この話は無しよ」
ニーナが引き上げようとする皿を、スパイ二号は慌てて掴んだ。
「冗談だよぅ……」
「じゃ、聞かせてくれるかしら?」
「うん……。ただ……最近マーカスさんが居ないから、結構手間がかかったんだぜ」
上目遣いに出方を窺うスパイ二号を見つめ、ニーナは思った。
(子は親の背を見て育つって言うのは本当ね……)
――もう一切れ追加された皿を見つめ、満足したスパイ二号はタルトを頬張りながら報告を始めた。
「カルアっていう女の人らしいよ」
(カルア……。何処かで……)
「フルネームは?」
「えっと、カルア・モー……オー……、ごめん……忘れた」
だが、ニーナは思い出した。カルア・モーム。体調を崩す前日、冒険者登録を行いに来た美少年? だ。
「カルア・モーム?」
「そう! それだ! いつもギルドの裏で一緒に昼ご飯を食べてるんだって。クレア姉ちゃんはカルアにゾッコンなんだ。……ゾッコンって何なの?」
(そう言えば……、クレアって両刀よね……)
「……狂気よ」
「凶器? 武器の事?」
「もっとタチの悪いものよ……」
ニーナは全てを悟った。そしてあの日の記憶をたぐった。
シフトの話をして……一緒にお茶を飲んで……。
(……食べたわ)
お茶請けに出されたクッキー……。
――翌日の夕刻。ザシャ冒険者ギルドの裏庭。
クレアと向かい合い、テーブルに並べられたお茶とクッキーに視線を巡らせるニーナの姿があった。
「食べないの? 今日のはとってもよく焼けたのよ」
いつもと変わらぬ笑顔で、クレアはニコニコと微笑んでいた。
「……」
話は朝に遡る――
久方ぶりに出勤したニーナは、廊下でクレアと向かい合っていた。
「あらニーナ……体はもう大丈夫なの?」
そう尋ねるクレアに、ニーナは努めて冷静に答えた。
「ええ。もうすっかり良くなったわ。あなたの差し入れのおかげかしら?」
「あら、嘘でもそう言ってもらえると嬉しいわ」
クレアは何時もと変わらぬ笑顔でさらりと返した。
「……」
「……」
そこへ、ダンジョン周辺の視察に出掛けようとしていたギルド長――ロイが通りがかった。
「おお、ニーナくん。もう大丈夫なのかい?」
「おはようございます。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、良い時に戻ってきてくれた。中央の出張所に一人増員が決まってね、誰に頼もうかと考えていた所だったのだよ。頼めるかな?」
「はい。承知いたしました」
ご機嫌な様子で出かけて行くロイを見送るニーナに、クレアが尋ねた。
「ねえ、ニーナ。後でお茶でもいかが?」
「え、ええ……」
クレアが立ち去ると、ニーナは急いで受付に走った。
(絶対何かある!!)
手の空いている者を見つけ、駆け寄った。
「ねえ、ちょっと調べて欲しい事があるんだけど」
「ニーナ! あなたもう大丈夫なの?」
「ええ。もう大丈夫よ。それよりも急いで調べて欲しいことがあるの」
ニーナの鬼気迫った様子にたたじろぎながら、彼女はぎこちなく頷いた。
「なに……?」
「カルア・モーム。今何か請け負ってる?」
暫くして――ニーナの予想通りの答えが返ってきた。
「発令に参加してるわね。東部ダンジョン周辺に資材の運搬ね」
(やっぱり……。それにしても、もう白になってたなんて驚きね……)
そして、クレアとのティータイムに臨む少し前――
視察から戻ったロイは、執務室の椅子に座りホッと息をついた。と同時に、ニーナが駆け込んできた。
「ニーナくん……。何か事故でも――」
どこか鬼気迫ったニーナの様子に、何か重大な事故が起こったのかと思いロイは思わず腰を浮かした。
「いえ、あの――出張所の件なのですが……他の者と代わってもよろしいでしょうか?」
(そんなことか……)
ロイはホッと息をついて座り直した。
「あの……ダメでしょうか……?」
「いや、それは構わないが……。やはりまだ調子が悪いのかい? もう少し休んでいても――」
ニーナは慌てた様子で心配するロイの言葉を遮った。
「いえ、そういう訳では……。ただ、随分と間が開いてしまいましたので、設備の整っている所で慣らしてからの方が良いかと思いまして……」
「ふむ……確かに。ちなみに、代わりは誰を?」
「クレアを」
「では、クレアくんにそう伝えてもらえるかな?」
「はい――」
「――ねえ、クレア」
「なあに?」
「出張所に行くのを代わってもらえないかしら?」
「まだ調子が悪いの?」
「復帰したばかりだし、設備の整っている所で慣らしたいのよ」
「……そう。いいわよ」
そう言うと、クレアはおもむろにお茶請けのクッキーを取り替え、ニーナのお茶を庭に撒いて入れ直した。
(何してんのよ……もう隠す気もないわけ!?)
続けてクレアはジャムの入った小瓶を取り出し、口元にチョイっと付け――首を傾げてニーナを見つめた。
「………………ジャム。付いてるわよ……」
「フフフ」
クレアはジャムを拭き取り、少しずらしてまたジャムを付けた。
(何してるの……この娘……)
「ねぇ、ニーナ。どの辺に付いてたら、思わず吸い付きたくなっちゃう?」
「……ならないわよ」
「口じゃない方が良いかな?」
「場所がどうとか――あなた大丈夫……?」
「うん。幸せよ……ウフフ」
クレアは手鏡を覗き込み、楽しげにジャム付けては拭きを繰り返した……。
2017/07/30再編集 2020/09/30微修正




