ある男の記憶2
福田浩之。享年四十二歳。
気が付くと、水に浮かぶ感覚を覚えた。
死の寸前の記憶が呼び起こされ、咄嗟に浮き上がろうともがいた――
しかし、体は言う事を聞かず上手く動かすことができなかった。
だが――、もがいているうちにふと気が付いた。
(苦しくない……)
体を覆う水は温かく、むしろ心地が良かった。
(水の中じゃないのか……?)
落ち着きを取り戻した頃……、ずるずると頭から何処かへ引きずられていった――
目を開けると優しげな女性と、なよなよとした男が顔を覗き込んでいた。
助かったのかと思ったが、どうも様子がおかしい……。
体は動かないし、周囲で知らない言語が飛び交い、それで話し掛けてくる。
何を言っているのかは分らないが、まるで赤子をあやしているように感じた。
そして――、女性に抱き上げられ、彼女の瞳に映る己の姿を見て愕然とした。
赤子だ。彼女の瞳には、赤子の姿があった。
様々な記憶が頭を駆け巡り、パニックを起しそうだった。グリムとの旅で鍛えられた胆力がなかったら発狂していたかもしれない。
(夢だ。夢を見てるんだ。もしくは走馬燈だ)
自分にそう言い聞かせ、眠る事にした。
何度も、何度も……。
しかし、いつまで経っても夢は覚めなかった。
そして数ヶ月経った頃、俺はようやく現実を受け入れた。
(転生した……。こういうのは神話の中だけだと思っていたんだがな……)
そして、開き直った。
(ならば、再び受けた生を全うする外あるまい)
耳をそばだて、言語の習得から始めた。
――二歳になる頃には、自分の置かれた状況を大体把握出来た。
最初の頃、ここは教会が提唱していた天界なる死後の世界かと思っていた。だが、違った。
ここは異界――異世界だ。
ここは日本と言う国で、父は市役所なる所に勤める役人で、母は家事をこなし、働きに出ることはない。専業主婦と言うらしい。
父の稼ぎだけで暮らしてゆけるとは、なかなか裕福な家に生まれたようだ。
だが、それほどの稼ぎがあるのなら木っ端役人でもあるまいに、なぜメイドを雇うなり奴隷を買うなりしないのかが不思議だった。
そして、目に入るあらゆる物に首を傾げていた。どれもこれも見た事の無い品ばかりだったからだ。
体が成長し、家の中を自由に動き回れるようになると、俺の常識は木っ端微塵に打ち砕かれていった……。
外へ連れ出されるようになると、さらに俺の常識は粉々に粉砕された。
高速で走る馬無しの馬車、空を飛ぶ巨大な箱、真っ平らに整備された道、天高くそびえる堅牢な建物……。
家の中もそうだ。声を届ける板に千里眼の板、勝手に洗濯し乾燥まで行う箱、無限に光りを放つ白い筒、食品を冷やし保管する箱、尻を洗ってくれる便器、温風と冷風を吐き出す箱、コタツという魔物……。
上げると切りが無い。
だが、何よりも驚いたのは、この世界には魔力も魔法も存在せず、これらの物は科学の産物で科学により動いているという事だ。
元の世界にも科学はあったし、それを研究する者達も居た。
だが、魔法で出来る事を何故わざわざ魔法を使わずにやろうとするのかが理解出来なかった。
手間が掛かるだけだ。
そう思っていた。
俺だけでは無い。世界そのものがそうだった。
魔法が不得手の者は得意な者に手間賃を払いやって貰う。そんな商売があったのだ。そして、それが当たり前だったのだ。
この世界には俺の知る魔法は無い。
しかし、科学と言う魔法が存在していた。そしてその科学は、魔法に取って代わる事が出来る。この事実に衝撃を受けると共に、科学への興味がめきめきと顔を出した。
テレビなる物にかじりつき、ドキュメンタリー番組と言う物を貪るように見た。同時に、テレビから流されるこの世界の情報も貪欲に貪った。
この世界では身分という差は唾棄すべき物とされ、さらに、世界規模で国々が協力しあえる体勢を作っていた。
まだまだ問題は山積みの状態ではあるが、少なくとも俺が元居た世界と比べると、遙かに成熟した世界だ。
――それとこの頃知った最も衝撃的な事実は、ここは宇宙と言う空間に浮かぶ、地球と言う惑星なる物の表面に張り付いているのだと言う事だ。そして月と太陽もその宇宙に浮かぶ惑星だと言う。
元の世界にも月と太陽はあった。ただ、月は二つで太陽は西から昇る物だった。だが、よく似ている。
(俺は惑星なる物を移動したのか?)
そう考えたのだが、今のところ地球の他に生命体が居る惑星は無いと言う。
そして色々と調べ始めたが……、この世界の基準で言うと原始人レベルの知能の俺では、あまりのスケールの大きさに体がふわふわとバラバラに散っていきそうな感覚に襲われてやめた。
――取り敢えず俺でも理解出来そうな事に絞る事にした。
まずは、この世界の文明はどのような歴史を辿り、今へ至ったのかを調べてみた。
が――何の事は無い。この世界の歴史も戦争だらけだった。やるところまでやり尽くしたのだ。
この日本という国の歴史で言えば、俺が元居た世界は戦国時代初期といったところだろう。
日本の歴史を調べた際に非常に興味を引く存在が居た。
かつてこの国を支配していたサムライという武人達だ。中でも、武名を残した者達の逸話は俺の心を引きつけた。
それともう一つ。彼らの武具だ。斬る事を追求したカタナという剣と独特なデザインの鎧が俺の心を掴んだ。
――ちなみに、近代の武具と軍隊を見て腰を抜かしたのは言うまでも無いだろう。
三歳になると、幼稚園という所に通うようになった。
この国には小学、中学、高校、大学という教育機関があり、中学までは通うのが義務となっており、国が補助もしているという驚くべきシステムが存在していた。
両親の話を総合すると、幼稚園というのはそこへ行く準備段階の場所のようだった。
だが、いざ行ってみると……同じ年頃の子供が集められ、集団生活の基礎のようなものを教えていた。
中身は三十五歳で曲がりなりにも傭兵団を率いていた俺には大変苦痛な場所だった。
だが――
(みんなも合わせてるんだし、俺も合わせておかないと……)
そう思い、その歳の子供っぽく振る舞った。
なんでも、「空気を読む」っと言う事は非常に大切な事らしい。
そう、俺は勘違いをしていたのだ。この世界の人間は全て転生した者達なのだと思っていたのだ。
この勘違いは中学生になるまで続いた。
小学生になると、漫画やアニメと言う物を幅広く見るようになり、のめり込んだ。
なぜなら、そこには魔法があったからだ。
転生前の世界での戦いなぞを書いているのだとばかり思っていたのだ。
自分の知らない数々の戦い、見た事も無い技や魔法を使う武人達が描かれ、そんな戦いが! そんな技が! そんな魔法があったのか!
と、のめり込んでいった。この事が俺の勘違いをさらに加速させた。
ああそうさ、密かに特訓なんかもしたさ。笑いたきゃ笑え。
死亡フラグという言葉を知ったのはこの頃だ。
格好いい台詞を吐いて出陣した奴は死ぬ。死ぬ。みんな死ぬ。
「俺様が居れば楽勝だぜ」的な奴もダメだ。死ぬ。必ず死ぬ。良くて廃人だ。
俺も子供の名前を告げてから行けば助かったのかもしれない……。考えてなかったが。
ある時から、俺の言動になにやら同情的な視線を送る者が多々居る事には気が付いていた。だが、あまり気にしていなかった。
「空気読めよ」
っとでも言いたいのだろうと思っていた。
視線の理由を知ったのは中学二年の時だ。俺は、中二病なる病に冒されているのだとか。
数人だが、病に冒されていると知りながら、俺と仲良くしてくれる奴が居た事が救いだった。
へんな性癖を持った奴ばかりだったが、あいつらには感謝してる。逮捕されていなければ良いが……。
そして、その病についても勘違いをしていた。
時が経てば直ると言われたので、あまり気にしないようにしていた。中二病と言われても気にしなかった。
勘違いしていたと知ったのは高校の卒業を間近に控えたある日の事だった。
二晩ベッドでのたうった。
痛々しい言動を行っていた期間を黒歴史と言うそうだ。俺で言えば、俺は十八年の黒歴史を持つと言えるわけだ。つまり、この時点での俺の人生は全て黒歴史だったわけだ。
高校を卒業後は地元の会社へ就職し、息を潜め、この世界へ溶け込むように努力した。
積極的に人に関わろうとはせず、ひたすら家と会社を往復し、影を薄く薄くして過ごした。
結果、浮いた話もなく休日はドキュメンタリーを見るか、ゲームの中に元の世界を見ていた。顔が下の下だった事の影響も大きいだろう。
そうしてだらだらと歳を重ね、気が付くと四十歳になっていた。
こうやって平和な世界でただただダラダラと歳を取るのも、これはこれで良いのかもしれない。などと思うようになっていた。
そして、四十二歳を迎えたある日。いつも通りに家を出て会社へと向かう途中、けたたましいクラクションの音を聞いたのを最後にぷっつりと意識が途切れた。
これが、俺の二度目の人生の記憶。
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