一歩 1/2
ノシリと近づいたメイメイに驚き、実をついばんでいた数羽の小鳥が枝を離れた。
ここは、以前貝掘りに訪れた海岸近くの森だ。
メイメイの肩に跨がったルチルナは、小鳥に釣られた目を戻しし、伸び上がって枝を引き寄せた。
枝に生った青々とした実を、食われた物を避けながら手際よくプチプチともいでゆく。
発酵したような、甘みを感じさせる独特の強い芳香を放つ木の実。エナの実と呼ばれる物だ。ルチルナの小さな手で握り込めるのは五つが限界だろう。
すぐ横に立つランランが籠を持ち上げ、その中へそっと落とした。手に残る香りに鼻をヒクヒクと動かし、ルチルナは次の枝へと手を伸ばした。
その様子を――ピクリとも表情を動かさず、融通の「ゆ」の字もなさそうな一組の男女が見守っている。昇級試験の試験官だ。
そしてその遙か後方に、街道に面した木の陰からチラチラと顔を覗かせる人物がある。
とろけ落ちそうな程に目尻を下げたローレンスが、試験を受けるルチルナの様子を見守っていた。
「どうですか……?」
声を潜め、不安げなカルアがその後ろから声を掛けた。
「祝いの準備をしなくてなりませんな」
振り返り、満面の笑みでそう答えるローレンス。鼻をすすると、目も口も吸い込んでしまいそうな程に顔が溶けてしまっている。
ホッと安堵のため息を漏らし、カルアも反対側から目だけを突き出してルチルナの様子を探った。
至って普通の顔で実をもいでいる。握り潰そうとはしていない。歯ぎしりもない。癇癪を起こす気配は――ない。
カルアは改めてホッと息をついた――
「結果はギルドにてお伝えします。日没までにギルドへお越し下さい」
ランランから籠を受け取った二人の試験官は、そう言い残して森を出ると、カルアとローレンスをちらりと一瞥してザシャへ至る街道へと姿を消した。
カルアとローレンスは一瞬顔を見合わせ、ルチルナの元へと駆け出した。
試験官と入れ替わるように駆け寄ったカルアとローレンスを、ルチルナは余裕の表情で迎えた。
自分を称える二人の言葉に、肩に掛かる髪を払いのけ、
「楽勝よ。大袈裟ね」
と返すルチルナ。
ここ数日の間、午前中は商会の依頼を請け負い、午後はひたすら試験に向けて採集依頼を受け続けた。
貝掘りをきっかけに、ルチルナは自分の手で何かを行う事への抵抗が薄れたようだった。カルアが一緒であれば割と素直に言うことを聞いた。
それでも、時折癇癪を起こしメイメイとランランに薬草やキノコを蹂躙させ、木をなぎ倒したルチルナ。カルアとローレンスは根気よく宥め、なんとか試験まで漕ぎ着けた。
試験で収集する物は、その当日に発行されている依頼の中からくじ引きで決められる。カルアは薬草、ローレンスはキノコ、そしてルチルナはエナの実を引いた。
カルアとローレンスは先に試験を終え、ルチルナの様子を窺っていたのだった。
もし、ルチルナとローレンスの引いたクジが逆であったなら……こう上手くは行かなかったかもしれない。
ルチルナは何やらキノコを敵視していた。その為、最も癇癪を起こし易いのがキノコ集めだった。今回は運にも味方され、恙なく試験を終えることができた。
メイメイから降りたルチルナを、カルアが抱きしめるように抱え上げ、
「絶対受かってるよ!」
と嬉しそうにくるくると回った。
「――ちょっと、止めてよ」
ルチルナはカルアの腕から逃れようとするが、その声にトゲは無い。抵抗している手にも殆ど力は入っていない。
試験を終えた一行は、昼食の包みを手に海岸へ出た。行き交う船と、貝を掘る数人の冒険者達を眺めながら、木陰で遅めの昼食を頬張った。
時折雲が日差しを遮り、海から吹く程よい風が海鳥の声を運ぶ。絶好の行楽日和だ――
ゴーレム達と荷物番をするローレンス。その視線の先には、これまで溜めた鬱憤を晴らすように海岸でカルアとじゃれるルチルナの姿があった。
一度はザシャへ来たことを後悔した。だが今は――冒険者になって以来常に不機嫌だったルチルナから溢れる笑顔に、ローレンスは目を細めた。
◆
ギルドへ納品された品々は、受付から奥の一室へと運ばれる。受付での受け渡しが難しい物は隣に併設されている倉庫で行われる。
運び込まれた品々はここで再度状態が確認され、引き渡しの準備が行われる。
納品された品々が並ぶテーブルの一角に、カルア達の試験を担当した二人の試験官の姿が見える。
彼らが集めた品をテーブルに並べ、改めて状態を確認していた。
それぞれの品の側に置かれた書類へ交代で何かを記入し、並べた品を手早く袋へ詰め、タグを付けて立ち去った。
――程なくして、タグの付けられた袋は職員が押すカートの上に乗っていた。
カートは通路を進み、ギルドに併設された依頼品の引き渡しが行われる倉庫へと入った。ギルドとは反対側に入り口を持つ大きな倉庫だ。
ずらりと並んだ棚やテーブルにカートに乗せた袋や籠を移し、空になったカートはギルドへと戻って行く。
今し方様々な品が補充された棚やテーブルの間を、受付から指示された物を集める職員達がせわしなく動き回り、手際よく小袋に詰め受付へ運ばれて行く――
一人の職員が袋を開いた。これはルチルナが集めたエナの実だ。手早く実が小袋へ詰められ、受付へ運ばれた。
「ご確認下さい」
「へい、確かに」
袋の口をキュッと縛り、ローデックはトレイへ数枚の硬貨を並べた。
採集依頼は、依頼人が一人とは限らない。小口の依頼をまとめ、一つの依頼として発行している場合もある。小口の需要が高い物であればあるほどその確率は上がる。
また、継続的に一定数の依頼がある物は、冒険者ギルドが常に依頼を発行し、在庫を持っている。採集依頼に設定されている追加報酬も冒険者ギルドが設定している事が多い。
「依頼品」と言ってはいるが、小口の場合は実質的にはその場で販売されることが殆どだ。
勿論、大口の依頼もあるし、需要の低い品の採集依頼もある。その場合はこの限りでは無い。
「――ああ、ご苦労様。そこに置いといてもらえるかな?」
エストは資料室から身を反らすようにして顔を突き出し、扉の前へ立つローデックへ机を指さした。
「へい」
ローデックは袋を机へ置き、一階へと戻った。
……倉庫の隅に置かれたテーブルに座り、カップへお茶を注いだ彼はポケットからエナの実を取り出した。この一つは彼が買った物だ。
ナイフで果肉を少し削り、湯気の立ち上るカップへぽちゃりと落とした。
カップに口を付け、ローデックはホッと一息つく。
果肉から染み出した香りと果汁が独特の風味を持たせる。彼の好む飲み方だ。
ちなみに、カルア曰く「お茶への冒涜」だそうだ。
◆
――空に赤みがさした頃、カルア一行が南門へ到着した。
跳ね橋を渡る彼らの目が、見慣れた坊主頭を捉えた。向こうもカルア達に気が付いたらしく、屋台を引く足を止めて立ち止まった。
「おう、どうだった?」
「エヘヘ、ご馳走様でした」
試験へ向かう際、三人は今日もこの男の屋台で昼食を買ったのだが、祝儀の前払いだと言い男は代金を受け取らなかった。
カルアの言葉と自信に満ちた三人の顔を見て、男の顔が綻んだ。
「そうかい、いよいよ一端の冒険者だな」
そう言って、男はスッとルチルナへ視線をずらした。
「ところで――」
「まぁまぁね。悪くはなかったわよ」
その先を悟ったルチルナが澄ました顔で答えた。
「こいつぁ手厳しいや、今日のは自信あったんだがな」
そう言って微かに痣の残る頬を掻いた。
今日の昼食はローレンスの方へ移している物は少なかった。なかなかの当たりだったのではなかろうか?
「――そうだ、こいつを野郎のかみさんに渡してくれねぇか?」
男は思い出したようにカルアへ酒瓶を手渡し、念を押すように付け加えた。
「野郎にじゃねぇぞ。野郎のかみさんにだ」
そう言ってシャリシャリと頭を撫で、居心地が悪そうに目を逸らした。
大人なんだか子供なんだか……。
「はい。頼まれました」
渡された酒瓶を胸に抱き、可笑しそうに笑うカルアを見て男は口を尖らせた。
「な、なんでぃ……」
「いいえ、何でもありません」
「……急がねぇと日が沈んじまうぞ」
ニコニコと笑うカルアへそう返すと、男は逃げるように人混みへ紛れた。
日没まではまだ暫くある。ゆっくり歩いても十分間に間に合う。
ゆるゆると進み――ギルドの門が見えてきた時、何処か浮ついた彼らの目を門から現れた一団が吸い寄せた。
装備を調え、気迫に満ちた彼らはすぐ横を通り過ぎ、南門の方へと歩き去った。おそらく、これからダンジョンへ向かうのだろう――
ギルドの門柱に掲げられたエンブレムを、裏側から赤い光が照らしている。
浴場でユニスと会った翌朝、東の森で発見されたダンジョンの殲滅オーダーが発令された。この赤い光は、オーダーが発令中である事を示している。
ギルドの入り口近くにはランクごとに分けられた特設のクエストボードが並び、そこへオーダーが貼りだされる。
青空市に並んでいた雑多な品々は一新され、実用的な品が並ぶようになった。それを見て回る顔も、真剣なものが増えた。
入り口で一行を出迎えたクレアがホッとしたように微笑んだ。
「来ないかと思って心配したのよ」
「すみません。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃって……」
「みんな大袈裟なのよ」
澄まし顔でそう溢すルチルナだが、微かに口元がにやけている。
苦笑いするクレアに導かれ、一行は受付へと向かった。
クレアと二人の試験官が、登録証をはめ込んだ黒い石版へ手を添え――じわりと、登録証の色が黒から薄い白へと変化した。
それぞれの手元へ登録証が戻され、それぞれの定位置へと収まった。
カルアは首元に、ローレンスは右の手首に、ルチルナは片方に鎖を通し、首から提げた。
ルチルナはよく手首に巻いていたのだが、彼女の細い手首には大きく、手先を動かすには少々邪魔だった。その為、最近は首から下げるようになった。
当たり前の事のように思えるが、ルチルナの場合これは大きな変化だった。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑むクレアへカルアは照れくさそうに返し、ルチルナはフンッと鼻を鳴らし当然とでも言いたげな顔をしていた。
「お前の試験を担当した事を、自慢出来る活躍を期待してるよ」
幾度かのルチルナの試験を担当した試験官の男が、ルチルナへ声を掛けた。
「今から存分に自慢してもらって結構よ」
得意げなルチルナに、二人の試験官は苦笑いを浮かべた。
これで、カルア達も発令中のオーダーへの参加が可能となった。ダンジョンの中へ入るものは受注出来ないが、街道警備やその拠点となる場所への物資輸送などが受注可能となった。
発令されたオーダーは受注が義務となっている。しかし、発行されるオーダーの数には限りがあり、その受注の競争率は非常に高い。
発令されたオーダーの受注、達成の実績は今後に大きく影響を及ぼすからだ。「義務」とはなっているが、実際には争奪戦になる。
今はオーダーが貼り出される特設のクエストボードには何も貼り出されてはいない。しかし、今も多くの者達が新たなオーダーが貼り出されのを手ぐすね引いて待ち構えている。
だが――、まずはランクアップの恩恵にあずかるべく、一行は神殿へと向かった。ランクが上がり、入浴料が少し安くなった。
神殿やギルドが提供するものは、ランクが上がれば上がる程に安くなってゆく。
ランクアップによる最初の恩恵と実感に頬を緩め、汗を洗い、疲れをゆっくりと湯へ溶かした――
試験を受けた以外何もやっていない。なのに、大きな仕事をこなしたような、妙な感覚を抱えて宿へと向かった。
道には外灯が灯り、夜のしっとりとした空気が纏わり付く。今日はそれに加え――何かふわふわしたものが纏わり付いていた。
宿へ着くと、カウンターに立つデールが三人へ手招きをした。
デールはカルアとローレンスの前へグラスを並べ、高そうな瓶を傾けた。
「奢りだ。つってもこれは売り物じゃねぇけどな」
「あんたはこっちだよ」
そう言って、女将がルチルナの前にマフィンとお茶を並べた。
「ありがとうございます」
早速口を付けたカルアがうっとりと息を吐き出す。
(こんなのもあるんだ……)
その隣で、ゴクリとツバを飲み、じっとグラスを見つめるローレンス……。
(これは……これは、お嬢様の祝いの一席……そして私への祝いの一杯。この好意を無下にする事など……。
誓いに背く訳では無い! 断じて違う! ……れ、例外だ。何事にもこういった例外はある。必要だ)
だらしなく顔を緩ませ、幸せそうな息を吐き出すローレンスにそんな葛藤があったなどと誰が想像できようか……。
「――そうだ、これを女将さんにって」
カルアがカウンターへ例の酒瓶を置いた。
「あたしに?」
そう言って瓶を見た女将は、楽しげに顔を崩してデールを見た。
「流石、あんたの好みをよく知ってるね」
そう言うと、居心地が悪そうに目を逸らすデールを残し、女将は奥へと引っ込んだ。
酒瓶から目を逸らすデールへ、マフィンにジャムを塗っていたルチルナが不思議そうに呟いた。
「素直に貰っちゃえばいいのに」
「ケッ、お前に素直なんては言われたかねぇよ」
デールは微かに痣の残る口元を歪ませ、酒瓶を視界に入れまいと目の置き場に難儀している。
カルアはクススクと顔を綻ばせ、グラスへ口を付けた――
――同じ頃
北門近くのオベリスク。それを囲む木々の間を歩く影がある。
フードの付いた貫頭衣をすっぽりと被り、木々の間をそろそろと何かを探すように歩いている。
「先生? どこですかぁー?」
声を潜め、キョロキョロと周囲を見回している。
裾からヒョコリと覗くふわふわの尻尾、胸部の膨らみと声から察するに、獣人の女性のようだ。
「やぁ」
不意に背後から投げかけられた少年の声に驚き、ピンと尻尾を立て振り返ると同時に身構えた。
尻尾と同時に立ち上がった耳に押しのけられ、フードがはらりとめくれた。
「もう、驚かさないで下さいよ……」
ピンと尖った――フェネックを彷彿とさせる大きな耳と、きつね色の鬣のような髪をふわりと揺らし、口を尖らせた。
「臭いでバレてるかと思ったんだけど――」
「こんなにばらまかれた混じって分からないですよ」
そう言って、ぽつぽつと地面に転がる青々とした木の実へ視線を動かした。切り込みを入れられた実が強い独特の芳香を放っている。
クスクスと楽しげに笑うその人物は、フード付きのローブをすっぽりと被り、スカーフのような物で口元を覆っており顔は見えない。
「戻ってきて来て早々に申し訳ないんだけど、また頼みたい事があるんだ」
「またですかぁ……。私、今回いっぱい騙したんですよ? これ以上はまずいですよ……」
「大丈夫だって。君も、学部長を名乗る男に騙されただけなんだからさ」
「……もしもの時は、助けてくれるんですよね?」
彼女は不安げな視線をローブの人物へ送った。
「もちろんさ。可愛い教え子を見捨てたりはしないさ」
「絶対ですよ……?」
「ああ、絶対だよ」
じっとローブの人物を見つめていたが、自信ありげな返事に納得したのか諦めたのか、彼女が切り出した。
「――それで、今度は何をすれば良いんですか?」
「例のダンジョンの周辺で、僕を見たって情報を猟犬どもに流して欲しいんだ」
そう言った彼の表情を窺い知ることは出来ないが、月明かりを弾き、翡翠を思わせる瞳がちらりと光った。
彼女もフッと目つきが変わり、鋭い光を帯びた。
「……殺るんですか」
「そろそろカタを付けないとね。いい加減に目障りだし――猟犬どもがやられたら、あの老人達も流石に諦めるでしょ」
「一人で大丈夫なんですか?」
「時間はかかるけど、勝算は十分だよ」
互いにじっと視線を交わしていたが――ややあって、彼女が口を開いた。
「……分かりました」
「僕は二月後に身を隠す。後のタイミングは君に任せるよ。君は情報を流したら、ほとぼりが冷めるまでは自治区に身を隠して。手配は整えておくよ」
彼女が頷くのを見届けると、彼はふと手を差し出した。
「取ってきてくれた?」
「あ! そうでした――もう少しで捨てられるところでしたよ」
そう言って彼女は貫頭衣を捲り、腰に下げていた釘バットを手渡した。
「何なんですか? それ……」
「彼の英雄が、幼少の頃剣の稽古に用いた物なんだ。正真正銘彼が自ら作った一品なんだよ。しかもね、この釘は曲がっても元に戻るんだ――」
目を爛々と輝かせ、得意げに釘バットを振りながら解説を始めた。
「先生、それ騙されてます! 絶対騙されてます!」
「失礼だな。僕はこういった物の目利きには自信があるんだよ」
「そういう人が騙されるんですって!」
「それにしても、この町に来たのは正解だったよ。この間も素晴らしい買い物ができたし、色々ありすぎて目移りしちゃうよ」
彼女の言葉など意に介さず、目を輝かせ得意げに釘バットを振った。
「……先生、一体幾ら使っ――」
言いかけて、彼女は湧き上がってくる不安と予感に飲み込まれた。
「あの、先生?」
「――ん? なんだい?」
「私の部屋……資料室とかにしてないですよね?」
「じゃぁよろしく頼むよ。里帰りすると思ってさ、のんびりしてきてよ」
彼女の質問には答えず、ローブの裾をひらりと翻し背を向けて歩き始めた。
「ちょっ――と、先生! ――もう! ちゃんと片付けといて下さいよ!」
遠ざかる背にそう投げつけ、ふくれっ面をフードへ押し込めた。
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