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マニピュレイション!  作者: 立花 葵
志と野望
35/72

ジークの野望2 2/2

 町は無残に破壊され、まだ焦げ臭さが残っていた――


 あちこちにヴァルネの兵とその領民の遺体が無造作に積み上げられ、他国の兵が我が物顔で闊歩(かっぽ)していた。


 ――かつて美しい噴水があった広場には、領主ヴァルネ二世とその一族の遺体が晒され、腐敗の進んだそれにはハエがたかっていた。


 いたる所で、領民達を檻へ詰め込み出荷する奴隷商の姿と、すすり泣く声や悲鳴がこだましていた。

 踏み荒らされ、略奪された家々と畑……遠くに見える神殿だけが、その美しさを保ったまま寂しげに佇んでいた――



 思わず刀へ伸ばした手を押さえ込むのに、何本の血管が切れたか知れない……。

 早足に町外れまで歩き、深呼吸を繰り返して血の上った頭を冷ました。


(なんだこれは……!)

 町を占拠していたのはエナンという国の兵士達だ。

 エナンはかなり遠い国だ。それに、このヴァルネとの間には二つの小国が挟まっている。勢力の拡大を図っている事は知っていたが、ここまで手を伸ばすとは……。


 

 ――呼吸を整え、ふと目を上げた先で、龍神教の信徒達がヴァルネの兵と領民達の遺体を黙々と埋葬していた。


 這い回る嗚咽を纏い、目を腫らし、唇を震わせ……遺体の手を取りじっと動かない者――がむしゃらに穴を掘り続ける者――

 

 彼らは、幾度この光景を見たのだろうか……? 幾度、その思いに耐えたのだろうか……。


 政治への介入は一切行わず、権力を持つ事も嫌う。全てにおいて絶対中立を貫く。たとえ己が属する町が侵略を受けてもじっと静観する……。

 略奪の限りを尽くした兵士達も、神殿や信徒達の事はまるで見えてすらいないかのように一切の関心を向けない。


 彼らを守っているものは何だ……? 絶対中立を貫く姿勢――? 秘匿している泉の運用法――?

(いや、それでは弱い。もっと何かあるはずだ……)

 もっと、もっと何か理由が……。


 首振り、思考を振り払った。今はそんな事はどうでも良い……。今それを考えたところで――

 踵を返し、町へ戻った。



 同族を物として売り買いする光景に、やるせなさと怒りが込み上げてくる。

(お前達は何をしたのか分かっているのか? このジリ貧から脱却する芽を自ら潰したのだぞ……)

 我が物顔で闊歩し、人々を足蹴にする征服者達に敵意を募らせた。


 ――だが、これが現実であり、これが今、この世界を支配する文明の摂理なのだ……。


 自分たちを養う(豊かさ)。その不足分は他者から奪って補う。何もかもを食われる者達が居る事を前提に発展を遂げた文明だ。

 不足した器は他者から奪う。この文明においては至極当然――当たり前の事だ。器を育てる事はしない。いや――そちらには手も頭も回らないのだ。


 そしてそこに力を注いだ者達の末路がこれだ……。


 すすり泣く声、尊大に振る舞う征服者達……積み上げられた遺体――檻の中で虚ろな目を漂わせる子供達――目から耳から流れ込むそれらが、ぐるぐると渦を巻く――


 気が付くと、右手は刀を握っていた。鯉口が切られ、刀身が僅かに顔を覗かせていた。


『やってしまえ』


 ギラリと光りを弾き、そう囁く……。


 ここで暴れ回って彼らを解放する事は簡単だ。国々を周りその全てを開放する事も、俺ならば可能かもしれない――


 ゆっくりと鞘を脱ぎ――次第に露わになる冷たくも美しい肌に、目が吸い寄せられる……魂を吸い取るような、美しい肌に――



 ――ふと、そこに映る荒んだ瞳が俺を射貫いた。



 そしてどうする?



 食われる者達を開放する? そしてどうする? どうなる?

 その者達に、俺は人間らしい環境を与えてやれるのか? それとも世界がそれを与えてくれるのか?


 ――そうであれば、こんな事にはなっていない……。


 俺にも世界にも、そんな力はない。

 今感情に任せてそんな事をしたら、それは悲劇だ。


 主人によって生活環境はまちまちだろうが、一応は生きて行ける環境にある者をただ(いたずら)にそこから追い出すだけだ。

 そしてその行いによって潰される者達は、この文明における当たり前を営んでいるだけだ。

 その後の当ても無く、感情に任せ――自己満足で暴れ回り、破壊する……。


 それは――ただの狂人だ。


 ギリギリと奥歯を鳴らし、囁きかける光を鞘へ押し返した。

  食われる者達(奴隷)が居る事を前提として成り立っている――この世界の構造自体を変えなければどうにもならない。

 

 皆その日その日を生きる事に必死なのだ。何年何十年も先を見据える余裕は無い。頭も力も現状を維持する事で手一杯だ。

 詰まる所、物質的な豊かさだ。当面の食事と寝床を手にし、初めてその他の事へ頭と力を使う事が出来るのだ。


 奴隷によってそれらを過分に満たした連中は、その余裕があるはずなのだが――そもそもがその奴隷によって生まれた余裕だ。どう頭を捻っても、彼らを手放す選択肢など生まれるはずも無い。


 よしんばそいつらを叩き潰して富を吐き出させても、焼け石に水だ。

 全ての者を満たし、養えるだけの(豊かさ)が育っていないのだ。


 まずは器を育てなければならない。十分なサイズの器が出来上がって初めて、現実的な奴隷廃絶を唱える事が出来きる。

 そして、より多くの人々が己の生以外の事を考える余裕を持って初めて、より高度な文明、より成熟した世界への道が開ける。


(……クソッ!)


 俺は何を考えているんだ? 放っておけ。俺はただ自分の住処を探しに来ただけだろ? 

 ここ(人族)がダメなら別の候補地を探せば良いだけだ。人族の国にこだわる必要はないだろ?

 百数十年も準備して、やっと、やっとなんだ……もう良いだろ?


 ドワーフの国なんてどうだ? 新しい技術や可能性が大好きな連中だ。クロウラーにも飛びつくだろう。そこから生み出される物にも期待ができる。俺好みの女にも出会えるかもしれない。人族の国へ住むより理想的な人生を送れるんじゃないか?


 …………。


 ……。


(クソッ!!)


 クソッ! クソッ! クソッ!

 俺はいつから完璧主義者になったんだ……!



 目をつり上げ、ツカツカと通りを歩いた――

 ふと、道の隅で売られている一人の女奴隷と、その前に立つ小太りの男が目に留まった。

 男の奴隷はその殆どが単純な労働力として、女は容姿端麗であれば何処かの娼館か、小金持ちの性欲を満たす玩具として売られる。


 下卑た笑みを浮かべる男に思わず舌打ちを漏らした。

 痩せ細り、ボロ布になったネグリジェを纏った女。ぼさついた長いブロンドの髪を垂らし、虚ろな目で地面を見つめている。

 ボロ布は今は見る影もないが、元は高価な物のようだ。良いところの娘だったのだろうか……。


 男は女の顔を吟味するように覗き込み、また下卑た笑みを浮かべた。少し開いた唇の間に、涎が糸を引いてそうな気色の悪い笑みだ。

 ハゲによく似た笑い方だ。容姿の良い女性の団員を見るとよくあんな顔をしていた。息も臭そうだ。


 男の後ろを通り抜け、去り際にちらりと女を振り返った。

 虚ろな目をしているが、その奥にはまだ微かに光が宿っていた。

(……)


 ――かつて門であった物を潜り、宛もなく歩き始めた。

 小さくなって行く町をちらと振り返ると、ふと売られていた女の姿が思い起こされた。蹂躙された町と、俯いた女を無意識に重ね合わせた。

(芯の強そうな女だったな。こんな事になっていなければ、きっと……)


 …………。


 ――ッ!


(あいつ……!)

 ハッと足を止め、踵を返して売られていた女の元へ急いだ。


 


 ――相変わらず女を吟味するエロ豚に、奴隷商の男がへつらう様にセールストーク繰り返していた。

 一枚の金板を取り出したエロ豚の前に割り込み、奴隷商の男に二枚の金板を放り投げた。この板一枚で金貨十数枚の価値があるらしい。


「その女を買いたい」

 男は一瞬ぎょっとした顔を向けたが、素早く金を拾い集めニコニコとすり寄って来た。


「足りるか?」

「十分でございます」

 男は顔色を窺いながら、媚びを売る様にニコニコと笑っていた。

「あとそれを着せろ」

 男の着ているローブを指差し、金板をもう一枚投げた。



 ――手足から(かせ)が外され、ローブを着た女を引き取った。精一杯平静を装いながら、女の背を押してその場を離れた。

 触れている部分からポキッと折れ、クチャっと手がめり込む……。そんな恐怖に額に嫌な汗を浮かべ、震えそうな手を必死に抑えた。

 (しばら)く歩いた後、女に手ぬぐいを握らせ、俺はその端を握って歩いた。




(――派手にやり過ぎたか……)

 しつこく後を付ける幾つかの気配を感じた。大金を持っていると宣言するようなマネをした所為だ。

 しかし、このまま付いてこられては都合が悪い……。


 俺は神殿――龍神教にこの女の保護を求めるつもりだからだ。


 (もっと)も、十中八九彼らは拒否するだろうが……今信用出来そうなのは彼らしか居ない。当たるだけは当たっておきたい。

 だが、彼らの返事がどうであろうと、この女を神殿へ連れ込む所を見られる訳にはいかない。絶対中立を貫く彼らに、災いを呼び込む事になりかねないからだ。


 ぐねぐねと歩き回り、幾つかの気配は撒けたが……一定の距離を保ち、複数の気配がピタリと付いてきている。

(――撒くのは難しいか)

 こういった事に慣れた連中のようだ。


 俺は細い路地へと入った。路地を進み、そこを抜けようかという時、行く手を塞ぐように二人の男が路地へと入って来た。

 後ろからも、退路を塞ぐように二人の男が姿を現した。正面の大男の脇で、小人のような小男がニタニタと笑っていた。


(――誘い込まれた事を分かってないのか? それとも自信があるのか……?)

 まぁ、どっちでも良い。


「俺はすこぶる機嫌が悪い。だが――」

 小男の前に四枚の金貨を放った。

「それで手を引くなら見逃してやる」

「イヒッ」と小男は耳につく不快な声で笑った。

「旦那の命はこれっぽっちですかい?」


「阿呆。お前ら一人頭一枚って事だ。破格だと思うがな? 壁のシミになるか、一人一枚持って失せるか選べ」

 同時に魔法を練り上げた。爆散し、バケツで撒いたように壁に残骸を塗りたくるイメージだ。


 俺の言葉を鼻で笑い、隣の大男が一歩踏み込んだ――


 その瞬間――濡れ雑巾を叩き付けたような破裂音と共に、視界から男の姿が消えた。彼だった物が左右の壁面にぶちまけられ、壁面を赤黒く染め上げた。


 周囲の音が消え、場違いな表通りの喧騒が微かに漂った――


 やがて……男を形作っていた物が一つ、また一つと地面へ吸い寄せられるように壁面を離れた。

 赤い飛沫を飛ばし路面を叩くそれらが、口を開けて咀嚼(そしゃく)しているような不快な音を鳴らした。


 何が起こったのか理解できぬ様子の小男にもそれは降り注ぎ、壁を伝う血がヒタヒタと足下に押し寄せた――


 我に返った背後の二人組が躍りかかり、そこにも二人分のシミができた。


 腰を抜かし、血だまりで泳ぐ小男に声をかけた。

「お前はどうするんだ?」

 限界まで見開かれた瞳は恐怖に支配され、震えるように小刻みに揺れていた。呼吸が乱れ、声を発するどころか息をするのも辛そうだ。


 小男は無視し、脇を抜けて神殿へと急いだ。

 だが――、いくらも行かないうちにグイと手を引かれて立ち止まった。

 俺は無意識に女の手を掴み、引きずるように歩いていたようだ。手を引かれたのではなく、女がへたり込んだのだ。


 女の手がプチンと切れる恐怖に駆られ、慌てて手を離した。

 同時に女は両手を地面につき、激しく嘔吐(えず)いて胃の中身をぶちまけた。


 ……まぁ、あんなものを見て平然としている俺の方がおかしい――

(――ん?)

 殆ど液体ばかりの吐瀉(としゃ)物の中に、ある物を見つけて摘まみ上げた。


(やはり……か)

 それは、ヴァルネ家の紋章を象ったペンダントだ。


 鎖を引き千切ったのか、それを通す部分は変形している。そんなに大きくはないが――これを飲み込むとはな……。

 隠れるかしていたところを見つかり、引きずり出されたのだろう。一族に連なる証を飲み込んで隠したのだろうが、どのような目に遭ったのかは――その出で立ちを思えば想像に難くない。


 ペンダントを見つめる俺を、女は絶望したように見上げていた。微かに宿っていた光は、もうそこには無かった……。


 水路でペンダントを洗い、絞った手ぬぐいで女の口や吐瀉物の跳ねたローブを拭った。

 クチャッっと潰れたりしないかと脂汗を滲ませながら頑張った。手ぬぐいはそこらへ捨てた。

 女を立たせ、俺のローブを掴ませて神殿へ向かった。



 ◆



 ――応対に出た初老の女性信徒に女の保護を求めた。初老はちと失礼か……。

 彼女は俺の求めには何とも答えず、何故か俺だけを奥へと(いざな)った。連れてきた女は、身を清めると申し出てくれた別の女性信徒へ一先ず預けた。


 ――書斎のような部屋へ通され、勧められるまま腰を下ろした。机を挟んで腰を下ろした彼女は何も言わず、じっと俺を見つめていた。


「エルフが珍しいのか?」

「いえ――その、なんと言えば良いのか……とても不思議なものを感じます」

 彼女は穏やかな口調でそう言い、俺の周囲に視線を漂わせた。


 穏やかで、優しげな声だが……芯が強そうな響きを持っている。

 彼女の瞳は、中心の瞳孔へ向け、時折虹彩(こうさい)が波打つ様に動いた。その度に、波打つ虹彩に虹色のグラデーションが走った――


 邪眼――神眼か?!


 警戒し、身構えた俺を制するように彼女は慌てて声を掛けた。

「申し訳ありません――この目は決して、危険な物ではありません。魔力の波長を感じる事が出来るだけで、警戒なさるような代物ではありません」


「魔力の波長?」

「はい。発せられるあらゆる魔力は、皆それぞれに波長を持っいて、同じものは存在しません。この目はそれを感じる事が出来ます。

 あなたの波長はとても不思議で――つい感じ入ってしまいました」

 目で感じる? 何を言っているんだ?


「見える訳ではないのか?」

「はい。目でそれを感じる事が出来ます。――何と説明すれば良いか……」

 感覚を伝える事は難しいか……。


「で、俺はどう不思議なんだ?」

「まるで……、幾人かが重なっているような……こんな不思議な感覚は初めてです」

 ……当たらずとも遠からずか? まぁ、警戒する必要はなさそうだ。


「それで、何か用があったのだろ? 俺の求めに応じるか否かに答える為に、ここへ連れて来たのではないのだろ?」

 その言葉に、彼女の表情が少し硬くなった。


「二年前にも、ここにお見えになりましたね?」

「それが?」

「魔導について尋ねられたとか……」

(そういう事か……)

 ならばちょうど良い、こちらもお前達の魔導に対する姿勢と知識レベルを知りたかったところだ。


「何か問題でも?」

「魔導について記された物が、何処かに残っている――のでしょうか……?」

 彼女は反応を探るように、慎重に声を出していた。

「それがあったらどうだと言うんだ?」

「……それは何処に?」


 巧みに隠してはいるが、彼女から感じ取れるのは――不安だ。脅えと言っても良いかもしれない……。

「聞いてどうする? 奪いにでも行くのか?」

「いえ――そういう意味では……その――」

 切れの悪い返事を返す彼女に畳み掛けた。


「魔導の独占を図りたい――」

 言葉を投げかけながら、彼女の反応を注意深く窺った。

「魔導の知識を補いたい――」

 目を伏せ、首を振る彼女にはこれと言った反応はない。


 ――次は本命だ。


「魔導を開放するのは危険――もしくは、この世界にはまだ早すぎる……か?」

 ほんの僅かだが、反応があった。

 それを捉えられた事を彼女も察知したらしく、動きを止め、口を閉ざした。



 ――長い沈黙の後、立ち上がろうとした俺をとどめるように、彼女は静かに答えた。

「……はい」

「制限を設けた運用を目指している。と受け取って良いのか?」

「はい」

 今度は俺を見据え、力強くきっぱりと答えた。


 人々が語る彼らの姿――この目で見た彼らの姿……。

 信じよう。彼らは信用して良いだろう。


 非常に残念だが、魔導に関しては当分お預けだな……。

「言葉だけだ。魔導、魔導技術、魔導回路。それ以上の事が記された物があったのなら、ここで尋ねて回る必要はないと思うんだがな」

 彼女はホッとしたように頷いた。


「だが、現物は残っている」

 俺は時計を取り出して手の中で転がした。

「これだけでは無い。俺は他にも幾つか目にしている」

「承知しています」

「いつ綻びが生じるか分からんぞ」

「承知しています」


 ……ならば、もう言う事も聞く事もない。

「あの……」

 不安げに切り出した彼女を見て、言わんとする事を悟った。

「見せびらかしたりする気はないし、魔導について触れて回るようなまねはしない」

 頷きはしたが、拭いきれぬ不安と疑念が彼女を覆っていた。


 直接そうとは言わなかったが、彼女は魔導の全てを知っていると言ったようなものだ。

 決して漏らしてはならぬ秘密を、何処の誰かも分からぬ者に話したのだ。そりゃぁ不安でたまらんだろう……。


 だが、なぜ話した? 否定するなり知らんぷりするなり出来ただろうに……。あれっぽっちの会話で俺はそこまで信用を得たのか? それとも、その目はそういうものも感じたりできるのか……?


 いずれにせよ、彼女の不安は取り除いてやりたい。

 口では何とでも言える。彼女の不安もそこからきているのだろう……。


「実は俺も、お前達と似たような隠し事をしていてな――」

 ……こういうのは魔力の消費が大きいからな、あまりやりたくはないのだが――論より証拠だ。

 

 一枚の銀貨を取り出し、指でピンと弾いた――


 銀貨はくるくると回りながら宙を舞い、彼女の視線を引きつけた。

 やがて重力に引き戻され――彼女の鼻先でぴたりと止まった。

 銀貨は宙に浮いたままじわりと形を失い、液化して大きな滴へと姿を変えた――


 表面をゆらゆらと波打たせる滴から、引き出す様にするすると細い紐状に引き延ばされ――丸めた紐を解くように滴は小さく萎んでいった。

 紐は端の方から鎖へと姿を変え、小さくなった滴はボタンサイズの神殿のエンブレムへと姿を変えた。


 鎖は差し出した俺の手の中に、エンブレムは、その様子を呆然と見つめていた彼女の前にコトリと落ちた――


「同じ理由で、俺もこいつを広めるつもりはない。黙っていてくれると有り難いのだが……」

 彼女は手を微かに震わせ、目の前に落ちた小さなエンブレムを拾い上げた。


 暫くの間、彼女は信じられぬといった顔でそれを見つめていたが――やがてぽつりと呟いた。

「……原初の魔法」

「原初の魔法?」

「古くは呪言とも……。太古の昔、原初の魔法を使う者達が現れ、世界を創造したと――」

 彼女は大きく開いた目を向け、やや興奮気味にそう答えた。


(原初の魔法か……なかなかにくすぐられる響きだ)

 しかし、今の話は初耳だ。詳しく――いや、いずれゆっくりと調べよう。魔導がお預けになったのだ、楽しみは取っておかんとな。


「ところで、あの女は保護してもらえるのか? 無理強いするつもりはない。ダメなら大人しく他を当たる」

 彼女は迷い無く返事を返した。

「お引き受け致します」


 俺はあの女が吐き出したペンダントを取り出し、先ほど作った鎖を通した。そして、その様子を見守る彼女に尋ねた。

「承知の上でか?」

「はい」

 淀みなくそう答えた彼女には、ある種の決意が漂っていた。


 俺は財布代わりの袋から数枚の金貨を抜き取り、必要ないと言う彼女に袋ごと押し付けて部屋を出た――


 神殿の出口には、身を清められ髪も整えられた女が女性信徒に付き添われて佇んでいた。

 例のペンダントを女の首にかけると、彼女はハッと顔を上げ、目を白黒させていた。

「後は自分でどうにかしろ」

 そう声をかけ、俺を追って部屋を出てきた女性信徒に彼女を引き渡した。


 ――ふと、一抹の不安と、いたずら心が頭をもたげた。

 魔法で女性信徒へ恐怖を送り込んだ。捕食者に狙われたような、命の危機を感じる恐怖だ。


「俺が去った後に放り出したりするなよ?」

 彼女は俺の目を真っ直ぐに見据え、

「この方を脅かす者には、この命をもって抗いましょう」

 ハッキリとそう答えた。身を強ばらせ、震えていたが――力強い目をしていた。



 神殿に背を向け、石段を下りながら振り返ると、引き渡した女が信徒達を振り切るようにして姿を見せた。

 何かを言おうとしていたが――魔法で恐怖を送り、立ち竦んでいる間にその場を離れた。


 少しだけ気が晴れた。そして先程の、俺の目を見てきっぱりと言い切った女性信徒の姿を思い浮かべ、口元を綻ばせた。

(素晴らしい胆力だ)

 見上げたものだ。預けた女は、あそこに居る限りは大丈夫だろう。


 ……分っている。こんなのは自己満足だ。日々この世界でごまんと売り買いされる奴隷の一人を救ったに過ぎない。こんな事をしたって何も変わらない。

 もっと根本的な所に手を付けなければ――



 

 ……俺は完璧主義者なんだよ、クソッタレ!

2016/06/16誤字修正・一部表現を修正 2016/06/29タイトル修正 2016/07/07… 2016/08/09句読点修正

2016/09/25タイトル修正 2016/09/29段落修正 2017/02/13タイトル修正 2017/6/8ルビ追加・一部表現を修正 2017/07/29再編集 2017/11/30再編集 2020/09/30微修正

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