ザシャ
キュスラ王国最西端の町。ザシャ。
北方最大の町ノーキスと南にある王都との中間に位置する港町だ。周囲を囲う高い壁に、この町の歴史を垣間見る事ができる。
出入り口は北と南に一つづつあり、幅広の堀には巨大な跳ね橋が架かっている。堀はそのまま海へと通じる。
町の西側が港だが、その間にも堀と壁があり、桟橋が浮島のように並んでいる。
行き来するには四つある巨大な跳ね橋の何れかを通らねばならず、橋を全て巻き上げれば、強固な要塞と化し攻め落とすのは容易ではない。
東側は切り立った絶壁が壁の役目を果たしている。死体でよければ、崖の上から飛び降りれば侵入出来なくも無いだろう。
もっとも、崖を天辺まで登るのが至難の業だ。裏側も同じような絶壁で、その麓はにはカルデラ湖が広がる。
王都や中央大陸からの荷はこの町で陸揚げされ、北へと運ばれる。また、北から来る荷はここで船に乗り、王都や中央大陸へと運ばれる。
そして、中央大陸に最も近いこの港は、中央大陸を出た船が最初に入る港で、向かう船は最後にこの港へ入る。
この国だけでなく、周辺の国々にとってもこの町の重要性は非常に高い。物々しい作りにはそういった理由があるのだ。
その為、ザシャへ至る街道の安全確保には余念がない。
関所には常時数名の騎士と多数の兵が詰め、定期的に巡回して街道の安全確保に努めている。
どこかの間抜けな少女が安全に旅をしてこれたのはそのおかけだろう。
噂をすれば――
ザシャへ至る街道をとぼとぼと歩く旅人の姿が見える。
緑色のローブを身に纏い、手にした杖を今にも三本目の足として使いそうな程に足取りが重い。
沈む間際の暗い夕日が、フードから覗く疲れた顔を微かに照らしていた。
円錐状にすっと伸びたフードの先が、動きに合わせてふわりと揺れる。先端に付けられた毛針を大きくしたような羽飾りが、フードの揺れを緩慢にしているようだ。
ある村に伝わる旅の安全を祈願するお守りだ。旅立つ者の衣服に縫い付けるのだそうだ。
(お腹すいた……)
今にも立ち止まりそうな様子で歩いているが、決して足は止めない。一度立ち止まってしまうともう動ける気がしないからだ。
肉体的な疲れに加え、行けども行けども変わり映えのしない景色が気力を奪ってゆく。
(この丘を登り切れば……風に磯の香りが混じってる。ザシャは近い)
やがて……丘の先に湖が姿現し、箱のような町が見えた。
(着いた!)
目的地を目にし、疲れは吹き飛び足取りは軽くなった。
丘を一気に下り、早くも夕食と三日ぶりのベッドに思いを馳せ、跳ね橋を目指した――
※
跳ね橋を渡りながら門を見上げると、その上には星浮かんでいた。
(危なかった……もう少し遅かったらかったら、町を目の前に野宿するところだった……)
橋の上を多くの人や馬車が行き交い――入り口に近い倉庫からは威勢の良い声が溢れ、大勢の人々が忙しなく出入りしていた。
村には無かった街灯があり、道を明るく照らしていた。
近くの街灯に歩み寄り、光を見つめながらローブの上から首に提げたお守りを握った。
(同じ物……なわけないか……)
四本の足に支えられた傘の下で、球体が白い光を放っていた――
しばらくの間光を見つめ、夕食と寝床を求めて再び歩き出した。
町へ入る際、門に詰めていた衛兵に聞いた事を思い出しながら中央広場を目指した。
(酒場と宿は西側が多い……ただし、水夫が多いから静かに食べたかったら東側で探した方が良い。ぽつぽつだけど、宿と酒場がある……)
「ここが中央広場……」
ぽつりと呟き、広場を見渡した。自分が住んでいた村がすっぽり入りそうな大きな広場だ。
広場の中心に鐘楼を思わせる背の高い塔が聳え、東西南北に敷かれた太い道は街灯に照らされ、まるで昼間のように人々が行き交っている。村では考えられない光景だ。
種族も実に様々――エルフ、ドワーフ、獣人族、鬼族や獣族の姿も見える。居ないのは巨人族と天人族ぐらいか。それ以外の人間族と分類される種族は全て揃っていると言って良いだろう。
ちなみに彼女は人族だ。人間族とは、人型をしていてコミュニケーションが成立する知性を持った種族の総称だ。
――その喧騒の中、塔に背を付けて佇む石像が目に留まった。
周囲を背の高い柵に囲われ、二人の兵士に守られた石像だ。
鉢金を巻き、変わった鎧に身を包んだ男が鋭い目で西を見つめていた。鞘に収めた曲剣を正面に立て、柄に重ねた両手がそれを支えている。
カルアは石像の前へ回り、視線の先を見た。
遙か遠くに――街灯に照らされた桟橋が見える。あそこから船に乗り、真っ直ぐ西へ進めば中央大陸だ。
(中央大陸を見てるのかな……)
視線を戻し、台座に刻まれた名を読み上げた。
「ジーク・ヴァルニ……」
(そうだ、ここから中央大陸へ向かったんだっけ?)
戦神ジーク・ヴァルニ。誰もが知る御伽話の英雄だ。
魔帝リリス、鉄壁バラム、聖女ディアナ、賢者モーゼル。彼らを率いて魔族の軍勢を打ち破り、ついには魔王の居城が築かれた中央大陸へ乗り込んでこれを討った。
小さい頃、父にこの物語の絵本を読み聞かせてもらった事を思い起こした。
英雄達の活躍に目を輝かせ、おどろおどろしい魔王の挿絵に恐怖したものだ。
(剣と鎧が絵本とは違うなぁ……)
暫し思い出に浸っていたが――、腹の音で我に返った。
(ごはん、ごはん)
夕食と寝床を求め東へ歩いた。
やがて――和やかな雰囲気で食事を取り、酒を酌み交わしている店を見つけ、中へ入った。入り口に置かれた立て看板のメニューに惹かれた。っというのが一番の理由かもしれない。
カウンター席に座り、スープとパンを注文した。港町だけあって海の幸をふんだんに使った濃い味付けのスープに、平べったいもちもちとした食感の変わったパンを無心で頬張った。疲れた体に濃い味付けのスープが染みた。
「良い食いっぷりだな。着いたばかりか?」
耳障りの良い低い声だった。
癖の強い赤茶の髪を後ろに流し、彫りの深い渋みのある整った顔立ち。白いシャツを肘まで捲り上げた出で立ちがよく似合っている。
「はい……あの、おかわり良いですか?」
代金を手渡すと「おう」っと小気味よい返事が返ってきた。
すぐさま運ばれて来た代わりのスープを食べながら、店主へ尋ねた。
『町の事は酒場で聞け』
師匠とパーゼル言われた言葉だ。その為にわざわざこの席に座ったのだ。
「宿を探してるんですけど、あまり高くない所で――あと、冒険者ギルドの場所を知りたいんですが……」
「冒険者登録に来たのか?」
「はい」
「ふうん」っと、店主は品定めでもするように見つめた。
「当分は男の振りしろって言われたのか?」
「……はい。……分ります?」
「もうちょっと言葉と仕草に注意しろ。髪も短く切ってるみたいだけど――バレバレだ」
「そうですか……」
消え入りそうな声で返した。長かった髪を切るには抵抗があったが我慢した。
胸も大きくはないがさらしを巻いて潰してある。声も極力低くしていたつもりだったのだが……。
それらの努力虚しく、あっさりと看破されて俯いた。
その様子を見て、店主は愉快そうに咽を鳴らした。
「まぁ、ある程度慣れるまでは隠せるのだったら隠してた方が良い。これを教訓に頑張りな」
「……はい」
「冒険者ギルドは東の崖沿いに北へ少し行った所だ。行くのは明日にしな。登録は日暮れまでしかやってない。
宿ならうちの二階が一番安い。朝食付き。一人部屋は無い。風呂は別途料金。どっちも前払い。どうする?」
店主は淀みなく一息に言い終えた。これまで何度も同じやり取りがあったのだろう。
「……お願いします。お風呂も使います……」
「風呂の時だけは荷物は預かるが、高価な物は預からない。自分で管理してくれ。部屋に置く荷物も自己責任で管理してくれ。
それと、部屋は昼になったら掃除をするから荷物は全て持って出る事。連泊するんだったらその後で声を掛けてくれ」
そう言うと店主は壁の時計を指して付け加えた。
「風呂は零時まで。あと一時間だ」
料金を渡し、カルアは慌ててスープの残りを掻き込んで席を立った。
「風呂はそっち」店主はカウンターの左奥の扉を指し「寝床はそっち」と反対側にある階段を指した。
いそいそと風呂へ向かうと、「荷物はカカアに預けてくれ」と言う店主の声が聞え、厨房から中年の女性が顔を出した。恰幅の良い酒場の女将というに相応しい風貌だ。
「風呂かい?」
「はい」
「待ってな」
暫くして――、ごつい手袋を着け、鉄のバケツを提げて女将が戻って来た。バケツに詰められた石から陽炎が上っていた。
※
――シュゥゥ、と蒸気が上る音が響き、蒸気が充満した部屋から女将が出てきた。
「鍵は掛けるんだよ」
荷物を預けると、女将はそう言い残して戻っていった。
鍵を掛け、首に提げたお守り以外は全て作り付けの棚へ置き、タオル代わりの布きれを持って蒸気の充満する密室へと入った。
椅子代わりに置かれた石はまだ冷たく、キュッと背筋が締まった。しかし、すぐに熱い蒸気がそれを解した。
疲れがトロトロと溶け出してゆく感覚に暫し身を委ね、持ってきた布で体を擦った――
「ふへぇ~……さっぱりした~」
周囲に聞えぬよう、だらしなく呟いた。
俯せにベッドに寝そべり、シーツ越しに藁の香りを目一杯吸い込んだ。安宿だが、藁はしっかり取り替えているようだ。
三日ぶりの風呂。三日ぶりのベッド。急激に眠気が押し寄せ――微睡みながら、体を丸めて首に提げたお守りを引っ張り出した。
被せてある袋を外し、それを見つめた――
このお守りは、彼女が本格的に冒険者を目指すきっかけを作ったある冒険者から貰った物で、手にすっぽりと収る曲玉の形をした魔導具だ。
光を吸い込んでしまいそうな真っ黒な色をしているが、魔力を込めると明るく輝き、再び魔力を込めると光を失う。
通常、この手の物は継続的に魔力を込めるか、定期的に魔力を補充してやらねばらない。
だが、これの場合は意図して消さない限り、魔力を補充することなく光り続ける。かなり高性能な代物だ。
そして、この魔導具はもう一つレアな機能が付いている。
所持者の魔力の回復を驚異的に高め、実質的に本来の保有量の倍近い魔力を使う事が出来るという、魔法を使う者にとって垂涎の一品だ。
当然、非常に希少価値が高い上に、魔術師であれば咽から手が出るほど欲しい物だ。その為、師匠から絶対に人に見せるなときつく言われている。
「いよいよ明日か……」
ぽつりと呟き、お守りを仕舞うと同時にすとんと眠りに落ちた――
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