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マニピュレイション!  作者: 立花 葵
出会いと追憶
24/72

まだまだ探す気ですか?

 カルアがエストの手を取ってから数日が過ぎた。

 何時ものように、開門と同時に目覚め部屋を出た。

 一階に降りると、今日も既に起きていた護衛のホセが山盛りのパンケーキを食べている。


 カルアはその向かいに座り、積まれたパンケーキの山から一、二枚を自分の皿へ移した。

 ハチミツかジャムかと暫し悩んで、今日はハチミツを垂らして平らげた。


 カルアが一、二枚を食べる間に、まるで飲み物とでも言わんばかりにこんもりと積まれた残りをホセが平らげてゆく。

 初日は疲れた顔をしていた女将さんも、今はホセに「まだ食べるかい?」と声を掛ける余裕ができたようだ。


 二人が食後のお茶を飲み終えた頃、ヘッジと呼ばれる毬栗(いがぐり)のような髪型の男が店の入り口に小型の荷車を引いて現れる。

 それを合図に、カルアは女将さんから昼食のサンドイッチの入った包みを受け取り、ホセはヘッジと引き手を変わる。


 ヘッジは一足先に倉庫か港へ向かい、カルアが荷車の後ろへ座る。

 元々座っていた場所に待機していた全身鎧(フルプレート)がカルアを追って外に出てきたあたりで、ホセの引く荷車が冒険者ギルドを目指して動き出す。あれから数日、毎朝これを繰り返している。


 ギルドへ着いたカルアは、まず前日の昼に受けた依頼の完了報告を行い、代わりに今日の午前中の依頼を受ける。

 依頼を午前と午後の二つに分け、一日で二回の達成実績を稼ぐ。


 実にセコい手段だが……カルアの名誉の為に言っておくと、これはエストの発案、主導で行われている。


 自分に害をなすものはその分チャンスも運んで来る。飛びつき、徹底的に利用し、骨の髄までしゃぶり尽くす。彼の哲学なのだそうな。

 全身鎧が大人しく言う事を聞くのなら、徹底的にこき使って稼ぐ。今後どのような状況になろうとも金は必須、あって困ることはない。

 そしてこき使う為に受ける依頼も最大限利用して自分の利益に繋げる。と言う事らしい。


 そしてこうも言う。逃げる事と守る事の相性は悪い、逃げ道とは攻める事により見つかると……。


 倉庫の隅に置かれたテーブルに座っていると、たまに来るエストが向かいに座り、お茶を飲みながらそんな話をした。

 他にもエストとは様々な話をした。彼は何かを尋ねれば大抵の事は即座に答えを返し、知識を披露したつもりが逆にあちこちと修正を加えられてしまう。


 彼は実に博識で、学者だというのはどうやら本当の事らしい。

 ちなみに、カルアが探している肝心の二人(ルチルナとローレンス)だが……、リガンの町で見かけたとの情報以外特にめぼしい収穫はない。



「――暫くザシャを離れるつもりなのかもしれないな……ん? 大丈夫。君がここで働く限りは僕らが守るから」

 ニコニコと微笑み、芝居がかった仕草で敬礼の真似をするエスト。


「まあ、ホセ君に任せておけば多分大丈夫。彼が時間を稼ぐ間に君は冒険者ギルドか神殿に駆け込めばいい。あ、後――ホセ君はマドック君の愛人だから、手を出しちゃダメだよ? 因みに受けは――」


「そんな情報は要りません!」

 カルアが荒々しく置いたティーカップとソーサーが耳障りな音を鳴らした。


 ホセが護衛に選ばれた理由は二つ。

 一つは、見た目通りの並外れたパワーだ。ほんの一瞬でも全身鎧(フルプレート)を怯ませることが出来れば、突き飛ばすくらいは出来る。

 二つめは、ホセは『咆哮』が使える事。咆哮とは、特殊な効果を持つ叫びの事だ。


 魔物やモンスターに咆哮を使う者は多く、効果も様々あるが――、咆哮の代表選手であり代名詞たるはドラゴンだろう。


 その効果は凶悪だ。浴びせた相手へ恐怖を与え、パニックを誘発させる。それに加え、平衡感覚を狂わせ体を痺れさせる。

 ドラゴンに気圧される力の無い者は、この咆哮を受けただけで無力化されてしまう。


 そして人間族の咆哮代表選手は巨人族だ。体を痺れさせると共に、魔法の発動を阻害する。集中の足らぬ呪文は無効化され、魔法陣はかき消される。


 ホセは巨人族の血を引いているらしく、純血の巨人族の咆哮と比べると性能は数段落ちるが、巨人族と同じ咆哮を使える。

 カルアをつけ回すマリオネットが視覚と聴覚を共有している事は明らかだ。そして聴覚を共有している以上、咆哮から逃れる術はない。


 もっとも、ホセの咆哮がどれ程通用するのかはやってみるまでは分らない……。

 だが、咆哮はマリオネットを操る術者に直接干渉出来る数少ない手段の一つだ。通用する可能性がある以上、用意しておくに越したことはない。



「――でも、何故神殿なんですか? 冒険者ギルドはわかりますけど……」

「神殿は駆け込み寺のような顔も持ってるって事は知ってる?」

 エストは頬杖をつき、上目遣いに尋ねた。

「そうなんですか? 龍神教自体は知ってましたけど、神殿は大都市以外にはないですから、田舎者はそんなところ迄はしりません」

 カルアは口を尖らせ、カップに口を付けた。


「別にからかったつもりはなかったんだけど……」

 エストは身を起し、ばつが悪そうに頬を掻いた。

「君は龍神教の事をどう言う風に教わってるかい?」

「どう……って、宗教みたいな名前だけど、実際は神殿の管理と運営をしてる団体だって――違うんですか?」


「いや、大体合ってるよ。ただ、みたいな名前――、じゃなくて歴とした宗教だよ。歴史は古く、旧世界から引き継がれた数少ないものの一つだよ。

 あまりに身近すぎるのと、ほぼ無いと言って良い教義と戒律の所為で、宗教と認識している人が殆ど居ないってだけなんだ」


「旧世界?」

「古代の文明のことさ、世界は焼き尽くされ、一度滅びた。今僕らが暮らしているこの世界はその後新たに築かれたものだって事は知ってるよね? 考古学においては滅びた世界――つまり、焼き尽くされる以前の文明世界を旧世界、その後に築かれた今僕らが暮らしているこの世界を新世界と呼ぶんだ。


 それと、龍神教が都市部に神殿を作って活動していると思っているのなら、それは違うよ。神殿の周りに都市が形成されたんだ」

 エストの目が光を帯び始める。


「破壊し尽くされた世界で常に先頭に立ち、安住の地を切り開いてきたのは彼らだからね。

 魔物やモンスターが闊歩(かっぽ)する地を旅し、神龍の加護のある場所――彼らが『龍の涙』と呼ぶ泉を探し、神殿を築いた。その泉から湧き出る水は人々を怪我や病気から癒やし、作物も力強く育てる。

 自然、そこへは信徒以外の者達も集まり、村になり、町になり、やがて国となった」


 英雄達と世界の歴史を研究していたと言うエストは、この手の話になると実に楽しそうに目を輝かせ、手振りを加えとめどなく語り続ける。


「どの国の建国史にもそんな事は書かれていないし、龍神教の連中もそんな事は主張しない。でも事実だ。彼らと仲の悪い帝国ですら、元を辿れば神殿に行き着く」


 ふとエストは試すような目を向けた。

「旧世界は今より遙かに進んだ文明を持っていたって話はどう思う?」

「師匠もそんな事を言ってましたけど……もしそんなに進んだ文明があったのなら、何か凄い物が残っててもいいんじゃないかなぁ? と」


「君も信じていない口か……」

 肩を落し残念そうに呟く彼に、カルアは顔色でも窺うように肩をすくめて見せた。

「あの、エストさん……」

「ん? ああ、そうだった。神殿に逃げ込む理由だったね」

 エストは恥ずかしそうに頬を掻き、カルアの問いに答えた。


「泉の周辺にはね、凄い結界が張られているんだ。結界の影響下に入ると、一切の魔法が使えない。だからといって殴りかかりでもしたら一瞬で凍り漬けだよ。あれは死ぬかと思ったよ」

「……氷漬けになったんですか?」

「うん、氷を溶かしてもらった後も半日は寒くて震えてたよ」

 エストはからからと笑いながら話した。


「奥に行くとね〈障壁(ヴレウ)〉っぽい物が張られているんだ。どうもそれを破ると発動するみたいなんだ。

 破ろうと思えば簡単に破れる程度の物だから、逃げ込んだらそれを破って、後は抵抗せずにじっとしてればいいよ。魔法が打ち消されればマリオネットは止まる。もし止まらなかったとしても、神殿内部の警備はトップクラスの冒険者がやってるからね、彼らに任せてしまえばいい」


 理由は分ったが、それよりも――


「エストさん……何でそんな事を?」

「結界の話は聞いていたからね、きっと旧世界の技術に違いない! って思ってね。

 しかし想像以上の代物だったよ。魔法で姿を偽装してたんだけど、障壁もどきに穴を開けた途端、一瞬で魔法がかき消されて――いや、魔力を送り込む先をすり替えられたって感じだったね。警備の冒険者が問答無用で斬りかかってきてさ、言い訳しながら必死で逃げたよ……」

 エストは興奮気味に語り終え、カップを口に運び一息ついた。


「あの時はたまたま警備の中に幼馴染みがいてね、彼の懇願でどうにか放免されたけど――随分と彼の出世を遅らせてしまったよ……」

 そう呟き、手の中で揺らすカップに目を落とした。寂しげな瞳だったが――懐かしんでいるようにも思えた。

 

 エストは暫くの間カップを見つめていたが、何かに気が付いたようにフッと顔を上げた。

「そろそろだね」

 そう言うと、上着の内ポケットから、細長い定規のような赤い板を取り出した。

 エストが魔力を込めると――板はスッと鮮やかな青色へと変化した。


 通称「札」または「青札」などと呼ばれ、依頼を達成した事の証明だ。赤色は「赤」や「赤札」と呼ばれる。依頼に失敗した場合はそれを渡される事になる。


 カルアが札を受け取ると同時に、開け放たれた倉庫の入り口から、朝とは違う軽やかなメロディーが流れ込んだ。正午を告げるメロディーだ。

「そうだ、よかったらお昼を一緒にどうかな?」


 カルアは一度、エストの昼食風景を見たことがある。書斎の机に座り、本を読みながら何時の物かも分らないカッチカチのパンを果実水で流し込んでいた。彼は特に食事に対してのこだわりはないらしく、腹が膨れればそれでよいそうだ。


 エストもそこに思い至ったらしく、バツが悪そうに笑った。

「レディを招待するんだからね、まさかここの二階だなんて言わないよ。それなりの所へ行くさ」

「いえ、そうじゃなくて……」

 カルアはサンドイッチの包みをぶら下げ、肩をすくめて見せた。


「そっか、それは残念」

 そう言うと、エストは後ろに控えていたホセを振り返った。

「ホセ君。モームさんをお送りして」

「へい」

「それでは、失礼するよ」

 エストは何時もの如く芝居がかった礼をすると、何処かへ歩いて行った。



 ホセの引く荷車に座り、冒険者ギルドへと向かう。

 商会の周辺で働く者達には見慣れた光景となったが、商会から離れるにつれ、カルア達へ向けられる視線の数が増えてゆく。

 大男が引く小さな荷車とそれに座るカルア。その後ろに赤い腹掛けの巨大な全身鎧が続く。目立つことこの上ない。

 カルアはフードをぎゅっと引っ張り、深く被ってやり過ごした――



 ギルドの前でホセと別れ、門を潜った。何時ものように前庭は賑わっている。

 なんとなくだが――、人が増えてきているようにも感じる。

 そして、気になる事が一つ。カルアが初めてここを訪れた時からずっと露店を出し続けている者達が居るのだ。さほど繁盛しているようには見えないのだが……彼らは何をやっているのだろうか? 

 そんな事を考えながら歩くカルアを呼び止めた者があった――


「よう、姫さん。午後のお勤めかい?」


 マーカス・ミラー。歳は三十半ば。

 黒髪の短髪で、大ぶりのポケットがついた丈夫そうなズボンに薄手のシャツ。これから依頼を受けようという出で立ちではない。

 この男もずっと露店を出し続けている者の一人だ。


 カルアはマーカスに歩み寄り、声を潜めて詰め寄った。

「それ止めて下さいって言ってるじゃないですか!」

「えぇ……もう結構広まってるぜ?」

 冒険者となって一週間と経たないカルアだが、早くも二つ名が広がりつつあった。

 朝、昼とホセに送り迎えされ、さらに巨大な全身鎧を従えて歩く姿を見て、誰が呼んだか――


『姫』

 という二つ名が徐々に広がりつつあった。


「やっぱり意地でも男装し続ければよかった……」

 ぽつりと嘆きを溢すカルア。

「そしたら『王子』か『坊ちゃん』だったんじゃねぇか? まぁ、そんな事よりよっ――、そろそろ張り替えだろ?」

 そう言って、マーカスは全身鎧の腹掛けを指差した。確かに、あちこち傷みが見える。

 ――カルアは溜め息を溢し、マーカスが広げる露店の脇に腰を下ろした。


 マーカスは慣れた様子で偽魔法陣が描かれた腹掛けを張り直してゆく――

 待っている間、何の気なしに見た彼の荷物から、既に偽魔法陣が描かれていると思しき予備が顔を覗かせていた。一枚や二枚ではなさそうだ……。


 ――ひょいと振り向いたマーカスが声を掛けた。

「どうだ? 纏めて一月分とか買わねぇか?」

「結構です」

「ケチケチすんなって、かなり稼いでんだろ?」


 エルフリード商会からカルアが受け取っている報酬は、午前の依頼で金貨一枚。午後の依頼で金貨一枚。日に計二枚の金貨を受け取っている。

 金貨一枚といえば、贅沢をしなければ、おそらくどの町へ行っても一月は暮らして行ける金額だ。

 荷運びで日に金貨二枚。破格の報酬だ。


 マーカスの言葉に、カルアは硬貨を仕舞っているポーチに目を落した。

 ポーチは金貨で膨らみつつある。だが、全く喜びを感じない。それどころか、何かとても不浄な物を溜め込んでいるような気がして……半開きの口をへの字に曲げて溜め息をついた。


「お前、まさかまだ手を付けてないのか?」

「だって何か不気味じゃないですか……」

「気にすんなって、使っちまえよ。それに、その生活を続けてりゃいずれは手を付ける事になるんだぜ?」

 マーカスは呆れ顔でカルアを見つめた。


 今のところ、カルアは全身鎧を使って稼いだ報酬に手を付けていない。どうにも手を付ける気になれないのだ。

 だが……、マーカスの言う通り、近いうちに手を付けなくてはならなくなる。

 暗澹(あんたん)たる気分で、マーカスが腹掛けを貼る様子を見守った。



「――よし、終わったぜ」

 マーカスへ布紙の代金を渡しながら、カルアは尋ねた。

「マーカスさんずっとここで店を開いてますよね? 依頼を受けたりはしないんですか?」

「ああ……」とマーカスは口ごもり、さっと周囲に視線を走らせた。


「まぁ、お前はある意味当事者だしな……」

 そう言うと、マーカスはカルアの耳へ口を寄せ、声を潜めた。


「例のスケルトン。あれな、地下に発生したダンジョンが原因らしくてな、今その入り口を探してる最中なんだよ。

 町からの距離を考えると……、間違いなく殲滅のオーダーが発令される。ここに集まって来てる連中の殆どはそれを狙ってんだよ」

「なるほど……」


 カルアは改めて周囲の人々を見回し、マーカスはカルアの視線に合わせるように数名を指差した。どれも見覚えのある顔だ。


「入り口が発見されれば、直ぐにでもオーダーが発令されるだろうからな。それぞれのパーティーから、情報収集と発令された時の連絡役を兼ねた奴を置いてるんだよ。おれもその一人だ」


 ギルドオーダーで良い成果を出した者には、称号や何かしらの特権が与えられる事がある。どちらも金では手に入れられぬものだ。

 そして、それらを手に入れる事は、己の名を広く知らしめる事に繋がる。名を上げようとする者達が、噂を聞きつけぞくぞくと集まってきているのだ。


「今回はダンジョンだからな、お前にはあまり関係無い話だけどな」

 カルアがダンジョンに入るには、あと二つランクを上げなくてはならない。


「ただ、キャンプへの輸送なんかは募集があるかもしれないからな、一応見といた方がいいぜ。

 まぁ、報酬は今お前がやっている仕事に比べたらカスだろうけど……ギルドの覚えは良くなる。冒険者として名を上げようと思ってるんだったら、積極的に受けときな」



 ――カルアはマーカスと別れ、全身鎧を出来るだけ邪魔にならない場所へ待機させ、午前の依頼の完了報告と午後の依頼を受けにギルドへ入った。


 一連の手続きを終え、外へ出たカルアは右に折れた。

 中に置かれている物と似たようなテーブルと椅子が並べられたウッドデッキを進み、建物の裏へ回った。

 ギルドの裏庭には巨大なプールがある。プールといっても、人が泳ぐ用の物ではない。飛空挺の発着場だ。


 今は飛空挺の姿はない。プールの清掃や飛空挺のメンテナンスに使われる小舟が、端の方に数隻浮かんでいるだけだ。

 プールの位置は人間一人分程低い位置にあり、堅牢な柵でこちら側との境界線が引かれている。柵を越えるには、中央のゲートを潜るしかない。

 中央のゲートから伸びる石畳を進み、階段を登った所が、今カルアが立っている場所だ。


 立ち止まり、プールを眺めるカルアの耳にクレアの声が届いた。

「カルアちゃん」

 階段を通り過ぎたその先の一番奥の席に座り、胸の辺りで小さく手を振るクレアの姿あった。


 クレア・メンデス。例のとろける笑顔の受付嬢だ。

 飛空挺に乗る者は、当然ながら階段を下る。飛空挺を降りた者は、階段を上がると右へ折れる。どん詰まりの左へ来る者はほぼ居ない。

 その為、今クレアが座る席は、ギルド内で数少ない落ち着いて過ごせる空間となっている。


「はい、どうぞ」

 カルアがクレアの向かいに座ると同時に、クレアがお茶の注がれたティーカップを差し出した。

「ありがとうございます」


 カルアがエルフリード商会の依頼を受け始めると同時に見られるようになった光景だ。ここでクレアと昼食を取るのがカルアの日課となっている。

 カルアをつけ回す全身鎧は、このぐらいの距離であれあれば大人しく待機していてくれるようだ。


 全身鎧がカルアに張り付いて以来、倉庫でエストの話を聞いている時と、ここでクレアと昼食を取る僅かな時間が唯一不安な心を和ませてくれる。

 不本意な二つ名が広がりつつあることへの嘆きなぞを溢しつつ、クレアとの食事を楽しんだ――



「お代わりはいかかが?」

 空になったティーカップを指し、クレアがにっこりと微笑んで尋ねた。

「はい、いただきます」

 照れくさそうにカルアが答える。この笑顔を向けられるとどうにも照れてしまう。

 カップを口に運びながら、カルアが尋ねた。


「クレアさん。神殿の結界って知ってますか?」

「ええ。でも見た事は……時々話だけなら」

「そうですか……」

「カルアちゃんはまだ神殿に入った事はないの?」


「外の水汲み場を使っただけで、中にはまだ……。クレアさんも水を汲みに行ったりするんですか?」

「この町は、神殿以外にも水汲み場がいくつも設けられているの。主にこの町の住人用のだけど」


 通常、泉から湧き出す水はその大半が農地へと流される。

 しかし、ザシャにはその農地が殆ど無い。その為、ザシャでは農地へ流す代わりに、町全体へ水路を巡らし、住人用の水汲み場が数多く設けられている。


「でもね、このお茶を入れるお水は、神殿まで行って汲んでるのよ。泉に出来るだけ近い所で汲んで、一緒にお祈りもするの」

「クレアさんは龍神教の信者なんですか?」

「信者と言えるほど信仰はしてないけど、神頼みとなると……神殿に行くわね。多分、みんな似たようなものだと思うわ」

「へぇ、そうなんですね」

「ええ。教会の信者が神殿で祈るのも別に珍しくはないわ」


(あまりに身近すぎるのと、ほぼ無いと言って良い教義と戒律の所為で、宗教と認識している人が殆ど居ないってだけなんだよ)

 エストの言葉を思い出した。と同時に、本当に宗教言えるのだろうか? そんな疑問が浮かんだ。


「カルアちゃんはまだ神殿に行ってないって事は、まだ神殿のお風呂にも入った事がないのね」

「お風呂――ですか? 神殿に……?」

 カルアは訳が分らぬといった様子できょとん尋ねた。


「ええ。と~っても大きなお風呂があるの。人が少なければ泳げちゃうくらいに大きいのよ。泉の水を使ってるから髪もお肌もすべっすべになるの」

「泳げるって……お湯にちゃぽんと浸かる――風呂ですか?」

「ええ。と~~っても気持ちが良いわよ」


 カルアが風呂といって思い浮かべる物は、湯を入れた手桶に布きれだ。グレードが上がると、手桶が盥に変わる。デールの宿で使っているサウナなどはかなり贅沢な代物だ。

 全身を湯に浸すような物は、どこぞの金持ちの家や貴族の家にあるという話を聞いたことがある程度の物だ。


「私も使えるんですか……?」

「ええ。今はちょっと高いけれど、お金を払えば誰でも入れるわよ」

「本当ですか! あ――でも、あまり高いと……」

「今のカルアちゃんなら銅貨二枚ね。でもランクが上がるごとに安くなるわ」


 デールの宿が一泊銅貨一枚。二枚出せばもっと良い所へ泊まれる。確かに高い。だが……。

(そのぐらいなら行ける! いや、行きたい!)

 ちなみに、ルチルナの泊る宿は一泊銀貨一枚。なかなかの高級宿だ。ローレンスの悩みの種の一つでもある。


 カルアの心の声が聞えたのか、クレアが溢れんばかりの笑顔を向け、

「じゃぁ、今夜にでも一緒に――」

「邪魔するぜ」

 と言う声と共に、カルアとクレアの間に男の半身が割り込んだ。

 テーブルについた手には地図らしき物が敷かれている。


 男は無精髭を生やし、栗色の短髪。その後ろに美しいブロンドを後ろで纏め、ごつい弓を背負った女性が立っていた。

 伸び放題の髭で一瞬分らなかったが、カルアはすぐにこの男が誰なのか思い出した。

(初日に薬をくれた人だ!)


「あ、あの! この間はありがとうございました!」

 カルアは慌てて立ち上がり、男へ頭を下げた。

「ん? ああ、気にすんなって」

 男はさらりと流し、カルアを座らせた。

「ちょっと聞きてぇ事があるんだ」

 そう言ってちらりとクレアを窺った。


(――?)

 訳の分らないカルアの視線は、クレアと男をの間を彷徨った。

 クレアは渋い顔をしていたが……、やがて頷くと目を瞑り、両耳を手で塞いだ。

 男はそれを見届けて口を開いた。

「この間、森でスケ――」

 話始めた男の足を、その後ろに立っていた弓を背負った女性がコツンと蹴った。


「名前ぐらい名乗りなさいよ」

「ああ、失礼。ロジャー・クレイグだ」

 続いて弓を背負った女性が名乗る。

「ユニス・フェルマー。よろしくね」

 カルアが名乗るのを待たず、ロジャーが話しを始めた。


「じゃぁ、カルア。この間――」

 再び話し始めたロジャーの頭をユニスがピシャリと叩いた。

「モームさん。でしょ」

「大丈夫ですよ。カルアで……」

 カルアが慌てて口を挟んだ。

(そうだった。私の名前はあの時に――)


「じゃ、改めて……。この間森でスケルトンと遭遇した時の事を聞かせて欲しいんだ」

「それならギルド長にお話しましたけど……」

「ああ、聞いた。だが、もう一度聞かせて欲しいんだ。俺達は今、ギルドの依頼でこの件を調べているんだが……正直行き詰まっててな、少しでもヒントが欲しいんだ。だからもう一度聞かせてくれないか?」


 クレアの行動の意味がなんとなく分った。私はそんな話をしている所は見てもいないし、聞いてもいない。といったところか。

 カルアはもう一度、あの日の事を思い出しながら細かく話した。ギルド長に話した時は魔力切れに至った部分はぼかしたが、そこも詳しく話す事にした。


「あれはお前がやったのか……」

 ロジャーは目を丸くしてカルアを見た。

「ヒヨっ子だと思ってたが……経験不足ってだけか」

 一応は褒められているのだろうか? 喜んで良いのだろうか? などと考えていると……。


「ぜひとも、師の名を聞かせて欲しいな」

 そう言ったロジャーの目には敬意が籠もっていた。無論、カルアの師に対してだが。


「あ……えっと、その――」

「――?」

 何故か狼狽するカルアの様子を見て、顔を見合わせるロジャーとユニスの耳に、消え入りそうなカルアの声が届いた。


「――お、おじい……ちゃま……」


「ん? 祖父って事か?」

 とロジャーが尋ねる。

「いえ……そうじゃなくて……」

「名前が――おじいちゃま?」

 ユニスが訝しげに尋ねた。

「……はい」


 カルアは耳まで赤く染まった顔を俯かせ、しおしおと縮んでゆく。

 なんとも言えぬ微妙な沈黙が漂い……耐えきれなくなったカルアは勢いよく説明を試みた。


「あの、す、すごく変わった人だったんです! たぶん本名は誰も知らなかったと思います! それぞれに呼ぶ名前を指定して、指定された名前で呼ばないと、その――返事もしてくれなくて……」

 最初こそ勢いがあったが、みるみる失速し、萎んでゆくカルア。


 一瞬の沈黙の後――

「あははは!」

 とユニスは大きな笑い声を響かせ、可笑しそうにロジャーの肩を叩いた。

「ほら、天才ってのは、やっぱどこかネジが飛んでんのよ」

「あ――ああ、そうだな」


 何にかに思い至ったロジャーは得心したようだが……一体何を、誰を思い浮かべたのか気になるところだ。


「やっぱ足で稼ぐしかないみたいね。行こうロジャー」

 二人はカルアに礼言い、そそくさと去って行った。

 まもなくクレアは目を開き、耳から手を離した。

 その時――、ギルドの中からお昼の休憩時間が終わった事を告げる鐘の音が聞えてきた。


「もうこんな時間……」

 クレアが呟くと同時に、カルアは焦った。たぶんもうホセが門の所で待っているはずだ……。


 慌てて残りのお茶を流し込み、カップを片付けようとするカルアへ、クレアはにっこりと微笑みかけた。

「そのままで大丈夫よ。行ってらっしゃい」

「すみません……ごちそうさまでした」

 クレアの好意に甘え、カルアは慌ただしく席を立ち、門へ向かった。




 同刻――




 ――ザシャ冒険者ギルドの二階。以前、カルアが訪れ、ギルド長と話をした部屋から行けるバルコニー。

 そこに佇む影が一つ。眼下に、クレアとその向かいで昼食を取るカルアの姿が見える。


 フード付きのローブで全身をすっぽりと覆い、顔はよく見えない。ただ、翡翠を思わせる瞳がカルアへ向けられているのは分かる。

 背後から近づく気配に気が付いているが、振り向こうとはしない。気配がすぐ隣へ来てもじっと眼下を見つめたままだ。


「楽しそうだな。何か面白い物でも見えるのか?」

 隣へ立ったギルド長のロイが声を掛けた。

「うん。なんだか昔を思い出してね」

 そう言って、エストはくるりとロイを振り向いた。


 ロイはバルコニーの下に視線を走らせ、カルアの姿を認めた。

「新米にあまり変なことは吹き込まないでくれよ」

 と、溜め息混じりに溢した。

「失礼だなぁ」

 不満そうなエストの声に、ロイは僅かに肩をすくめて見せた。


「今は――エスト・エルフリード。だったか……妙な名前だな」

「どうせ偽名なんだし、自分が良いなって思ってた名前を二つ並べたんだよ」

「お前らしいな……」

 ロイは呆れたように呟いたが、その目はとても穏やかだ。

 エストも微かに口元を綻ばせ、それに応えた。


 僅かな沈黙が流れ、ロイが口を開いた。

「久しぶりだな……」

「そうだね。でも、近所なんだから遊びに来れば良かったのに」

「立場を考えてくれ」

 ロイは苦笑し、ニコニコと笑うエストの背を押して執務室へと(いざな)った。


 執務室の扉を開けると、隅の机に座っていた女性が二人の姿を認め、無言で立ち上がり部屋を出て行った。

 夜会巻きにしたブロンドと、細い銀縁の眼鏡から漂う堅そうな雰囲気が印象に残る――


 ロイが席につくと、エストはローブの下から数枚の布紙を取り出した。

「僕の所にあるのはこれだけだよ」

 ロイは受け取った布紙に目を落し、何やら難しい顔でそれを捲った。

「詳細な物はあと二日ぐらいかな」

「手に入ったのか?」

 ちらりとエストへ目を向けた。


「うん。持ち出しに成功したって連絡は受けたからね。今は海の上だよ」

「そうか……」

 そう呟いてロイは再び布紙へ目を落した。

「届いてからの方が良いんじゃないかな? そこに書かれているのはほんの一部だからね、あまり役には立たないよ」

「分ってるよ……」

 相変わらず難しい顔で、ロイは布紙を捲った――


 エストは「それじゃ」と部屋を出て行きかけたが、ふと立ち止まりロイに尋ねた。

「お孫さんは幾つになったんだい?」

「ん? もうすぐ二歳だ」

 ロイの顔が僅かに和らいだ。


「君は?」

「もうすぐ六十六だ」

「まだ引退しないのかい?」

「うんん――まぁ、色々な……」

 ロイは何かを思い出したように、フッとエストへ目を向けた。

「別にお前を庇った事は関係しないぞ」

 そう言って目を戻した。


「ねぇ、初めて会ったときの事を覚えてるかい?」

「フェルマー卿のパーティーだったか」

「うん。君はもうすぐ五才だった。僕を子供だと思ってさ、テーブルの下に引っ張り込んで『お兄ちゃん、鬼ごっこしよう』って」

 ロイは布紙を机に放り、はにかむように苦笑した。


「もうその話はいいだろ……」

 エストは目を細め、にっこりとロイに微笑みかけた。

「ねぇ、引退したら遊びにおいでよ。鬼ごっこをしようじゃないか」

「それじゃ」

 と出て行くエストを見送り、ロイは椅子に深くもたれて閉じられた扉をぼんやりと眺めた。



 ――やがて「フン」と鼻で笑い、頬を緩めると同時に「コンコン」と扉をノックする音が響いた。

「ああ、クリス君。もういいよ」

 扉が開き、入室した際に席を立った女性が姿を現した。

 彼女はロイへ歩み寄ると、胸に抱えた書類をロイの前へ置いた。


「お願いします」

 起伏のない声でそう言い、体の前で手を揃えてロイを待った。

「クリス君」

「はい」

「ギルド長の椅子に興味は――」

「ありません」

 最後まで聞かず、クリスは相変わらず起伏のない声で無表情に言い放った。続けて何か言おうとするロイを更に遮って続けた。


「やれ膝が痛い。腰が痛い。字が小さくて見えない。目がしぱしぱする。もっと老人らしく扱ってくれ。そんな事を言っている暇があったら、真面目に後任を探すか育てるかして下さい」

 ロイの前に、バサバサと書類が追加された。

「それもお願いします」


 ――ツカツカと席へ戻って行くクリスの背を見送りながら、ロイは深い溜め息をついた。

 同時に、目頭へ持って行きかけた手を止めて書類に手を伸ばした。

2016/05/07誤字修正 2016/05/09誤字修正 2016/06/28前掛け―腹掛け 2016/07/07… 2017/01/17脱字・句読点修正 2017/07/23再編集 2017/10/20再編集 2020/09/14微修正 2022/09/10微修正

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