一日の始まり
冷たい手が頬を叩き、眠りの底から意識が浮かび上がった。
ザシャ南門――
分厚い壁の中に設けられた一室で、男は目覚めた。
石造りの部屋に、壁に沿って粗末な二段ベッドが二つ並ぶ。
壁に熱を奪われた空気はひんやりと冷たく、暖かい毛布が体をベッドへ縛り付けた。
しかし、再び眠りに引き込まれる前に、男は一息に身を起した。
天井に埋め込まれた魔力ランプが淡い光を放ち、微かに部屋の中が見通せる。自分を起した者が上のベッドで毛布に包まる音を聞きながら、ベッドを離れブルリと身を震わせた。
コートハンガーから紺色のローブを手に取り、素早く身に纏いそっと部屋を出た――
左手にある外へ通じる扉は開け放たれ、流れ込む憚る様な喧騒と光が、日の出が近い事を知らせている。
男は外を一瞥し、フードを被り階段を上った。
――椅子に座り、眼下の階段を見つめていた衛兵が、その姿を認めた。
背にこの町の衛兵であることを示すエンブレムが縫い付けられている。
模様をあしらった五角形の縁取りの中に、厳つい蛇の様な物がSの字を描いている。
海龍リヴァイアサンをモチーフにした物だ。
衛兵は槍を手に取り、席を立った。
石突きで床を突き、目の高さでギラリと煌めく穂先に兜の下で目を細めた。
己が守る扉を背に置き、廊下進むローブの男を迎えた。
向かい合った二人は指先をピンと伸ばし、軽く胸に手を当てた。我々の知る敬礼と見た目は違うが、意味は同じだ。衛兵は首に下げた鍵を取り出して扉を開いた――
先行した衛兵が背で扉を押さえる様に立ち、ローブの男を通す。
向かいに見えるもう一つの扉でも同じ事が行われており、鏡に映したかのようだ。
二人のローブの男は、すぐ脇の階段を上がり、ロフト状に続く通路を進んだ。通路は途中で途切れ、突き当たりに四角い石の台座が設置されている。下を見ると、格子の向こうに門番の頭と石畳が見える。
煉瓦状の石で造られた台座には、拳程の半球と、その横に手の平サイズの磨き上げられた黒いプレートが嵌め込まれている。
二人はその前で足を止め、十数メートル先にお互いの姿を認めた。
二人が半球を握り、魔力を送り込む。
握った半球が赤くぼんやりと光り、二人は黒いプレートへ手を乗せ、合図を待った。
――同じ時、中央広場に聳える鐘楼を思わせる塔の上に、一人の男が立っていた。
トランペットに似た物を手に、足下の四枚のプレートが赤く光ったのを確かめた。
鐘楼であれば鐘が収まっていたであろうその場所は、町を囲む壁よりも高く、町全体が見渡せ非常に良い景色だ。
だが、彼はそんな景色には目もくれず、水平線にじっと目を凝らした。
――彼方に広がる空と海の境に、じわりと光が滲んだ。
光は左右へ走り、空と海を押し退けように、光が溢れた。
溢れ出す光に目を細め――、持っていた物を眼前に構え大きく息を吸い込み魔力を込めた。
――町中を駆ける軽快なメロディーが、目覚めを促す。
南北の門前では、一足先に目覚めた者達が列を成していた。多くの荷車や馬車に混じり、行商や旅人、冒険者の姿が見える。
ひんやりとした朝の空気は、ここへは届いていないかのようだ。
――響いていたメロディーが止み、門の中央へ歩み出た一人の衛兵に視線が集まった。
ある者はブーツの紐を直し、ある者は荷を背負い直し、衛兵の発する言葉を待った。
門を背に立つ衛兵は天井を見上げた――
大きな格子の先はここよりも暗く、中の様子はよく見えない。だが、町へ響いたメロディーが、そこに自分の言葉を待つ者が居る事を示している。
石突で床を突き、太く低い切れの良い声が響く――
「開門!!」
視線の先で、合図を待っていた二人の男がプレートへ魔力を流し込む。
それに呼応し、頭上を走る二本の巨大な鎖が軋みを上げてゆっくりと動き出した。
鎖に繋がれた巨大な跳ね橋が、ゆっくりと堀の向こうへと降りて行く――
やがて……その重量を足から腹へ響かせ、巨大な門扉は橋へと姿を変えた。
開門を告げた衛兵が道を空け、石突が「カン!」と小気味良い音を響かせた。
町を出る者、町へ入る者、それぞれの一日が始まる――
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