一日の終わり
――目を開くと、幻想的な光景が広がっていた。
白い光の玉が木や地面に無数に張り付き、ぼんやりと森を照し出していた。
無数に散らばる骨片や、走り回る簡易ゴーレムが居なければさぞや絵になる光景だろう。
カルアの元へ辿り着く前に、ローレンスが使った〈光玉の雨〉だ。時間が経過した為、小さくしぼみ、光も弱くなっている。
「お目覚めですか?」
肩越しに尋ねるローレンスへ答えようとするが……、痺れたように口が動かない。
「もう一息ですので、お休みになっていて下さい」
心地良い揺れに身を任せ、カルアは目を閉じた――
幼き日――、父に背負われた記憶が微かに蘇った。
体へ伝ってくる温もりと、自分のベッドへ潜り込んだ時のような安心感。意識を手放す事に何の抵抗も感じない、不思議な感覚――
◆
――目を覚ますと、ガヤガヤとした喧騒が耳に入った。厚手の敷物に横たわり、毛布が被せられていた。
身を起すと、後ろからぶっきらぼうな少女の声が聞こえた。
「もう大丈夫なの?」
足を投げ出したピンク色のゴーレムの股にすっぽりと納まり、抱えた膝に顎を乗せた少女がじっと見つめていた。
その後ろに、背合わせで座る青白ストライプの姿が見える。
「はい」
「そっ。随分回復が早いのね」
カルアは首にぶら下げたお守りを手に取った。
「これのおかげです」
「ふうん。そう言えばずっと光ってたわね、それ。ローレンスが不思議がってた」
そこへ――あの老紳士が盆に乗せられた三つの器を持って現れた。
「お目覚めでしたか。お体の方は大丈夫ですかな?」
「はい、大丈夫です」
老紳士は頷いてにっこりと微笑み、側にあった低い木箱を引き寄せて器を並べた。
「では、食事に致しましょう」
――ここは、ザシャの南門の前だ。ローレンスとルチルナが着いた時にはとっくに閉門されていた。
跳ね橋に近い堀の周辺に、翌朝の開門を待つ商人や冒険者を目当てにした屋台が幾つも並び、開門を待ちながら商いを始める行商などで市場のような賑わいを見せている。物流の一大拠点であるザシャならではの風景だ――
一先ず魔力切れで伸びているカルアを寝かせ、衛兵へスケルトンの報告を行い、野営の準備をしてローレンスが食事を買って戻って来た所だ。
野営に使う物を貸し出す店もあり、雨さえ降らなければわりと快適に過ごせる。
「――本当にありがとうございました! 死ぬかと思いました……」
「そう何度も仰らずとも、もう十分お気持ちはいただきました」
あの瞬間を思い出したのか……涙ぐむカルアへ、老紳士は優しく微笑みかけた。
少女はスプーンを握り、掬ったスープに息を吹きかけながら啜っている。
「――そう言えば、自己紹介がまだでしたな」
そう言って、老紳士は胸に手を当てた。
「ローレンス・シェパードと申します。ローレンスとお呼び頂けると幸いです。そしてこちらは――」
ローレンスを遮り、彼女は自ら名乗った。
「ルチルナよ。ルチルナ・メイフィールド。あと、ピンクがメイメイ、ストライプがランランよ」
「カルア・モームです。カルアで結構です」
「カルア様。賜りました」
「様は要らないですよ……」
慌てるカルアにローレンスはにっこりと微笑んだ。
「さぁ、冷めない内にどうぞ」
――食事を取りながら、ローレンスが尋ねた。
「ところで、その魔導具は一度魔力を込めればずっと光るのですか?」
「はい。一度光らせると、また魔力を込めるまでずっと光ってます」
ローレンスは感心したように唸り、美しいアーチを描く髭を触った。
「昔、冒険者の方に頂いたお守りなんです」
それを聞き、ルチルナが何か納得したように呟いた。
「お守りね……それが光って無かったら見つけられなかったし、効果はあったんじゃない」
逃げるか迎え撃つか――あの時の一瞬の判断が、彼女の命を救ったのだった。
(また、あの時の冒険者に救われたんだ……)
カルアは視線を落し、首に下げたお守りをしみじみと眺めた。
「――実戦不足」
ルチルナがスープを啜りながらぶっきらぼうに言った。
「あなた強いんだから、もっと経験を積みなさい」
ルチルナはカルアに説教を垂れながら、スープの野菜を掬いローレンスの器へ移している。
八歳児に偉そうに説教をされたカルアだが、経験不足はその通りなので、大人しく「はい……」と答える外無い。
しかし、八歳児ルチルナに言うほど実戦経験があるのかと疑わしいところなのだが――あるのだ。
ローレンスは旅に出た当初は都会を避け、辺境の小さな村へルチルナを押し込めた。
当然ルチルナは苛立ちを募らせる。娯楽は何もなく、食事はよく分らない根菜や芋ばかり、たまに出た肉はゴム板でも噛んでいるようだった。
ただでさえ、父とローレンスにまんまんと乗せられ嵌められ、家を追い出された怒りと苛立ちに身を焦がしていたルチルナは、加えて来る日も来る日も繰り返される草毟りと薪を拾いに、破裂寸前の活火山のようにマグマを溜め続けていた。
時折噴煙を上らせ地を揺らし、噴火寸前だったある日、草毟りに出かけた先で出会った三匹の哀れなゴブリン。
メイメイとランランに蹂躙され、断末魔と血しぶきを上げて四散する姿を見たルチルナは――、快感に打ち震えた。
なんて気持ちが良いのだろう……。
この日を境にルチルナはサンドバッグ探しに明け暮れた。草毟りや薪拾いに出かけた先で、依頼そっちのけで目を皿のようにして獲物を探した。
しかし、獲物を見つけても、向こうが気が付いていなければ仕掛けようとしないローレンス。こっちから狩りに行こうとすると止めるローレンス。
そして最低ランクに討伐依頼はない。精々畑の虫取りだった。
彼女は考えた。そして依頼で得た金をこっそり持ち出し、行商から薬を買い漁り、ローレンスの夕食に一服盛ったのだ。
ぐっすり眠るローレンスを家に残し、夜な夜な獲物を求め徘徊するようになった……。
だがそんな日々は、連日盛られる薬に耐性を付けたローレンスによって終わりを告げた――
連日やけに眠りが深いローレンス。そして村の周辺でたびたび発見される謎のミンチ……。
連日眠そうなルチルナ。
やたらとメイメイとランランの色を塗り直すルチルナ。
今まで絶対にやらなかった給仕を進んで行うルチルナ。
何故か減っていたお金。
限りなく怪しいとは思いつつ、まさかお嬢様がそんな事は……とルチルナを信じた。
ある朝、久々に早くに目が覚めたローレンス。
ルチルナはベッドに居るが、メイメイとランランの姿が見えない……。
ルチルナがあの二体を自分の側から離すなどあり得ない。
そして周辺を探した結果、近くの川で返り血を洗うメイメイとランランを発見したのだった――
何不自由ない家から離れ、極力何も無い所でルチルナの更正を図るつもりだったのが裏目に出たと悔やんだローレンスは、ある程度物が満たされている所へ行けば、魔物やモンスターの血を浴びる事以外に、良い意味で何かを見つけられるのではないかと考えた。
その結果、物流の一大拠点であるザシャであれば、物だけで無く、各地の様々な話も聞け、何かルチルナが興味を持つ物が見つかるのでは無いか? そう考えた。
そして誤算が生じた。魔物やモンスターの少ないザシャに来て、サンドバッグを失ったルチルナ活火山は再びマグマを溜め始めた。
そんな時、サンドバッグを失い常に不機嫌で尊大な態度のルチルナへ絡んでくる連中が居たのだ。これ幸いと半殺しにするルチルナ――
魔物やモンスターであればまだ人々の役に立つ分マシだったのだが、こんな不毛な事は認められない。
連日ルチルナを宥め、波風立てないように努力するも……間抜けな奴らが次々とルチルナへ挑んでくる。
こうなると魔物やモンスターよりタチが悪い。テリトリーに入らずとも向こうからやって来てしまうのだ。
上位の冒険者などであれば、然しものルチルナも敵わないのだが……そういう本当に力のある者は総じてそんな事はしない。
来るのはルチルナにとってお手頃な連中ばかり……。
暴れ回るルチルナに灸を据えようと、一度だけ高位の冒険者が軽く捻ったのだが……ランクが上過ぎた為か、
「負けて当たり前でしょ?」
と開き直り、鼻っ柱を折るには至らなかった。
そしていつの間にやら、誰が呼んだか『暴君』という不名誉な二つ名を手に入れたのだった。
そのおかげか、ルチルナへ絡んでくる者は殆ど居なくなったのだが……火山は再びマグマを溜め始めている――
「――もう要らない……」
ルチルナはむにゃむにゃとでも言い出しそうな声で、まだ半分ほど残っている器をローレンスへ押し出した。
ローレンスが毛布を準備している僅かな間に、目を半分閉じて船をこぎ始めた――
受け取った毛布に包まってよたよたと歩き、メイメイの股へすっぽりと収まり寝息を立て始めた。
こういう所は普通の八歳児だ。
優しい目でルチルナを見つめていたローレンスが、カルアへ顔を戻した。
「カルア様は魔力の回復が早い体質なのですか?」
「いえ、これを持ってると凄い早さで魔力が戻るんです」
カルアは首に提げたお守りを持ち上げた。
ローレンスは感嘆の声を漏らし、目を丸くしていた。
「効果はあまり口外せぬ方がよいですな。ランクがもっと上がれば、大丈夫でしょうが――不遜な輩もおりますゆえ、重々お気を付けを」
「はい」
カルアはお守りに袋をかけ、ローブの中へ仕舞った。
「カルア様は魔法はどなたから教わったのですか?」
「父の友人の魔術師の方に。二月に一度くらい村に来て、一週間ほど滞在して魔法を教えてくれました」
「あの魔法もその方から?」
「はい」
ローレンスは髭を弄くりながら、何か思案するように尋ねた。
「あれも――お師匠にも言われたのではないですか?」
『あまり見せる物では無い』
そう言われていた。
あの時、カルアはその言葉を忘れていた訳ではないが、ローレンス達であれば問題ないと判断した。
そういう建前のもと、スケルトン達に一発お見舞いしたかったのだ。
「ええ、まぁ……」
「そうでしょうな。あれは秘術でしょう。ああいった技術の噂は耳にしたことはありましたが――」
ローレンスは瞑目し、腕を組んで何やら頷きながら唸っている。
「ローレンスさん達なら大丈夫かなと……」
その言葉に、ローレンスは顔を崩して微笑んだ。
「お師匠はさぞ高名な方なのでしょうな」
「んん……」
(酔うと『ワシは大賢者様じゃぁ!』とかは言ってたけど……。
長い白髪の天辺ハゲのおじいちゃん。笑うと一本抜けた上の前歯がちらりと覗いて……何かこう――女としての危機を感じるぞわりした感じのいやらしい笑い方。
手つきもいやらしかったな。何かにつけ尻や胸を触ろうとするし、魔法は凄かったけど……)
「魔術の探求を行う方は、名声を嫌う方も多いですからな。
カルア様のお師匠もそういった方だったのでしょう。現にあのような技術をお持ちなのですから、並大抵の方では無いでしょう」
「……そうですね、高名って言われるとピンとこないですけど、魔法は凄かったです」
――空には大小二つの月が輝き、星の海が広がっている。
月明かりが、開門を待つ人々の喧騒を照らした。
赤ら顔で酒を酌み交わす者、商談をしている者、眠りにつく者――
魔力ランプの投げるそれぞれの色が、その営みを影に映し、揺らめかせる。ザシャの町が眠りに就くのは――もう少し先だ。
◆
(――痒い! 痒い! 痒いいいいい!)
猛烈な痒みに目が覚めたカルアは膝を抱き、かれこれ一時間程うずくまっている。
足首の周辺に幾つも出来た赤い小さなふくれを、掻き毟らないようにペチペチと叩いた。
喧騒はこそこそとした物に変わり、魔力ランプは被せられた布越しに弱々しく光っている。
あまりの痒みに身を捩りながら、音を気にしつつペチペチとふくれを叩いた。
(―――はっ!)
何かを思い出したカルアは鞄を漁り、小瓶を取り出した――
冒険者ギルドで会った剣士風の男に貰った物だ。
(…………)
瓶の底から薄い緑の液体を指で掬い、鼻へ近づけた。
微かな刺激臭を、スッと清涼感のある香りが包んだ。
……祈る気持ちで、恐る恐るぷっくりとした赤いふくれに塗りつけた――
数分と立たぬ内に効果は現れたようだ。
(――はぁぁぁ)
と、すっきりとした表情を浮かべ、礼の言葉を考えつつ毛布に包まった――
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