初仕事
南門を潜り跳ね橋を渡ると、簡単な食事や弁当を売る数件の屋台が並んでいた。
カルアはそこで昼食を買い、南と東へ分岐する街道を東へと進んだ。この道を進めば、東の絶壁の裏にある湖へ辿り着く。
カルアが受けた依頼は〈ヨモ草の採集〉だ。
期間は二日以内、最低量は一キロ。そこから先は追加報酬が出る。傷薬の材料の外に、料理にも使われる需要の高い薬草だ。カルアも村に居る頃によく集めた物だ。
群生地は湿地帯や水辺で、日照の悪い所でもよく育つ。湖に流れ込む川を中心に探してみるつもりだ。
しばらく道を行くと、左手の斜面に微かな道が張り付いていた。この斜面を登ればおそらく湖だ。
今居る道を進んでも湖には出れるのだが、何度も人が行き来して出来たであろう小道への好奇心が勝った。
手も使わないと登れない急斜面を、薄い道に沿って登った。ごつごつとした岩が目立ち、上に行くほど植物の姿は無くなる。
ザシャ周辺は、背の低い草と木。それにごつごつとした岩が転がった景色が広がっている。所々に高い木もあるが、森に生えている物のような高さはない。
斜面を登り切ると、大きな湖が広がっていた。
湖を挟んだ東側に森が広がり――向こうに見える山並みは透けるように空に溶け込み、その境を曖昧にしていた。
湖は岩が目立つ臼状の地形に、森から流れ込んだ川の水を湛え、畔には釣り人の姿が見える。斜面に道を作ったのは彼らなのだろう。
岩の目立つ斜面を下り、水辺を東へ歩いた。土が殆ど無い為か植物は殆ど生えていないが、水の中には苔や藻が見えた。
――しばらく歩くと、妙な男が居た。
岩陰で四つ這いになり、両手を水に突っ込んで水面すれすれを覗き込んでいた。
垂れ下がった髪で顔はよく見えないが、少し黒い肌に先の尖った耳。脇には面と思しき白い物が転がっていた。
(ダークエルフ――にしては耳が短い……ハーフ?)
さほど気に留める事もなく、男の後ろを通り、そのまま川を目指して水辺を東へ歩いた――
川の両岸に村が形成され――と言うより、村が川を取り込んでいた。カルアが元々歩いていた道はここへ合流していた。
背の低い長細い建物が建ち並び、その中で沢山のクロウラーが飼育されていた。人間と変わらない大きさのずんぐりとした巨大な芋虫だ。
(クロウラーだ。村じゃなくてクロウラー農場だったんだ)
入り口に近い数匹が立ち上がるように半身を起し――頭からぴょこんと伸びた二本の短い触角と、黒いクリクリとした目を動かして中を覗くカルアを見つめていた。
一番手前の少しだけ長く発達した手を使い、口を拭うような仕草を見せた。
両目の間隔が広いためか、何処か間の抜けたように見える顔は愛嬌がある。動きは遅く、必死に走る様を見るとつい手助けしてしまいたくなる。
背中から脇にかけて、三~五カ所ほどの縞模様のような隆起があり、分厚く発達した皮膚が全身を覆っている。
皮膚には僅かな光沢があり、すべすべとした手触りが心地良い。体の割に小さな口も、歯は無く噛まれてもぷにぷにとして気持ちが良い。
一応魔物なのだが、性格は非常に温厚。口の側にある器官から吐き出す糸は布の原料となる。その為、各地で盛んに飼育、養殖されている。
カルアの住んでいた村でも数匹が飼育されていた。カルアが着ているローブも、村で飼育されていたクロウラーの糸から作られた物だ。
何時の時代からクロウラーを飼育するようになったのかは判然としないが、この生き物が紡織に革命を起した。
クロウラーの糸から作られた様々な布は、衣服に使われるのは勿論、羊皮紙や紙を押し退け、それに取って代わった。羊皮紙はほぼ姿を消たが、紙は贅沢品としてなんとか残っている。
しかし、最近は布の加工技術が上がり、紙と見まごうような物が次々と登場しその地位を脅かしている。
このクロウラー、何かの幼虫というわけではない。この状態で成体だ。糸も繭を作るために出すのではない。そこらの棒きれや草を核にしてせっせと糸玉を作る。
サッカーボール大の糸玉を日に五~十個ほど作り、飼育も非常に楽だ。木の葉や雑草、植物なら何でも食べる。枯れていても問題ない。燃費もよく、少々毒のある物でも問題なく食べる。
逆にクロウラーが食べない物はかなり危険な毒を持った物と判断できる。
この世界において、植物であればまずクロウラーに与えてみて食べるか否かで、おおよその毒性の有無を判断するのが常識となっている。
そして、クロウラーは排泄物を殆ど出さない。強いて排泄物と言えば、エサと一緒に食べてしまった石ころと、体内で生成した魔力結晶をぽろぽろと出す。これはクロウラーに限らず、魔物と分類されるものに共通した特徴だ。
量は非常に少ないが、魔力結晶は結晶巻物の作成や、魔導具や魔法具の燃料として取引される。
エサに魔力を含んだ物を与えると、排出する魔力結晶の量も増える。その為、糸ではなく、主に龍神教の神殿でこちらを目的とした飼育も盛んに行われている。
クロウラーは現在、白、緑、黄、青、赤、黒の六種類が確認されている。その内、白、緑、黄、青が各地で飼育されるクロウラーだ。この四種類は基本的には色が違うだけだ。
ただ、魔力結晶を多く排出する個体は青か黄が多い。その為、魔力結晶を目的とした飼育は青か黄の個体が好まれる。
残りの二種。赤と黒だが、こちらは別物だ。
赤は、ドラゴンフライと呼ばれる成虫に変態する。険しい山岳地帯で目撃される事が多い、非常に凶暴な魔物だ。
赤茶色の堅い外殻と蠅に似た頭と胴を持ち、ひょろりと長い尾をうねうねと動かし、蜻蛉のような羽で飛び回る。サイズは、クロウラーの大きさから推し量ると良いだろう。
黒は数カ所のダンジョンでのみその姿が確認されている。成虫は真っ黒いドラゴンフライで、ダンジョンの外に生息しているものよりも外殻が堅く、やっかいな相手だ。
カルアはクロウラー農場を抜け、川に沿って森へと入って行った。
川辺に幾つかのヨモ草を見つけたが、依頼をこなせるような量ではなかった。川辺を諦め群生地を求め森の中を探索した。
※
少し奥へ進んだ所で、周囲の木々の所々に堅い物をこすり付けたような後と、そこに微かに付着したピンクと青い色の物体を見つけた。
(これって……)
間違いない。ギルドで見たあのゴーレム達が通った後だ。
カルアは所々についたピンクと青を目印に、更に奥へと進んだ。
(――随分奥まできたけど、あの子も来たんだよね……)
更に進むと――少し開けた場所に小さな沼があった。
沼の畔には様々な植物の残骸と、まるでイノシシが掘り返したような穴が無数にあった。穴の所々に覗く岩にも漏れなくピンクや青の塗料が付着していた。
「ハハ……」
ゴーレムが小さな植物を相手に四苦八苦している様を思い浮かべ、思わず笑みが溢れた。
(ここは無理だね。もっと奥を探してみよう。他にどんな薬草があるかも見て回りたいし)
近くの木に歩み寄り、手をかざし魔法陣を描いた。
「〈場所〉」
魔法陣がかき消え、拳程のぼんやりとした光の玉が木の中へ吸い込まれた。通称マーキング。術者に位置を知らせる魔法――つまり、迷子対策だ。
向き直ったカルアは、鞄から布紙の束を取り出した。厚めの皮を表紙にして、二つ開けた穴に紐を通して製本した物だ。
歩きながら布紙の束をぺらぺらとめくり、目に付いた植物と見比べながら森を歩いた。
鳥の囀りや――警戒して逃げる小動物達が立てる音に耳を傾けながら、奥へと進んだ――
やがて――木々の向こうに空が見えた。
森の切れ目に踏み出すと視界が開け、木に覆われた深い谷間が見下ろせた。谷の遙か先には
雪化粧をした高い山脈がが連なり、中でも一際高い山が谷の真ん中に立ちはだかっていた。
あそこには、きっと山頂へ続くジグザグの道があるに違いない。そんな事を思い、胸をときめかせた。
(うん、ここでお昼にしよう)
手頃な岩に腰を下ろし、鞄から昼食の包みを取り出したカルアは、慌ててそれを地面に置き後ろを振り返った。
伸ばした右手を横に滑らせ、半円を描いた。手の軌道上に一定間隔を開け、三つの魔法陣が現れた。
「〈警報〉」
魔法陣がかき消え、代わりに現れた鈍い光の玉が十五メートル程進み、そこへ留まった。野営をする時などによく使われる魔法だ。
効果範囲に侵入者があると、術者に知らせると同時に玉が侵入者めがけて飛んで行く。目標に命中した玉は、粘性の高い紐状になって絡み付く。
(これでよし……)
ザシャ近郊の街道とその周辺は、定期的にモンスターや魔物の駆除が行われている。
街道に面した森なども、そこそこ深い所まで定期的に討伐部隊が調査を行い、群れを成すようなモンスターや魔物を散らしている。
その為、街道とその周辺はかなり高いレベルで安全が確保されている。
しかし、今カルアが居る所はそういった範囲の外。人の生息域から離れた場所――つまり、モンスターや魔物、野生生物のテリトリーへ踏み込んでいるのだ。
カルアは座り直し、カサカサと昼食の包みを開いた。紙のようだが、これもクロウラーの糸から作られた布紙だ。
大ぶりのサンドイッチと小ぶりの魚のフライが二つ。遠くに見える山脈を眺めながらカルアは昼食を頬張った。
太陽は真ん中を過ぎ、東へ傾いていた――
――昼食を終えたカルアは〈警報〉を解除し、比較的斜面がなだらかな場所を探て谷へと降りた。谷を上から見た時に、谷の対岸よりに小さな沼地が目に入ったからだ。
谷へ降りたカルアはマーキングした位置との距離を探った。
(こんな遠くまで来てたんだ……)
目指す場所に目当ての物があったとしても、帰りは夜道となりそうだ。
(……まぁ、ある程度街道に近づければ大丈夫でしょう)
一抹の不安が過ぎったが、そう結論してカルアは上から見えた沼へと向かった――
畔に立ち、耳を澄ますと――滲み出た耳鳴りに、木の葉や木の実が落ちる音が混じった。
(静かな所……)
対岸に不自然な形――直角な面を持つ岩が幾つか転がり、微かに人工物と分る。積み重なったそれらの岩を取り込むようにして木々は生えていた。
(何か建物があったのかな?)
説明の出来ない違和感に袖を引かれたが、びっしりと生えたヨモ草に混じり微かに残る靴跡があった。
それをを見て、もたげた不安を追い散らした。
周囲を五つの〈警報〉で囲み、一面に生えたヨモ草を潰さないようにそっと抜き、次々と袋の中へ放り込んだ――
◆
(――二キロはあるよね)
パンパンになった袋を上下させ、重さを確かめた。今回の依頼は一キロを超えると、超えた分は量に応じて追加報酬だ。
傾いた太陽は森の影に隠れ、谷底には一足先に夜の闇が迫っていた。
(欲張って長居しすぎたな……。閉門に間に合うかな……?)
カルアは地面に置いた袋に手をかざし、その下に魔法陣を描いた。
「〈浮力〉」
そのまま送る魔力の量を上げてゆくと袋が徐々に浮き上がり、腰の高さまで浮いた所で魔力の供給を安定させた。
(後は自分にもかけて、ぴょんぴょん跳ねてけば大丈夫。町までだったら魔力切れも無いでしょ)
ふわふわと浮かぶ袋の口に紐を括り付け、自分にも魔法をかけるべく正面に描いた魔法陣をピンっと弾いてこちらへ向けた。左手で紐と杖を握り、呪文を唱えようとした――
「キンッ」とした弾けるような感覚が思考に割り込んだ。
(〈警報〉が作動した!)
カルアは紐から手を離し――素早く杖を構えて振り返った。同時に、足下に帯状の魔法陣で自分を囲む円を描いた。
未発動の魔法陣は掻き消え、魔力の供給を絶たれた袋は浮力を失い地面へ横たわった……。
作動した〈警報〉目をこらした――
暗さを増した木陰に〈警報〉を振り解こうとしている者の影が見えた。
姿を認めると同時に、強い嫌悪感に見舞われ背筋に悪寒が走った。
(まずい……)
生者への強い嫉みと憎しみから発生すると言われている――アンデット特有の気配だ。
谷へ降りた時に感じた違和感と、人工物らしき物がカルアの中で繋がった。
(ここは静かすぎた……。生き物の出す音が全くしなかった……)
咄嗟に逃げようと考えたが、その思考に「キンッ」とした弾けるような感覚が次々と割り込んだ。
設置していた〈警報〉が次々と作動したのだ。
(囲まれてる――)
最初に〈警報〉にかった者が暗がりから姿を現した――
武器として意味を成さないボロボロの剣を持ち、体は肉の一片も残っていない骨の体……何もない穴だけの目だが、こちらをじっと見ているのが分る。
(スケルトン――ここは、古戦場跡だ。あの残骸は多分砦……)
暗がりから姿を現したスケルトンが距離を詰めるべく、操り人形のような動きでよたよたとカルアめがけて走り出した。
それに続いて――その後ろの暗がりから、沼の中から、周囲の木々の間からもぞろぞろと姿を現し、カルアめがけて殺到した。
(出来るだけ纏めないと……バラバラに相手は出来ない)
カルアは周囲の気配を窺いつつギリギリまで引きつけ、最初に到達したスケルトンが剣を振りかぶる瞬間を待った。
「〈障壁〉!」
足下に設置した、カルアを囲んでいた魔法陣から透明の壁が現れ、筒を被せたようにカルアを囲った――
同時に、「ガキン!」っと鈍い音を鳴らし、スケルトンの振るった剣が〈障壁〉に阻まれ根元からぽっきりと折れた。
しかし、剣が折れている事を理解していない――いや、剣を握っていた事すら理解していないだろう……そのまま激しく〈障壁〉を打ち叩いた。
指を形作る骨が砕け、パラパラと破片をまき散らしながら〈障壁〉を叩き続けた――
四方から集まって来たスケルトンも同様に、次々と〈障壁〉に取り付き、ボロボロの武器や拳で〈障壁〉を打ち叩いた。
カルアは〈障壁〉を維持しつつ、その外側に太い長方形の魔法陣を四つ並べ、四角く囲った。
カルアを中心に、三十体ほどのスケルトンが集まっている。〈障壁〉を打ち叩くスケルトンの隙間から様子を窺い、新手がない事を確認した。
(多分これで全部……)
足下に新たな魔法陣を描き〈障壁〉ギリギリまで広げた。そして更に、胸の辺り別の魔法陣を描いた。
痛みを堪えるようにカルアの顔が歪み、〈障壁〉にヒビが走った――
合計六つの魔法陣と〈障壁〉の維持はカルアの能力の限界ギリギリであった。少しでも気を散らすと何れかの魔法陣が消えてしまう。
――呼吸を整え、維持に集中した。
(大丈夫……いける)
胸元の魔法陣が安定したのを確かめ、行動に移った――
「〈土壁〉!」
〈障壁〉の外側に設置された長方形の魔法陣から、陣の大きさと同じ堅い土の壁が突き出すようにそそり出た――
〈障壁〉に取り付いていたスケルトン達が壁に突き上げられ、カラカラと壁の向こうへ落ちた。
同時に、壁はスケルトン達の方へ傾き、腹に響く衝撃と共に倒れた。
一気に数を減らしたスケルトン達であったが、さっと見回しただけでもまだ十数体は残っている。
加えて、左右と後ろの土壁は範囲に居たスケルトンを押し潰して完全に倒れたが――数が集中していた正面は押し返され、斜めで止まっていた。
〈障壁〉を解除し、カルアは胸元に浮かべていた魔法陣を掴み、後方の倒れた土壁の上へ投げた。
〈土壁〉の出現で一瞬怯んだスケルトン達であったが、カルアの姿を認めると、すぐさま彼女をめがけて動き出しだ――
踵を返し、魔法陣めがけて走りだそうとしたカルアの目に、ヨモ草を詰めた袋がちらりと映った――
一瞬の迷いの後、袋を掴み魔法陣へ飛び乗った。
「〈浮力〉!」
発動と同時に力任せに魔力を込め、飛び上がるように地面を蹴った――
ひらりと空へ舞い上がり、先程〈障壁〉の中に設置していた魔法陣を発動させた――
「〈拒絶〉!」
乾いた破裂音と共に、魔法陣があった場所を中心に地面に沿って放射状に衝撃波が広がった。
カルアに殺到していた生き残りのスケルトン達が吹き飛ばされ――斜めになっていた土壁がクシャリと地面に倒れるのが見えた。
カルアは谷の上にふわりと着地し、袋に付けた紐を肩に回し、たすき掛けにしてぶら下げた。同時に、素早くマーキングの方角を確認して走り出した。
(早くここを離れないと――)
しかし――何歩も進まない内に、彼女は立ち止まった。
(嘘……でしょ……)
木々の影に佇んでいた無数のスケルトンが一斉に顔を上げ、カルアを振り向いた。
一番近くにいた一体がよたよたとカルアへ向かって走り出した。体を左へ傾け、引っ張られている様な不自然な動きだ。
カルアは身構えると同時に、不自然な動きの理由が分った。
巨大な板――ボロボロではあるが、大きな両手剣を引きずりながら走っているのだ。
スケルトンは立ち止まると同時にその勢いを剣に伝えて振り抜いた――
下から切り上げられた剣はうねる様な軌道を描き、袈裟切りに振り下ろされた。
咄嗟に飛び退いて躱したカルアであったが、鼻先に感じた風に背筋が凍った。
背には谷が迫り、これ以上は下がれない……。
ちらりと窺った谷底には、先程の戦闘で生き残ったスケルトン達が斜面に取り付き、よじ登ろうしている様子が見えた。
(突っ切るしかない……)
袋をたすき掛けにした時に、自分に掛けていた〈浮力〉を切った事を悔やみ、唇を噛んだ。
2016/07/07… 2017/7/21再編集 2017/09/23再編集 2020/08/31微修正 2022/08/19微修正