ともかぜ (涼が幼い頃の話。掌編)
涼と友風、二人の出会い。
年齢は…小学校にあがったばかりの頃でしょうか。すみません、ちゃんと決めてません(´・ω・`)
勢いで書いたので情景描写が真っ白です('Д')
―――うぁああん……うあああん……うぇえ……
瓦屋根の軒の下で、子供の泣き声がつづいている。
縁側に正座した老婆の膝にのり、着物の上の割烹着に顔を押しつけて泣いている。
泣きつづけている。かれこれ三十分。
「っち……うるせーなぁ」
屋根の上で胡坐をかいていた青年は苛々と軒下に視線をむけた。
「いいかげん泣きやめ! それでなくてもいっつもおまえは泣いてんだからよ!」
声を荒げてみせるが、老婆の腕のなかの子供はまったく意に介さず、あくまで泣きつづけている。
まるで彼の声など聞こえていないように。
事実、子供には聞こえていないのだ。声どころか青年の姿さえ、彼女には見えないのだから。
「あ~~~もう」
青年は唸りながらがしがしと両手で頭をかいた。黒く柔らかい髪が一瞬でぼさぼさになる。
すっと彼は屋根の上に立ち上がり、そのまま軒下へ跳んだ。ふわりと。
物理の法則をすべて無視して、音もなく軒先に降り立つ。
そのまますたすたと裸足で縁側へ近づいていく。さわ、とほんの少しだけ微風が起こった。
はだけた浅葱色の着流し姿で、彼は二人の前に仁王立ちした。
「おい、今度はなんだって泣いてんだ! うるさくてしかたねぇ」
突然現れた青年に、子供……少女は驚いて泣くのをぴたりとやめた。
まんまるに目を見開いて、青年を見上げる。
「こら、友風。りょうちゃんがびっくりするだろう。そんな言い方をおしでないよ」
「だって絹、こいつ暇さえあれば泣いてんじゃねえか。やれ仲間外れにされただの、名前が男みてーだってからかわれただの」
最後の一言に少女、涼はびくりと体を震わせた。
その目にふたたび、涙が盛りあがる。
「うっ……」
「あ、待て待て! よせ、耐えろ!」
「うわぁあああああん!!!」
老婆は両手でよしよしと涼の頭を撫で、じろりと青年をにらみあげる。
「友風……いまのはおまえさんが泣かしたよ」
「…………ったく。なんでこいつはこんなに泣き虫なんだ」
彼は片手で首をかくと、どすん、と音のしそうな勢いで二人の隣に腰かけた。
勿論、音などしなかったが。
「絹がこいつぐれーのときは、もう兄弟おぶって子守りしてたぞ。そりゃあ働き者のしっかりした娘だったってのに………おい。涼とやらよ。今度は何を言われたんだよ? え? 言ってみろ」
えぐえぐと嗚咽をもらしている少女にぐいと顔を近づけ、青年は訊いた。
眉間に思いきり寄った皺に、涼はおびえた。
「言ってみりゃあ、あんがい楽になるかもしんねーぞ? おら、おら、言ってみろ」
はぁ、と老婆――絹がため息をつく。
「なんだってそんなにおまえさんは、がらが悪いんだろうねぇ。そこらの鬼のほうがよっぽど丁寧な物腰だよ。風の精なんてやめて、あんたが鬼をやったらどうだい」
「よけぇなお世話だっての。俺は俺のやりたいようにやるんだよ。自由気ままな風の、鑑のような性格だろ?」
にやっと笑って青年は絹を見る。
眉間の皺が消えたその表情を、涼はじっと見つめた。
祖母と親しく口をきいているが、彼のことは今まで見たことがなかった。
そもそもこんなに若い知りあいが祖母にいるのも、涼には不思議な感じがした。
「おにいちゃん……だぁれ?」
「おや、そうだったね。りょうちゃんは友風を見るのは初めてだったね」
絹は片手で涼の背中を支え、もう片方の手でその涙をぬぐった。
「このお兄ちゃんはね、友風っていうんだ。おばあちゃんのお友達だよ」
「おばあちゃんの、おともだち?」
「そうさ」
祖母はにこにこ笑っている。
友風と紹介された青年は涼に小さく肩をすくめてみせた。
「くされ縁とも言うな」
「くされ……?」
「ずっと昔から知ってるってことだ」
「ずっとむかし?」
小首をかしげる涼に、友風は小さく吐息を漏らした。
「おいおい、延々と問いがつづきそうだな。今はおまえの話だろ。なんで泣いてんのかっていう………というか、もう泣きやんだな。いいか。いいな。よし、そのままでいろよ?」
「無責任だねえ。途中放棄かい?」
「ガキの喧嘩をいちいち真面目に聞いちゃいらんねーよ。こいつらの世界は日々、目まぐるしく変わるんだぜ? 昨日大嫌いって大泣きしてたかと思えば、次の日にゃ仲良く手ぇつないで走りまわってる」
「みんながみんな、そうとは限らないんだよ。特にりょうちゃんは、ちょいと気が弱いところがあるからねえ」
「本当に絹の孫か?」
「どういう意味だい?」
青年はあわてて少女に向き直った。
「おい、涼。とりあえず聞いてやるから話してみろ。なんで大泣きしてた」
おずおずと涼は友風を上目づかいで見た。
ん? と青年はさきほどよりは柔らかい表情でうながしてくる。
「……お、……お」
「お?」
「おとっ……」
「音? 音がどうした。腹の音がでかいってか?」
「ち、ちが……うぇえ、ひっく……ひっく」
「おい、今は泣くのはなしだ。とりあえず理由を言ってからにしろ」
慣れない手つきで涼は頭を撫でられた。涙はなんとかもちこたえた。
「……お、おとこ……おんな、だって、大くんが……」
「おとこおんながどうした。あれか? 男みてーにガキぶん殴ってやったか? それならおまえ、見直すじゃねーか。泣くんじゃねーよ。むしろ喜べ」
「ううう……なまえが、へん、て……おとこみたい、って」
「ああ? それはいつものことだろうがよ」
「ふぇっ……ど、ドッジボール……みんなで、やろうって……いつも、りょうは、はしっこで、みてるけど……きょうは、まみちゃんが、さそってくれて」
「………」
「まみちゃん、は……あたらしく、おんなじくらすに、なったこで……それで、りょうもはいろうとしたら…だめって」
「………」
「だ、大くんが……おとこでも……おんなでも、ないやつは、いれないって……りょう、おんなのこだよ、っていっても、ちがうだろって」
「………」
「じゃあ、おとこのこに、なるって……いっても、やっぱりちがうだろって……それで、それで……おとこおんなは、あっちいけって、みんな……っ」
「友風、おまえさん寝てんじゃないだろうね」
「……っは」
青年は自然と下がっていた顔を瞬時にあげた。
じろりと絹ににらまれる。
「あー……なんだ、まあ。男でも女でも、どっちでもいいじゃねーか。同じ人間にゃ変わりねーだろ」
「まったく、あきれたお人だね。なんの慰めにもなっちゃいないよ」
絹が深い深い、ため息をついた。
その腕のなかで涼はおそるおそるつぶやいた。
「と……ともかぜは、おばあちゃんの、ともだち……」
「うん? そうだね。それがどうかしたかい?」
「……りょうと、あそんでくれる?」
涼の言葉に、青年と老婆は顔を見あわせた。
「それは……ちょいと無理かねえ。友風にもお仕事があるからね。それに友風は秘密の友達だ。ほかの人には見えないんだよ」
「みえない……の? りょうと、おばあちゃんは、みえる?」
「そう。今は友風がりょうちゃんにも姿を見せてくれているんだよ。お礼を言わないとね。これでも大事な風精さまだからね」
「ふうせいさま?」
「風の神様みたいなもんだね」
「そうだそうだ。俺は尊い存在なんだぞ。敬ってへつらえ」
「かみさま! かみさまはなんでもできる?」
「できの悪い神様だからね、それは無理だよ」
「おい、絹。おまえ」
「じゃあ、りょうがいじめられないようには、できる……?」
友風は黙った。びくりと涼は体を縮ませる。
「聞いただろ。俺はほかの人間には見えねーんだ。声だって聞こえない。なんもできねぇよ」
「……じゃあ、なにができる?」
ふと、矜持にさわったのか、彼は口の端をぴくりと震わせた。
「見とけよ」
風がざぁっと吹いて、青年が空に舞い上がる。
宙に浮かんで、得意げに腕を組んで、そこから二人を見下ろしてくる。
涼はあんぐりと口をあけた。みるみるうちに瞳が輝きを放つ。
「……すごい! ともかぜはとべるの!? すごい! すごい!」
「そうだ、凄いだろう。人間にはひっくりかえったってできねー芸当だ」
ふふん、と顎をそらす。
涼は興奮したまま、尊敬のまなざしで青年を見つめる。
「にんげんは……ひっくり? げいとう?」
「人間はどうしたって飛べねーってことだ」
「ともかぜは……にんげんじゃない?」
「ああ。絹が言っただろ、神様みてーなもんだって。厳密には神様でもねーけどな」
「……にんげんじゃなくて、かみさまでもない?」
「ああ」
ふと、少女は考える仕草をする。
「……さみしくない?」
「あ?」
「にんげんでも、なくて、かみさまでも、なくて……ともかぜは、なかまがいない? さみしくない?」
友風は地に降りてきた。
涼の前に立ち、すっと身を屈める。
「……あのな。俺は俺。俺以外の何者でもない。別に人間でも神でもなくても、同じ仲間がいなくても……まぁ、実際はいるけどよ。要するに自分が他と違ってても、なんもこわくねーし、さみしくないぞ。俺には絹がいるからな」
「おばあちゃんが……いる」
「俺はな、絹が好きだ。一緒にいると心地いい」
「おやおやなんだい。嬉しいことを言ってくれるねえ」
突然の告白に、ふふ、と絹は笑う。
それから慣れた様子で「あたしもおまえさんのことは気に入ってるよ」と返した。
友風は黙って頷く。
「誰かに嫌われたり、仲間外れにされても、絹が俺を嫌わないならそれでいい。絹以外に好かれようとも思わない。わかるか?」
黒い瞳が、見定めるように涼をみつめてきた。
「大事な人にだけ自分をわかってもらえていれば、それでいいんだ。ほかのやつがどれだけ文句を言おうと関係ない」
「………りょうは、おばあちゃんがすき」
「おばあちゃんもりょうちゃんが大好きだよ。こんなに可愛い子はほかにいない」
ぎゅっと絹は涼を抱きしめる。
少女はくすぐったそうに微笑んで、そっと青年に視線を移した。
「……りょうは、ともかぜも好き」
澄んだまなざしの告白に、青年は一瞬たじろいだ。
「………あー…そう」
「ちょいと、友風?」
「う……そうだな。俺も別に………おまえが好きでないわけでもないぞ。一応、絹の孫だからな。一応」
「紛らわしい言い方だねえ。素直に好きって言えないのかい」
「うるせー」
「りょうちゃん、こういうのをね、照れ隠しと言うんだよ。本当のことを言うのが恥ずかしくて、わざと違うことを言ったりするんだ」
「ふふっ……ともかぜは、りょうをすき?」
「……………まぁ、嫌いじゃねーぞ。絹の孫だからな。うん」
「まったく、言い訳がましいねえ」
ころころと老婆は笑った。
その体の揺れにあわせるように、少女もいつしか明るい笑い声をあげていた。
―――だが、この時少女に諭した言葉を、のちに青年は長く後悔することとなる。