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夏風に囁いて  作者: 凪森
本編
2/3

【後編】






 引越が間近に迫ったある夜、涼は縁側で一人、友風たちを待っていた。

 深夜を回った黒い空には皓々と白い月が浮かんでいる。

 月光を受けておぼろに光る雲は白波に似て、空全体が静かな夜の海のようだ。


 あの日以降、友風は涼のもとを訪れてくれなかった。

 謝りたくても会えず、ならば宴を開いてこちらから呼ぶしかないと思った。


 縁側にはお酒が入った瓶子(へいじ)と、それをたっぷり注いだ水器、昼間大量に作った白玉団子のお供え物がある。

 穢れを祓ってくれる友風に祖母が感謝のしるしとして始めたもので、我が家だけに伝わる慣習だ。

 祖母が亡くなってからは涼の役目になっていた。


 母は先日のことに負い目を感じているのか、積極的に準備を手伝ってくれた。

 初め、ただお供え物をするだけだったこの儀式は、友風が友を連れてくるようになり、そのうち友の知りあい、そのまた知りあいという具合に参加者が増え、それぞれが酒や土産を持ち寄り、いつしか宴の(てい)になってしまったという。

 だから宴は妖怪だらけだ。


 最初に見たときは天狗や水干姿の半魚人に、手のひらほどのぴょんぴょん跳ねる小鬼、ふわふわ浮かぶ人魂と恐ろしかったが、彼らは陽気に語らい、歌い、はては踊りだす者もいて、眺めているうちに恐怖心はどこかへ行ってしまった。

 そんな光景を祖母は洒落をこめて騒客(そうかく)の宴と呼んでいた。

 騒客とは本来、風流人という意味だ。だが涼から見ても、彼らは字面通りの騒がしい愉快な客人だった。


 その騒客達とも、お別れの挨拶をしなければならない。

 毎年楽しみだった宴が今夜ばかりは気が重かった。


 ぽうっと西の空に小さな明かりが灯った。

 と思ううちに、反対側にもぽつぽつと、やがてあちこちに灯が浮かび、それらは涼の頭上高いところで合流すると、ゆるゆると舞い降りてきた。近づくにつれて異形の者たちの姿がはっきりとしてくる。

 風に運ばれた酒の匂いを嗅ぎつけて、騒客達が集まってきたのだ。


「やや。涼殿、お久しゅう。宴と聞きましてな。今宵も勝手にお招き預かりますぞ」


 すでにほろ酔い状態の烏天狗(からすてんぐ)が最初に声をかけてきた。

 子供の半分ほどの体で、倍はありそうな大きさの瓢箪(ひょうたん)を抱えている。


八郎坊(はちろうぼう)、久しぶり。元気そうだね。来てくれてありがとう」


 縁側から立って迎えると、次々と他の者たちも庭へ降り、涼の前に群がった。


「涼殿、お元気でござったか!」

「おや、またお美しゅうなられて」

(わらわ)は退屈しておったぞ。今宵はそちと心ゆくまで宴に興じるつもりじゃ」

「おら山ほど饅頭(まんじゅう)持って来た!」

「こいつは最近できたオレの弟分で――」


 皆いっせいに、順番などおかまいなしに話しかけてくる。毎年恒例の光景だ。

 涼は可能な限り聞きとって言葉を返した。

 みんな変わらず陽気でやさしくて、懐かしい。でもなんだか全員、土産の量が去年より膨大だった。


 挨拶をすませた者は我先にと庭へ土産をひろげていく。手のひらサイズの小鬼が宙で跳ねながら甲高い声で指示をだすと、のっぺらぼうの大男二人が担いでいた黒櫃(くろびつ)を下ろす。

 なかから緋毛氈(ひもうせん)をだして地面に敷き、床几(しょうぎ)を取りだし野点傘(のだてがさ)を立て、お膳に徳利(とっくり)(さかずき)に……と延々、物が出てくる。どう見ても櫃の容積を超えた量だ。

 涼はちら、と空を見た。友風はまだ来ない。


「涼殿」


 視界にぬっと影が差し、最後の挨拶者が側に立った。

 白い着流しに背中まである白髪(はくはつ)。そこからのぞく二本の角。

 真一文字に引き結ばれた唇と、きりりとした目元。


「あ……三山主(みやまのぬし)さん。こんばんは」

「枇杷は届いたろうか」


 涼の挨拶に短く頷いてから、彼は訊いた。


「うん、もらったよ。ありがとう。わざわざとっておいてくれたんだってね。すごく美味しかった」

「そうか。ならばよかった」


 三山主はたいてい無表情なので、涼は彼が何を考えているのかわからない。

 だがこのときは喜んでいるらしいのが伝わってきた。だから涼は注意はせず、礼だけにとどめた。

 どうせ自分はこの町を去るのだ。彼が勝手に実を採ることも、もうないだろう……。


「でも、友風は怒られたってむくれてたよ」


 微笑むと三山主は真面目に言った。


「だが、あやつは来るのが遅くていけない。今宵もまだ来ん。最後の宴だというのに」

「っ……知ってるの?」


 涼は驚いて相手を見あげた。


「あやつに聞いた。だから皆、今宵はめいっぱい楽しもうとはりきっている。涼殿との別れが惜しいから」

「そうじゃ涼殿。わしらはソーベツカイをやろうと思うておるのじゃ!」

「今宵は存分に楽しんで下され。馳走はいくらでもござれば。気のすむまで召されい」


 三山主のうしろで騒客達が頷く。膨大な土産物はそのためだったらしい。

 湿っぽくなるのが嫌で最後に言おうと思っていたのに、どうやら杞憂のようだった。

 そういえば涼はいつだって彼らの明るさに励まされてきたのだ。


「ありがとう……でも気持ちだけでじゅうぶん嬉しいよ。ご馳走はみんなで食べて」


 彼らの世界の物は食べてはいけない――幼い頃、祖母に何度も言い聞かされてきた。魂をぬかれて帰れなくなるからだ。本当は宴だって遠くから眺めるだけで、こんなふうに入っていくのは禁じられていた。

 でも祖母の死後は寂しくて、涼が約束を破るまでにそんなに時間はかからなかった。







「おお、馥郁(ふくいく)たるとはまさにこのこと!」


 庭の池に面した岩の上で、烏天狗が歓声をあげる。妖香(あやかしこう)を焚いているのだ。

 何でも人間の魂や怨念を練り固めて作った貴重な香だそうで、えもいわれぬ良き香りがするらしい。香炉を囲んだ妖怪たちは一様にとろんとした表情をしている。


「ふふ……すごくいい匂いなんだね」


 なんだか可愛らしくて思わずつぶやくと、一緒に床几に腰かけていた三山主が訊いてきた。


「涼殿には匂わぬか」

「うん、そうみたい。人間にはわからないのかも……」


 天狗達のいる大きめの岩からは滔々と滝が流れ落ちている。月が沈んだ闇夜にはふわふわ漂う人魂が明かりの代わり。

 だけど周りは真っ暗で、近くにあるはずの縁側も見えない。

 宴の間は不思議なことが当たり前だ。どんちゃん騒ぎをしても周囲には聞こえないし見えない。


「涼殿と初めて会うたのは六年ほど前だったか……友風に抱えられて空を飛んでいた。あやつが人攫いしおったとあのときはたまげた」


 盃を見つめながら三山主がつぶやいた。


「あれは、眠れなくて困ってるのを助けてくれたんだよ」


 涼は思いだして苦笑した。


「次の日が林間学校でね、すごく憂鬱だったの。三日もクラスの子達と一緒に過ごさなきゃいけなかったから……」


 それで眠れずに悶々としていると、友風が夜の空へ連れだしてくれたのだ。

 空を飛んでいる間は本当に幸せだった。嫌な気もちもすぐに忘れられた。

 全身に浴びる爽やかな風、しっかり自分を抱えてくれる友風の腕――


「涼殿は人間が嫌いなのか?」


 三山主がいつの間にかこちらを見ていた。


「……嫌いじゃないよ。ただ、居心地が悪いだけ……みんなといる方が呼吸が楽かな」


 涼は夜空を見あげた。

 先ほどから何度もそうしている。だが友風の姿は見えない。


 まだ怒っているのだろうか。それとも嫌われた……?

 不安と焦りが胸のなかにひろがっていく。

 夜が明けるまで彼が来なかったらどうしよう。もしこのままでお別れだったら、どうしよう。

 涼の心は恐怖にとらわれた。


「……酒が切れたようだ」


 三山主が席を立った。

 のっぺらぼうが琵琶を弾き、半魚人が踊る宴の中心の方へ歩いて行く。

 一人になると一気に寂しさが押し寄せてきた。抑えていた気持ちが暴れだした。


 なぜ友風は来てくれないのだろう。

 なぜ引越さなければならないのだろう。


 嫌だ。

 離れたくない。

 ここにいたい。

 友風といたい。


 夜なんて明けなければいいのに。


「涼、どうした!? 腹が痛むのか? おら妙薬持っとるぞ! この虫を飲めば一発だ!」


 前を通りかかった蓑笠姿の少年が、涙をこらえる涼に気づいて駆け寄ってきた。

 その声を聞いて他の者たちもどうした何があったと集まってくる。誰もが心配げな顔をして――そしたら余計に胸が苦しくなった。

 みんなこんなにやさしい。怖いことなんか何一つしない。怯えるような存在じゃない。


「違うの……大丈夫……お別れするんだって思ったらちょっと寂しくなって……」


 言葉とは裏腹に、別れたくない気持ちがどんどんふくらんでいく。


「涼殿、そういうときこそ酒ですぞ! ぱあっと飲んで、何もかも忘れて享楽に耽ることじゃ。ささ、一献一献。おや、盃がない」


 銚子(ちょうし)を傾けかけた半魚人がおおい、とうしろへ呼びかける。すぐに小鬼が飛んできた。

 体より大きい泰山木の花を、枝を抱えて持っている。


「勝手に折り申した。どうかお許し下され。思ったより頭数が多く盃がたらなんだ……ですがこれは良き香りがして心も晴れまする」


 小鬼が器の代わりに花弁を一枚ちぎって渡してくる。

 軽く手を丸めた形の白い花弁はなるほど、盃に見えなくもない。


 ささ、どうぞと促されるままに涼は酌を受けていた。体が拒むことを忘れていた。

 柔らかな盃からは、すっと頭が冴え渡るような芳香がした。

 その香りに涼のなかの迷いが消えていく。


 これを飲めばずっとこちら側にいられる。みんなと一緒に、いつまでも。

 気づけば騒客達が固唾を飲むようにして自分を見ている。ああ……と涼は思いだした。

 毎回彼らは涼が断っても、次の宴にはまた勧めてくれた。

 流されそうになったときはいつも友風がとめて……でもその彼は今いない。

 だったら――


「ばかっ、よせ!」


 手首をつかまれ、驚いた涼の手から花の盃がはらりと落ちた。

 目の前に恐い顔をした友風が立っている。


「……なぜ止める。おまえだって望んだことだろう」


 三山主の声がした。

 とたん、そうじゃそうじゃと騒客達が騒ぎだす。


「そのために姿を消しておったくせに」

「涼殿を寂しがらせてこちらへ呼ぼうと」


 彼らの言葉に涼は目を見張った。

 直後、友風がつかんでいた手をはなす。彼は問いに答えず、涼だけを見ていた。


「……帰れ」


 刹那、名も知らぬ衝動がこみあげてきて、涼は床几から立ちあがった。


「あたし……好きだよ………友風が好きだよ! 一緒にいたいよ!」

「だめだ。戻れ」

「なんで! 友風も望んでくれたんじゃないの? それともあたしが嫌いになったから隠れてたの?」


 必死に問うと、彼は涼から視線をそらした。


「……確かに、いっとき馬鹿なことを考えた。でも間違いに気づいた。おまえは人間だ。人間の友達をつくって、人の世界で生きるべきだ」

「やだよ! 人間の友達なんていらないよ! 誰も友風達のこと信じない! あたしの空想だって……変な目で見る。友風達はちゃんといるのに。ここにいるのに……!」

「見えないものは信じにくい。おまえだって俺達が見えるから信じられてるだけだ」


 きっぱりと断言され、涼は何も言い返せなかった。

 友風はうつむく涼を見つめて言った。


「おまえの母親が言ったこと……本当はずっと前からわかってた。でもほっとけなかった。おまえが一年間ずっと、俺を待ちわびてるのがわかったから……年を重ねるほど、無視したら壊れそうな気がした。離れられないのは俺の方だった」

「だったらなんで、帰れなんて言うの? 連れていってくれないの……!」

「おまえを壊したくないから」


 静かな声に涼は顔をあげた。


「人間はやっぱり生きてた方がいい。泣いたり笑ったり怒ったり……いろんな表情を見せてくれる。恋をしてガキを産んで、母親になって……俺はそういうおまえを見ていたい。魂だけになったおまえなんか、見たくない」


 涼は唇を噛んだ。

 涙が頬を伝っていく。なんて残酷な告白だろう。


「苦しいよ……勝手だよ。あたしの心揺さぶっといて………友風はいつもそう。人の気持ちを知っててからかって……!」


 涼は相手の胸をこぶしで打った。きつく瞑った目から涙が落ちる。

 友風は黙ってされるがままになっている。


「涼殿……」


 騒客達が気遣わしげに声をかける。だが皆どうしたらいいかわからず、後がつづかない。

 長い沈黙の後、涼は涙を押しとどめて言った。

 くしゃくしゃの顔を見られないよう、うつむいたまま。


「風になりたい……友風。最後にもう一度、空を飛びたい……」

「……わかった」


 友風はその願いを聞き入れてくれた。







 うしろから友風の腕が体を抱きしめて、綿毛のように空へ舞いあがる。

 闇夜を突きぬけて、二人は高く高く上昇した。

 風が風を切って飛翔する。

 まるで冷たい清流のなかを逆流しているみたいだった。その流れに身を覆っていた鎧が剥がれ落ちていく。

 体と心が軽くなっていく。


 本当は何度もこうして飛びたかった。

 嫌なことを忘れるためじゃなく、ただ彼に抱きしめてほしくて。

 でも恥ずかしくて言いだせなかった。


「涼」


 耳元で友風が呼んだ。腰を抱く腕に力がこもる。

 それだけでまた涙があふれそうになる。


「……ごめんな」


 なぜ謝るの。

 そう思うそばから、意識がさらさらと流れていった。


 不安も悲しみも思い出も全部、風が彼方へと持ち去っていく。

 遠く、東の空に夜明けが見えた。


 ――おまえが幸せになるなら、俺は空想になってもいい……。


 白んでいく意識のなか、涼は風の囁きを聞いた気がした。




     *




 あらかたの荷開きを終えて休憩に入ると、涼はベランダへ出てみた。

 とたんに真夏の熱気が身を包む。

 目前には似たようなマンションが立ち並ぶ見知らぬ景色がひろがっていた。


「涼ったら、暑くないの?」

「せっかくの白い肌が焼けるぞー」


 うしろで母と父が笑っている。

 それへ生返事をして、しばらく五階からの景色を堪能していると、風が吹きだした。

 涼は宙に両手を伸ばした。


 夏の風は好きだ。

 忘れていた涼しさを思いださせてくれる。


 でも最近感じるのはそれだけじゃなかった。

 わけのわからない懐かしさと、もう一つ。


 例えればそれは砂漠のオアシスに似ている。

 まるで命を吹きこむみたいに、くじけそうになる心を支えてくれるような、そんな気がする。

 だから涼は風を抱きしめて、そっと囁く。


「………ありがとう」


 誰へのものかもわからない、愛おしい気持ちをこめて。




 


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