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夏風に囁いて  作者: 凪森
本編
1/3

【前編】

夏・ファンタジーをテーマに数年前に書いた物です。しっとりをめざしました。

季節外れですが、楽しんでいただければ幸いです(´・ω・`)







素商(そしょう)大晋(たいしん)流火(りゅうか)――」


 梅雨明けした七月のある夕方、(りょう)は自宅の縁側に腰かけて学校から借りてきた本を読んでいた。

 高校のセーラー服姿のまま、膝に載せた本を指でなぞりながら、つぶやくように読みあげていく。

 昼休みに図書室で見つけたもので、紙面には綺麗な写真とともに月の異称がいくつも並んでいる。


「七夕月、七夜月(ななよづき)愛逢月(めであいづき)……」


 ふと指をとめて、涼は微笑んだ。

 愛逢月、ともう一度小さくつぶやいてみる。美しい響きだ。

 おそらく七夕にちなんだものだろう。

 年に一度しか会えない織姫と彦星は、少しだけ自分と彼の関係に似ていると思った。愛で逢うというにはほど遠いけれど。


 それに涼にぴったりの異称は隣のページにある。六月の異称の一つ、風待月(かぜまちづき)

 思わず苦笑を漏らしたくらい、自分にそっくりだった。

 夏が近づくとこうして縁側で彼を待つ自分。じゃあ八月は……とページをめくろうとして、やめた。

 その頃にはもう、自分はここにいない。


 ふわりと風が吹いて、涼は顔をあげた。

 とたん、急に風が勢いを増す。

 肩まである髪が乱れ、頭上で風鈴が冷たい音を響かせる。


「よお」


 日本庭園を模した小さな庭に、一人の青年が降り立った。

 浅葱色の着流しにすらりとした長身。雪のように白い肌と、ところどころ毛のはねた黒い頭。

 涼の顔にその年いちばんの笑顔がひろがった。


友風(ともかぜ)!」


 名を呼ぶと青年、友風は歩み寄ってきた。

 体をかがめて観察するように覗きこまれる。間近にせまった端整な顔立ちにどきりとした。


「……相変わらずしまりのねえ顔。俺が来るのがそんなに嬉しいか?」


 涼は慌てて頬をおさえた。

 黒い瞳がすいとそれ、友風は涼の脇から縁側にあがりこんだ。


 すたすたと畳敷きの部屋のなかへ歩いていき、中央のちゃぶ台の前に胡坐をかく。

 ついでにそこにあった菓子受けから彼は茶菓子を一つ失敬した。だが涼は咎めない。

 本を閉じて脇に置くと、ちょっとだけ彼の方へ膝を進めた。


 部屋には初夏の風が吹きこんでいる。

 澄んだ清流みたいに家のなかをめぐり、汚いものを洗い流して、再び外へと出ていく。

 そうやって彼は家の邪気を祓ってくれる。それは涼が彼と出会った幼い頃から毎年変わらない。


「今年は早いね。梅雨明け初日から来てくれるなんて思わなかった」

「おまえ、今年こそは友達できたのかよ」


 約一年ぶりの再会だというのに、友風はにこりともせずそんなことを訊く。

 突き放した口調は昔からそうだが、こんな質問をするようになったのは涼が中学にあがってからだ。

 答えずに黙っていると友風が半眼になった。


「なげぇ夏休みをまた一人で過ごすわけか。寂しいやつ」


 馬鹿にされるのは毎度のことなので傷つきはしない。だが夏休みという言葉は涼の胸を軽くえぐった。

 父の仕事の関係で、月末には遠く離れた都会の街へ引っ越すことになっている。

 十七年住んだこの家とも、彼とも、お別れしなくてはならない。

 それを伝えるために待っていたけれど……すぐには言葉にできなかった。


「一人じゃないよ。友風たちが来てくれる」

「俺は遊びに来てんじゃねえ。そもそもおまえの友達でもねえ」

「……そうだね。友風はおばあちゃんの友達なんだよね」


 涼は素直に肯定した。

 言葉はきついが彼の言うことは事実だ。

 友風は梅雨明けと共にやってきて、秋が来る前に去っていく夏風の精で、もともとは人外のものが見えた祖母の秘密の友達だった。


 友風という名も祖母がつけたものだ。

 彼はおばあちゃん子だった涼に気まぐれに姿を見せてくれているだけで、会うたびに何かと小馬鹿にする。

 穏やかに話していた祖母のときとは大違いだ。

 だけど毎年ちゃんとこうして話し相手になってくれるのも事実だった。


「おまえ、いいかげん人間の友達つくれよ」


 友風があきれたような声をだす。


「別に……いらないよ。友達なんて」

「嘘つけ。変な意地張ってんじゃねえよ。本当は寂しいくせに」

「意地なんか張ってないし寂しくもないです」

「あーあーそうですか。でもこのままじゃよくねえってのはおまえだってわかってんだろ」

「それは………そうだけど」

「涼? 誰か来てるの?」


 まごついたとき、ひかえめに部屋の外から声がした。

 遅れて襖がひらき、母が顔をだす。


「……電話してたの?」


 誰もいない部屋のなかを見まわしてから、母は訊いてきた。不安と期待がいりまじった複雑な声だ。


「ううん……本を見ながらちょっと独り言」


 涼は脇に置いてあった本を持ちあげてみせた。

 母が残念そうな目をしてそう、と頷く。


 昨年の春、両親から買い与えられた携帯電話はちゃんとスカートのポケットに入っている。

 電話帳の登録件数は両親を安心させるために交わした社交辞令の数と同じ。一度も使われたことはない。

 料金明細を見ている母も、たぶんそれは知っている。


 しばしためらってからなかへ入ってきた母に、涼は本を差しだした。


「月の異称ってたくさんあるんだね。七月が涼月(りょうげつ)っていうのは知ってたけど」


 本を受け取ると母は隣に座り、ぱらぱらとページをめくった。


 涼は七月生まれだ。

 夏に吹く涼風のように、逆境のなかでも凛とした子であれ、という両親の願いからつけられた。

 でも女の子でリョウという名前はあまりない。昔は男の子みたいだとよくからかわれた。


 ちゃぶ台の前から友風が立ちあがる。

 さっと風が吹きぬけ、彼の姿は見えなくなった。

 気をきかせて帰ったのだ。庭から空へ、涼はなごり惜しく視線をすべらせた。


「……風が気もちいい季節になってきたわね。泰山木(たいさんぼく)もそろそろ咲きそう」


 おろした髪を耳のうしろへかきやりながら、母が笑った。

 涼は視線を庭の隅におろした。


 そこには七年前に亡くなった祖母が、子供の頃に植えたという古い泰山木の木が立っている。

 細長く、美しい形の葉の上にふっくらした大きな白い蕾がいくつも見える。


 花は咲くととても清々しい、すっきりとした芳香を放つ。

 その香りは初恋の香りだと、昔小学校の先生が言っていたのを、涼はぼんやり思いだした。


「毎年いい匂いだったけど、今年で見納めね」


 母が少し寂しそうに、つぶやいた。




     *




 人との会話が苦手のようです。もっとたくさん友達を作りましょう――


 涼は通信簿に毎年そう書かれる子供だった。引っこみ思案で人の輪に入っていけず、学校からはいつもまっすぐ家に帰ってきて祖母と遊んでいた。

 友風と出会ってからは学校で一人になっても気にしなくなり、自然と教室で浮いた存在になっていった。

 そして祖母が亡くなった十歳の夏。

 涼は近所の同級生達に友風と話している姿を見られてしまった。噂はあっという間にひろがり、新学期には宇宙人というあだ名がついていた。


 目の前で交信してみろとからかわれ、つい涼は祖母との約束を破って友風達のことを話してしまった。だが一生懸命説明するほど彼らは白け、最後には気味悪がって離れていった。

 涼は祖母が友風のことをむやみに人に話してはいけないと注意した意味を、そのとき初めて知ったのだった。

 思い返せば祖母自身、自分の不思議な能力のことはほとんど語ろうとしなかった。


 明らかに孤立した涼に担任教師は何度も事情を訊ねたが、涼は決して自分の説明を取り消さなかった。多少なりとも祖母の力のことを知っていた両親も、娘を責めるようなことはしなかった。

 中学にあがる頃には、涼のあだ名は宇宙人から空想癖に変わっていた。






 夏休みに入って数日後、涼は一階の和室で数学の課題に取り組んでいた。

 ちゃんとクーラー付きの自分の部屋が二階に与えられているが、小学生の頃から寝るとき以外はほとんど祖母が使っていたこの和室で過ごしている。

 障子も襖もガラス戸も全部開ければ、太陽が一番元気な昼間でも風が通り抜けてかなり涼しい。

 だがどんなに部屋が快適でも、苦手な数学の冗談みたいに長い問題式と延々向き合っていると意識が朦朧としてくる。


 少し休もうかな……と思ったとき、ぽとりと頭に何かが落ちてきた。

 何だろう、とぼうっとしたまま手を伸ばして、髪にひっかかっていたそれを取る。


 かさついた触感に首筋がぞわりと粟だった。

 指の腹にいくつか爪が刺さる感じがして――涼はひきつった悲鳴をあげ、弾かれたようにそれを投げ捨てた。


 何だったのかなんて見たくもない。眠気も一気に吹き飛び、心臓がばくばくした。

 すると頭上からくぐもった笑い声が降ってきた。


「…………友風」


 すぐうしろに立つ、満足そうな顔の彼に涼は脱力と安堵を同時に覚えた。

 縁側まで飛んでいった物体に目をやる。茶色い、蝉の抜け殻だった。


 幼い頃、手に載せて遊んだこともある。普通に手渡されればこんなに驚きはしなかっただろう。

 恨めしげにもう一度彼を見あげると、逆にむっと睨み返された。三秒もしないうちに涼は顔が熱くなって、目をそらした。


「ったく……真面目に課題なんかやってんじゃねえよ。少しは外へ出ろ。ほれ、三山主(みやまのぬし)からの土産モン」


 友風は着物の(たもと)から何やら取りだし、涼の前に落とした。

 とっさに受けとめると、丸々とした枇杷の実が二つ。よく熟れた(だいだい)色で、もぎたてなのか柔らかい産毛に包まれている。甘味のある爽やかな香りがほんのり匂った。


「すごい……よく残ってたね。もう時期過ぎたのに」


 自然と顔がほころんだ。

 三山主とは、隣町の三山さん宅の桜の木に棲む鬼だ。ただいるだけで悪さはしない。


 以前もこうして夏蜜柑や桃をくれたことがある。

 あちこち穢れを祓いながら移動する友風は、そういった妖怪の知りあいが多かった。

 祓うといっても彼は穢れを消すのではなく、風に乗せて別の場所へ運んでいるだけなのだ。形を成さない邪気の塊のようなものなら、その途中で自然に消えていくし、悪さをする妖怪なら彼らがいても困らない場所へ連れていく。

 多少、力ずくの場合もあるが基本的に恨み恨まれるような関係にはないらしい。


「おまえのためにとっといたんだとよ。来るのが遅いと俺が怒られた。あの野郎、毎回俺に運ばせるくせに礼の一つもねえ」

「そっか……嬉しい。友風もありがとう。でもやっぱりちょっと気がひける。人の家のものを勝手にもらってるってことだよね、これ」


 隣町の三山さんと涼は面識がない。

 おそらく三山さん本人は気づきもしないだろうが、涼としてはこっそり盗んでいるみたいで申しわけない。


「だったら自分でそう注意しろ。他のやつらもおまえに会いたがってたし、宴でも開けばいい」


 ぶっきらぼうに言って彼は縁側の方へ歩いて行った。

 裸足の足は全く足音をたてない。座ると思ったら友風はそのまま庭へ降りた。


「えっ、もう行っちゃうの? もうちょっとお話しようよ」


 涼は焦った。

 前回も母が来てほとんど話せなかったし、最後なのだからもっと一緒にいたい――涼の呼びかけに友風が振り向く。

 答えを待っていると彼は縁側に視線を落とし、転がっていた抜け殻を拾った。


「……おまえ、最近は連れてけって言わなくなったな」

「え?」


 思わぬ話題に涼はまじまじと相手を見た。だが思い直したように友風は首を振った。


「いや。何でもねえ。忙しいからもう行――」


 不意に彼の言葉が止まった。

 怪訝に思って涼はその視線をたどり、和室の入口に立つ母に気づいた。


「……彼がいるの?」


 母は麦茶を載せた盆を持ったまま訊いた。

 強張った表情で縁側のあたりを見ている。しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 さっと部屋へ入ってきて、涼の脇に立つと母は緊張気味の声で言った。


「……友風君、もしそこにいるなら聞いてちょうだい。涼にこれ以上つきまとうのはやめてほしいの」

「お母さんやめて」


 涼は母のスカートの裾を引っ張った。


「小さいこの子の寂しさを紛らわせてくれたのは感謝するわ。でも涼はもう大きい。今必要なのは人間の友達なの」

「やめて、あたしちゃんと自分で言うからっ」

「あなたがこの子の側にいる限り、涼はあなたを頼って現実から目を背けてしまうわ。お願いだからもう涼に関わるのはよして。私達は来週引越すの。ついてきたりしないで」


 カッと体が熱くなり、涼は立ちあがった。


「やめてよ! なんでそんな言い方するの!? 友風は悪くない……!」


 つきまとうなとかついてくるなとか、まるで彼が悪者みたいだ。

 しかも引越のことをこんな形で伝える羽目になるなんて、最悪だ。


「……ついてかねえよ。風だって通る道は決まってんだ。そこから外れることはできない」


 友風の苛立ちを含んだ声に、涼はさっと青くなった。

 母にも聞こえたらしく、隣で息をのむ気配がする。彼は手のなかの抜け殻を涼へほうると、霞むようにして空へ消えた。


 あっという間だった。

 誰もいなくなった庭に、白い日射しと蝉時雨だけが降りしきる。


 怒らせてしまったのは明らかだった。

 だがそれよりも、「ついていかない」とはっきり断言された事実が胸をしめつけた。

 わかっていたはずなのに、どこかでまだ自分は期待していたのだ。

 涼は崩れ落ちるようにその場へ座りこんだ。


 すぐ目の前に蝉の抜け殻が落ちている。

 昔も友風は涼にいろんなものを持ってきてくれた。


 生きた揚羽蝶、芙蓉(ふよう)の花、向日葵(ひまわり)の種、綺麗な石。


 どこで見つけたの、と訊くと案内してくれることもあった。

 そうやって気をひいて、家に籠りがちな涼を外へ連れだそうとしてくれた。

 ぞんざいな態度をとられても平気だったのは、いつだってやさしさが感じとれたからだ。

 でも今は、痛いだけだった。





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