下山
俺はひたすらに走った。
流れる汗もそのままに頬をなでる風を感じながら、起伏に富む地面を先読みしながら次に踏み込む場所を瞬時に決めていく。
次第に自然と一体になっていく感覚。
そして、射し込んでくる朝日の光。
......心地いい。
後ろから無数の獣が追いかけて来ていなければ。
俺は後ろに無数の獣を引き連れて、山道を駆けていた。
必死すぎて自分の異変に気づく暇もなかった。
なぜ獣と同じ、いやそれ以上の早さで荷物を背負いながらも山道を走れるのか。
なぜ、夜の森を遠くまで見通せたのか。
そして、なぜ全力で走っているのに一向に疲れないのか。
全ての疑問は現状の危機により、後で考えようという気持ちに変わっていく。
とにかく逃げ切らなくては。
朝日が昇ったあたりから、獣の気配が少なくなり始め木々が少なくなり森が切れた頃には、なんとか逃げ切ったと確信出来るようになっていた。
「ふぅ」
さすがに疲れたと俺は息を吐いた。
今まで自分が居た山を振り返る。
木々に覆われたそれほど高くはない山だが、確実に登ったはずの山とは違うと分かった。
そして木々が無くなり見通せる距離が広がった今、此処が俺が居た場所とは違う場所だと言うことを教えてくれた。
本来なら見えるはずの家々は一軒も見あたらず、未だローンの残る愛車が停められているはずの駐車場も見あたらなかった。
見えるのは何処までも続く草原と街道のみ......。
俺は霧に覆われて突然落ちるような感覚に襲われた事を思い出す。
そして山を振り返って見つめる。
(別の世界に飛ばされたとでも? 山に居た方がいいのだろうか)
しかし、木々の間だから獣に見つめられているような気分になり頭を振った。
「進むか」
前向き? いや、自暴自棄といったほうがいいだろう。
女に振られ、仕事も慣れてきたと同時に飽きてもきていた。
増える責任と残業時間。
据え置きの給料と減っていくボーナス。
命がけで山に残り元の世界へと帰る方法を探すほどの未練は正直なかった。
そして、こんな体験に少しの憧れもあったのかもしれない。
「とにかく安全に休める場所を探さないとな」
俺は後回しにした両腕の異変や胸に張り付いた奇妙な宝石の事を、更に後回しにして街道を進み始めたのだった......。