鬼火
アリス。私はそう呼ばれていた。不思議の国のアリスから名前を取ったのだろう。
あの水死した有名な猫のように、本名は無かった。
昔、飼ってくれたロマンスグレーの髪をしたおじさんが名づけてくれたのだ。
「花の咲いた菊で首飾りをつくれば面白いだろうけど、わざわざそこへ行って摘むだけの価値があるの?」
私はアリスが考えたこの言葉が好きだった。
なぜか泣きそうになる。
ロマンスグレーのおじさんは私の足を嘗めるのが好きだった。
まだやわらかかった指の肉は甘噛みされると痛かった。
爪と肉の間を舌先で撫でられると、くすぐったくて身震いした。
彼は私に幻想を抱いていた。
私は気の強くて、夢見がちな少女を演じていた。
精神錯乱気味で自分勝手な女を彼はお好みだったのだ。
彼の徹底されたマゾの精神。
私の垂らした蝋燭の溶解液は彼の背を焼いた。
火傷はまだらで月のクレーターのようだ。
苦悶の声は恋人に囁く甘い言葉のようだった。
私はその反応に虚無だった。
彼は自分の世界に入り浸っていた。
私は彼にとって道具に過ぎなかった。
パソコンにおける――キーボード/マウスのような存在だった。
私は孤独だった。
地下の陽もささない高湿度の寒い部屋の中に、私の友達は細菌を運ぶ溝鼠とゴキブリだけだった。
クモもいたが死んだ。
ここにはえさが無かった。
私は監禁されている。
でも、私にSを求める。
相反するものが同居している。
不条理な関係はどんな組織よりも強固な絆で結ばれていた。
私も彼もこの関係性から逸脱しない。
逸脱すれば、生きる意味のない人生が待ち受けていたから。
私は妄想に耽溺して、死ぬ。
そう決めた。