わたしが彼に決めたわけ
うにゅ。
足の下で柔らかな感触を感じた。
ま、まさか。
ごくりと唾を飲み込む。
ちょと待って。
ちょっと待つのよ、わたし!
お気に入りのミュールに、何が起きたのか。
それを確かめるには、心の準備が必要だった。
目を閉じて深呼吸する。
「うっ、ごほ!」
するんじゃなかった……。
思いっきり咳き込み、両手で鼻を覆った。
匂いに我慢しながら、バッグから携帯を取り出した。
午後一時二十五分。
あと五分しか猶予がない。
待ち合わせ場所の駅前まで、公園を抜けたほうが近道になる。
そう思って急いで来たのに、裏目に出てしまった。
しかも、オマケつき。
ああっ、もう!
昔の人が言ってたじゃない。
『急がば回れ』って。
公園の真ん中で、わたしは途方に暮れた。
「どうかしましたか?」
背後から声をかけられて、びくっとした。
振り返ると、清潔そうなスーツ姿の男性がいた。
柔らかな笑みを浮かべている。
「あの、その……」
突然のことで、顔が真っ赤になった。
こんなところを他人に見られるなんて。
でも、この匂いで何が起きているのか、彼にもわかったはず。
「近寄らないほうがいいですよ」
わたしは、あせって両手を振った。
ふいに彼が、わたしの足元にしゃがみ込んだ。
「ははあ、これですね」
匂いを気にもとめず、靴を調べる。
「犬の、落し物ですか」
彼がぽつりと言ったので、ますます恥ずかしくなった。
わたしは、両手で顔を隠した。
「だいじょうぶですよ」
慰めるように、彼は穏やかな声で言った。
「よろしければ、僕に任せていただけませんか?」
「ええっ?」
突然の申し出に驚いて、顔から手を離した。
わたしを見上げて、彼は優しく微笑んでいた。
あっ、もしかして……。
第六感が告げる。
わたしの白馬の王子様は、彼なのかも……。
この高鳴る鼓動が証拠だ。
「本当に、いいんですか?」
おそるおそる聞いた。
「もちろんです」
彼は立ち上がった。
「向こうのベンチまで行けますか?」
と聞き返す。
「は、はい」
わたしは、期待をこめて答えた。
* * *
「おっどろいたあ、それが馴れ初めなの?」
親友の話を聞いて、思わず大きな声を出してしまった。
カフェのなかの客が、こちらに視線を送る。
わたしは気にしないで、テーブルに身を乗り出した。
「だから、あのとき遅刻したのね。ケーキおごりなさいよ」
あのときの待ち合わせ相手は、わたし。
わたしだったんだから!
「わかってるって」
彼女は幸せそうに笑った。
左手薬指には、婚約指輪がまぶしく光っている。
はあ、うらやましい。
つい最近フラれたばかりのわたしには、結婚なんて遠い国の出来事。
でも、ひょっとすると。
ひょっとするかもよ。
帰る前に、回り道でもしようかしら。
家の近くに、大きな公園がちょうどある。
だって、『急がば回れ』っていうでしょう?
でも彼女の場合は、その逆か。
わたしは運ばれてきたケーキをほおばりながら、どうしようか考えた。
『ちびまるこちゃん』でも両親の馴れ初めエピソードとして、確かありましたよね。
恥ずかしながら、自分もです。
そういう人、意外と多いかもしれませんね(^^)
読んでくださって、ありがとうございました。