無限に広がる大宇宙《ミクロ編》
無限に広がる大宇宙《ミクロ編》
“のぞき”に快感を得る男性は多数いると思うが、自分はエロではなく小さなものを観察する行為に快楽を得る、奇妙な体質のようである。
子供の頃はルーペを持ち歩き、道端に転がる小さなものを拡大して視るのが好きだった。普通の男子は女子の脚に興味があるものだが、自分の場合は昆虫の足が特に好きだった。
まるで青銅のような硬質感のある細長い円柱には美術品のような艶。それでいて、しっかりとした剛毛がまるで鬼が持つこん棒のとげとげのように生えていて、水や汚れをはじく。先端には強力な重機のようなツメがあり、機能的で且つ美的であり、肉眼で見るときとは大きく違う光景に感動を禁じえなかった。
高校の科学室には精度の高い顕微鏡があり、自分の拡大欲求を十分に満たしてくれるそれが使いたくて科学部に入った。それでも飽き足らず、もっと小さいものが視たくなり理工系の大学を目指した。大学に入学した今は電子顕微鏡を扱うことができる研究室に入り、楽しい人生を歩んでいる。将来は趣味と実益を兼ねて、顕微鏡を使う仕事に就きたいと思う。
近年、東名工科大学の光学部では、ものすごい精度で至上最強の拡大率を誇る“量子顕微鏡”なるものを開発していた。まだ開発中であるが、理論については学術発表はされており、あとは実機での検証を待つだけの段階にきていた。
たまたま大学の指導教授の都合が悪く、代理出席というかたちで論文発表を聞くチャンスを与えられた。私は講演を聴いているうちに、完成間際のその至上最強の拡大映像が見たくてたまらなくなった。
講演後、数日の間もいつもその欲求が自分の意識に宿り、その欲求は日増しに増長していった。犯罪者、特に変態とは自分の欲求が理性で抑えきれないから時に事件をおこす。この見たくて見たくてたまらない、震えるような我慢出来ない欲求に、自分ながら変態との共通点を見出し失笑してしまった。
だが、理性とは裏腹に気持ちが抑えきれず、我に返ったときには夜の大学の裏門に身を置いていた。
伝統ある古い大学であるが故に、現代科学の粋を集めたセキュリティシステムなど無く、裏門は「ギー」と悲鳴のような音は立てたがあっさりと空いた。時折、守衛が巡回しているようだが、事件が起きたことがないからか、ゆるゆるの警備状況だった。
暗闇からその先の暗闇へと進み、構内の案内看板を見つけた。例の論文を発表したU教授の研究室は、光学部の別棟に単独で存在していた。
建物に侵入してみた。徹夜で研究を繰り返しているオタク研究員にも出くわさずに先へと進めた。お目当ての研究室はすぐ見つかり、その前で脚を止め、扉にある窓からカーテンの隙間をのぞいてみたが、中は真っ暗で人の気配はなかった。
ドアノブを回してみた。開かない。鍵がかかっているようだ。廊下を歩いてみる。廊下にも窓があった。動かしてみたが、当然ながら鍵がかかっている。古びた木造の窓枠はかなり老朽化が進んでいるようだ。何気なく持ち上げてみた。
「おっ」
なんと窓枠ごと外れたではないか。落とさないようにそっと壁の内側に下ろし、侵入に成功した。すぐに窓枠ごと元にもどし、カーテンを引いた。室内は暗かったが、外の街灯の明かりが漏れこんできていたので、徐々に目が慣れてきた。
室内を歩いてみると、また扉があった。プレートには“実験室”と書いてある。中に入ってみた。実験室の中は窓が無く、本当に真っ暗闇だった。手探りで照明のスイッチを探し、天井の明かりをつけた。
窓の無い、自分ひとりだけの空間になった。実験室の中は古びた研究棟や研究室とは違い、真新しいきれいなパネルで内装されていた。なにか急に宇宙船の中に放り込まれた錯覚を覚えた。
意外と広い。3LDKのマンション一室分程度はありそうだった。しかし、その半分は様々な機器で埋め尽くされ、さしずめIT会社のサーバールームのようだった。
メインの実験台の上には、コンピュータと接続された試料台と、VRゲーム用のものと似たモニターメガネが接続された装置が置かれていた。イスに腰掛けたら、まるで自分のもののような気になってきた。
コンピュータの電源を入れてみた。ウィーンと微かな音を立ててコンピュータの活動が開始すると、一瞬、間を置いて部屋の半分を埋め尽くしていたいろいろな装置が、ウィーン、ウィーンとそれぞれ連動して起動した。コンピュータのディスプレイ上でいくつかの初期画面表示が遷移した後、IDとパスワードが要求された。
困った。一般的には何度か認証を失敗するとセキュリティ部門に通報されたり、システムが二度と立ち上がらなくなる。したがって、あてずっぽうで入力してみるわけにも行かない。
「帰ろうか……」
そう思った。今考えてみると当然予想される事象である。
部屋の内部を見回してみると、コートハンガーに白衣が四着吊るしてあった。名札を見ると名前の上に職員や学生番号らしき記号と番号が書かれていた。これはおそらくIDナンバーに使っているだろうと直感した。しかしパスワードがわからない。
実験台の中央にある引き出しを引いてみた。付箋紙に数字が書かれているものが四枚あった。まだ正式に稼動している装置ではなく、開発の最終段階なので、おそらく仮のパスワードであろうことは、自分の大学での新しい装置導入の経験からも推察できた。
想像が当たっていても名札四つと付箋紙四枚ということは、組み合わせは十六通りでマッチングパターンは四通り。確率は四分の一。銀行のATMなどでも三回連続で失敗すると翌日まで使えなくなる。
どんな通報システムになっているかわからない。一瞬、明日の朝刊が頭をよぎった。勝手な思い込みではあるが、「二回試してダメだったら帰る」と心に決めた。
IDはU教授のものを使うことにした。問題は四枚の付箋紙のどれを入力するかだ。U教授の筆跡はわからない。と考えたとき、付箋紙に書かれている数字のインクが目についた。
教授はもう七十歳を超えている。学生の使うボールペンではなく、永い間お気に入りの文具を使っているのではないだろうか。四枚の付箋紙をよく見てみると、黒ボールペンが二枚、赤ペンが一枚、万年筆らしきツヤのいいインクが一枚。
黒ボールペンは捨てた。万年筆らしき付箋紙の数字を入力してみる。エラー表示。チャンスはもう一回。もともとこれらがIDとパスワードである保障もない。
赤ペンにラストチャンスを賭けた。入力してみた。数字を入力しEnterキーを押すと、ディスプレイ面では機械的に何も疑うことなくコンピュータのメニュー画面が開いた。
「ラッキー」
神を信じているわけでもないが、神に感謝した。
コンピュータが起動すると試料台にあるLEDランプが赤から緑に変わり、試料台の小さなディスプレイも点灯し、“Ready”と表示された。コンピュータや機器の操作は、毎日のように扱っている電子顕微鏡とほぼ同じだ。
これから始まるであろう未知のミクロの旅を想像して、急にテンションが上がってきた。
「何を見よう」
計画を立ててきたわけでもなく、なんとなく衝動的に来てしまったので、“何か”は視たいが、“何を”視たいという目的が無かった。視ること自体が目的なのだ。
自分の髪の毛を一本抜き、試料投入口に放り込んだ。何でも良かったのである。試料投入口の蓋を閉め、ロックした。そして、いつもと同じように接眼鏡を覗き込みながら機器の操作をはじめた。
モニターメガネを眼前に押し付け、やや太目のゴムバンドを頭にかけて目を開けた。結構、明るく少し目がくらんだが、すぐに慣れてきた。まるでVRゲームのような立体感を感じる視界が目の前に現れた。
立体画像の邪魔にならない上下左右には拡大率やら時間、各種計測スケールのアイコンなどが表示されている。測定スケールは、上下左右のスケール以外に角度、円周、深度など観察に必要なスケールがすべて揃っていた。
観察位置をピンポイントで指定するため、百倍に拡大されたレンズの向こうの髪の毛は、真っ黒な太いパイプがゆるやかにカーブを描き、表面は大きな鱗のようなキューティクルがまるで鎧のように髪の毛本体を守っている。立体で見えるため、まるで竜の胴体のようにも見えた。
手前には、各種スケールとは違うオレンジ色の線が見えた。視点を特定するためのガイド線とみられ、縦線と横線が直角にクロスし、制御用コンピュータのキーボードにある矢印キーで操作できた。映画で見た戦闘機の照準合わせのように、一枚のキューティクルの中心にクロスゲージを合わせた。
拡大率の操作には二つの方法があり、ひとつはコンピュータのダイアログボックスに直接数字を入力して指定する方法。もうひとつは、コンピュータの↑↓キーで拡大率を上げ下げする方法である。自分は、画面を見ながら簡単に操作できる後者を選択した。どこかの倍率で微妙に操作したくなった時に数値入力すれば良いと考えたからだ。
眼前に広がるモニター内部の景色は、↓(拡大キー)を押すたびに中心から三百六十度の光の線がきらめき、宇宙空間を高速移動しているような光景が一瞬広がる。某アニメのワープ航法のような感覚だ。
視界が安定すると、細胞が整然と並んだ細胞膜が目の前に広がった。さらに拡大すると、細胞ひとつひとつが大きく見えた。ひとつの細胞壁の向こうには原形質といわれる液状の物質がゼリーのようにゆらめき、ミトコンドリアやゴルジ体といった細胞小器官が浮遊している。原形質の奥には核が大きな惑星のように位置取っていた。
細胞核が良く見える倍率まで拡大してみた。表面に小さな凹凸を持った細胞壁の内部には核液で満たされ、そこに染色体がいくつも浮遊していた。
染色体はリボンのような螺旋状の物質がXの字と思える形状を描いてゆらめき浮遊している。そしてその螺旋構造を拡大してみると、ヒストンと呼ばれる球形の物質にDNAが巻き付き、ブドウの房が長く長くつながったような、あるいはウミブドウのような構造をしていた。
自分は大学の施設で、ここまでの拡大率までは観察した経験があった。しかし、ここから先は未体験ゾーンである。
見えそうで見えない、乙女のしっとりと白く輝く肌を薄いレースが包み込んだシーン。そんな視覚的な誘惑に気が高ぶる“のぞきくん達”に共感できる瞬間である。頭の中には次の映像の妄想が駆け巡り、まばたきも出来なくなる。
キーボードの↓(拡大キー)をさらに押し、深部へ進んでみた。
縄ばしごを下からひねったような形状のDNAが目の前に現れた。文献や想像図で見た構造モデルそのものに見えた。ちょっと違うのは、はしごの足をかける部分に塩基対があるわけだが、実際は左右の分子鎖が中間で引力でひかれ合っているように、磁石が二個、磁力で引き合うように、引き合ってはいるが、結合出来ない一定の距離を保って安定している。
分子の表面に近づいてみる。分子を構成する原子は大小いろいろなサイズが視えたが、これらの原子ひとつひとつは目に見えない膜のようなものに包まれていて融合することはない。それでもそれら原子は引力か磁力のような実態のないチカラで結びつき、分子構造を形づくっていた。
ひとつの原子の中をのぞいてみた。真っ暗な空間の中にいくつもの微かな光の粒が散りばめられていて、それらの光の粒もたくさんの光の粒の集合体であるようだった。
ひとつの光の集合体に近づいてみた。それは宇宙空間に浮遊するひとつの銀河をイメージさせた。その銀河のなかにはたくさんの恒星とおぼしき核となる惑星と、それを周回する惑星で構成させている。周回する惑星は、赤いもの、黄土色のもの、褐色のものなどそれぞれが違う様相を呈している。表面は、まるで天体観測で見る惑星で、なかには大きなクレーターとおぼしき影も見える。
さらに進み、ひとつの周回する惑星に近づいてみる。青くひときわ美しく光り輝く惑星である。近づくにつれ、どこかで見たような姿がはっきりと見えてきた。これはまぎれも無く地球ではないか。宇宙空間から望遠鏡で地球を観察しているような気分になった。
「これは今、自分が生活している地球だろうか?」
そういった疑問がわくと、無意識に脳が人差し指へと信号を送り続け、人差し指はさらに次へ次へと↓(拡大キー)を押す。
それぞれの大陸のかたち、日本、関東平野、東京。何か宇宙旅行から帰還している気分になってきた。
どこかわからないが、東京近郊の住宅街へと近づいて行った。あたりは少し暗くなっているので夕刻だろう。ある住宅のリビングはカーテンが開いていて、窓ガラスを通して大型テレビの画面が見える。ピントが合ってきて、はっきりと見えてきた。
画面の中にはお笑い番組で、黄色い和服を着たおじいちゃんが数枚の座布団の上に正座していた。
「わ~れわれは、宇宙人であ~る。ポヨヨヨ~ン」




