第23話:『極限の162キロ、共鳴する銀腕』
東京ドームの巨大な空間から、すべての音が消え去り、真空へと陥ったかのような錯覚。
マウンド上の氷室レイが放った初球――162km/hの「ライジング・ファスト」は、しみまるの視覚センサーが捉えるより早く、純粋な破壊の光を曳いてミットを叩き潰した。
「ストライイクッ!!」
審判の絶叫が、ようやくドームの静寂を打ち破る。場内は騒然となった。
機械による強制加速ではない。生身の指先が、ボールの縫い目に込めた凄まじい逆回転。それが空気を切り裂き、重力をねじ伏せ、物理法則を拒絶するように浮き上がったのだ。
(……これが、本物の極致。僕の演算予測を、一瞬で抜き去っていく……!)
しみまるの右腕、バスター・アームが、主の戦慄に呼応するようにカチリと異音を立てた。装甲の隙間から、冷たい蒸気が漏れる。
瞬間共鳴の発動
氷室は冷徹な視線を崩さない。そのマウンド捌きは、もはやアスリートのそれではなく、死刑を執行する処刑人のように静謐だった。
「どうした、からくり人形。100分の1秒の遅れが、ここでは命取りになるぞ。お前の計算は、既に死んでいる」
第二球。氷室のフォームが、先ほどよりもさらにしなやかに、鞭のようにしなる。
だが、しみまるはバットを構えたまま、静かに脳内チップの「安全装置」を解除した。
「……明日香さん、使わせてもらうよ。この腕に宿る、本当の『感覚』を」
銀色の義腕に、微細な高周波の震動が走る。
新機能――『瞬間共鳴』。
それは、相手の動作から生じる空気の揺らぎ、マウンドから伝わる微弱な地響きを義腕のセンサーが感知し、しみまるの神経系へ「予感」として直接フィードバックする禁断のシステム。
氷室がボールを放す直前。しみまるの脳内に、弾道の正解が一本の白光となって浮かび上がった。
――バキィィィィィィィンッ!!
第二球。同じく162キロの直球を、しみまるは完璧に捉えた。
打球は、音速を超えた衝撃波となって一塁線を襲う。だが、氷室は信じがたい反応速度で首を傾け、それを回避。白球は一塁スタンドのフェンスをひしゃげさせ、無情にもファウルとなった。
「……ほう。私の球を、無理やり『感覚』で捉えにきたか。だが、紀伊大和の設計思想は、そこで終わりだ」
氷室の右腕が、一瞬、不気味に青白く発光したように見えた。それはカクテル光線の反射か、あるいは。
氷室の隠された牙
第三球。
氷室の投球動作が、不自然に「止まった」ように見えた。
しみまるのセンサーが悲鳴を上げる。共鳴システムが、捉えどころのないノイズ――「存在しない弾道」を吐き出した。
(くる……っ!? いや、こない!? 重心が、消えた……?)
放たれたのは、直球と寸分違わぬ腕の振りから繰り出される、超高速の**『フォークボール・ゼロ』**。
手元で爆発するように沈むその球は、しみまるのバットのわずか一ミリ下を通過し、ミットの中へと消えた。
「空振り三振……ッ!!」
ドームを揺らす狂騒。氷室は、汗一つかいていない顔でしみまるを見下ろすと、無言でマウンドを降りた。
完璧に封じ込められた屈辱。ベンチに戻ったしみまるは、自身の右腕を見つめた。
(……あの球、ただのフォークじゃない。僕のセンサーを逆手に取った、逆位相の振動波だ。相手を『解析』すればするほど、罠にハマるようにできている……)
闇の中の密会
その夜。宿舎の静まり返った廊下。
明日香は、黒金博士が周囲を警戒しながら、一人で夜の街へ消えていくのを目撃した。
胸を刺す不吉な予感に駆られ、彼女は影に潜んで博士を追った。たどり着いたのは、華やかな東京の裏側にある、光の届かない裏路地。
一台の黒塗りのリムジンの前で、博士が立ち止まった。
ゆっくりと重厚なドアが開き、降りてきたのは――帝都キングスの最高技術顧問であり、氷室レイの父、**氷室厳**だった。
「黒金。紀伊大和の息子は、予想以上に『共鳴』を使いこなしているな。実験データとしては上出来だ」
「……厳。約束は守ってもらうぞ。しみまるの右腕が完全に崩壊する前に、あのデータを……『オリジン・コード』を渡せ」
会話の断片を耳にした明日香は、自分の鼓動が止まるかと思った。
黒金博士は、しみまるを「実験台」として敵側に売ろうとしているのか?
それとも、父・大和が遺した銀腕には、まだしみまるさえ知らない「呪い」が隠されているのか。
オールスター第二戦を前に、紀伊プラムスの絆を、目に見えない巨大な亀裂が引き裂こうとしていた。




