第18話:『轟音の銀腕、バスター・スラッガー始動』
和歌山県営球場。カクテル光線に照らされたグラウンドは、一週間前の静寂が嘘のように、地を這うような熱狂に包まれていた。
詰めかけた観衆の視線は、一点に釘付けとなっている。ネクストバッターズサークルで、静かに、しかし確実に「異形」の気配を纏って佇む背番号「19」。
かつてマウンドで、分身する魔球を操り、和歌山の希望と呼ばれたエース・しみまる。
だが今、彼の右袖から覗くのは、かつてのしなやかな人工筋肉ではない。一回り太く、鈍い銀光を放つ重装甲――**打撃特化型義腕**だ。
「……重い。だが、内側から爆ぜそうだ」
しみまるは、右腕の内部で高まる圧力を噛み締めていた。
精密な変化球を投じるためのナノ・モーターはすべて排除された。代わりに詰め込まれたのは、インパクトの瞬間に爆発的な反発力を生む「重力加速シリンダー」と、衝撃を骨格ごとロックする超硬質チタン・フレーム。
それは野球の道具というより、物理法則をねじ伏せるための「破城槌」に近い。
対戦相手は、徹底した勝利至上主義でリーグを蹂躙する「紀州ブラックベアーズ」。
マウンドに立つのは、変幻自在のパームボールで打者の芯を外す技巧派、**串本**だ。彼はマウンドの土を蹴り、不敵な冷笑を浮かべた。
「投手のお前に、打撃の何がわかる。……壊れた腕ごと、二度と野球ができねえ体に叩き直してやるよ!」
一回裏、二死二塁。先制の絶好機。
しみまるがバッターボックスに足を踏み入れた瞬間、球場の空気が、物理的な重圧を伴って変質した。
ブラックベアーズの守備陣が、一斉に動く。
データ野球の粋を集めた「しみまるシフト」。外野手はラバーフェンスに背中を預けるほど下がり、内野手は一二塁間に三人が固まる。
彼らの弾き出した最適解は非情だった――『右腕の可動域制限により、インコースは捌けない。強引な引っ張りしか、彼には残されていない』。
(……計算通りに、僕の人生が動くと思うなよ)
しみまるは、脳内チップの演算を**「打撃解析モード」**へ強制遷移させた。
視界がモノクロに染まり、飛来するボールの予想軌道が数千本の光る糸となって空間を埋める。
第一球。
外角低め、地を這うように沈むパームボール。
しみまるは微動だにしない。視覚センサーが、ボールの縫い目が産む僅かな気流の乱れから、それがストライクゾーンを数ミリ外れることを瞬時に算出した。完璧な、静寂の「見送り」。
「ボール!」
審判の声が響く。串本の顔から余裕が消えた。
第二球。
内角をえぐる、殺意の籠ったシュート。データが示した「弱点」を、力で粉砕しにくる一球だ。
その瞬間、しみまるの右腕が、キィィィィィィィン……と鼓膜を劈く高周波の駆動音を上げた。装甲の隙間から、過熱したオイルの匂いが立ち昇る。
(――衝撃吸収ロック、完全閉鎖。……重力加速シリンダー、点火!)
バキィィィィィィィンッ!!
それは、打球音などという生易しいものではなかった。
大気が爆ぜる衝撃波。しみまるが振り抜いた銀色の腕は、シュートの回転エネルギーを真っ向から喰らい、倍以上の威力で押し返した。
バットとボールが衝突したコンマ数秒、球場全体が静止したかのような錯覚。次の瞬間、白球は「しみまるシフト」を嘲笑うかのように、右中間を真っ二つに切り裂く光条となった。
「なっ……速すぎる! 打球に、追いつけ……っ!」
センターが必死に背走するが、ボールはワンバウンドでフェンスのラバーを激しく叩き、跳ね返った。
二塁ランナーの熊野俊が、砂煙を上げてホームに滑り込む。
「セーフッ!!」
先制のタイムリー二塁打。
しみまるは二塁ベース上で、熱を持つ「バスター・アーム」をゆっくりと下ろした。排熱ダクトから、青白い蒸気がシュウッと音を立てて吹き出し、彼の横顔を白く染める。
「……これなら、まだ戦える。みんなの場所を守れる」
マウンドに立てない絶望を、打席での破壊衝動に変えた少年。
だが、その歓喜を冷ややかに見つめる目があった。
ブラックベアーズのベンチでは、監督がタブレットの画面を爪で弾きながら、次なる非情な命令を下していた。
「……次は全打席敬遠だ。あるいは、あの右腕の『生身との接合部』を狙い撃て。……いいか、野球は、効率的な壊し合いだよ」
勝利へのどす黒い執念が、再びしみまるの肉体を、そして再生を誓った紀伊プラムスの絆を、奈落へと引きずり込もうとしていた。




