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からくり野球〜土壇場のジョーカー〜  作者: 水前寺鯉太郎


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第15話:『鋼の強打者、折れない翼』

  和歌山の山々を揺らしたタイタンズ戦の狂騒から一週間。

 紀伊プラムスの室内練習場には、かつての空気を切り裂く剛速球の風切り音も、魔球がミットを叩く爆音もなかった。響いているのは、歯車の噛み合わせが狂った機械が発する、砂を噛むような鈍い金属音だけだった。

「……やっぱり、動かないか」

 しみまるは、厚い包帯で固められた右腕を力なく下ろした。

 時速176キロ。あの「暴力」を真っ向から、それもバット一本で受け止めた代償はあまりに大きかった。精密なセラミック歯車は砕け、人工筋肉の繊維は過負荷による熱でドロドロに癒着している。

 傍らでモニターを見つめる黒金博士の横顔は、彫刻のように冷たかった。

「駆動系の損耗率は壊滅的だ。中枢ユニットの再構築には、最短でも三ヶ月。いいか、しみまる。この状態で一度でも全力投球をしてみろ。右肩の生身の神経そのものが焼き切れ、二度と右腕を吊るすことすらできなくなるぞ」

 エースの戦線離脱。

 リーグ戦が佳境を迎え、各チームが死に物狂いで牙を剥くこの時期、プラムスにとってこれ以上の絶望はなかった。しみまるは、油の匂いの立ち込めるベンチで、自身の右膝を拳で叩いた。

(僕は……また、足手まといになるのか? みんなが必死に繋いだマウンドを、僕は自分の手で壊してしまったのか……)

 視界が、屈辱で歪む。だが、その影を遮るように、一人の男が目の前に立った。

 紀伊プラムスの主砲、南紀豪。和歌山の山のように巨大な男が、しみまるの首筋に一本の重い木製バットを、無造作に突き出した。

「右腕が死んだなら、左腕と体幹で打てばいい」

「……南紀さん?」

「お前には、あのアイアン・ゼロの光速球を捉えた『目』があるだろ。マウンドに立てないからって、ベンチで泣き言を漏らすほど、お前の魂は安っぽいのか?」

 南紀の太い声が、練習場の静寂を震わせた。

「打て。投げる翼が折れたなら、その足をバットで補って、ダイヤモンドを駆け抜けてみせろ」

 しみまるの瞳に、再び蒼い火が灯った。

 そうだ。右腕は、ボールに一億回転のエネルギーを込める精密動作には耐えられない。だが、体幹の回転をボールに伝え、左腕を主軸としたスイングの「支え」として固定する機能なら、かろうじて生きている。

 それからのしみまるは、狂ったように打撃練習に没頭した。

 朝から晩まで、手の平の皮が剥け、金属の継ぎ目からオイルが漏れ出してもバットを振るのをやめなかった。

 リードオフマンの熊野俊からは、投手の指先の癖から配球を読み解く「冷徹な観察眼」を盗んだ。遊撃手の梅林賢からは、野手の僅かな一歩の重心移動を見て打球の方向を瞬時に変える「空間操作の技術」を叩き込まれた。

「しみまる、あんたの体は今、出力制限がかかってる。だからこそ、機械のパワーに頼らない『理屈』で打つのよ」

 メカニックの明日香もまた、自身の罪滅ぼしのように寝る間を惜しみ、打撃専用の簡易固定ギミックを開発した。右腕を胸元に固定し、最小限の予備バッテリーでバットの衝撃を受け止める、「盾」としての改造。

 そして迎えた公式戦。相手は、しみまるの故障をデータで把握し、嘲笑うかのように待ち構える「紀州ブラックベアーズ」。

 スタジアムの電光掲示板に、異例の布陣が映し出された。

『――九番、指名打者、しみまる』

 一瞬の静寂の後、観客席から地鳴りのようなどよめきが沸き起こる。

「マウンドに立てないジョーカーが、打席に立って何ができる!」

「無茶だ、片腕のサイボーグにプロの球は打てない!」

 第一打席。

 マウンド上の相手投手は、しみまるの右腕の包帯をこれ見よがしに睨みつけると、容赦のない内角攻めを選択した。動かない右腕を恐怖で縛り、打ち取る腹づもりだ。

 だが、しみまるの視界は、かつてないほどに澄み渡っていた。

 脳内チップの演算機能は投球の制御を失った代わりに、飛来するボールの縫い目、風の抵抗、投手の筋肉の弛緩状態を解析する「分析エンジン」へと完全転換されていた。

(……来る。外角低め、逃げていくスライダー。僕の『弱点』を突くつもりか)

 しみまるは踏み込んだ。

 左足が土を掴み、腰が捻転のエネルギーを生み出す。動かないはずの右腕を、左腕の剛力で無理やり押し出し、バットの面をボールの芯へと「接合」させる。

 バキンッ!!

 乾いた音が響く。

 放たれた打球は、野手の間を嘲笑うように鋭く抜け、センター前へと転がった。

「見たか! 投げてダメなら、打って勝つ! それが俺たちのジョーカーだ!」

 ベンチで竜神豪が、フェンスを叩いて吼えた。

 しみまるは一塁ベース上で、ぎこちなく右拳を、痛みとともに握りしめた。

 投球という、彼を空へ飛ばしていた翼は確かに折れた。

 しかし、彼は歩みを止めなかった。むしろ、打者としてグラウンドを別の角度から見つめることで、野球という競技の本質を、より深く、より残酷に理解し始めていた。

(……待っていてください、マウンド。僕は今、打席という場所で、野球の『からくり』をすべて解剖しているところです)

 一打席ごとに、彼の「野球脳」は劇的にアップデートされていく。

 鋼の強打者として再誕したしみまる。その冷徹な「観察眼」と、左腕一本で運命を切り拓く不屈の反撃が、今、ここから始まった。

 だが、その様子をネット裏で無表情に記録する、漆黒のスーツを着た男がいた。

「……面白い。右腕が死んでも、なお『眼』が生きているか。ならば、次の試験テストは……その眼を潰すことから始めよう」

 帝都タイタンズ、第二の刺客。

 さらなる闇が、再起を誓った少年の背後に忍び寄っていた。

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