第四節
――翌日。
私の心はざわざわとしていた。
浮足立っている、といった方が正解かもしれないけど、言い表わせない不安もある感じかもしれない。
下町から東都の中心の方へ向かう路面列車に乗り込む。
停留所で買った切符を握りしめて、空いている車内の窓側の席に腰を下ろした。
黄土色の木目を基調とした車内には、私の他に数人乗り合わせている。会話はなく、ただ静かに車輪の回る音に合わせて視界が揺れるだけだった。
車窓から見える人の流れは穏やかで、曇り空の下でも変わらない活気が目に入る。
「……」
窓に映り込む私の顔は緊張で頬が強張ってるのに、胸の奥だけはそわそわ喜んでる。普段よりも濃いめのお化粧と、お出かけの時にしか着ない朱色の着物に袴、それと長革靴がその証拠だった。
心臓から送られる血液は、指先まで熱くさせる。
そっと胸に手を置くと、鼓膜の裏側に響く心臓の音が手のひらを伝った。
同時に思い出すのは、昨日の喜美さんからの忠告。
『四楼くんなら大丈夫だと思うけど……もし変な事されそうになったらちゃんと逃げるのよ? 京ちゃんは女の子だから、私はそこだけが心配だわ』
心配そうな表情を浮かべる喜美さんに、私は「ありがとうございます、気を付けます!」と上ずった声で言ったけど、あの心配そうな表情が今は脳裏にチラついてしまう。
私みたいなちんちくりんだったら大丈夫だと思うけど……それでも、注意するに越したことはない。
それに『神楽座』という名前の劇団は、聞き覚えがなかった。
東都で新しい劇団が出来るのは不思議な事じゃないけど、名が知れていないというのはある意味信用がないことと同じ意味。
でも、不思議と心の中にある予感は温かで、だからこそ警戒心が強くなる。
『次は多々美区、多々美区。降車は列車が停車するまでお待ちください』
拡声器から雑音混じりの運転手の声が響く。
路面電車が目的地近くの降車場に到着したことを確認してから、私は切符を係の人に手渡して列車から降りた。
「多々美の方、来るの二回目……」
以前来たのは、私がまだ幼い時に両親に連れられて買い物に来た時だった。
あの時はお母さんに手を握られながら、想像よりもずっと多い人の流れに圧倒されていたことを思い出す。
芸術特区・多々美。
昔は港町だったと聞くけれど、目の前の華やかさはもう別物だ。和洋統合令によって貿易の重要拠点となってからその様相は大きく変わったらしい。
現在は東都において、最も西洋の文化が溶け込んでいる。
そこにかつての港町としての面影はない。
現在は日ノ國の文化の中心地であり、演劇や絵画、音楽の道を志す人たちにとっては憧れの街だった。
街の景観は、もはや異国と言っても差し支えなかった。
私の視界の両端には人の身の丈の何倍もある建物が立ち並び、行き交う人々の服装も和装よりも洋装の方が圧倒的に多い。
右手に見える大きな駅からは汽車の出す排気がゆったりと灰雲へと昇り、屋外席まである喫茶店では珈琲を片手に煙草を吹かしながら談笑する男女の姿が見える。
笑顔の女の人、何やら怪訝な表情の男の人に、仕事なのか焦ったように走る人。
十人いれば十人違った雰囲気を宿し、各々がそれぞれの目的を持って闊歩する。
下町とはまた違った、人々の活力と野心で揺れる街が広がっていた。
自然と心臓が早鐘を打つのがわかる。
この街の景観を見て興奮するな、と言う方が無理な話だ。背負った鞄の肩紐をギュッと握る手には、自然と汗が滲む。
奥の方でわぁっと歓声。
恐らくは小劇団による路上演劇だろうか。人垣の間から見えるのは派手な衣装を揺らし、聴きなれない音楽が埃っぽい空気に乗って鼓膜を揺らす。
「いいなぁ、楽しそう」
私もいつか……なんて考えながら、ぶんぶんと頭を揺らす。
ううん、いつかじゃない。四楼さんの話が本当なら、私も近いうちにああやってお芝居ができるんだ!
ふん、と鼻を鳴らしながら私は気を取り直して多々美を歩く。
午前中に借りてる長屋から出て、多々美に着いたのはお昼過ぎ。
裏路地から伸びる人の列の談笑を横目に、私は舗装された石畳の上を歩く。
この人の列は恐らく、昼食を求める人たちだろうか。裏路地から流れてくる温かな醤油の香りに、私のお腹がぐうぅっと鳴る。
「……ここだ」
四楼さんから指定された場所は、多々美のお洒落な建物が並ぶ大通りから一本裏道へ入った場所だった。
両脇にある煉瓦造りの建物の影響で陽の光が極端に減った裏路地は、昼間だというのに極端に暗く感じる。遠く聞こえる喧騒も、私の心をじわじわと恐怖が蝕むようだった。
建物を吹き抜けていく風もどこか物悲しい。
なんだか想像と違う、寂れた雰囲気のある場所だった。
こういう場所は昔から苦手……でも、こんな不安にも負けたらダメな気がする!
気持ちを切り替えるように、私は大きく息を吸い込んだ。
「ふぅ……よしっ」
木製の扉のノブに手をかけると、ひんやりと冷たい金属の感触。
手首を捻って内側へと押すと、長い間錆びついているのかギイィっと鈍い音を奏でる。
「お、お邪魔しまーす……」
扉の内側をのぞき込むと、明かりが点いている。中に入ると右手には階段と、建物の奥へと続く廊下が私のことを出迎えてくれた。
確か指定されていたのは三階の奥の部屋——コツン、コツンと階段を踏みしめながら私はゆっくりとした足取りで三階を目指す。
三階も建物自体の造りは変わっていないようだった。
建物の奥となると右手になる。私は立ち並んだ部屋の番号を確認しながら、目的地である部屋の前にたどり着いた。
ノブに伸ばした手が、思わず止まる。それは女の人の怒鳴り声が廊下にまで響いていたからだ。
「これ、入っていいのかな……?」
昨日の別れ際、四楼さんの言った「勝手に入ってきていいよ」と言ってくれたけど……扉越しに聞こえてくる怒声は私の弱い心をキュッと締め付ける。
でも、と覚悟を決めて、私はもう一度ノブへ再び伸ばす。
その瞬間――
「——もういいっ! アタシこの劇団抜けますっ!」
「ぁいだッ⁉」
ガンッ、と私が扉の前に立った瞬間、私の視界が鈍い音と衝撃によって眩む。
同時に制御を失って、吹き飛ばされるように倒れていく私の身体。
なんだか世界の動きが緩慢で、走馬灯のようなものも見えて、おでこに走った衝撃は熱く、遠のいていく意識の外側で悲鳴にも似た声が聞こえた気がする――ただ、私の意識があったのはそこまでだった。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
気が向いた時で構いませんので、感想や評価などを頂けると励みになります。




