第三節
あれから数日後——
「——おはようございます、喜美さん」
「あら、京ちゃん……って、なんだか元気なさそうだけど大丈夫かしら? 昨日は夜更かしでもしちゃった?」
従業員用の裏口からお店に入ると、ちょうど支度を終えてお店の方へ出ようとしている喜美さんと鉢合わせた。
なんでも気付かれちゃうなって思いながら、私は苦笑いを浮かべる。
「この前言ってたオーディションあったじゃないですか? 昨日の夜に帰ったら書簡が届いてて……不採用だったのでちょっと落ち込んでます」
「あらそうだったのね、それは残念……でも、京ちゃんなら次はきっと大丈夫よ! ほらせっかくの可愛いお顔なんだから、落ち込んでたら台無しになっちゃうわ」
「喜美さん……ありがとうございます!」
ポンポンと肩を叩いてくれる喜美さんの手は、着物越しでもわかる温かな手だった。
私がお礼を言うと「そしたら準備終わったらお店のお掃除お願いね」と言って厨房の方へと向かう。
「……よしっ」
私の胸の中には、先日の神社での出来事があった。
思い出すだけで温かい気持ちになる。彼の言葉を思い出すだけで、弱くなりそうな心に自然と活力が湧いてくる。
不思議だ、そう感じながら私は手狭な更衣室でエプロンを身に付けると、掃除道具を持って店内の方へと出た。
カウンターに喜美さんがいるだけの静かな空間。
窓から差し込む朝の陽ざしは暖かで、木目調の店内を静かに照らしている。
珈琲の豊潤な香りに混ざって、厨房から流れてくるのは洋菓子の甘い香り。確か今日はクッキーを出すって言ってたっけ。
そんな店内で喜美さんは昼時に向けて支度をしながら、何やら手元に置いてる紙に目を通しているようだった。
ぺらっと喜美さんがページを捲ると、淡いインクの匂いが鼻先をくすぐる。
「あれ、お手紙読んでるんですか?」
「あ、京ちゃん……ううん、今朝の新聞に目を通してたの。ほら、最近って色々と物騒じゃない?」
「物騒、ですか?」
私が聞き返すと、喜美さんは手拭いでさっと水気を取った手で自分が読んでいた新聞を私に見えやすいように動かしてくれる。
『東都、再ビ火ノ海ニ包マレル』
そんな見出しの新聞には、東都の中心地で火事が起きたことが書かれていた。
出火元は不明、すぐに鎮火されたみたいで、怪我人こそいるけど死者は出てないみたい。
それよりも私が気になったのはその不審火が、ここ一週間で六件も確認されていることだった。
何かが起こっている、という漠然とした予感があった。
でも、それはあくまで予感であって、確信につながるものではない。胸の中に宿るモヤモヤとした感情に私は答えを見出せない。
喜美さんの方に視線を戻すと、困惑した表情を浮かべながら頬に手を当て憂いのある溜息を吐き出していた。
「火事って本当に大変じゃない? だから、今まで以上に気をつけていかないとって思ってたのよ。京ちゃんも火の扱いには気をつけてね?」
「はい……気を付けます」
私は背筋に少し冷たいものを感じながら、喜美さんの言葉に頷いた。
そのまま店内の掃除に戻ろうとしたところで――
「――お邪魔します、誰かいますか?」
扉に付いている小鈴がちゃらんちゃらんと鳴る。
私が視線を向けると、奇妙な出で立ちの男の人が朝の光を背にしていた。
背が高い、最初にそう思った。
時流に乗ったカンカン帽の下には、くるくると渦を巻くような金髪。
浅葱色の羽織の下には長身によく似合う男礼装に身を包んでいて、その不自然さが逆に彼の雰囲気をより際立たせていた。
軽薄とも言える笑顔は、裏を感じさせながらもある種の人懐っこさがある。
恐らく香水だろうか、清涼感のある香りが外から流れる風に乗って私の髪を揺らした。
私はさっと入り口の方に駆け寄りながら、浅く頭を下げる。
それは、まだお店が準備中でお客さんが入れる状況じゃないからだ。
「あ、えーっと……すみません、まだお店開店時間じゃなくて」
「うん、知ってるよ。お店の前にある『準備中』っていう看板見てるから安心してね」
金髪の男の人はぐっと親指を立てながら言った。
何も安心できないんだけど……私がどうしようか迷っていると、背後から「あら、四楼くんじゃない」と喜美さんの声が聞こえる。
「随分見ない間に雰囲気変わったのね。あらあら、あんなに綺麗な黒髪だったのに金髪にしちゃったの?」
「あはは、お久しぶりです。こう見えても色々あったんですよ」
私が視線を右往左往させている間に、二人は昔を懐かしむように言葉を交わしていた。そのまま「準備前でちょっとバタバタしちゃってるけど、ほら入っちゃって」と、喜美さんは四楼と呼ばれた男性を店に通した。
と、店に完全に入る前に四楼さんは後ろの方へ視線を向ける。
「入っていいみたいだ。ほら唯一郎くんもお邪魔しちゃおうか」
「……失礼します」
「あ……っ!」
ひょこっと顔を出す男の人に私の心臓は雑に握られたように変な音を奏でる。
あの時、あの神社で会った男の人。
綺麗な黒髪に、少し寝不足なのか重たげな瞼と声色を見た瞬間、自然と頬に熱が上ってくるのがわかった。
と、そんな彼――唯一郎と呼ばれた男の人は私の方に軽く視線を向ける。
「アンタはあの時の神社にいた?」
「お、覚えててくれたんですか⁉︎」
裏返りそうになる声を必死に押さえつける私に、彼は「もちろん」と薄い笑みを浮かべた。
少しだけ笑みがぎこちないような気がしたけど……たぶん気のせいかな?
でも、ほんの少ししか話していなかったけど覚えててくれた……私は嬉しさを噛み締めながら二人を店内へと案内した。
二人と話をするために喜美さんも厨房での作業を切り上げて、カウンターの方でできる仕事に切り替えている。
「今日はどんな用事があって来たの? 確か四楼くんは今、西宮の方でお仕事してたんじゃなかったかしら?」
「まあ、簡単に言ってしまえば大事な用時ですね……それに喜美さん、僕が働いてるところよく覚えてますね。今は色々あって、ちょっと前に東都の方へ移って来たんです」
西宮と言えば、東都と並ぶくらい発展してる西最大の都市の名前だった。
多くの神社などがあり、昔は東都ではなく西宮の方が日ノ國の中心だった時代もある。
女学院時代に、そっちの方から来た女の子と話したことあるけど、あの独特の訛りがない……四楼さんは元々こっちの人だったのかな。
私は思考を巡らせたながら、カウンター席に座った二人へお冷を持って行った。
お礼を言って受け取る四楼さんの横顔をチラッと盗み見る。
まるで、西洋の物語に登場する王子様の様な顔立ちだった。
少し深めの掘りに高い鼻、この人が私と同じ言葉を喋っていると言うのが少し不思議なくらいだ。
年齢は私と喜美さんのちょうど中間くらいで、大人の魅力を纏う横顔に自然と視線が吸い込まれてしまう。
「あれ、何か僕の顔に付いてた?」
「あ、いえ! すみません、綺麗な顔立ちだったので思わず……っ!」
私がなかなか退かないことに気がついた四楼さんは、少し困惑した表情をした。
私が慌てて頭を下げると「綺麗な顔立ちなんて初めて言われたよー」と軽い調子で返してくれる。
多分嘘だ、この顔で綺麗とかカッコいいとか言われないわけない。
視線を唯一郎さんの方に向けると、呆れたように肩で息を吐きだしているのが見える。
「そうそう、この子は京ちゃん。二ヶ月くらい前からうちで働き始めた子なの」
「あっ、綾瀬川 京です! よろしくお願いします」
助け舟を出す様に、話に割って入ってくれた喜美さんに促される様に私は自己紹介をしながら深く頭を下げた。
あれ、何も言われない……? と思って下げていた頭を持ち上げると、四楼さんと視線が絡む。
「うん、君のことは知っているよ。唯一郎くんから聞いて、今日は君に大事な話があって来たんだ」
「私に大事な話、ですか……?」
全く状況が飲み込めなくて、困惑する私は唯一郎さんの方へ視線を向ける。
どこか居どころが悪そうに眉を顰める彼から再び四楼さんの方へ戻すと、澄んだ焦茶の瞳に焦点が絡んだ。
淡い薄桃色の唇が動く。
「うん、君を僕達の『劇団・神楽座』へ勧誘しに来たのさ」
「勧誘って……えっ――えええええぇぇぇぇぇっ⁉︎」
驚きのあまり出た絶叫はたぶん、下町中に響いたと思う。
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