第七節
「えっと、それで秘密の特訓って何をするんですか?」
私は妙さんと朗太さんに言われるがまま、昼間に稽古をしていた大部屋に来ていた。
今は誰もいない部屋の照明を付けると妙さんは先に入っていき、朗太さんは振り返って私の方へ笑みを浮かべる。
「百聞は一見に如かずだな!」
「な、なるほど……?」
私は曖昧に頷きながら、二人の後に続いて部屋の中に入っていく。
誰もいない稽古用の大きい部屋に入ると、木張りの床のひんやりとしていた。夜風が開け放たれた窓から入って来ていて、私はこのまま寝てしまいたくなる。
ただ、そんな余裕は存在しない――私は気合を入れ直すために自分の量頬をパンパンと叩いた。
「よーし、それじゃあ秘密の特訓はじめよっか」
「はい、頑張ります! よろしくお願いします!」
振り返って笑みを浮かべる妙さんに私は頭を下げる。
そのまま妙さんの指示で、私と朗太さんは向かい合うように座った。なんだかその状況が気まずくて視線を逸らしてしまう。
私たちからちょっと離れたところに妙さんも座っていて……てっきり体を動かすと思っていただけに、この状況は予想外だった。
「二人とも準備はできてるよね?」
「俺は大丈夫だぞ! いつでも来い!」
「えーっと……それで私は何をしたらいいんですか?」
私の質問に朗太さんが愉快そうな声を上げる。
「そんなに難しい事じゃないぞ!」
「それなら安心しました……てっきり特訓っていうから、めちゃめちゃ厳しいのを想像してたので、難しくないならよかったです」
今度は隣から「そんなことしないよ」と妙さんが笑う。
「今日やるのはあくまでも『京ちゃんが感覚を掴むお手伝いをする』だけだから。だから肩の力は適度に抜いてて大丈夫だよ」
「ありがとうございます!」
私が頭を下げながら言うと「大丈夫、そのために私たちがいるから」妙さんが淡い笑みを含んだ声で言う。
「この辺に関しては郎太の方が適任だから、あとは頼んだわよ」
「おっしゃ、任せとけ!」
「よ、よろしくお願いします!」
トンと胸を叩く郎太さんに私は再び頭を下げた。
私自身本当にどうしたらいいのか分からなかったから、この助け舟は本当にありがたい。
今は恥も外聞も捨てて、吸収できることはなんでも吸収して早くこの現状を打破しないと。
「まぁ、とはいえ俺からできるのは助言と言うよりも動きの指導だけだな!」
そう言って郎太さんが「まずは見ててくれ」と言いながら立ち上がると、私から三歩分くらいの距離を取る。
そのまま視線を落とす、と同時に役に入り込んだ。
ぐっと力強く立つ様はまるで『あの時に見たカグツチ様』を彷彿とさせる威厳が確かにある。
どれくらいそうしていただろう――とても長い時間だったような、しかし一瞬だったような不思議な時間の感覚を終わらせるように、朗太さんはまとっていた雰囲気を霧散させる。
「今のを見てどう思った?」
いつもの笑顔の戻った朗太さんは、しかし視線だけは力強いまま問いかけた。
私はどう言ったらいいか少し考えて、ある程度まとまったところで話し始める。
「なんというか『本物のカグツチ様』を見ているようでした。力強さというか迫力があるというか……すみません、うまくは言えないんですけど、とにかくすごかったです!」
「そうか? あっはっは! そうだろ、俺はすごいだ――ごふッ⁉」
楽しそうに笑い始めた朗太さんへ、妙さんの肘鉄が再び朗太さんの腹部へ炸裂する。
そのまま私の方へ「こいつすぐ調子に乗るから、あんまり京ちゃんおだてちゃダメだよ?」と呆れ顔で忠告をしてくれた……そして相変わらず痛そう。
いいところに入ったのだろう、しばらく苦悶の表情を浮かべていた朗太さんは、痛みが若干引いたのか横腹をさすりながら立ち上がった。
「ってて……と、とにかく、京ちゃんは今俺がやったみたいな『雰囲気』が足りないんじゃないかって妙とは話してたんだ」
「雰囲気、ですか?」
私が聞き返すと朗太さんは頷く。
「あぁ! 正直なところ今日の稽古では全く京ちゃんから『雰囲気』を感じ取れなかった。だからだと思うけど俺たちも京ちゃんの立ち位置を見失ったのかなって思ったわけだな!」
「それについては私も同感かな。それと、今の京ちゃんの問題に関しては口で説明してすぐにできるようになるものでもないとも思う。正直なところ舞台の雰囲気に慣れるしかないし、感覚の部分は体で覚えていくのが一番だと思う」
「そう、なんですね……習うよりも慣れろってことですよね。でも、そんなに私って雰囲気ないですか?」
私が二人へ聞き返すと「うん、正直全くない」と二人同時に頷いた。
「今の京だったら正直大道具の方が『雰囲気』はあるかもな!」
「アンタまた言い過ぎ……でも、私たちが伝えたいことは何となくわかったかな?」
妙さんが少し心配そうな視線を向けてくる――正直なところ少し胸に来るものがあるけど、今更そんな小さいことを気にしていたら前に進むことはできない。
私は落ちそうになる視線をなんとか持ち上げながら、二人の方へ視線を向けた。
「正直なところ、どうしたらいいのかわからないのが本音です……稽古の時に八重人くんからも『ゼンマイ人形みたいだ』って言われたんですけど、それと同じような感じですか?」
「ゼンマイ人形? うーん、どうなんだろう。朗太はどう思う?」
「俺は全くわからん!」
豪快に笑い飛ばす朗太さんに、妙さんは「アンタねぇ……」と頭を抱えながら肩で息を吐き出した。
「ごめんね京ちゃん、八重人くんが言ってることは私たちとはまた違った視点かもしれないけど、もしかしたら意味合いは同じようなものかもしれない」
「い、いえ、謝らないでください! 八重人くんからも、裏方の視点かもしれないって言われてたので……」
「そうだったんだな! 俺たちは逆に裏方の細かいこととかはわからんが、みな思ってることは同じなのかもしれないな!」
朗太さんはそう言いながら立ち上がると、私の方へ歩いてくる。そのまま私の目の前まで来て、そっと手を差し出した。
「とりあえずはやってみることが大事だ! そうと決まればやることは一つだろ?」
「は、はい……っ」
私は大きな朗太さんの手を取って立ち上がる。
今の私はどうしようにもなく未熟だから、正直どうしたらいいのかが全く分からない状態。だからこそ止まっているわけにはいかない。
私は立ち上がると、二人の方へ視線を向けた。今は弱気に押しつぶされそうになる心の平静を取り戻すために大きく息を吐き出す。
「こ、こんな私ですけどよろしくお願いしますっ」
そんな私の様子に納得したように、妙さんと朗太さんは頷いた。
「よし、さっそくなんだけどな――」
「うんうん、そしたらまずは京ちゃんには――」
——二人は私の方へ歩いてきながら、私へ何をしたらいいのかの指示を出してくれる。
こうして私と、妙さん、そして朗太さんの少しだけ長い夜が始まった。




