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ようこそ劇団・神楽座へ!  作者: 夜丹 胡樽
『演じる』その意味
16/18

第五節

 時は過ぎ、その日の夜。


 ぱたん、と紙束を閉じる音が広い部屋に反響する。


 私が手元に落としていた視線を持ち上げると、疲労感のある周りとは違っていつもの笑みを浮かべる四楼さん――


「——よし、いったんこの辺にしようか。みんなちゃんと脚本自体は頭に入ってるみたいで安心したよ。そうしたら明日からは本格的に稽古に入れそうだね」


 四楼さんはそのまま「それじゃあ今日はお疲れ様」と言って立ち上がると、ほかの団員も『お疲れさまでした』と口々に言いながら離席していく。

 皆それぞれのしたいことをするのだろう。


 事前に渡された四楼さんからの手紙では、この稽古は二泊三日を想定していて、四楼さんが言っていたことが本当なら大浴場や広めの食堂も併設されているらしい。


「……ふぅ」


 私はその様子を眺めていると、胸に安堵のような感情が流れてくる。

 その安堵はじんわりとした熱を持って、緊張で硬直していた全身をゆっくりと溶かしていった。


 私もそろそろ移動しようかな、と考えていると肩をポンと温かい感触が叩く。

 後ろへ振り向くと、柔らかな笑みを浮かべた妙さんが立っていた。


「京ちゃんお疲れー。読み合わせどうだった?」


「あ、お疲れ様です! そうですね……みなさん凄くて圧倒されちゃいました。それに自分なんてまだまだなって痛感しましたね」


 妙さんの言葉に私は素直に思ったことを答えた。


 素読みと呼ばれる、キャラへ感情などを入れないで『構成の確認』をする段階では全然ついて行くことができた。


 唯一郎さんがト書き以外の状況説明の部分を読み上げて行って、私を含めセリフのある人間がそのままの声でセリフを読み上げていく。

 なんとか噛まない様にセリフを読み上げる事ができて、私がほっと胸をなでおろしたのも束の間、次にやった『感情入れ』から一気に様子が変わった。


 声量、間、熱量……それまで学生演劇くらいの経験しかなかった私が初めて目にした『本物の演技』にただ圧倒されることしかできなかった。


 形式としては声劇に近い感じだったけど、本番を想定したセリフの応酬はまるで演技による殴り合い。

 他の人の演技に圧倒されている間に自分の番が回って来て、慌てて読むからキャラへの感情も不完全なままになる始末。


 無抵抗にやられるだけしかできなくて、どうすればいいのか分からなくて……後半はもう自分の番が回ってこないでくれとすら思った。


 妙さんへ視線を向けると、思案するように口元へ手を当てていた。


「うーん、まぁ確かに今日の京ちゃんは新人の子だなぁって感じはしたかな」


「そうですよね……」


 肩を落とす私に「あ、でも悪い意味じゃないよ」と妙さんは付け加える。


「いきなり百点を出す方が難しいでしょ? 特に今回の演目は初心者ってことを分かってて四楼くんや唯一郎くんが京ちゃんを主役に抜擢したんだし、その辺りも織り込み済みだと思うよ」


 でも、と反論する私を「まだ話の途中」と妙さんは私の方へ手のひらを出しながら制した。


「多分だけど京ちゃんは根が真っすぐで馬鹿が付くくらい真面目な方でしょ? だから全部自分ができなきゃって背負い込んじゃうんだろうけど……正直な話、演劇を舐めてるんだろうなって、私は思ったかな」


 ピリッとした空気が妙さんから漏れ出す。

 私が何を言おうか迷っている隙を突くように、妙さんは言葉を続けた。


「私は京ちゃんを同業者として見てる(・・・・・・・・・)から、ちょっと言わせてもらうね。別に真面目なこと自体を否定したいわけじゃないの。むしろそれは良いところだし、これからもその姿勢は貫いて欲しいって思ってるし」


 だからこそ、と妙さんはそれまでの雰囲気を柔らかくして笑みを浮かべた。


「どの世界でも同じだろうけど、最初はなから全部ができる人なんていないもんよ。だから、お昼の時も言ったけど、分かんないことがあったら私とかにどんどん頼っちゃいなさいな」


「妙さん……! ありがとうございます!」


 私が立ち上がって手を握ると「そしたらご飯食べながら今日の振り返りしちゃおうか」と言ってくれる。

 その誘いで思い出したように私のお腹がぐうっと鳴って、私たちは笑い合いながら食堂へ向かった。



◆◇◆◇◆



 夜風が気持ちいい。

 気温の下がった風は穏やかに頬を通り過ぎていって、どこかへ消えていく。


 腰掛ける木製の長椅子ベンチは、経年を感じさせる部分もあるけど、普通に座る分には全く問題ない。

 浴衣越しに伝わる冷たさが心地よくて、立ち上がろうにも疲れた体はなかなか動いてくれなかった。


「……」


 私は疲労の混ざった吐息を吐き出すと、閉じていた瞼を持ち上げる。


 目に届く明かりは空を綺麗に彩る雲混じりの星々と三日月だけ。

 お風呂上がりの火照った体にはこのくらいの気温が一番ちょうどよくて、意識が微睡の中に沈みそうになる。


 あれから妙さんと振り返りをしていたら、八重人くんが参加した。そのまま時間を忘れてしまうくらいに、三人でお芝居の話をしていた。


 と、そこで見回りに来た浴衣姿の四楼さんが「もうすぐお風呂閉まっちゃう時間だよー」と教えに来てくれて、私たちは慌てて大浴場に向かった。


 そのまま妙さんと一緒にお風呂に入りながら、食堂での話の続きをして、上せてしまう前に二人で大浴場を後にした時には、時刻は深夜の手前くらいになっていた。


 眠いから先戻るね、と妙さんは先に自室へ。

 その時は演劇の話をした直後で脳が冴えていたから、眠気を誘うために大浴場から少し歩いたところにあるこの場所まで来ていた。


「ふぁ……」


 欠伸が漏れる。


 あのまま一緒に妙さんと部屋に戻っていればよかったと軽く後悔をしながらも、私は先ほどまで話していた内容を脳内で思い出していると——


「——こんなところで寝たら風邪引くぞ」


「ん……あ! ゆ、唯一郎さん⁉︎」


 声を掛けられて視線を持ち上げると、そこには呆れた感情を混ぜながら笑う唯一郎さんがいた。

 唯一郎さんもお風呂に入ったのだろう。首には手拭いを掛け、少し気崩した浴衣と水気の残った宵色に染まる黒髪。


 こんな時間に人に会うなんて思っていなかったから、はしたないところを見せたんじゃないかと頬に熱が一気に上る。

 私が少し着崩れていた自分の浴衣を慌てて直していると、彼は私が座る長椅子ベンチの隣に腰を下ろした。


 私と唯一郎さんの間を穏やかな風が通り抜けていく。


「今日の稽古はどうだった?」


 ぽつり、とあまり感情の起伏がない声色の唯一郎さんの方へ視線を向けると、彼は夜空を見上げていた。

 私も視線を空へ移して、東都とは鮮やかさが違う星空を眺める。


「どうだった、ってなると上手くはいってないですね……私なんてまだまだだし、下手だし、皆さんの足を引っ張ってるんじゃないかなって今でも思ってます」


 でも、と私は言葉を続ける。


「それでも妙さんを始めにして、四楼さんとか朗太さん――それに唯一郎さんから支えてもらってるって今日は気付けた一日でした」


「そうか、それなら良いんだ」


 空から唯一郎さんの方へ視線を戻すと、彼の優し気な視線が向いていた。


 夜空を思わせる綺麗な黒紫の瞳は、三日月の明かりを反射させている。

 意匠の硝子細工のような瞳に思わず見惚れてしまって、私はぶんぶんと自分の煩悩を振りほどくために頭を振った。


 そんな私に、びくっと唯一郎さんが肩を揺らす。


「ど、どうした? 何かまだ悩みがあるのか?」


「あ、いや……そう言う訳じゃないです! ただ、その何というか、自分の脳みそのダメな部分を振りほどいてた感じというか」


 私が尻すぼみになりながら言葉を紡ぐと、唯一郎さんがぷっと噴き出して――


「——くっ、あははっ」


「あ、え? 何かおかしなことありました?」


 急に笑い出して、私は何か自分が変な事を言っちゃったのかなと心配になる。

 そのままひとしきり笑い終えた唯一郎さんは、右目に滲んだ涙を拭きながら私の方へ視線を戻した。


「ゆ、唯一郎さん?」


「おかしいというか、なんで物理的に振り払おうとしてるんだって思ったら面白くてな。いやぁ、こんなに笑ったのいつ振りだろう」


「あ……確かに、唯一郎さんが声を出して笑ってるのは初めて見たかもです」


 思えば祈結神社で会ったときも、その後の愛宕神社の時も、そして今日も唯一郎さんが声を出して笑っているところは見たことがない。


 どちらかと言えば感情の起伏があんまりなくて、言葉数の少なくて少しぶっきらぼうな雰囲気のものもあるけど、その裏にはしっかりとした優しさがある人だと思っていた。

 だからこそ、あんなすごい脚本が書ける天才肌の人だと思ってたけど……意外な一面もあるんだなと思ってしまう。


 でも、心に温かいものが広がるのを感じた。

 そんな些細なことだけど、何もうまくいっていない今の私にはとても嬉しいことだった。


「唯一郎さんも笑うんですね」


「同じ人なんだから笑うだろ……逆に俺をなんだと思ってたんだ」


「あ、いや、別に変な意味じゃないですよ? ただ意外な一面が見れて嬉しいなぁって思っただけです!」


 私が弁解すると唯一郎さんは「じゃあそういう事にしておく」と笑った。

 なんだかそれが面白くなって、私も笑うと釣られて唯一郎さんもまた「どうした?」と言いながら笑う。


 多分明日からはもっと大変な毎日になるに違いない。

 私が選んだ道はそういう道で、だからこそ逃げたくない道。


 それでもきっと明日も良い日になる、そんな気がした。

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