第五節
――その夜、神楽座の事務所にて。
「本当にすみませんでした……」
「分かったならもう二度とこんな真似しないこと、いいわね!」
「はい、気をつけます……」
私の目の前には正座をさせられている唯一郎さんと、怒り心頭と言ったように耳をピンと立てる白狛ちゃんがいた。
私はそんな二人の方へ近づいていく。
「ま、まぁまぁ……白狛ちゃんもそれくらいにしよ? 唯一郎さんも反省しているみたいだし許してあげて?」
「むぅ、京ちゃんがそこまで言うなら、今日のところはこれくらいにしてあげるわ。でも、今度アタシたちを心配させたらただじゃおかないからね!」
まだ納得していなさそうな白狛ちゃんは、それでもふんと鼻を鳴らしながら四楼さんの方へ行く。
私はその可愛らしい後ろ姿を見送った後、唯一郎さんの方へ視線を戻した。
「助かった、ありがとう綾瀬川」
「いえ、そろそろ唯一郎さんが可哀想になってきたところだったので……でも倒れてて心配したのは私たちも同じですからね?」
ずっと正座の姿勢で足が痺れたのであろう唯一郎さんの手を取ると「すまなかった」と、彼は困惑した笑みを浮かべた。
あれから私たちが事務所に戻ったら、唯一郎さんが倒れていて、それはそれは大変なことになった。
蒼狛くんは唯一郎さんが死んじゃだだと勘違いして泣いてしまい、白狛ちゃんもそれに釣られて大騒ぎ。
私も放心に近い感じになっていたところを、その中で唯一冷静だった四楼さんが「なんだ、唯一郎くん疲れて寝てるだけかぁ」と、呼吸があることを確認し、そのままベッドまで運んでくれた。
そして、唯一郎さんが目を覚ましたのだが、そこで待っていたのは、脚本制作に没頭し続けていることをずっと気にかけていた白狛ちゃんの怒髪天だった。
そこから長い長いお説教が始まり……そして、ようやく白狛ちゃんの怒りが収まったことで今に至る。
唯一郎さん自身も迷惑をかけたという負目もあって、目覚めて間もないのに白狛ちゃんのお説教をずっと聞き続けていた。
普段の落ち着いた雰囲気とは違って、縮こまる唯一郎さんは新鮮でちょっと可愛らしいなと思ったらましたけど……でも、白狛ちゃんがあんなに怒るのもわかる。
だって、あのまま本当に死んでしまったらと考えると……今でもまだ胸の奥に鈍い痛みが走る。
だけど、もうそれは過ぎたことだ。
私は立ち上がった唯一郎さんに、労いも込めて笑みを浮かべる。
「でも、唯一郎さんが頑張ったお陰で脚本は完成したんですよね? お疲れ様でした!」
「あぁ、何とかな。ここから四楼さんと話し合って、演出面との折り合いとか実際に台詞にした時の語感の調整とかは必要だが……それでも、物語の大枠は完成してる。あとで綾瀬川も読んでみて――」
と、唯一郎さんは言葉を詰まされた。
私が言葉の続きを待っていると、視線を逸らしながら言葉を続ける。
「いや、何でもない。か、感想はいらないから、読むだけでいいからな……っ」
「? えーっと、わかりました! ちゃんと読み込むの今から楽しみです!」
私がぎゅっと拳を握りながら言うと唯一郎さんは肩で息を吐き出しながら「あぁ、そうしてくれ」と言ってくれた。
そしたら私は四楼さんが脚本読み終わったら読もうかな――
「——そういえば、今日は珍しく和装じゃないんだな」
「え? あ、私ですか?」
歩き出そうとしたところに、唯一郎さんから声が掛かる。
私が振り返ると、彼はこくんと頷いた。
「この前の愛宕神社に行った時も和装だったろ? だから洋装も着るんだなって思って」
「確かにそうですね。唯一郎さんに和装じゃない服装で会うの、そう言えば初めてかもです」
自分の服装を確認しながら、確かにずっと和装だったことを思い出す。
あんまり意識した事なかったけど……初めて会った時はお仕事終わりだったし、カグツチ様に会いに行く時は和装の方が失礼じゃないかなって思って和装にした。
和装のお淑やかな雰囲気と着物の模様も好きだけど、やっぱり洋装と比べると着るのにも時間がかかってしまう。
今日みたいに夏が迫って暑くなってくる時期だと、洋装の方が楽だし可愛いものも多い。
ひらひらとスカートの先を揺らしていると、唯一郎さんが頬を掻きながら横目に私を見る。
「その、なんだ。えーっと……和装もいいが、洋装も似合ってる。涼しそうでいいな」
「っ! ほ、本当ですか!」
嬉しさのあまりぐいっと近づくと、唯一郎さんは「本当だ」と照れくさそうな笑みを浮かべた。
今日の洋装、普段と違うって気が付いてくれて褒めてくれたの白狛ちゃんくらいだったから……嬉しさでちょっと泣きそうになる。
「唯一郎さんにそんな風に言ってもらえると思っていなかったので、本当に嬉しいです! ありがとうございます!」
「そ、そうか? 綾瀬川が喜んでくれてるなら良かったが……そんなに喜ぶことか?」
「そんなに喜ぶことで――あれ、ほっぺのそれって何ですか?」
と、私は唯一郎さんのほっぺに黒い何かが付いているのを見つける。
ピッと、黒い模様のようなものが彼の白い肌に違和感のように付いていた。
「ん? 何かついてるか?」
「何か黒いものが……あ、墨ですかね?」
「っ⁉」
私がスカートのポケットからハンカチを取り出して、唯一郎さんのほっぺを拭き取ると、どうやら書き物で使っている墨のようだった
彼の手元を見ると、恐らく脚本を作っていた時に付いたであろう墨が付いているのが見える。
なんだ汚れてただけだったんだ、と私は細く息を吐き出した。
そのまま彼の手を取ってハンカチで拭き取る。
手から伝わってくる温かさに若干名残惜しさを感じながら、拭き終えたタイミングで手を離した。
「よし、これで大丈夫です。書いてる時に付いちゃったみたいですね」
「……アンタ、見かけによらず大胆だよな」
「大胆、ですか?」
私が小首を傾げると「いや、何でもない」と唯一郎さんは視線を外してしまう。
え、何か私悪いことしちゃったかな……と思っていると、ぱたんと紙束が畳まれる音が響いた。
音の方へ視線を向けると、満足そうな笑みを浮かべる四楼さん。
どうやら唯一郎さんが書いた脚本を読み終えたようだった。
「唯一郎くんの脚本読んだよ」
「あ、そうなんですね。どうでした……?」
そのまま深く腰掛けていた椅子から立ち上がると、不安そうな表情を浮かべる郎さんの方へ歩いて行く。
途中私とすれ違う時に「京ちゃんも読んでみて」と、紙の束を手渡してくれた。
「……うん、とってもいいね。唯一郎くんらしさも出ている良い脚本だ。細かい部分はこれから稽古を重ねて修正をしていくとしても、大筋に関しては文句なしだ」
「ほ、本当ですか?」
珍しく上ずった声の唯一郎さんへ、四楼さんは軽妙ながらも普段よりも楽しそうな笑みを浮かべた。
「あぁ、次の公演は『その焔は愛の調べ』で行こう――」
――これから忙しくなるね、と四楼さんは大きく伸びをした。




