クラスの陰キャが急に告白してきた理由を、俺は一生忘れられない
「……あの、ちょっといいですか」
六月の終わり、じめっとした空気が教室を包む放課後。
教科書を鞄に突っ込んでいた俺は、背後からの小さな声に振り向いた。
「え?」
立っていたのは、クラスで“陰キャ”と呼ばれている白石紗良だった。
長い前髪で顔を隠し、いつもノートに何かを書いている。正直、俺もろくに会話したことはない。
「なに?」
気のない返事をした俺に、彼女は小さく拳を握りしめて――
「わ、私……好きです! つ、付き合ってください!」
――教室の空気が止まった。
「…………は?」
近くで片付けしていた友達が「え、マジ?」と小声を漏らす。
俺は冗談だろと思って笑いかけたが、白石の顔は真剣そのもの。
「い、いや……待て待て。なんで俺?」
「……それは、あとで話します。放課後、校舎裏に来てください」
そう言うと彼女は走るように教室を出ていった。
残された俺と友人たちの間に、ざわめきが広がる。
「お前、白石と仲良かったっけ?」
「いや全然」
「告白されてんじゃん。やば」
俺は頭を抱えた。まさかの一日が始まった気がしていた。
校舎裏
夕陽に照らされたフェンスの前で、俺は立っていた。
やがて足音がして、白石が現れる。
「……来てくれたんですね」
「いや、来るしかないだろ。あんな告白されて無視できるかよ」
「……ごめんなさい、驚かせて」
「正直ビビったよ。で、なんで俺?」
彼女は深呼吸してから、顔を上げた。
「……去年の冬、助けてもらったんです。私が……怖い人に声をかけられて困ってたとき」
「……あ」
思い出した。帰り道で知らない男に絡まれていた女の子を見かけて、なんとなく声をかけて一緒に歩いた。
深く考えずにした行動だった。
「あのとき、あなたが『一緒に帰ろう』って言ってくれて、本当に救われたんです。怖かったけど、あの言葉で……生きてていいんだって思えた」
白石の声は震えていたが、瞳は真剣だった。
「だから……どうしても伝えたかったんです。ありがとうって。そして……好きだって」
俺は言葉を失った。
ただの気まぐれのつもりが、彼女の人生に深く残っていたなんて。
数日後
それから俺と白石は、少しずつ話すようになった。
「白石って、いつも何書いてんの?」
「……日記、です。誰かに優しくされたことを忘れないように」
「へぇ……真面目だな」
「……笑わないんですね」
「笑うかよ。いいと思う」
そんな会話を重ねるたび、彼女がただの“陰キャ”じゃないことに気づく。
ちょっと天然で、本好きで、笑うと意外に可愛い。
「白石、意外と笑うよな」
「そ、そうかな」
「うん。もっと笑えばいいのに」
「……じゃあ、あなたの前だけ」
その言葉に、俺の心臓は跳ねた。
放課後の図書室で一緒に勉強したり、購買でパンを分け合ったりする日々が続いた。
雨の日には傘を忘れた俺に、自分の折りたたみを差し出してくれた。
「風邪ひいたら困りますから」
「お前はどうすんだよ」
「……走れば大丈夫」
「バカ、二人で入ればいいだろ」
「……え、あ……」
真っ赤になった顔を、今でも思い出せる。
あるとき、俺はうっかり彼女のノートを覗いてしまった。
そこにはびっしりと「今日、誰々にドアを押さえてもらった」「先生が名前を呼んでくれた」など、小さな優しさの記録が並んでいた。
「……見たの?」
「ごめん! ちょっと目に入って……」
「恥ずかしいです。でも……こうやって書くと、世界が少し優しく見えるんです」
「……白石らしいな」
彼女の言葉に、胸の奥が温かくなった。
しかし
そんな日々が続いたある日の放課後。
白石が深刻な顔で言った。
「……実はね、私、来月転校するんです」
「は?」
「親の仕事の都合で……。だから本当は告白なんてするつもりなかった。でも、伝えたかったんです。感謝と……気持ちを」
「……なんだよ、それ」
胸が締めつけられた。せっかく近づけたと思ったのに。
「最後まで、友達でいてくれますか?」
「……友達、じゃダメだろ」
思わず言ってしまった。
白石は驚いた顔をしたあと、小さく微笑んだ。
「……ずるいですね」
その声は、泣き笑いみたいに震えていた。
転校の日
教室の空気は、少ししんみりしていた。
いつも静かな彼女の机に花が置かれ、クラスメイトが「元気でな」と声をかけている。
「……これ、受け取ってください」
彼女は小さな封筒を俺に差し出した。
「手紙?」
「はい。読んでくれたら、それで十分です」
「……最後に、もう一度だけ笑ってくれないか」
俺の言葉に、白石は驚いたあと、少しだけ照れたように笑った。
その笑顔が、胸に焼きついた。
彼女は深く頭を下げ、笑顔で教室を去っていった。
その背中を、俺はただ目で追うことしかできなかった。
その夜
封筒を開くと、几帳面な字で書かれた手紙が入っていた。
『あの日助けてもらったこと、私は一生忘れません。
誰かの優しさは、必ず誰かを救うって信じられるようになりました。
だから私も、誰かに優しさを渡していきます。
本当に、ありがとう。
それから……もしまた会えたら、そのときは胸を張って言います。
「あなたが好きです」って。』
読み終えたとき、涙がこぼれそうになった。
俺のしたことは、本当に小さなことだった。
でも、それが誰かを変えられるのなら――。
それからの日々
白石と離れてからも、俺の毎日は彼女の影響を受けていた。
困っている人に声をかけたり、後輩に勉強を教えたり。
「優しさは巡る」――あの言葉を信じて、俺も誰かに小さな勇気を渡そうとした。
そしてある日、ポストに新しい手紙が届いた。
『新しい学校はまだ慣れません。でも、あのときの思い出があるから頑張れています。
もし弱くなりそうなときは、あなたに言われた「一緒に帰ろう」を思い出します。
私にとって、それが魔法の言葉なんです。』
何度も読み返すたびに、胸が熱くなった。
白石にとって俺が魔法なら、白石もまた俺の心に魔法をかけた。
数年後
大学生になったある日、ふと立ち寄った図書館で懐かしい横顔を見かけた。
本を抱えて立っていたのは――白石だった。
「……白石?」
振り向いた彼女が、少し驚いて、それから柔らかく笑った。
「……やっぱり、あなたでしたか」
あのときと同じ笑顔。
胸の奥にしまい込んでいた記憶が、一気によみがえる。
俺は迷わず口を開いた。
「……今度は、俺の番だ。好きだ。付き合ってくれ」
白石は驚いたように目を見開き、次の瞬間、頬を赤くして小さく頷いた。
「……はい」
その返事を聞いた瞬間、俺の中で止まっていた時計が動き出した気がした。
終わりに
あの日の告白は、ただのお礼ではなかった。
俺と白石を繋ぐ、運命の始まりだったのだ。
「――クラスの陰キャが急に告白してきた理由を、俺は一生忘れられない」
それは今も、俺の胸の中で輝き続けている。