第1話|ここ、どこ……!?
(──ん、く……)
まぶたの裏が、じんわりとあたたかい。
それと同時に、背中にふかふかの感触──これは……ベッド?
(あれ、わたくし……寝てた?)
ゆっくりと目を開ける。
まず見えたのは、天井。高い。
その天井には、金の唐草模様が美しく彫り込まれていて……
目がチカチカするくらい豪奢で。
(え、ここどこ……?)
ばっ! と跳ね起きる。ふかふかのベッドがぐらりと揺れた。
わたくしは慌てて辺りを見回して──そのまま、固まった。
大理石の柱。
重厚な調度品。
黒と深紅のカーテンには金糸の刺繍。
床は磨き抜かれ、壁には……
タペストリー?
龍の紋章?
何、このセンス。
(寝台もシーツも、香りも……上等。でも……)
明らかに、王宮じゃない。
わたくしの部屋じゃない。
──じゃあ、ここは?
(…………っ)
記憶が、断片的によみがえる。
舞踏会。
煌びやかな会場。
婚約発表。
ゼノの手。
そして──
あの、漆黒の男の姿。
「魔王様……!」
口から、するりと名前が漏れた。
そう、あのとき。
わたくしを“さらっていった”のは──魔王。
(つまりここは……ま、魔界!?)
(そう、魔王様が住まう場所──それなら、魔界と呼ぶのも、間違いじゃない……かも?)
パニック。これは夢? それとも現実?
──夢なら早く目覚めてくださいわたくし!
「目が覚めたようだな」
そのとき、不意に背後から声がした。
低く、柔らかく、けれど、背筋がぞくりとするような響き。
振り向くと、そこにいたのは──
「ま、魔王様……っ!?」
あのときと同じ、漆黒の礼装。
深紅の瞳が、まっすぐにわたくしを見ていた。
「落ち着け。誰も害しはしない」
「……っ、さらっておいて、何を……!」
ばっ! とシーツを握りしめた。
でも、震えている自分に気づいて、悔しくなった。
わたくし、怖がってる。
怖いと思ってる。
でも、それを見せたくない。
魔王様は、ふぅ、とため息をついた。
「そういう反応も予想済みだ」
「じゃあ、どういう反応を期待してたのです!?」
「……そうだな。“来てくれてありがとう”とか?」
「ないですっ!!」
ばしっ! と枕を投げてしまった。
反射的に。ほとんど本能で。
でも魔王様は、それをひょい、と軽く受け止めて──
少しだけ、笑った。
「思ってたより元気そうで、安心した」
「……からかってます?」
「いや。俺はいつだって本気だ」
(……なんなの、この人)
距離、近いし。
視線、強いし。
あと、ちょっと……いい匂いするし。
なんかこう、香水じゃなくて、本人から漂ってくる感じの……危険な香り。
スパイスと黒曜石と……なんで例えよう、これ。
やだ、意味わかんない。
(落ち着いて、アリシア。これは罠。敵陣。魔界)
(こんな雰囲気に惑わされてはだめ。絶対)
「そろそろ、紹介しておくべきか」
魔王様がふと視線を横に向けた。
わたくしも釣られて、そちらを見た瞬間──
ぴしっ、と冷たい気配が走った。
「……目覚めたようですね、“姫君”」
そこに立っていたのは、
ぴっちりとした軍服姿の、銀髪の美女だった。
その目は、わたくしを見るというより、値踏みするように細められていて。
(……この人、たぶん、わたくしのこと、好きじゃない)
服装も、姿勢も、隙がない。
完璧すぎて、逆に怖い。
「……で?」
「へ?」
「だから。
なぜ、私の主が、貴女などを連れ帰ったのかと聞いているのですけれど?」
鋭い声とともに、目の前の女性が一歩、詰め寄ってくる。
(ちょ、なにこのひと……)
赤い軍装。腰にはレイピア。
鋭い緑の瞳に、揺るがない自信を携えて、堂々とわたくしを睨みつけてくる。
──あ、これ、あれだ。
騎士団の教本に載ってた、「敵意の探知」。完全に発動してる。
「主直属第一部隊・副官、カリーネ=ヴァルトライン。
……“魔王様の剣”と呼ばれているの、ご存じかしら?」
「え、あ、あの……ごめんなさい、初耳です」
(ていうか、今の自己紹介、いります?)
思わず一歩下がると、彼女はさらに一歩、前へ出る。
こういうの、なんて言うんでしたっけ。
そう──マウント。
◇◇◇
「第一王女、アリシア=エルヴァンシア。
お名前は、存じております。
かの王国では名のある方だとか」
(名のある、って。なにその言い方。ぜったいバカにしてる)
カリーネは、細い指で顎を撫でながら、ふんっと鼻を鳴らす。
「で、貴女はどういうご関係で?
“恋人”?
“運命”?
まさか“前世のつがい”とか、そういう設定ですか?」
「いえ、あの、わたくし自身が一番びっくりしてまして……」
「ではなぜ、我が主が貴女を“姫抱っこ”で連れ去る必要が?」
そこ、強調しないでくださいっ!
「もしかして……なにか“特別”なご関係でも?」
「ち、ちが……!」
「……ふーん?」
うわ、いまの“ふーん”絶対信じてない。
言葉にはしないけど、目が言ってる。
『はいはい、魔王様の“お気に入り”ってわけね』って。
「カリーネ」
その声が響いた瞬間、空気が変わった。
(……っ、また、きた)
わたくしは、びくりと肩をすくめる。
この声、覚えてる。
どこまでも低くて、でも、不思議と冷たくない。
カリーネ副官が、びしっと直立して、振り返る。
「主。申し訳ありません。
未確認人物ゆえ、念のための尋問を──」
「尋問ではなく、威嚇だっただろう」
「……はい。つい、癖が出ました」
(癖でやるんですか、これ……)
魔王様──
レオナルトは、わたくしのほうを一瞥し、わずかに目を細めた。
「アリシアは“客人”だ。粗略に扱うな」
「……はっ」
(きゃ、客人……! 人質じゃなくて!?)
カリーネは、ぐっと唇を噛みしめながらも、ぴしっと一礼する。
「……でしたら、どなたが対応を?」
「グリムにでも任せる」
「えええっ!? あの変人宰相をですか!?」
思いっきり裏返った。
副官、けっこう感情出るタイプだった。
(変人……宰相……!? だ、だいじょうぶかしら、この国)
「誰かが面倒を見る必要がある。
今はまだ、“こっちの空気”にも慣れていないだろう」
(う……たしかに、そうかも)
「それに……」
魔王様はわたくしに目を向けると、口元だけで静かに笑った。
「いずれ、“思い出す”のだからな」
(……えっ)
思わず息をのんだ。
思い出す? なにを?
でも、魔王様はそれ以上何も言わず、すっと背を向ける。
「……案内してやれ。
まずは、部屋くらいは整えておけ」
「……畏まりました」
◇◇◇
カリーネは不服そうに目を伏せながらも、律儀に敬礼した。
「……では、こちらへ」
「え、あの、でも──」
「文句は、ありませんわよね?」
(……うん。これは絶対、後でいびられるタイプのやつ……!)
わたくしは、こくこくと小さく頷いてしまった。
カリーネ副官はすぐに踵を返し、スタスタと歩き出す。
(ちょ、速いっ! 待って……っ)
慌ててベッドから下りようとして──
「……きゃっ!」
足がもつれて、よろけた。
でも、その瞬間。
「危ない」
ぴたり、と支える手が伸びた。
その手は大きくて、でも驚くほど丁寧で。
「まだ身体が慣れていない。無理をするな」
「ま、魔王様……」
(あ、やば……また近い……っ)
顔がすぐそばにある。目も。唇も。
見えちゃいけないものまで、見えそうな距離感で──
「……っ、だ、大丈夫ですっ!」
恥ずかしさをごまかすように、わたくしはぴょんっと飛びのいた。
魔王様は、すこしだけ目を細めたけれど、それ以上は何も言わず、ゆっくりと扉の外へ歩いていく。
(……変な人。でも、なんか……気になる)
わたくしは、その背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
「急ぎなさい。
宰相閣下に渡す書類も用意しなくてはならないの」
カリーネ副官が、振り返りもせずに言う。
「は、はい……」
(はぁ……お城の外って、もっと怖いところかと思ってたけど……)
怖いというより、
なんというか、こう──
なんだか妙に順調すぎる気がするんですけど!?
そんな疑念を抱えながら、わたくしは重たい扉の向こうへと、第一歩を踏み出した。
──こうして、“お姫様 in 誘拐された?”生活が、静かに、でも確実に始まったのだった。
◆あとがき◆
読んでくださって、ありがとうございました!
──まさか、気がついたらお城の外でした。
なんで!? わたくし、舞踏会にいたはずなんですけど!?
しかも、魔王様は相変わらず距離が近いし、香りもなんか危ないし。
そして何より──副官! あの副官が! 初手から全力マウントなんですけど!?
「前世のつがいですか?」って何その圧。
誰か説明して……というか、わたくしにも教えてください。
……というわけで、 次回、第2話は──副官のマウントが止まりません。
どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします!
※現在、感想欄は一時的に閉じていますが、
7月13日(日)の最終話公開後に再オープンいたします。
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書き手として何より嬉しいです!