第4話|仮面の姫は、笑ってみせる
今日は──舞踏会。
婚約発表の日。
(……って、もう、今日だけで百回は聞いたんだけど!?)
しかも、その“婚約者”っていうのが、よりによって、わたくし。
王女アリシア=リュミエール=エルヴァンシア、という肩書きを持つ、このわたくしである。
「アリシア様、本日は大切な日でございますね」
「アリシア様、ドレスの裾、お直しいたします」
「アリシア様、笑顔はもう少し、柔らかく……」
はいはい、ありがとうございます。
(こっちは朝から何度着替えさせられてると思ってるのよ!?)
お部屋の扉が開くたびに、侍女たちが入れ替わり立ち替わりで──
まるで“わたくし”という舞台装置を、完璧に仕上げるためだけに存在しているかのようだった。
でも、わたくしは王女。
王族の血を継ぐ身として、舞踏会なんて、何度も経験してきた。
ドレスの扱いも、笑顔の作り方も、視線の配り方も、全部“学んだ”こと。
けれど今日は、何かが違う。
鏡の中のわたくしは、確かに完璧だった。
金糸のように輝く髪は、ふわりとハーフアップに結われ、
銀と真珠のティアラが、控えめながらも高貴な存在感を放っている。
蒼のドレスは、裾にかけて光を集めるようなグラデーション──
(これ……一体、何メートル布使ってるのかしら……?)
そして、顔。
(……わたくし、こんな顔……してたかしら?)
無理やり引き上げた口角。
ガラス細工みたいに作られた“完璧な笑顔”。
それは、どこから見ても“姫”だったけれど、
わたくしの“内側”は、もうとっくに限界だった。
「お支度、整いましたわね、アリシア様」
そう言って微笑んだのは、側仕えの老女。
幼い頃から仕えてくれている人で、唯一、言葉に棘のない存在。
「ありがとうございます。……もう、後は出るだけですわね」
「ええ。どなたが見ても、“誇らしき王女”です」
(……ええ。外見だけは、ね)
わたくしは、ドアの向こうに広がる世界に向かって──
ゆっくりと、呼吸を整えた。
心臓が、いやに静かだった。
まるで、これから起きる何かを予感しているかのように。
(大丈夫。これはただの“儀式”。演じ切ればいい)
いつものように。
何も感じないふりをして。
都合のいい“姫”を演じれば──
「アリシア様、ご準備を」
「はい。行きましょうか。完璧な“姫”として」
わたくしは、仮面のような笑顔を浮かべて──
光の海へと、踏み出した。
◇◇◇
舞踏会の会場は、まるで“光の海”だった。
大理石の床には、シャンデリアの光が幾重にも反射して揺れている。
天井からは星のようにきらめく燭台が吊るされ、
壁一面には──季節外れの薔薇。
真紅、白、紫……花言葉なんて、今さら気にしても仕方ないけれど。
(これって、全部温室から運ばせたのよね……)
貴族たちの視線が一斉にわたくしを捉えた瞬間、
一歩目の足音が、どこか遠くで響いた。
「アリシア様……!」
「まぁ、なんてお美しい……!」
「童話の姫君そのものですわ!」
「まるで、ゼノ様とお揃いで描かれた聖なる絵画のよう……!」
(はいはい、ありがとうございます)
口に出すわけにはいかないけれど、心の中ではもう十回くらい頭を抱えている。
“聖なるカップル”って、なに?
どうせだったら“永遠の契り”とか、もっと中二病っぽくしてほしい。
──そして。
舞台に立つ俳優たちの中でも、もっとも重たい台詞を担うのは、
国王、すなわち──お父様。
「皆の者、静粛に」
声が響くと同時に、場が凍るように静まった。
楽団の旋律すら、一瞬だけ止まる。
「本日、我が王女、アリシア=リュミエール=エルヴァンシアと、
グラナート公爵家の嫡男、ゼノ=グラナートの婚約を、ここに正式に発表する──」
パァンッ!!!
祝砲のような拍手が、会場の空気を一気に跳ね上げた。
「まぁっ!」
「きゃああっ!」
「おめでとうございます~~!!」
グラスがぶつかる音。
こぼれたワインの香り。
貴族たちの祝福の声が、波のように押し寄せる。
(すご……ほんとに“やっちゃう”んだ、このイベント)
まるで見せ物みたい。
……いや、実際、見せ物なのかもしれない。
王家と公爵家の婚約。
これは“政略”と“儀式”の頂点。
「アリシア様」
隣に立つゼノが、申し分のない笑顔で手を差し出してきた。
「お気持ちは、大丈夫ですか?」
(……出た。気遣い風の呪縛セリフ)
まるで選択肢があるように見せかけて、選ばせる気なんて微塵もない台詞。
“あなたは大丈夫って言うしかない”って、知ってるくせに。
でも、わたくしは姫。
“演じる”ことこそが、今の“正解”。
軽くドレスの裾を摘み上げて、
首を傾けて、にこっ。
「もちろん、ゼノ様。とても、光栄ですわ」
言葉通りの意味じゃない。
わたくしは、ちゃんと“仮面”をかぶっている。
微笑み返して──会釈して──ふわりとゼノに手を預ける。
はい、完成。完璧な姫アリシアです。
(……仮面つけてないけど、これ、仮面舞踏会だと思ってる)
どこからどう見ても、完璧だった。
──その時。
ぴたりと、空気が止まった。
(……?)
カシャン。
小さな音。
ワイングラスが震えた?
……誰?
騎士たちが、一瞬だけ動いた。その中央──
(……セイル?)
いた。
あの寡黙で、忠実で、でも過保護で、忠誠心が狂ってる護衛。
(やめて、その目、ほんとやめて?)
表情はないのに、目だけが熱い。
まっすぐに、わたくしを見ていた。
(その目、“お前はそれでいいのか”って言ってる? 無理、やめて)
今まで完璧に進行していた婚約お披露目イベントに、
突然、一滴の“異物”が混ざった──そんな瞬間。
◇◇◇
──そして。
「……きぃ……」
扉の音が、静かに鳴った。
会場の奥──
舞踏会の“正面玄関”にあたる、重厚な両開きの扉が、ゆっくりと開かれていく。
(……あれ、予定されてた招待客、もう全員揃ってるはずよね?)
ざわっ──と、会場が揺れた。
「どなた……?」
「今の時間に、誰か?」
「案内もされていないなんて──無礼者ですわ!」
貴族たちの視線が、一斉に扉へと向かう。
楽団の音が、ひゅうっとしぼむように止んだ。
緊張と警戒の入り混じる、異様な空気。
──わたくしは、その“気配”を、確かに感じた。
(……来た)
鼓動が跳ねる。
冷たい風が、背筋を撫でたような感覚。
見えないのに、肌が粟立つ。
何かが、入ってくる。
この空間を、容赦なく“塗り替える”ような──そんな存在が。
「……失礼。遅れてしまったようだね」
低く、よく通る声。
一瞬で、全ての視線をさらっていった。
まだ影だけしか見えないのに、誰もが理解してしまう。
“格”が違うのだ、と。
足音が、ひとつずつ響いてくる。
堂々と、恐れも躊躇もない歩調で。
(……この声……この空気……)
「ど、どなたですの!? ここは王城、無断の入場など──」
誰かが叫んだ声も、掻き消された。
わたくしの手が、わずかに震えていた。
けれど、それを押し殺して、口元だけは笑っている。
──完璧な姫を演じるために。
だけど、わかる。
(……もう、“演目”は終わった)
婚約発表も、祝福の拍手も、
ゼノの完璧な笑顔も、
セイルの沈黙の視線も──全部。
今、この瞬間から、わたくしたちの“舞台”は書き換えられる。
(これから先は、誰の筋書きでもない)
(誰かに用意された未来じゃない)
──物語が、始まる。
本当の物語が。
そして、わたくしの“運命”は──あの男と、出会ってしまう。
◆あとがき◆
仮面を被り、笑うだけの姫──
その舞踏会は、祝福か、それとも茶番か。
でも、それすらも崩れ去るのが、この物語です。
次回、第5話「お姫様、攫われました」
お約束を、どうぞ楽しみに。