第3話|護衛のくせに、距離、近すぎるのよ
「セイル、そこ、じゃま」
「申し訳ありません、姫。ですが、その角度では陽が強すぎます」
「日焼けなんて、気にしていませんのに」
「姫の肌は絹のように繊細です。刺激は避けるべきかと」
「……わたくしのこと、なんだと思っているのかしら」
思わずため息がもれる。
けれど、わたくしの前に立つ彼の表情は、いつも通りに無機質だった。
セイル・クレイド。
わたくしの護衛であり、文官補佐であり、そして──
(なぜ、あなたはそんなに、いつも“ぴったり”といるの?)
彼は一歩も引かず、わたくしの半歩後ろを忠実に守り続けている。
それが義務であることは分かっているのよ? でも。
「セイル、少し、距離を……」
「ですが、ここを離れれば、万が一の際にすぐに対応できません」
「わたくしに“万が一”なんて、そうそう起こりませんわ」
「姫には一度、それが起きました」
「…………っ」
そう。
わたくしが10歳のときに起きた誘拐事件。
わたくしは覚えていない。けれど、彼は──違った。
「……あのとき、わたくしが言ったこと。覚えているの?」
「『ありがとう、セイル。あなたがそばにいてくれると安心するの』──あれは、嘘ではないと、信じております」
「……っ!」
やめて。
そんなふうに、迷いなく、優しく言わないで。
その声は優しくて、冷たくて、怖い。
セイルはわたくしのそばから、絶対に離れない。
寝室の扉の前にも、控室の出入り口にも、
庭園の影にも──いつもそこにいる。
声をかければ一秒で応じ、呼ばなくても視線の届くところに必ずいる。
──まるで、
(わたくしの“影”になったみたい……)
「……セイル、どうしてあなたは……そこまで……」
「姫の“そば”にいることが、私の役目だからです」
その言葉の奥に、どんな感情が潜んでいるのか。
彼は、決してそれを見せようとはしない。
だからこそ、怖いの。
彼が本当に何を想っているのか、わからないから。
◇◇◇
「それにしても、セイル。あなた、さっきからずっとわたくしを見ていません?」
「はい。姫に危険が及ばぬよう、常に注意を払っております」
「……そうじゃなくて。いえ、なんでもありませんわ」
なんでもないけれど、でも。
(ずっと見られてるって、こういう感じだったかしら?)
セイルのまなざしは、冷静で穏やかで──
なのに、ひどく鋭い。
まるで、わたくしの心の奥まで、すべて見透かしているようで。
「さっきのお茶会……あなた、なぜついてきたの?」
「姫が初めて伺う公爵令嬢の館です。
警備体制も把握できていなかったため、同行が必要と判断しました」
「でも、侯爵家の付き人さんが“あれは異様”って言っていたのよ?」
「“異様”と“不要”は別です」
「…………」
返す言葉が、なかった。
理屈では、正しい。
でも、それだけじゃないって、わたくしは思っているのに。
「セイル、あなた……わたくしがいないと、だめなの?」
「はい?」
一瞬、彼のまなざしが揺れた。
「あなたのほうが、わたくしより“わたくしの存在”に執着していません?」
「……姫、それは──」
「冗談よ、冗談。ちょっと言ってみただけ」
嘘。
ぜんぜん冗談なんかじゃない。
だって、本当に怖いと思っているもの。
──この人の、静かな“執着”が。
声を荒げるわけでもない。
触れてくるわけでもない。
でも、すべての距離が“近すぎる”。
(まるで、呼吸まで把握されているような……)
「姫。今日の護衛任務は、ここまでです。
夜間は他の者が控えますので」
「え……そうなの?」
「はい。ですが、万が一の際には、すぐに駆けつけます。
私室の外で待機しておりますので」
「──意味、ありませんわよね、それ」
「姫に何かあったら、意味がない。だから、私は待機します」
「…………っ!」
まただ。
その静かな声に、なぜだか胸がざわつく。
(どうして……どうして、あなたは……)
◇◇◇
「……あのね、セイル」
「はい、姫」
「わたくし、あなたのこと……信頼してるわ。
ほんとうに」
「……ありがとうございます」
「でもね、信頼って、べつに四六時中そばにいなくても、できるものだと思うの」
「……姫は、私を遠ざけたいのですか?」
その声に、わずかに感情の波が乗っていた気がした。
「遠ざけたい、というより……
ちょっと、息が詰まるというか……」
「……」
言葉を失ったように、セイルは黙り込む。
けれど、その視線は変わらずわたくしを見つめていて。
(ああ、やっぱり怖い……)
怒っているわけでも、責めているわけでもないのに、
なぜだか、わたくしの心がぎゅっと掴まれる。
「姫の安全と幸福を最優先にと命じられました。
私にとって、それ以外は意味を持ちません」
「命じられた……それは、お兄様?」
「はい」
「……それで、あなたは、それに従ってるだけなの?」
「……いいえ。私自身の意志でもあります」
「…………っ」
なぜ、そんなに迷いなく言えるの。
「セイル。あなたは、わたくしに何を求めているの?」
「守ること。それだけです」
「“それだけ”って、簡単に言うけれど──」
(わたくし、もう、自分の感情が分からない)
「じゃあ、もしわたくしが、あなたのそばから離れたら?
もっと自由に、自分の意思で生きていきたいって言ったら?」
「そのときは……」
言いかけて、セイルはそこで言葉を止めた。
そして、ほんの少しだけ微笑んで──
けれど、それはどこか悲しげな、壊れそうな笑みで。
「私は、それでも……姫の“そば”にい続けます」
「……っ、やっぱりおかしいわよ、あなた……!」
わたくしの声が、思わず震えていた。
怖い。
でも、それ以上に──この人が壊れたら、もっと怖い。
だから。
「ねえ、セイル」
「……はい」
「もう少し、わたくしに“自分の領域”っていうのを、許してくださらない?」
「……努力します」
「努力って……」
「できるとは限りません。でも、努力はします。
姫が私を“遠ざけたい”とお望みなら、それは……」
「……そうじゃないの。違うのよ」
「はい」
「わたくしは……あなたがいると、安心するの。でもね、それと“距離感”は別なのよ」
「……難しいですね、人の心というのは」
「そうよ。だからこそ、慎重に取り扱ってね? わたくしの心も」
「かしこまりました」
その言葉に、少しだけ微笑んだ。
それでも、胸の奥には、まだざらつくようなものが残っていて。
わたくしがセイルに頼ったあの日。
わたくしが言った、たった一言。
──それが、すべての始まりだった。
今さら戻れない。
そして、どこへ向かうのかも、まだわからない。
けれど確かに、わたくしのそばには──
静かに、深く、そして異様なほどに近い、“護衛”がいる。
(護衛のくせに……ほんとうに、近すぎるのよ)
そんな思いを胸に、わたくしはそっと窓の外を見やった。
夜空は静かで、星ひとつ、瞬いてはいなかった。
◆あとがき◆
読んでいただきありがとうございます!
今回は、護衛セイルの“忠誠心(過剰)”回でした。
無表情で近いし、ノックもなし。
「護ってる」のか「囲ってる」のか……アリシアも困惑中です。
次回は、ついに舞踏会──
第4話『仮面の姫は、笑ってみせる』
婚約発表と、運命の“あの瞬間”。
お約束展開、全力でいきます!




