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第2.5話|副官、事態を整理する

「……お目覚めになられましたか、姫様?」



その声に、わたくしはゆっくりと目を開けた。


天蓋付きの寝台、深紅のカーテン──見慣れないはずなのに、妙に胸騒ぎのする空間。

これは夢ではない。わたくしは、まだここにいる。



「カリーネ……副官?」

「……“勇者殿”の登場には、さすがに驚かれたでしょうね」

「……セイルが来た理由くらい、わたくしにもわかります」


「当然ですわ。──問題は、その“来た理由”ではなく、“来ざるを得なかった状況”の方ですけれども」

「……どういう意味ですの?」

「姫様。まずご報告を申し上げますと──エルヴァンシア王国では、現在、貴女は“ヴァルドによって王城から奪われた”という扱いになっています」



カリーネの言葉にわたくしは頷くことしかできない。

たしかに、あの状況な”王城から奪われた”といっても間違いないだろう。



「そして、“舞踏会の最中、突如として姿を消した王女”──という事件は、否応なく世間の注目を集めました」



わたくしは言葉を失った。あの夜のことは、まだ鮮明に思い出せる。あれが“誘拐”とされているのなら、きっと──



「……お父様やお兄様が、セイルに“救出命令”を?」

「ええ。そして裏で最も動いたのは、“ゼノ・グラナート”様です」


「ゼノが……?」

「表向きには“貴女の婚約者”として、そして王宮の軍事顧問的立場から、彼は“王女奪還”を国是とするよう強く働きかけました。王命の後押しもあり、王都は今や“戦時動員”直前の空気です」


「……戦時、って……」

「“姫が攫われた”という一点が、あらゆる派閥に“大義”を与えました。グラナート家、王党派、さらには保守貴族までもが、“ヴァルド討伐”の声を上げ始めています」



(わたくしが──原因?)



気づかぬうちに、指先が震えていた。



「しかも、今回の件では、“舞踏会の警備が完全に突破された”という事実が残りました。王国の威信にかかわる問題です。……それゆえに、貴女の所在は“外交”どころか、“王権の存立”にも直結する問題なのです」


「そんな……わたくし……ただ……」

「ええ。貴女にそんなつもりはないでしょうね。──でも、この“攫われた王女”は、誰よりも“象徴”として価値を持ってしまったのです」



カリーネ副官の言葉は冷静で、けれどどこか、やさしさすらにじませていた。



「……姫様。“あの方”が、貴女をヴァルドへ連れ帰った夜。それは、“一人の魔王の意志”であると同時に、“政治の爆弾”でもあったのです」




◇◇◇




カリーネ副官は静かに立ち上がると、部屋の隅の棚から一枚の巻紙を取り出し、机の上に広げた。



「こちらが現在の“勢力図”ですわ」

「……勢力図?」



精緻な筆で描かれた王都と周辺地域の地図には、王家、軍、貴族派、宗教団体──そして、グラナート家を中心とする“軍事貴族連合”の動きが、赤や青の印で記されていた。



「もともとエルヴァンシア王国には、王家を中心とした“王命至上”の体制がありました。ですが近年では、“軍部台頭”と“貴族派の再結集”が進んでおりまして」


「……聞いたことがあります。“王命だけでは動かない将軍が増えた”って……」

「ええ。その象徴こそが、グラナート公爵家。──ゼノ様の御家です」



カリーネ副官は、地図の一角に記された家紋に指を置いた。



「彼らは代々、“王家の剣”を名乗る武門の一族。王命に従う建前を持ちつつも、実際には王家と拮抗する独自勢力を持っています。そして──今回の“姫の誘拐事件”を機に、ついに表に出ました」

「……ゼノが、“利用した”ということですか?」


「動機は定かではありません。ですが、“愛ゆえに姫を取り戻す”という建前の裏で、“王宮における発言力”をさらに強めているのは事実です」



喉の奥が苦くなる。彼はそんな人じゃない──と、言い切れなかった。



「加えて、“姫様奪還”を悲願とする世論が形成されたことで、王家は“開戦の選択肢”を持たざるを得なくなっています」



(どうして、そんなことに……?)



無意識に、指が地図の端をたぐっていた。ヴァルド──今わたくしがいる、この場所は、地図のどこにも記されていない。



「勇者セイル殿の派遣もまた、“王家の正義”を証明するための象徴的行為です。民衆にとって、勇者の出陣は“王が国を守る意志を示した証”ですから」


「……民衆にとって、わたくしも──そういう“象徴”だったのですね」

「“政治の道具”としての価値。それが、姫様に与えられていた役割だったのでしょうね」



ひどく冷たい響きだった。けれど、どこか納得してしまった自分がいた。



「だからこそ、申し上げます。──ここが、“分岐点”です」

「分岐……?」

「はい。“王家の姫”として帰還するのか。“ヴァルドの魔王”の傍に残るのか。あるいは──まったく別の未来を選ぶのか」



カリーネ副官の視線は鋭く、そして静かだった。あたかも、わたくしの“覚悟”を測るかのように。



「……選ぶ、なんて……」



わたくしは、机の上の地図を見つめながら、かすれた声で呟いた。



「ずっと、“選ばれる”側でした。……姫として生まれ、王家の娘として育てられ、政略の駒として、誰かの望む通りに立ち振る舞って……」

「ええ。存じております」



カリーネ副官の答えは簡潔だった。わたくしが吐き出した言葉の裏に、何があるのかを、最初から理解していたかのように。



「でも、今回……ようやく、気づいたんです」



胸の奥が、少し痛んだ。けれど、それは“逃げ出したい”というものではなかった。



「連れ去られて、閉じ込められて……でも、“あの人”は、わたくしを“姫”ではなく、“アリシア”として見てくれました。立場じゃなく、名前で。……“誰かの代わり”じゃなく、“わたくし自身”として──」


「……魔王様、ですね?」

「はい。……レオナルト様、です」



名前を口にした瞬間、胸の内に何かが灯る気がした。迷いでも恐れでもない、もっと静かで確かな熱。



「……貴女、ずいぶん素直になりましたわね」

「そ、それ、どういう意味ですの!」

「悪い意味ではありませんわ。ようやく、“姫様”ではなく、“一人の女の子”としての顔を見せてくださいましたから」



その声に思わず笑ってしまった。緊張が、ほんの少しだけ、緩んだ気がした。



「けれど、“恋に酔って”ばかりではいけませんわよ?」



カリーネ副官の声が、やけに静かに響く。



「貴女が“ヴァルドの魔王の傍”を選ぶならば──それは、“王国に牙を剥く”という意味にもなりかねません。当然、覚悟が必要です」

「……覚悟、なら……あります」



震えながらも、わたくしは、しっかりと言葉を紡いだ。



「わたくしは、もう“誰かのため”だけに生きるのではなく、自分の意思で進みたい。たとえ、その道が……どれほど困難でも」


「……まあ。なかなか良い“セリフ”ですわね」

「ど、どういう意味ですのっ!」

「ふふ。何でもありませんわ」



カリーネ副官は、ふわりと微笑んだかと思うと、すっと椅子を引き、音もなくわたくしの前に膝をついた。



「──では、“姫様”。ご覚悟をどうぞ」

「え……?」


「──ヴァルドにて、魔王陛下の下にある者として。

そして、貴女がこの地を“選んだ者”である以上──

今後も、必要とあらば支えさせていただきましょう」

「……ありがとう、カリーネ」



言葉にした瞬間、胸の奥に広がったのは──不思議なほどの、安堵だった。



わたくしは、この選択を、

たしかに──誇りたいと思った。




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