第4話|答えてくれない理由
魔王様に連れられて、わたくしが案内されたのは──
「……庭園、ですか?」
「ヴァルドにも、こういう趣味の者はいる」
目の前に広がっていたのは、黒薔薇が咲き乱れる、不思議な庭園だった。
空は相変わらず、ヴァルド特有の瘴気がかった曇天。
でもその薄明かりの中、漆黒の花びらが、まるで浮かび上がるように見える。
「……似合ってますわね」
「それは、褒め言葉として受け取っておく」
立ち姿さえ絵になる魔王様に、つい口から出てしまった言葉だったけれど──
(やっぱり、この人……怖い)
圧倒的な存在感。ひとこと話すだけで、空気が変わるような緊張感。
でも。
(それと同じくらい、目が離せないのは……なぜ、かしら)
「話したいことがある。少し、座ろうか」
「……はい」
促されて、石造りのテーブルに腰を下ろす。
魔王様も、わたくしの正面に座る。
距離は、思ったよりも近くて──どきりとした。
「アリシア。……君は、どうして自分がここにいると思う?」
「え……?」
思いがけない問いに、返す言葉がすぐに出なかった。
「君は、舞踏会の場で攫われた。そして、今ここにいる」
「……はい」
「だが、それは“偶然”だったと思うか?」
「……違うのですか?」
魔王様は、ゆっくりと首を振った。
「偶然でここまで来る者などいない。君がここにいるのは、必然だった」
「……それって、どういう──」
「だが、今はまだ、すべてを語る時ではない」
また、それ。
わたくしが聞こうとするたびに、“今はまだ”と遮られる。
(わたくしに関係することなのに、どうして教えてくれないの……?)
「あなたは、わたくしに何かを隠してますわよね?」
そう切り出すと、魔王様は静かに目を細めた。
「……隠しているのではない。“守っている”のだ」
「それって──!」
言い返そうとした、その瞬間。
「姫君、よろしいですか?」
割り込むような声に、びくりと肩が跳ねた。
振り向けば──案の定、例の変人。
「グリム=カーヴィス……!」
宰相と呼ばれる、あの皮肉屋が、またぬるりと現れた。
「よろしければ、少しばかりお付き合いを」
「い、今はお話の途中でして──!」
「必要な話です。主からも、お許しはいただいております」
ちら、と魔王様を見ると、静かにうなずいていた。
「……えっ?」
戸惑うわたくしをよそに、グリムはさっさと背を向ける。
「行こうか、姫君。少しばかり、“昔話”をしにね」
◇◇◇
宰相グリムに連れてこられたのは──
「……ここは、書庫?」
「正確には、魔王直属の機密保管区。あまり他言無用でお願いしますよ」
部屋一面、本、本、本。見上げても終わりが見えないほどの本棚が、ぎっしりと並んでいる。
(えっ、えっ、なにこの圧……! 宮廷図書館とは、規模も空気もぜんぜん違いますわよ!?)
「お気に召しましたかな?」
背後からぬるりと囁く宰相の声に、思わずビクッと肩が跳ねた。
「ここには、“あなたの記憶”に関する資料も、いくつか収められております」
「……わたくしの記憶、ですの?」
「ふむ、まだ表層に浮かんでこないようですな。やはり、封印はかなり強固」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし。封印って……何の話ですの?」
「おやおや、まだでしたか。それは失礼。
──では、少しだけ、お手伝いしましょうかね」
またそれ。
さっきから、“いずれ”“今はまだ”ばっかりじゃありませんの!?
「アリシア姫。あなたが十歳の頃、記憶にない事件はございませんか?」
「十歳……?」
(あの頃……わたくし、何か……)
胸の奥で、なにかがピクリと動いた気がした。
「そのとき関わった人物の記憶が、夢となって現れてもおかしくはない」
「夢……」
銀髪の少年。優しい手。
名前も、顔も、曖昧なのに、どうしてあんなにも懐かしいのかしら。
「……見ました。夢で。わたくしを助けてくれた男の子がいました」
「ふむ、やはり」
グリムは満足そうにうなずく。
「ですが、これ以上は語れません。まだ“早い”ので」
「また、それですの!?」
思わず語気が強くなった。
「どうしてみんな、わたくしにだけ秘密にするんですの!?」
「知るということは、代償を伴います。姫君。
……その覚悟が、あなたにありますか?」
「……」
(わたくしに、覚悟……)
そんなの、まだ……こわいに決まってるじゃありませんの。
その時、棚の奥にある、ひときわ古びた装丁の本が目に入った。
革のような表紙に、知らない紋章が刻まれている。
「……これは?」
「ふむ。そちらは、“封印”に関する記録書ですな。関係があるかもしれませんな」
パラパラとページをめくった、そのとき──
(あ……)
ふと、目にした一枚の挿絵に、胸が強く脈打った。
黒い霧の中、手を伸ばす銀髪の少年。
(夢と、同じ……)
◇◇◇
(……わたくし、知りたい。でも、こわい……)
廊下を歩きながら、胸の奥がざわざわと落ち着かない。
何かが、今にも溢れそうで。
でも──それが何かは、まだ、わからない。
ふと、足が止まった。
そして、書庫を出たところで──見つけてしまった。
「……魔王様」
魔王様が、壁に寄りかかって待っていた。
黒の外套が、揺れる灯りにゆらりと溶け込んでいて。
「様子は?」
「……“まだ早い”って、また言われましたわ」
わたくしがむっとして言うと、魔王様は小さく笑った。
「グリムらしい」
「でも……わたくし、本当に知りたいんですの」
足が、勝手に一歩、踏み出していた。
(こわい。でも、知らずにはいられない──)
どうしてこんなに胸が苦しいのか、自分でもわからない。
「夢に……銀髪の少年が出てきました。わたくしを助けてくれたんです」
魔王様の目が、静かに細められる。
「その夢は、“ただの夢”じゃない」
「……やっぱり、そうですのね」
「だが、それ以上は──」
「“今は話せない”、ですか?」
わたくしの声が、少し震えた。
「……どうして。どうして、わたくしだけ、何も知らないんですの?」
この人に言っても仕方がない。そう分かっているのに、わたくしは止めることができない。
「……あの夢と、十歳の記憶。そして、この胸のざわつき。
すべてが、どこかで繋がっている気がして──」
魔王様は静かに歩み寄り、わたくしの目をまっすぐ見つめてきた。
「今、君にそれを話してしまえば──“決断の自由”すら奪ってしまうかもしれない」
「……」
「君が、何者で、何を願うのか。その答えは、他人から教えられるものじゃない。
君自身が、選んで、掴むものだ」
心臓が、きゅうっとなる。
「……それでも、知りたいって思った時には?」
「その時は──すべてを話そう」
魔王様の手が、わたくしの頭にそっと触れた。
……ゆっくりと、髪を梳くように撫でる。
その手は、大きくて、あたたかくて。
でも、どこか、すごく懐かしい。
(……わたくし、昔、誰かに……)
なぜだろう。涙が、出そうになった。
「……ずるいですわ」
「そうか?」
「ずるいです。そうやって、やさしくするの、ずるすぎますわ……!」
顔をそむけるのが精一杯だった。
でも、なぜだろう。
ほんの少しだけ、その手が離れてしまうのが──惜しく感じた。
◆あとがき◆
はぐらかされるたび、気持ちが焦っていく。
だけど、カリーネ副官にも、宰相グリムにも──みんな、何かを知ってる気配。
夢と現実が繋がりかけてるのに、
「いずれ」「まだ早い」の嵐!
でも、書庫の中で見つけた“あの挿絵”。
あの瞬間、胸がずきんと痛んで……わたくし、本当に、忘れているんですのね?
次回、「副官、再び登場」
魔王様との距離も、カリーネの圧も──さらに増し増しです!?