第3話|夢に見た、銀髪の少年
(……夢を、見ている)
ふわりと、白い霧の中を漂っていた。
視界はかすんでいて、けれど不思議と恐くなかった。
夢の中のわたくしは──まだ、子どもだった。
ふりふりのドレスに身を包み、短めの金の髪を揺らして、誰かを探すように歩いていた。
そして、見つけた。
「……あなた、は……?」
銀の髪。夜を閉じ込めたような、深い紅の瞳。
年はわたくしより少し上くらい。
でも、その横顔は、どこか大人びて見えた。
「アリシア」
優しく、でもどこか切なげに──その少年は、わたくしの名を呼んだ。
「きみは、きみのままでいて」
「……ねえ、また、会える?」
幼い声でそう尋ねると、少年はふっと笑って、そっと手を伸ばしてきた。
──その手が、髪に触れた瞬間。
ぱちん、と弾けるような音がして──
(……あれ? これ、わたくしの夢……だったのかしら?)
わたくしは、ベッドの上で飛び起きた。
はあっ、はあっ……。
鼓動が早い。
夢なのに、なんだか泣きそうだった。
「……夢、よね?」
カーテン越しの光は、相変わらず紫がかった淡い色。
ヴァルドの空だ。
見慣れない天井、ふかふかのベッド、重厚な扉……
ここは、昨日までと変わらぬ“魔王城”。
(……でも、あの夢)
銀の髪。紅い瞳。
なぜか──胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。
(知らないはず、なのに。懐かしい……)
ふと、肩を抱いたまま考え込んでいたそのとき。
「お目覚めですか、“姫君”」
ぴしっ。
空気が、凍った。
見ると、扉の前に立っていたのは──副官のカリーネさん。
(えっ、なにこの気配のなさ……! 気配消す訓練でもしてるんですの!?)
「お、おはようございます……?」
「ふん。ずいぶんと寝坊ですのね。主はもう、とっくにお目覚めですが?」
「え、えぇっ、魔王様はもう……!?」
「それとも、“夢見心地”でしたか?」
(こ、この人、ぜったい含んでますわよね!?)
◇◇◇
あれよあれよという間に着替えさせられ、髪も整えられ──
「……なぜ、ヴァルドに来てまで完璧な姫ムーブを……」
鏡に映る自分は、昨日よりもちょっとだけ“整って”見えた。
たぶん、カリーネさんの手際が良すぎたせい。
「さあ、参りましょう。主がお待ちです」
「……えっ、ちょ、ちょっと待って!? 待ってって言ってるのにぃ……!」
引っ張られるようにして案内されたのは、昨日も訪れた広間──ではなく、もっと奥まった、静かな一室だった。
「こちらでお食事をどうぞ」
静かな食堂。長いテーブルの片側に、すでに朝食が整えられていた。
焼き立てのパンに、とろけるチーズの卵料理。温かいスープに、彩り豊かな果物まで──
「なにこれ……普通に豪華すぎません!?」
「当然です。主が“姫の体調を整えろ”と命じられたのですから」
「……あの、攫ってきた割には、やけに丁寧ですよね……?」
「主にとって“必要な存在”だからです。わたくしには、理解できませんが──命令には従います」
ちょっと、今のセリフひどくないです!?
でも、思わず黙り込んだ。
(……夢のこと、気になってる)
銀髪の少年。紅い瞳。あの寂しげな声。
(あれ、誰……? なんで“アリシア”って……)
名前を呼ばれたとき、胸が締めつけられるような感覚がした。
「……夢、見ていたんですか?」
「えっ?」
「わたくし、さきほど申し上げましたわ。“夢見心地”だったのかと」
「……たしかに夢だったんですけど、その……変な夢、でした」
「ふむ。変な夢、とは?」
カリーネさんが珍しく興味ありげに首をかしげる。
(……えっ、なんか聞かれてる? これ、もしかして“試されて”る!?)
そのとき──
「……変な夢、とはどんな内容だったのだ?」
しれっとした声が背後から響いた。
「ひゃっ⁉︎」
びくっとして振り返ると、そこには──
昨日と変わらぬ、整った顔立ち。漆黒の衣に身を包み、静かに立つ魔王様がいた。
「ま、魔王様っ⁉︎」
「おはよう」
やけにさらっと、言われた。
(え、ちょっと待って。
朝からこんな顔面偏差値で挨拶されたら……
わたくしの心がもたないんですけど!?)
「で、でも、どうして魔王様がここに!?
朝から……っていうか、静かすぎません!?」
「ヴァルドでは、それくらいできて当然だ。
……たとえ王でもな」
「だからそれ、絶対魔王の仕事じゃないですってば……!」
そう抗議したつもりだったけど、魔王様は、ふ、と目を細めて笑った。
ずるい。その笑い方、ずるすぎる。
(あんな顔されたら、もう怒れないじゃない……!)
「で、“夢の内容”だが──話してくれるか?」
「え、あ……その……」
戸惑うわたくしに、魔王様は一歩、距離を詰めてきた。
「……お前が見た“夢”。それは、どんなものだった?」
「たしか……森の中、だったような?
そう。暗い森で、誰かが泣いていて……
でも、わたくしを守ってくれたような……
そんな気がして」
「……そうか」
「え……?」
「いや。少し……懐かしい夢だと思ってな」
(懐かしい? 魔王様が?)
「懐かしいって、魔王様には関係ないんじゃありませんか?」
「……さあな。ただ──“お前はもう、出会っている”のかもしれん」
「え……?」
「夢の中ではなく、もっとずっと前に。たとえば……記憶の彼方で」
(また……それ)
「わたくし、本当に、なにかを“忘れている”んですか?」
問いかけたわたくしに、魔王様は静かにうなずいた。
「“封じられた記憶”は、必要なときにしか戻らない。それが、“約束”というものだからな」
「約束……?」
「……まだ、思い出せなくていい」
魔王様はそっと手を伸ばして、わたくしの髪に触れた。
やさしく、撫でるように。
「今は、“知ろう”とするだけでいい。それが、最初の一歩だ」
「…………っ」
(どうして……どうして、こんなにやさしくするの)
触れられた場所が、熱を持ったようにじんわりとあたたかい。
「……“封印”は、やはり揺らぎ始めているか」
魔王様がぽつりとつぶやいたその言葉に、カリーネさんのまつ毛が、ほんのわずかに揺れた。
「今日は、お前を外に連れ出す。……少し、ヴァルドを“見せてやろう”と思ってな」
「えっ、外って……!」
「もちろん、護衛もつける。お前が逃げない限りは、な」
「そ、そんな逃げたりなんてしませんっ!」
「ふむ。では、俺のそばにいろ。“今度こそ、二度と──失わないために”」
耳元で囁かれたその声に、わたくしはかぁっと顔を真っ赤にした。
「な、なにそれ……ずるいですっ!」
「ずるいのは、そっちだ。……そんな顔を見せるから」
「っ~~~~!!」
(な、なにこの魔王様……テンプレすぎません!?)
朝からこの破壊力は、反則です。
でも、次の瞬間、彼はまるで何事もなかったように、くるりと背を向けて言った。
「では、準備ができたら声をかけろ。俺の馬車で行く」
「ま、馬車って……!」
「せっかくだ。お姫様には、お姫様らしい送迎を」
そう言って、黒い外套を翻しながら、魔王様はすっと去っていく。
残されたわたくしは、ただその背中を見送るしかなかった。
(銀髪の少年。封じられた記憶。そして、魔王様の言葉)
(わたくしは──なにを、忘れているの……?)
答えの出ないまま、ただ、胸の奥がほんの少しだけ、ざわついていた。
◆あとがき◆
銀の髪。紅い瞳。幼いわたくしの名前を、優しく呼んでくれた人。
……まって、これ、夢? 本当に夢!?
記憶が揺らいで、心も揺れて。
カリーネ副官の圧に耐えながらも、
魔王様の手の温かさに、また惑わされてしまって──
第3章、いよいよ核心が見えはじめてきました。
次回、「答えてくれない理由」
……そろそろ、ちゃんと説明してくださいません!?