第6話 もう戻れない 2(side:レイヴィス)
【注意】
※後半、暴力・流血表現があります※
「…昨日はごめん」
翌朝、僕はセルティアに謝ると、すぐに教室を出た。
セルティアが何か話したそうにしていたが、僕は目を合わす事ができなかった。
この後、空き教室でグロリアと会う約束をしていたから…
グロリアと関係を持ってから、僕は学院の空き教室で彼女との行為に耽るようになった。けど、もっと時間を取りたい。
歓楽街のホテルでも会った。
だが、それなりに出費が嵩んでしまう。
やっぱり……温室だな。
あそこなら金もかからないし、ゆっくりできる。
でも、温室の鍵はセルティアも持っていた。
突然、鍵を返して欲しいと言えば不審がられるだろう。
だから毎週末、業者に花のメンテナンスを頼んだから出入りができなくなると伝えた。
以前は学院が休みだから、二人でゆっくり過ごしていた週末。
けれどその日を僕は、グロリアと会う日に充てた。
セルティアは戸惑いながらも、承諾してくれた。
彼女に拒絶された日から、僕たちの間には見えない壁ができたようだ。
交わすのは最低限のぎこちない挨拶のみ。
ここのところ、二人で過ごす時間すら取っていない。
僕は後ろめたい思いを持ちながらも、結婚までだから…と心の中で言い訳をした。
教室を出ると、リーニッドが追いかけて来た。
「……早くグロリアと別れろ」
「え! な、何のことだよっ」
突然言われて思わず声が上擦る。
僕は心臓を掴まれたかと思うくらいに驚いた。
まさか、リーニッドに気づかれていたとは!
「恍けても分かっている。今、グロリアと別れなければ一生後悔する事になるぞ!」
そう言い捨てると、忌々しげにその場を後にしたリーニッド。
バレている……
けど、セルティアには言っていないようだ。
そうだよな、だから忠告しに来たんだから。
「…そうだ…今別れなければ大変な事になる」
僕は苦悶した。
けど、この時に気が付くべきだった。
リーニッドが気づいたのなら、セルティアも気づいているであろう事に……
それから執拗に、『グロリアと別れろ』と何度も言ってくるリーニッド。
彼女との関係を否定しても執拗に言ってくるあいつを、僕は疎ましく思うようになっていった。
分かっている事を何度も言われ、逆に苛立つ気持ちが沸き上がり、つい言ってしまった。
「うるさいな! グロリアとは、卒業までの割り切った関係だ!
おまえが何も言わなければいいんだ! おまえだって、セルティアが傷つく姿を見たくはないだろ? 知らなければ何もないと同じだよ!」
呆れる顔をしたリーニッドを置いて、グロリアの元へと向かった。
さんざん彼女との関係を否定していたのに……けどもう取り消せない。
だがセルティアを傷つける事を、あいつが言えるはずもないと分かっていた。
僕だって何度も思ったさ、このままグロリアと関係を続けるのはマズイって。
けれどその罪悪感は彼女を抱くたびに薄らいでいった。
グロリアを抱いて、初めて知った快楽に溺れていく自分を制御する事が出来なかった。
本当に、卒業したら終われるのか?
いや、先の事など考えたくはなかった。
やっと週末になった。
毎日のように苦言を呈するリーニッドに嫌気がさしていた僕は、逸る気持ちを抑えながら、温室へと向かった。
合鍵を渡していたグロリアが、すでに温室で待っていた。
会った途端に口付けを交わし、互いの服を脱ぎ捨てる。
けどこの後、取り返しのつかない事になるとは、この時の僕は微塵も思っていなかった。
僕とグロリアの痴態を見たセルティアは「汚らわしい!」と僕を強く拒絶し、温室の鍵を投げつけた。
セルティアの目は怒りと嫌悪感でいっぱいだった。
この瞬間、冷水を浴びせられたように全身が震えた。
「……僕は…何をやって……」
僕がしてきた事は、セルティアを裏切る行為だ。
バレればこうなる事は分かっていたはずだ。
なぜそんな当たり前の事に気が付かなかったんだ!
いや、気づいていた!
わかっていたけれど、自分の欲望を止められなかった…!
僕は自分から幸せを手放してしまった事に、この時やっと気が付いた……
◇
その日の夜、オルモフィ家から婚約破棄の申し出があり、理由を知った両親は激怒した。
そして原因は僕にあったため、オルモフィ家の申し出を拒否する事は出来なかった。
悪い事は続き、グロリアが妊娠したと言ってきた。
僕の子だと……
僕が婚約破棄された事もその原因も、学院内ではすでに噂になっていた。
両親は仕方なくグロリアとの結婚を認め、学校を辞めるように促された。
これ以上、恥を晒すな…と。
グロリアも学院を辞め、我が家で暮らし始めた。
そしてお腹が大きくなる前に、式を挙げる段取りとなった。
本当なら、隣にいるのはセルティアのはずだったのに……
しかし式当日、教会で予想もしない事が起きた ―――――
「きゃああああ!!! や、やめて! やめてぇ!!」
「おまえのせいだああああ! その顔で、その身体でおまえが俺を誘惑しなければ!! 全部全部っ! おまえのせいだあああああ —————!!!!」
突然ナイフを持った男が乱入し、グロリアに襲い掛かったのだ。
「た、助けてぇ! だ、誰か、助け…っ ああああああ!! いやっ! いやあああああああ!!!!」
泣き叫ぶグロリア。美しい彼女の顔に…身体に…無数の赤い糸が増えていく。
流れる血が、真っ白なウェディングドレスを身に纏ったグロリアを真っ赤に染める。
「あ…ああ……っ…」
僕は恐怖で身体が固まり、助けを求めながら襲われているグロリアを、ただ見ている事しかできなかった。
犯人はすぐに取り押さえられた。
男はグロリアがこっちに来る前の学院で付き合っていた元子爵家の令息。
婚約者がいるにも関わらず、グロリアと不貞を犯していたそうだ。
そして婚約者にバレて、男は婚約破棄された。
学院でも大きな話題になったとか。
まるで僕と同じだ。
グロリアの時季外れの転校に、こんな事情があったなんて…
どうりで、前の学院に関して話したがらないはずだ。
男の方は家を追い出され、苦しい生活を送っていたらしい。
自分を不幸に陥れた女が幸せになるなんて許せなかったと…事情聴取でそう供述していた事を、後に警邏隊の関係者から聞いた。
なぜあの日、あの場所で結婚式が行われる事を知ったのか疑問に思ったが、そんな事は今となってはもうどうでもいい。
男に襲われた際に、グロリアは流産した。
顔や身体を傷つけられた事で精神を病み、今は専門病院に入院している。
僕の不貞で婚約破棄され、不貞相手の令嬢を娶り、挙式会場ではその嫁が昔の男に襲われるという大事件が起きたアンヘルム家は、社交界の嘲笑と侮蔑の的となり、伯爵家としての信用を失墜させた。
望んでいなかった未来が次から次へと形となっていく。
「…全て自業自得だと…おまえは言うんだろうな……リーニッド…」
僕の手に残ったものは、もう開かれる事のなくなった温室の鍵だけだった……