第5話 もう戻れない 1 (side:レイヴィス)
「…本当に愛してる…愛しているんだ…君だけを…セルティア……ッ…」
ポタポタと流れ落ちる涙。
ガゼボに一人取り残された僕は、泣きながらもう届かない想いを何度も呟いていた。
グロリアに告げた言葉は、その場の雰囲気を盛り上げる為だけのもの。
本気じゃない!
…いや、それが言い訳になるはずもない。
セルティアを裏切った事は、変えようのない事実なのだから。
離れた心は取り戻せない。
セルティアは僕を許さない。
僕をもう……愛してはいない……
「…もう一度…やり直せたら……」
そしたら、決してグロリアに関わらない。
セルティア…君を裏切る事は決してしない。
「そんな事……今更言っても、遅すぎる……」
僕の声に振り向かず、去って行ったセルティア。
見えなくなった姿を、僕はいつまでも見つめていた。
◇
グロリアが転校してきたのは3年の時。
そろそろ梅雨が始まろうとしていた季節外れの転校生。
最初は、何も感じなかった。
確かに…年の割には大人っぽい子だなとは思ったけど…その程度の印象。
「彼女が学院生活に慣れるように、級長のあなたが協力してあげて」
「はい」
級長であった僕は、そう教師から言われた事もあり、グロリアの面倒を見る事が増えていった。
最初は学院内だけの関わりだった。
しかし…
「まだこの辺が分からないから、街を案内して欲しいの」
「行きたいお店の場所がわからないの、教えてもらえないかしら?」
「まだ親しい人がいなくて、一人で行くのが寂しいからつきあって」
そう言われると断りづらい。
僕たちは、度々一緒に出かけるようになっていった。
逆にセルティアと出かける事が減っていた事に、僕は気づきもしなかったんだ。
今日も二人で街にきて、歩きながらグロリアの話を聞いている。
それに隣国に住んでいた彼女の話は、この国を出た事がない僕の興味を引いた。
そして、彼女との時間が楽しかった。
「そういえば、前の学院ではどんな事が流行ってた?」
「え…? そ…うね…どんな事だったかしら…」
「前の学院の友達とはどんなところで遊んでいたの?」
「あ…んー…まぁ、今こうしているのと変わらないかな」
グロリアは、前の学院生活の話をあまりしたがらなかった。
クラス内でなんかあったとか?
季節外れの転校はそこらへんに理由があるのか?
けどその割には彼女、スキンシップが多いんだよな。
前でもこんな感じだったのかな?
この国では、婚約者や夫婦以外の異性と身体を密着させる事は非常識とされている。
でも、グロリアは自由だった。
「私が前に住んでいたところでは、異性の友達同士でも手をつないだり、腕を組んだりしたわ。時には、挨拶代わりにキスをしたりね」
「キ…っ!? 本当に?」
「ええ」
僕の反応を面白そうにクスクスと笑いながら、自然に僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。
彼女の胸が当たる。
「……」
最初はやんわりと振りほどいていた彼女の手を、今はもう振り払う事はしなかった。
「レイヴィスってセルティアと婚約しているんでしょ?」
「え? あ、ああ、卒業したら結婚する予定なんだ」
「……じゃあ、キスくらいはしているわよね?」
「な! そ、そんな事を女が聞くもんじゃないだろっ」
「そんなに焦ること? その様子じゃあ、身体の関係はまだみたいね。ふふ」
「か、身体って…っ だ、だからそういう話をするもんじゃ「教えてあげましょうか?」
「は?」
その言葉に驚くと、彼女は僕の胸元を掴み、自分へと引き寄せ…
「!!」
彼女が口付けをしてきた。
ぬるりと舌を入れ、歯列をなぞる感触にぞくりとした。
「や、やめろ!」
僕はハッとして、あわてて彼女を突き放す。
「こんなキス、婚約者としたことないでしょ?」
そう言いながら舌を出し、自分の赤い唇をゆっくりと舐める。
その蠱惑的な仕草に鼓動が高鳴った。
「い、いい加減にしてくれ!」
僕はグロリアを置き去りにし、逃げるようにその場から駆け出した。
帰りの馬車では、グロリアの事で頭の中がいっぱいになっていた。
腕に押し付けられた胸。
鼻に残る濃く甘い香り。
深い口付けは、頭の奥が痺れた。
セルティアとは数えるほどの…ただ触れるだけの軽いキスしかない。
「あんな口付け……」
男慣れしている。
前の学院でもこんな事をしていたのだろうか?
『教えてあげましょうか?』
グロリアの言葉を思い出す。
彼女の事ばかり考えている自分に気づき、その残像を消し去るかのように頭を振る。
僕が好きなのはセルティアだ!
学院を卒業したら結婚するんだ!!
セルティアに会いたい…っ
彼女に会えば、この気持ちも収まるはずだ!
馬車をセルティアのいる屋敷へと向かわせた。
◇
「レイヴィス!?」
「先触れもしないで……ごめん」
「ううん、会えてうれしいわ」
突然訪問した僕に驚きながらも、笑顔で迎えてくれたセルティア。
昔からこの家には出入りをしていた。
時にはリーニッドと二人で来る時もある。
だから、今日もごく自然にセルティアの部屋へと向かった。
彼女と二人きりになったのは久しぶりだった事に気づく。
そんなにも僕はセルティアを放っておいたのか…
「ありがとう、あとは私がするから」
「失礼いたします」
セルティアがティートローリーを持ってきた侍女に声を掛けると、彼女は部屋を出て行った。
僕の様子がおかしい事に気が付いたのだろう。
セルティアが気を遣っていた人払いをしてくれた事が分かった。
婚約者とは言え、男女が二人きりで過ごす事はマナー違反だ。
けれど、この屋敷の人間は僕が何度も出入りしている事を知っている。
過去に二人きりで過ごした事も、何度かある。
だから何の抵抗もなく侍女はセルティアの言葉を聞いた。
「……何か…あった?」
セルティアが僕の隣に座り、心配そうに顔を覗き込む。
ふわりと鼻を霞むやさしい匂い。
グロリアとは違う。
僕は堪らず、セルティアを抱き締めて口付けをした。
「んん!!」
いつも触れるだけのキスとは違う深い口付けに、セルティアの戸惑いが身体から伝わる。
僕は構わず、彼女をソファに押し倒し、スカートの中に手を入れた。
「!!…や、やめて!!」
バシーン!!!
「あ、あなたがこんな事をするなんて…っ 最低よ!!」
怒りと恐怖を滲ませた瞳で僕を見つめるセルティア。
「…ぼ、僕は…っ」
羞恥心と拒絶された事へのショックで、僕は部屋を飛び出した。
「レ、レイヴィス!!」
セルティアが僕の名を呼んだが、もちろん戻る事はできない。
(僕は何をやって…っ!
グロリアとの口付けで持て余した熱を、セルティアにぶつけるなんて!)
馬車に飛び乗ると、すぐに屋敷へ向かうように指示した。
後悔と自己嫌悪に苛まれ、少しでも早くこの場を去りたかった。
「レイヴィス」
屋敷に戻り、中に入ろうとした時、僕の名を呼ぶ声がした。
振り返るとそこにいたのは……グロリア。
「なんで……」
「あなたの後をつけたの…セルティアの屋敷に入った時は30分過ぎても出て来なかったら帰ろうと思ったけれど、15分もしない内に出て来たから驚いたわ」
彼女はゆっくりと僕に向かって歩いて来る。
そして正面に立つと、セルティアに殴られた頬に触れた。
僕は一瞬、身体を引いたが……それが最後の抵抗だった。
「かわいそうに…拒絶されたのね。彼女ではあなたの気持ちに寄り添えなかったのよ。私なら、あなたの全てを受け入れてあげられるわ」
グロリアの赤い唇が弧を描くように微笑む。
熱くなった身体の熱を、吐き出したい衝動に駆られた。
「……温室なら誰も来ない」
セルティアの為に作った温室。
僕とセルティアが初めて口付けした場所。
『ここは君と僕だけの場所だ』
僕はセルティアにそう言った。
その場所で僕は、グロリアを抱いた —————…