ヘパティカル アンド プラウド
ことわざに、『一念岩をも通す』というものがある。
未だ誰も成そうとしなかった概念、『肝臓は、鍛えられる』を信じて貫いた男、神田肝一。
一見、とんだラマンチャのごとくチャレンジも、一年も続くとなると、今まで嘲笑していたものも顔つきが真剣になるというものだった。
ジムのインストラクター久保田がその一人である。
「……信じられません。夢を見ているみたいです」
スマホで動画を撮っている久保田は、シャツ一枚となった肝一の上半身を見て思わず声を出した。
肝一の右あばらの脇あたりから胸の中心にかけて、シャツ越しにもわかるほど明らかに膨らんでいる。
もちろん悪い病気ではないのは、血液検査でわかる。
本当に、肝臓が発達したのだ。
「……まだだ」
肝一は鏡越しに自分の『肝臓』を見た。
そしてボディビルダーで言うところのアブドミナル・サイのポーズを取った。
すると、肝臓がさらに盛り上がる。
久保田はこれまで目にしたことなかった景色に、明らかに興奮をしていた。
今の肝一なら、アルコール度数70%のウォッカを生で飲んでも、
いや、度数96%のスピリタスを飲んでも、
いや、いや、スピリタスを一気飲みし、チェイサー代わりにウォッカを飲んだって酔わないだろう。
最強の肝臓だ。しかし肝一の表情は険しかった。
「全然まだだ。むしろこれからだ。今はただ膨らんでいるだけ。ここから絞らないといけない」
いつの間にか、肝一の周りには、他の会員やインストラクターが集まっていた。
それどころか、久保田が録画した映像がYouTubeでとんでもない再生回数を叩き出し、
肝一の肝臓を見たい、と、新規入会委員が増え出したのだ。
肝一はトレーニングを続けた。そして久保田と相談の末、肝臓にきく腹筋運動、いや、胸筋運動を編み出したのであった。
肝臓のサイズを下げないように、胸部の無駄な贅肉を落とす。
久保田は動画を撮り続けた。やがて肝一の胸部は、肝臓の形だけぽっこり膨らみ、その立体感は、
未だかつて地球上のどの人間も見たことのない彫刻のようになっていた。肝臓のみ、その形が浮き出た体だ。
誰も見たことがなくて当然だろう。
そして、久保田の撮った動画が海外にまで広まり、
『インナーマッスルの新しいカタチ』を再認識した団体があった。ボディービル界の最高峰『ミスター・オリンピア』である。
彼等は、流石に肝一をボディービルダーとしては認めるわけにはいかなかったものの、この体を世界に発信しない手はないと判断し、
ミスターオリンピアのオープニングアクトに勘一を出場させたのだ。
これには賛否はもちろんあった。あくまで筋肉を育てることに命懸けである選手にとって、異端も異端の存在である肝一が、
完璧に受けいられることなどはなかった。
オリンピアの舞台で、歓喜とブーイング、両方に包まれる肝一。上半身裸で、肝臓のラインにのみオイルを塗って立体感を強調している。
そして、ボディービルの選手が未だかつて見たことのない『ヘパティカル・アンド・プラウド(肝臓と誇り)』という肝臓を強調するポージングをとり、
肝臓を自分の意志で動かしてみせた。
それは、人類が肝臓は『沈黙の臓器である』という認識を上書きさせられた瞬間であったと言える。
まさに『脈動する臓器!』良くも悪くも、肝一の体は、『内活(内臓活動)』という新しい概念を世界中に植え付けたのであった。
……しかし、そんな肝一の体を、複雑な目で見る人間がいた。
以前、肝一親子のジムでの行いに注意し、逆に説教されてしまった若者、東である……。