脳みその唯一のエネルギー源
ゴールドジムは、異様な空気に包まれていた。
一人、うるさい奴がいる。
そいつは鏡を見て、大きい独り言を呟きながら一心不乱にスクワットをしていた。
他の会員は「家でやれよ」と正直思っただろう。
「これでどうだ! 肝臓よ! 聞いてるか肝臓! 俺の前では沈黙などさせんぞ!!」
そして、男の横には、彼の専属トレーナー……ではなく彼の息子と思しき少年が、直立でメモをとったり、
スマホで動画を撮ったりしている。
「いいぞう! 素直になってきた!! 今俺は肝臓と向き合ってるぞう!!
小太郎! 小太郎!」
「はい! 父さん!!」
「イントラ・サプリメントをとってくれ!!」
「はい!!」
小太郎と呼ばれた少年は、男のカバンから『ウコンの力』を『ターメリック水』で溶かした液体を取り出して、スクワット中の男に渡した。
男は一息に飲み干す。
「よーし!! 休憩だ!! 今日のmeal3 だ!!」
「はい! 父さん!!」
すると小太郎は、男のカバンから、タッパを取り出した。
「計量してあってレシピ通りか?!」
「はい! 父さん!! 鶏肉とサバの納豆ヨーグルトソースです!! 」
「よし! これで肝細胞の修復と共に、肝臓脂肪を絞れるぞ! 小太郎! サプリメントをふりかけてくれ!!」
「はい! 父さん!!」
小太郎は、すり鉢でウコンの力を粉状にし、おおよそ食べ物とは思えないタッパーの中身にふりかけた。
「食うぞ! 小太郎!!」
「はい! 父さん!!」
「手を合わせてーー。いただきます! 肝臓に感謝!!」
「肝臓に感謝!」
ジム内に、いろいろなものが絡み合った複雑な匂いが立ち込める。
「うん! 俺の肝臓が喜んでるぞ! 俺には聞こえる! 肝臓の声が聞こえるぞ!!」
「はい! 肝臓が喜んでます父さん!!」
そこに……
「もうちょっと静かにしてくんない?」
訝しげで迷惑そうな顔を露骨に前面に押し出した若者が、親子に声をかけた。
前面に出ているのは表情だけではない。彼の筋肉は無駄な贅肉など一切排除しており、
彫刻のような体つきであった。
「このジム使ってんの、おたくらだけじゃないんだわ。
みんなただでさえ減量中でイライラしてんの。気を使おうよ」
まさに正義を振り翳した正論である。
しかし、父肝一は……
「ふふふふ……」
若者の体を見て薄気味悪い笑顔を浮かべた。
「なんすか」
「お前は、脳筋という言葉を知ってるか?」
「知ってますよ。ゲームの言葉でしょ?」
「違う。脳筋は科学的に証明されているのだ。
見たところお前は、だいぶ炭水化物を制限して体を絞っているな」
「いや……基本でしょ」
「しかしなあ! 脳みその唯一のエネルギー源はなんだ! お前たちの大嫌いなブドウ糖だ!!」
「はあ……」
「貴様らは、自分の体をでかくしたり、絞るあまりに大事なものを手放している!
ブドウ糖だ!! ブドウ糖が足りんと脳の動きは悪くなり、頭が常にぼーっとしてくる!
故に脳筋なのだ!!」
「いや……覚悟の上っすよ……」
そうは言いながらも、若者の顔は迷いが生じ始めていた。
「覚悟? 何に対する覚悟だ? 貴様はまだ若いから知らないだろうが、
認知症患者を身近に持ったことはあるか!?
……ないだろう。
ブドウ糖を制限すると認知症のリスクが跳ね上がる。
まあ貴様はそれでいいだろう! 認知症は本人にしてみれば幸せな病気だ!
だが周りは地獄だぞ!?!?
貴様は、自分が路上や、人の家の前で垂れ流した自分のクソを、家族に拭かせる気か!?
貴様の言う覚悟とは、身近な人間に自分の不幸を押し付ける覚悟のことか!?」
若干極端な意見な気もするが、辛い減量期で心が弱っていた若者は、肝一からの圧に心が動いていた。
「貴様が本当にするべきは、自分の体をでかくすることか?! それとも、
周りの人間を不幸にさせないために、自分自身を鍛えることか?! どっちが正しい道か!!
選べ!! 脳筋!!!!!」
「…… ……訳わかんねえ……」
それが、若者の言える精一杯の捨て台詞だった。
もはや話が通じぬと若者が背を向けた瞬間だった。
「待て! 脳筋!! …… 次貴様が俺に話しかける時、『究極のざまあ展開』が待っているぞ……」
「…… ……ふん」
若者はそれだけ吐き捨てると、親子の前から去っていった。
「よし! 小太郎! 次のワークアウトに入るぞ!!
次はベンチプレスだ!! y-GTP(酵素)を増加させるんだ!!」
「はい!! 父さん!!」