居場所を失う
夜の帳が下りていた。
燃えるような赤い夕暮れはとうに過ぎ、街路の影は深く、月の光すら届かない。
エリザ・ヴァリスは、廃れた倉庫の中に身を潜めていた。
木箱の間にうずくまるように座り、灯したランタンの薄明かりに手元の布告をかざす。
『ヴァリスの娘、帝国と密約を結ぶ』
『エリザ・ヴァリスは共和国を売り渡した』
『帝国に跪いた裏切り者を断罪せよ』
「……どうして?」
エリザは布告を握りしめたまま、低く呟いた。
薄暗い部屋の中で、彼女の言葉にオルフェンが顔を上げる。
「レリスタンの仕業だろう」
低く、確信に満ちた声だった。
エリザはゆっくりと顔を上げる。
「こんなにも早く、共和国全土に広まるなんて……」
「連中が情報を操作した。共和国の貴族議会だけでは、ここまで迅速には動けない」
オルフェンの視線は冷静だったが、その奥には苛立ちが滲んでいた。
エリザは目を伏せる。
レリスタン王国――帝国と共和国の狭間で生き抜くため、謀略と情報戦を駆使する国。
彼らが動けば、すべては一夜にして覆る。
「共和国中が、お前を“裏切り者”と見なしている」
オルフェンの言葉は、静かに突き刺さった。
エリザはそっと、握りしめた布告を見下ろした。
心臓がゆっくりと冷えていく。
「私は共和国の『民』を救おうとしたのに」
その思いは、誰にも届かなかった。
貴族議会は彼女を見捨てた。商業ギルドは交易を断ち、軍は彼女を敵と定めた。
共和国に、もはや彼女の居場所はなかった。
「……どうする?」
オルフェンが問うた。
答えは、まだ出ない。
ただ、このままでは終われない。
エリザは布告を握りしめた。
指先に爪が食い込む。
紙が、ぐしゃりと音を立てた。