共和国の情報操作:裏切り者の烙印
広場の中央――共和国議事堂の掲示板に、一枚の布告が貼り出されていた。
最初は広場の掲示板に数人が群がっているだけだった。
だが、次第に人々が噂し始める。「本当なのか?」「いや、そんなはずは……」
夜には、酒場の中で話が飛び交い、次の日には市民たちの間で「エリザは共和国を売った」と囁かれるようになった。
夜が明けると、フィルクレス共和国の都ヴェルティナは異様な空気に包まれていた。
広場の石畳に人々の影が群がる。朝靄に紛れるように、ざわめきが低く響いていた。
『ヴァリスの娘、帝国と密約を結ぶ』
『エリザ・ヴァリスは共和国を売り渡した』
『帝国に跪いた裏切り者を断罪せよ』
最初に声を上げたのは誰だったか。
「……ヴァリスの娘?」
「まさか……いや、だが……」
疑いと不信が、ざわざわと広がる。
誰もがエリザ・ヴァリスの名を知っていた。彼女の父、アルトゥール・ヴァリスは共和国のために尽くした政治家だった。彼の失脚と死は、今でも多くの者の記憶に残っている。
その娘が、帝国と密約を結んだという。
信じられない。だが、布告は確かにそこにある。
ほどなくして、貴族議会からの正式な声明が発表された。
共和国議会の報道官が、冷徹な声で宣言した。
「ヴァリスの娘はもはや共和国の民ではない。彼女は帝国の傀儡であり、国家の秩序を乱す存在だ」
その言葉が広場に響くと、ざわめきは確信へと変わった。
「やはり、ヴァリス家は腐っていたんだ」
「そうだ、親子揃って共和国を裏切ったんだ!」
群衆の中で誰かが吐き捨てる。
ひとつの言葉が、次の言葉を生む。
憎しみは伝播する。
それを待っていたかのように、商業ギルドが動いた。
「共和国を売る者に、商人として協力することはできない」
その一言で、エリザの名のもとに結ばれていたすべての取引が断たれた。
さらに、軍部からの通達が重なる。
「エリザ・ヴァリスに与する者は、国家反逆罪として処罰する」
それが何を意味するか、人々は理解していた。
エリザをかくまえば、捕らえられる。協力すれば、罰せられる。
静かだった街に、不穏な熱が広がっていく。
裏切り者。
その言葉が、一人の人間を死に追いやるのに十分であることを、共和国はよく知っていた。
――いや、共和国だけではない。
レリスタン王国の宰相、アルベリク・グラードは、遠く離れた宮廷の一室でその報を受けると、満足げに微笑んだ。
「思ったより早かったな」
手元の報告書に目を落とす。
そこには、共和国の広場で群衆が布告を囲む様が、密偵によって詳しく記されていた。
情報はただ流すだけでは意味がない。
それがどこに届き、どう作用するかを見極めることが肝要だ。
エリザ・ヴァリスは、もはや共和国に居場所を失った。
だが、それで終わるとは思わなかった。
(さて、お前はどう動く?)
アルベリクは静かに呟いた。
この情報戦の本当の勝者は、まだ決まっていない。