召喚された聖女様は世界を救うために誰とでもいいから今すぐ結婚しろと迫られています
1.聖女様と出会いの日々
雪山の静寂を破るように、蹄が雪を蹴る音が響いていた。
白銀の世界を冷たい風が吹き抜け、雪の結晶がきらきらと輝きながら舞い上げられた。
雪煙を縫い進む銀色の針のようなユニコーンの長い角が、月光を受けて輝いていた。ユニコーンのたなびくオーロラ色のたてがみに、一人の女が顔を埋めていた。
純白のユニコーンの背に乗っているのは、純白のドレスに純白の毛皮のマントをかぶった若い女だった。黒髪を風になびかせ、ユニコーンの首にしがみついていた。
木々は雪に覆われて、美しいウェディングドレスでもまとっているかのようだった。ユニコーンの背に乗っている女には、木々が後ろに飛び去っていっているかのように見えた。
ユニコーンが乙女を背に乗せて、雪山を駆け抜ける姿は、まるで神話の世界の出来事のようだった。気まぐれな雪の精霊たちが、ユニコーンと女を祝福するように、彼らに近づき、離れ、また近づいて舞い踊った。
山頂に近づくにつれて、風がますます強くなり、ユニコーンのオーロラ色のたてがみを乱した。女はユニコーンにしがみつく腕に力を込め、ユニコーンはそれに応えるように速さを増した。
雪煙の向こうに小さな屋敷が見えてきた。煙突からは白い煙が上がり、窓からは温かな色の光がもれていた。
屋敷が近づくにつれてユニコーンは速度を落としていき、屋敷の扉の前で止まった。女はユニコーンの背から降り、扉に向かって力なく歩いていった。
女は扉の前で立ち止まり、己の両手に白い息を吹きかけた。両手をこすりあわせ、祈るように両手を組んだ。
女が迷うようにユニコーンをふり返ると、そこにユニコーンはおらず、一人の男が立っていた。
「入りましょう、聖女様。ここは寒すぎます」
銀髪に淡い水色の瞳の男は、おそらく旅装束なのだろう。このスワード王国の貴族が乗馬の時に着るジャケットとパンツの上に、オーロラ色の革のマントを羽織っていた。腰にはまるでユニコーンの角のような銀のレイピアが下げられていた。
「うん……、これは寒すぎ……。無理……」
女は震える手でドアノブを握り、ドアを引き開けた。温かな空気が女を包み、女は室内へと足を踏み入れた。
男が女に続いて室内に入り、執事のように女の毛皮のマントを脱がせた。
「それで、あのー……、どちら様ですか……?」
女は男を不審そうに見た。その目が『コイツ、誰なの……?』と語っていた。女には、この男がどこから現れて、なぜ自分の世話をしているのか、まるでわからなかった。
「ユニコーンですが……」
男は困惑したように言った。
「ん? なに? どういうこと?」
「聖女様、私はユニコーンです」
「そういうこと!? ついに変身する人外かぁ……」
女はよろよろと暖炉の前まで歩いていき、絨毯に腰を下ろした。
ユニコーンらしい男は、女の横まで来ると、ひざまずいた。
女は疲れた顔をして、首を垂れている男を見た。
「私がこっちに来る前までいた世界にも、人外と結婚した人のお話ってあったけどさぁ……」
「そうなのですか!? 聖女様ともなると、人ならぬ者とも婚姻なさると!」
男は顔を上げて、目を輝かせた。
「私は考えたこともなかったけど……。でも、前までいた世界だと、異類婚姻譚っていって、機織りをする鶴とかと結婚する話があったよ」
「機織りをする鶴……。特殊能力持ちの鳥類ですか……」
男はあからさまに元気をなくした。
「特殊能力持ちって……。まあ、そう……、なのかなぁ……?」
普通の鶴は機織りなどできないだろう。あの有名な鶴は、もしかしたら『特殊能力持ちの鳥類』だったのかもしれない。
「私は自分がなぜ王城に赴き、聖女様をお乗せして、ここまでお運びしたのか、やっとわかったと思ったのですが……」
「私と結婚するためじゃないの?」
それ以外のなにがあるのだろうか。この世界に女が召喚されて来て以来、『とにかく誰とでもいいから結婚してくれ』という内容の出来事ばかりだった。
「聖女様が人外の者とも婚姻なさると聞いた時には、聖女様がこのユニコーンの身である私をお選びくださったのかと思いましたが、どうやらそうでもなかったようで……。私はなぜ、突然あのような行動に及んだのでしょうか……?」
「会ったこともなかったのに、選びようがないと思うけど……。なんでか理由は知らないけど、とにかく助かったよ。ありがとね」
「聖女様のお力で、私を見つけてくださったのではないのですか……」
「そんな能力、たぶんないよ……」
女は過去へと思いを馳せた。
女は元いた世界ではただの無職だった。大学を卒業してから三年間勤めた会社のパワハラについに耐えられなくなって、次の勤め先も決めないままに勤務先を辞めたのだ。
仕事を辞めた次の日、女は一人暮らしをしているアパートの一室で、パジャマのままベッドでごろごろしていた。元勤め先がいろいろ腹立たしかったので、労働基準監督署に一言伝えておくことを思いつき、横になったまま電話をかけようとした。
その時だった。ベッドが光に包まれたと思ったら、魔法陣の描かれた冷たい床の上に移動していた。
「成功です! 成功しました!」
若い男の声がして、女は飛び起きた。
「え!? なに!? なんなの!?」
「聖女様!」
女は自分を囲んでいる男女が一斉にひざまずいたのを目にした。
「夢!?」
「聖女様、どうかこの世界をお救いください!」
男女が声を揃えて言った。
「これ、ストレスで見てる幻覚だよね!? どうしてくれるの!? これは病院行き案件だよ! 辞める前なら労災とかに認定されたのかなぁ……。もう辞めちゃったけど、どうなるんだろ……」
さらに不安なのは、自分がパワハラをされていたのではないことだった。上司がその上の上司に責められて、どんどん病んでいっているのを見るのが恐ろしく、ついに耐えられなくなって辞めたのだ。自分がパワハラの対象ではなくても、なんらかの救済措置などがあるだろうか。
女はとりあえずスマホで調べようと思ったが、これまでは常に身近にあったスマホがなかった。ちょうどベッドサイドに置いておいたスマホに手を伸ばしたところで、この状態になったのだ。
「聖女様、なにをおっしゃっているかわかりませんが、今はそれどころではないのです!」
一人の男が立ち上がり、女の前に進み出てきた。緑の髪の上に金色の王冠を載せた、茶色い瞳の若い男だった。茶色い服の上に、黒い毛皮のマントを羽織っていた。
「王様、聖女様はまだ気が立っておられます! 危のうござます!」
止めに入った金髪に青い瞳の男もまた、青い服の上に茶色の毛皮のマントを羽織っていた。
「聖女様、このガエタノなどはいかがでしょうか? 顔も良く、この若さで我が国の親衛騎士団の筆頭騎士団長をしております! 私でももちろんかまいません! 私はこの国の国王! 後宮を解散させ、聖女様ただお一人を妻として娶ることにも、否やはございません!」
王冠を頭に載せた国王は、金髪に青い瞳の男の腕を引いて、指で自分と隣に立つ男を交互に示しながら、笑顔を浮かべた。
「なに言ってんの!?」
「『世界が雪に覆われし時、聖女の婚姻が雪解けを誘う。聖女の存在こそ、我らの安寧』」
ガエタノがひざまずいて、厳かに言い放った。
「は!?」
質問の答えになっていない。
「誰でも良いのです! 聖女様、とにかく早く誰かとご結婚ください! 聖女様がご結婚なされば、神の祝福により、この雪と氷に閉ざされた国は救われるのです!」
国王が叫んだ。
「え!?」
女は彼らがなにを言っているのか全く理解できなかった。『誰でも良いからとにかく早く結婚しろ』なんて滅茶苦茶すぎる。
「聖女様はどういった方がお好みですか? すぐにご用意いたします」
国王の少し後ろでひざまずいている、赤毛にティアラを載せた、金色の瞳の若い女がほほ笑みかけてきた。菫色のドレスの上に、薄茶色の毛皮のマントを羽織っていた。
「好み!?」
「好きな髪の色や目の色などはござますか? 背は……、王様より高い方がよろしいですか? それとも低い方が?」
前の世界では日本人で中村咲希という名前だった女は、好きな髪の色や目の色などほとんど考えたことがなかった。強いて言うならば、『激しい金髪とかの危険そうな感じの髪色とか、バンドとかしてる人たちみたいな奇抜な髪色はないかなぁ』くらいだった。
「それより、ここ、寒い……」
咲希は身を縮めて、両手で二の腕を擦った。
一人の男が立ち上がり、白い毛皮のマントを広げながら咲希に近づいてきた。
「辺境領ララポを治めている領主、ロドルフォ・イッシャーです。辺境将軍の異名を持つ、辺境伯です。俺ではいかがですか?」
真っ青な髪に薄い灰色の目をした、鍛え抜かれた体躯の男は、自信ありげな笑みを浮かべながら、咲希の肩にマントをかけた。
「聖女様、裸足ではおみ足が冷えてしまいます」
別な男が立ち上がり、靴を持って咲希に近づいてきた。咲希の目には、男の持つ靴が、モカシンという内側がふわふわのムートン素材の靴に見えた。
「この世界の勇者、マンリオ・シガオです。大魔王を下し、凱旋して参りました。僕ではどうでしょうか?」
茶色の髪に緑の瞳のマンリオは、後ろからついてきた黒衣の男に靴を渡し、男が咲希の足元に靴を置いた。
「この者は大魔王のベンヴェヌートです。魔族がお好きでしたらぜひ! 僕がこの大魔王を下してしまったせいで、世界の均衡が崩れて、この世界が雪と氷に閉ざされちゃったんですよ。いやー、参りましたよ」
マンリオは良い笑顔で、横に立っている顔色が紫色で、黒髪黒目の男を紹介した。
咲希はモカシンを履いた。ふわふわが気持ちよかった。咲希がかすかに笑うと、ベンヴェヌートがひざまずいて咲希の手をとった。
「余を選んでくれるとは、光栄の至り。同じ黒髪黒目という色彩を持つ者同士、末永くこの世を暗黒に染め上げようぞ。まずは我らの婚姻により、今は雪深いこの世界に、元の鮮やかな色彩を取り戻そうではないか」
ベンヴェヌートが咲希の手の甲に口づけようとした。
「え!? ちょっと、やめてくれる!?」
咲希はベンヴェヌートの手から、自分の手を引き抜いた。
「やはり魔族など生理的に無理でしたか。今、ほほ笑みかけたのは、この僕にですよね!」
今度はマンリオがひざまずいて咲希の手をとり、手の甲に口づけようとした。
「なんなの!? やめてよ!」
マンリオが慌てて手を放し、身を引いた。
「そのような薄着では病を得ましょう。この私にお任せください」
進み出てきた魔法使いの魔法によって、咲希は白地に銀の刺繍が美しいドレスに着替えさせられた。
この魔法使いは、普段はナトの森の奥深くに住み、人とは滅多に会わない、偉大なる魔法使いの家系の者らしかった。
こんな調子で、この国を牛耳る宰相に温かい部屋へと案内され、この国一の料理人や、顔で選ばれたらしい給仕たちに温かい料理をふるまわれ、男ながらすごい美貌の旅芸人たちのジャグリングや踊りを見物させられ、吟遊詩人の歌とハープを聞かされた。
咲希が部屋のベッドで休んでいると、聖女様の心を盗みに来た盗賊やら、聖女様の心を貫くために来た刺客やら、唐突に暗い過去を語って同情を引こうとする暗殺者、聖女様を一目見たいから来てしまったという下働きの猫耳の少年らが入れ替わり立ち替わり現れた。
翌日は、背中に白い翼を持つ一族の男に起こされて、ついに天使がお迎えに来たのかと勘違いすることから始まり、大商人に牧場主、この国のスポーツの花形選手たち、この世界に散らばる七種のオーブとかいう宝石の玉をすべて集めたとかいう冒険者、神殿随一の治癒術士、王立図書館館長で『この国の叡智』らしい学者、王立研究院に勤めているなにかすごいらしい発明家らがやって来た。
さらに翌日も、そのまた翌日も、咲希の部屋には次から次へといろいろな男たちがやって来た。
この国一の弓取りとかいう猛者は咲希の部屋で三本の矢をいっぺんに射ろうとするわ、全身もっふもふの狼の獣人は飛びかかってくるわ、闘技場で大人気らしい奴隷剣闘士は革の腰巻と黒いブーツだけを身につけて寒さに震えているわ……。
「病院に行きたい……。幻覚が辛いよぉ……。強いお薬がいるよぉ……」
咲希の心はこの世界に来る前からもう、長いこと毎日毎日、陰湿なパワハラを見せられたことで、くたびれきっていた。さらに、この『異世界転移の幻覚』では、男たちが後から後から面会に来ていた。
そんな日々に疲れ切ったある夜、咲希はついに限界を迎え、「もう無理!」と叫びながら男たちをふり切って部屋を飛び出し、長い廊下を駆け抜け、階段を下り、ついに外に出た。
咲希はそこで初めて、自分が岩でできた建物の一室に閉じ込められていたことを知った。
「もしかして、お城……? すっごいリアル……。これって本当に幻覚なの……?」
雪景色の中、建物を見上げて一人呟いた咲希の前に現れたのが、ユニコーンだった。
2.聖女様の静かな住まい
咲希が暖炉の前で座り込み、この国に召喚されてきた時から今日までのことを思い返している間に、隣でひざまずいていたユニコーンらしい男は姿を消していた。
部屋にどこか懐かしい香りが漂い、咲希が部屋を見まわすと、男がカップを片手に奥の扉から入ってきた。
男はふたたび咲希の横でひざまずき、咲希にカップを渡した。
「ホットミルク……?」
「はい、温めた牛の乳でございます」
咲希はホットミルクを見つめ、飲むのをためらった。毒や媚薬が入れられていたら嫌だと思ったのだ。
「聖女様がお疲れのご様子でしたので、蜂蜜を一匙、加えさせていただきました」
男は遠慮がちに付け加えた。男の淡い水色の目が、心配そうに咲希を映していた。
咲希は一つ息を吐くと、ホットミルクに口をつけた。ほんのり甘いホットミルクは、内側からも咲希を温めた。
咲希がホットミルクを飲み干す間、男はひざまずいたまま咲希を見ているだけだった。
「はー……、静かだわぁ……」
窓の外で、木か屋根に積もった雪がどさりと落ちる音がした。そんな音すらも、咲希には懐かしく感じられた。
男は空になったカップを回収し、部屋を出て行った。
咲希は立ち上がると、すぐそばに置かれているソファに腰かけた。適度な弾力のソファは座り心地が良く、咲希はそこで意識を失った。
……それから、どれほど眠っただろうか。ふたたび部屋の扉が開く音がして、咲希は目を開けた。
「今夜はもうお休みください。寝室も温まっております」
男が咲希の座っている横にひざまずき、咲希を見上げた。
「その前に少し話をしようよ。いろいろわからないもん」
「承知いたしました」
「その格好じゃ疲れるでしょ? 座ったら?」
男は咲希に言われるまま、咲希の向かい側のソファに座った。
「まず、あなた、名前は?」
「申し遅れました。アレッシオと申します」
「アレッシオ……」
咲希はユニコーンに名前を訊いてしまうと、後はなにを問えばよいのか、なにも思いつかなかった。
咲希の目が閉じ、頭がかくんと傾いた。
「あっ、寝落ちしそうになったわ……」
「お疲れなのです」
アレッシオは席を立ち、咲希を抱き上げた。咲希は起きていられなくなり、アレッシオの腕の中で完全に眠ってしまった。
翌朝、咲希は自然に目が覚めた。窓の外が夜よりは明るい。
咲希が一晩中ゆっくり眠れたのは、この世界に召喚されて来て初めてだった。
「なんか、楽だな……」
ドレスのまま眠ったので、身体の節々は痛かった。それでも、わけのわからないイベントによって夜中に何度も起こされ、男たちに自己紹介をされることがなかったことは、咲希の心身を少しだけ回復させていた。
「せめて着替えないとだわ。この世界にもジャージみたいなものってあるのかな……」
独り言を言っている咲希の声が聞こえたのか、アレッシオが部屋に入ってきた。
アレッシオは起きようとしている咲希の手と腰を支えて、ベッドから立たせてくれた。
「侍女がおりませんで、お世話が行き届かず申し訳ありません。湯が沸いておりますので、湯浴みをなさっては? それともお食事になさいますか? 体調が思わしくないようでしたら、お着換えだけなさってまたお休みされますか?」
「それってさ、各所にまた自己紹介してくる男たちが配置されてるの?」
咲希はアレッシオを見上げた。アレッシオは少し困った様な笑みを浮かべた。
「申し訳ありません、聖女様。聖女様もやはり、早く婚姻の相手を見つけて、この世界を救いたいと思ってくださっておられるのですね……。思い至らず、ご用意できておりません」
アレッシオはまるで罰を待つようにひざまずき、咲希に向かって頭を下げた。
「いないならいいの。あいつら、うるさくて……。湯浴みするわ」
アレッシオは咲希を寝室の隣にある浴室へと案内した。猫足のバスタブには湯が張られて、薔薇の花びらが浮かべられていた。
アレッシオは咲希のドレスの背中にある紐を緩めて、ドレスを脱がせてくれた。
「それでは一度、下がらせていただきます」
アレッシオはドレスを抱えて、浴室を出て行った。浴室には衝立が置かれていて、扉を開けても猫足のバスタブが見えないようになっていた。バスタオルが掛けられている衝立の前には、木の丸椅子が置かれていた。木の丸椅子の上に、折りたたまれた下着類と白絹のドレスが用意されていた。
咲希はバスタブに張られたお湯の温度を確かめてから、下着類を脱ぎ捨てた。心地良いお湯に浸かると、咲希はまた意識を失った。
咲希が目を覚ましたのは、またしてもベッドの上だった。
「えっ、嘘……っ!」
咲希は慌ててベッドから起き上がった。咲希の考えた通り、まだ裸のままだった。
ベッドサイドには、浴室の木の丸椅子にあった衣類が置かれていた。咲希は急いでそれらを身に付けた。
「聖女様、こちらにおられますよね! 聖女様!」
窓の外で知らない男の声がした。咲希は自分の腕に鳥肌が立つのを感じた。
咲希は窓から外を見た。どうやらこの寝室は、二階か三階にあるようだった。
赤い革のマントを羽織った男が、咲希を探して雪の中を歩き回っていた。
「聖女様が降り立たれたスワード王国の隣国である、イディ王国の王太子、エルマンノ・ガシヤマコウェでござます! 隣国の王太子はいかがですか、聖女様!」
「帰れ!」
アレッシオが叫びながら、エルマンノの前に立った。
エルマンノは腰の剣を抜いた。
「斥候兵まで放って探し出し、聖女様に会いに来たのだ! 会えば私をお選びになるはずだ! 聖女様を出せ!」
「聖女様はお疲れなのだ! スワード王国の王城に行って、ご回復を待て!」
「使用人がこの私に指図するのか!」
エルマンノはアレッシオに斬りかかった。アレッシオはレイピアを抜いて、エルマンノの剣を受け止めた。
「聖女様はうるさいと疲れると仰せだ。静かにできないなら帰れ!」
アレッシオはエルマンノを剣ごと後ろに吹き飛ばした。数人の兵士と思われる男たちが現れて、エルマンノを助け起こした。
エルマンノと兵士たちが剣を構え直した。
「遠路はるばるやって来たのだ! 聖女様に会わずに帰るなどできるか!」
「私はユニコーン。地上最強の生物だ。獰猛なユニコーンは、竜族すらも角で突き殺す。愚かな人間よ、かかってくるがよい!」
アレッシオの姿が輝き、人からユニコーンへと戻った。
ユニコーンはエルマンノたちに角を向け、右前脚の蹄で威嚇するように雪を掻いた。
「クソッ、清らかな乙女の聖女様なだけある! ユニコーンが守りについているとはっ!」
エルマンノは剣を引き、兵士たちを連れて下山していった。
エルマンノたちの姿が完全に見えなくなり、しばらくたってから、アレッシオは人間の姿に戻った。
咲希が一階に降りて行くと、アレッシオが暖炉の前に立っていた。
「妖精王、竜王に続いて、隣国の王太子とは……。なんとかしなくては……」
アレッシオの呟く声がした。
「アレッシオ」
咲希が呼びかけると、アレッシオは慌てて咲希の元へとやって来た。
「もしや、先ほどの騒ぎで目を覚まされたのですか?」
「そのちょっと前から起きてた」
「力及ばず、申し訳ありません」
アレッシオはひざまずいた。
「えっ、追い返してくれたじゃない! ありがとうだよ!」
咲希はアレッシオの二の腕をつかんで立たせた。
「雪の妖精に頼んで結界を張ります。我が角を与えたら、この屋敷程度ならば、百年は誰一人として近づけぬようにしてくれるでしょう」
「それって、アレッシオがただのお馬さんになっちゃわない?」
「そう……なりますね……」
アレッシオは考え込んだ。
「困るよ……」
アレッシオが世話してくれなかったら、咲希は暖炉の使い方もわからなかったし、お風呂にお湯も張れそうになかった。電気などなさそうなので、ミルクを温めることも無理かもしれなかった。
「アレッシオって地上最強の生物だったんだね! すごいね!」
咲希は話を変えた。
「聞いておられたのですか……。あれはハッタリです。引いてくれなければ、死力を尽くして戦いました」
アレッシオは申し訳なさそうにうつむいた。
「帰ってくれてよかったね」
「ええ」
咲希が笑いかけると、アレッシオもほっとしたように笑った。
咲希がソファに座ると、アレッシオは咲希の背後に立った。
「聖女様、少し触れても構いませんか?」
「触れる……? えっ、うん……。いいよ……」
咲希は頬を染めて、目を閉じた。
アレッシオは咲希の肩に手をかけ、咲希の首の付け根から肩甲骨のあたりまでを親指で押して揉み解していった。
(ちょっと考えてたのと違うけど、気持ちいいわ……)
咲希はこっそり苦笑して、アレッシオの手に身を委ねた。
アレッシオは肩を揉んだ後、日本でいうところのヘッドスパと、足裏のツボ押しをしてから、マッサージを終えた。
「いきなり解しすぎますと、痛みなどが出てしまいます。続きはまた数日後にいたしましょう」
「うん、ありがとう! 楽しみにしてる!」
咲希はふり返ってアレッシオに笑いかけた。アレッシオは顔を真っ赤にしてひざまずき、「お任せください!」と力強く答えた。
3.聖女様の幸せ
その日も咲希はアレッシオの作ってくれた素朴なチーズケーキと、チャイのような飲み物でおやつタイムを楽しんでいた。
日本にいた頃は、咲希は一人暮らしをしていたので、家事でもなんでもみんな一人でやらなければならなかった。
毎日毎日、パワハラされる上司を見ているうちに咲希の心は疲弊して、洗濯が滞り、食事がコンビニで買った物中心になり、毎日少しずつやっていた掃除が土日のどちらか一日だけになった。終いには、お風呂がシャワーだけになり、それも二日に一回だけしかできなくなった。
「はー……、生き返っていってるわー……」
この山頂の屋敷では、家事全般をアレッシオが担ってくれていた。聖女様である咲希は、アレッシオの用意してくれる美味しい食事を食べて、アレッシオの沸かしてくれたお風呂に入り、アレッシオの洗濯してくれた服を着て暮らすことができた。掃除だってみんなアレッシオがやってくれていた。
一人暮らしなどやめて、実家に帰ったら、両親が家事などはみんなやってくれただろう。だが、咲希は両親に心配をかけたくなくて、仕事を辞めたことすら伝えていなかった。
元の世界にいた時も、今も、咲希には一人娘の心配をする両親を安心させるために、心を砕く余裕がなかった。
アレッシオは当然ながら、仕事を辞めたことについて咲希に『この先はどうするつもりなの?』などと言ってくることはない。
(私が突然消えて、両親はすごく心配してるだろうけど……)
それでも、咲希は今の暮らしが楽だった。
「ここが死後の世界なら、死後の世界って最高だよ」
咲希がケーキを口に運びながら独り言を言っていると、アレッシオが部屋に入ってきた。
「聖女様……」
「アレッシオ、一緒におやつも食べないでどうしたの? 一緒に食べようよ」
咲希は暗い顔をしているアレッシオを心配そうに見つめた。
「スワード王国の国王が、大勢の男たちを連れて攻め上ってきております……」
咲希はフォークを床に落とした。アレッシオがすぐに拾って、代わりのフォークを持ってきてくれた。
咲希は王城での暮らしには戻りたくなかった。ゆっくり眠ることもできなかったのだ。夜も昼もあまり関係なく、知らない者たちが入れ代わり立ち代わり現れて、誰でもいいから気に入った者を選べと迫られた。
「聖女様のためならば、私は戦います」
アレッシオはひざまずいて、咲希の手をとった。
「それも人数によるよね……」
追い返せるほどの人数ならば、アレッシオに戦ってもらう価値もあるだろう。しかし、戦う前から無駄死にするのが目に見えているような人数ならば……。
「聖女様のためならば、この命も惜しくはありません。聖女様はまだお疲れです。お休みが必要です」
「うん、まあ、そうなんだけどさ……」
咲希にも自分がまだ休んでいた方が良さそうだとわかっていた。せめて、アレッシオの手伝いをする気が起きるくらいまで元気になってから、あの元いた部屋に戻りたかった。
(本当はずっとここにいたいけど、それを言ったら、アレッシオは死ぬまで戦うとか言いそうだもん……)
咲希は両手でアレッシオの手を握り、「立って」と言った。
アレッシオはためらいがちに立ち上がり、咲希に握られている手を見つめた。
「最後になるかもしれないから、一緒におやつ食べよ?」
咲希が笑いかけると、アレッシオはどこか辛そうに笑い返してから、自分の分のおやつを用意した。
二人はお互いの顔や、暖炉の火を見ながら、黙っておやつを食べた。
空いた皿やカップを片付けるのを、咲希は初めて手伝った。
「座っていてください。まだお疲れが抜けておられません」
「ううん、一緒にやりたいの」
咲希は自分の分の皿とカップを持って、アレッシオについて行った。
「お皿も洗うよ。ずっと洗ってもらってたもん」
「いえ、私が洗いますので、聖女様は横で応援する係をしていただけますか」
「応援する係って」
咲希は笑いながら、アレッシオの横に立った。
アレッシオは桶から水をかけながら皿を洗った。
咲希はアレッシオに「がんばれー」などと声をかけながら、この国の皿洗いを初めて見物した。
皿洗いが終わると、咲希はここに来る時に着ていたドレスとマントを身に付けた。
アレッシオもオーロラ色のマントを羽織り、腰にレイピアを下げた。
「もう……、お別れなのですか……」
屋敷を出ようとする咲希の背中に、アレッシオが問いかけた。
「国王様に会ってみないとわからないよ」
国王がなにをしに来たのかすらわからないのだ。
最悪の結果を考えることも大事だが、現実は考えていたより良い結果になることだって多い。
咲希がアレッシオを従えて屋敷を出ると、国王たちが屋敷を取り囲んでいた。
「聖女様を攫った悪しきユニコーンを捕らえよ!」
国王がレイピアを抜き、天を刺そうとでもするように掲げた。
「静まれ!」
咲希は怒鳴った。
国王が弾かれたようにレイピアを落とし、慌てて雪に埋もれるようにひざまずいた。他の者たちも国王に続いた。
「聖女様、我々に失礼があったならば、どうかお許しください。どうか王城に戻り、誰かとすぐにでも婚姻なさってください。このままではこの世界は、雪と氷の中で滅んでしまいます」
国王が首を垂れながら、咲希に懇願した。
おそらく、この国の民たちからしたら、この国王は良き王なのだろう。世界を救える聖女を召喚し、自ら先頭に立って、聖女が世界を救う条件である婚姻をしてもらえるよう動いているのだ。
自らの後宮さえ解散して、咲希一人を妻として娶るとまで言っていた。
(私からしたら、いろいろどうかしてるけどさ……)
咲希は雪が降り続いている空を見上げた。夜とはまた違った暗さの、陰鬱な灰色の雲に覆われた空だった。
「聖女様、王では身分が足りないのではないですか!? 隣国であるフトリス帝国の皇帝陛下にお越しいただきました。まだ皇后陛下をお迎えになっておられません。皇后になるのではいかがですか!?」
一人の屈強な男が立ち上がり、小さな男の子の手を引いて咲希の前に立った。
男の子の焦げ茶色の髪の上には、小さな冠が載せられていた。
「この子が皇帝!? 無理! こんな小さな子と婚姻とか、普通に無理だから!」
咲希が叫ぶと、小さな男の子は泣き出し、屈強な男が慌てて抱き上げて戻って行った。
「これは……、お疲れになられたでしょう……」
アレッシオが咲希の背中に声をかけた。
「うん、すっごいストレス……」
咲希はアレッシオをふり返った。
アレッシオは切なげに目を細めた。
「あの……、聖女様、わたくしではいかがでしょうか?」
一人の愛らしい貴族の令嬢が進み出て、咲希の前でひざまずいた。
「え……? どういうこと?」
「相手が女性でもかまいません! 聖女様、この娘は我が王弟が婚約破棄した者です! 哀れと思って娶ってやっていただけませんか!?」
国王が叫んだ。
「いや、本当に、無理だから……。別に女性がいいから誰も選んでない、とかそういうことじゃないから……」
令嬢もまた泣きながら戻って行った。
無理なものは無理だが、咲希は令嬢に恥をかかせてしまったことを申し訳なく思った。
「一度、お帰り願えませんか? 聖女様はお疲れのようです」
アレッシオが咲希の横に並び、国王に頼んだ。
「アレッシオ……」
咲希はアレッシオの横顔を見上げた。アレッシオの表情は硬く、咲希はこれまでアレッシオのこんな顔を見たことはなかった。
「時間がないのだ! こうしている間にも、民は飢えて亡くなっていっている。無茶を言っているのは承知の上だ!」
国王が立ち上がり、咲希に近づいた。
アレッシオが咲希を背中に庇った。
「聖女様、私を恨んでくださってかまいません! この命は差し上げます! どうか誰かと婚姻なさってください!」
国王の目からも涙が流れた。
国王についてきた者たちが、「王様……」と言いながら、次々に泣き出した。
「そのように聖女様を追い詰めるな! とにかく立ち去れ!」
アレッシオが咲希に向き直り、咲希の肩を抱いて屋敷に戻ろうとした。
「誰かわかりませんが、その男ではいけないのですか!? 御身に触れることさえ許している仲なのでしたら、その者と婚姻なさっては!?」
アレッシオは咲希の肩を放し、国王をふり返った。
「それ以上は言うな!」
アレッシオは国王に命じた。
「なぜです!? 私にはお気に召しているようにしか見えません! 生き別れたご兄妹かなにかですか? この際、兄と妹でも……!」
「見苦しいと言っているのだ! 聖女様にもお気持ちがある! この世界の都合ばかり押しつけてはならない!」
アレッシオが咲希から一歩離れて、雪の中でひざまずいた。
「アレッシオ……」
「聖女様、私はやっとわかりました。私が聖女様の元へと駆けつけたのは、聖女様をこの世界の都合からお守りするためだったのでしょう」
アレッシオの全身が輝き、人からユニコーンへと姿を変えた。
ユニコーンとなったアレッシオは、咲希に乗れと言うように首を動かした。
咲希はアレッシオの角の下、眉間のあたりを撫でた。
「また連れて逃げてくれるの?」
アレッシオは角で咲希を傷つけないようにしながら、顔で咲希を自分の背中の方に押した。
「弓隊、前へ! 聖女様、お許しください! 聖女様を探す間にも、我が民たちが飢えに倒れていくのです!」
国王が腕で合図を送ると、弓を構えた兵士たちが前に出てきて、アレッシオを狙いながら並んだ。
アレッシオは咲希を守るように、兵士たちの前に立った。
「聖女様、もしや前におられた世界に、将来を誓い合った相手がいたのでは!? その者に操を立てて、婚姻なさらないのでは!? 必要とあらば、その者も召喚いたします!」
国王に問われて、咲希は目を泳がせた。咲希は前の世界では、恋人などできたことがなかった。ここは見栄を張りたいところだったが、存在しない者を召喚してもらうことはできないだろう。
「そういう相手は……、いないけど……」
咲希が言うと、国王たちはあからさまにほっとした顔をした。
一本の矢が、アレッシオに向かって放たれた。アレッシオは身を踊らせて、角で矢を弾き飛ばした。
「なにをしておるのだ!?」
国王が怒鳴った。
「あ……、その……、手が滑って……」
一人の兵士が弓を放り出して、雪に顔を埋めるようにひれ伏した。
咲希はアレッシオの首に抱きついた。もう男性の怒鳴り声を聞きたくなかったし、男性の怯えた声はもっと聞きたくなかった。
咲希の心臓が早鐘を打ち、全身が強張った。
アレッシオの姿がまた輝き、ユニコーンから人へと戻った。
アレッシオは少しためらってから、咲希を抱きしめた。
「聖女様……、こんなことを言う私をお許しください。ずっとおそばにいたいと思っております。どなたかに嫁がれても、どうか私をおそばに置いてやってください」
アレッシオは咲希を放すと、まるで罰でも待つかのような面持ちでひざまずいた。
「アレッシオ……」
「おそばにいるためならば、角を切り、また角が生えるまでの間、ただの馬となってもかまいません。聖女様のお乗りになる馬車を引く、平凡な一頭の馬としてでも、おそばにいたいのです……」
アレッシオは咲希を悲しげに見上げた。咲希はアレッシオが自分は咲希の婚姻の相手に選ばれないと思っていることを知った。
(たしかに私、言ったね……。人外と結婚することなんて、考えたこともなかったって……)
あの時には、たしかにそうだった。アレッシオの名前さえ知らなかったのだ。
「時々、馬車に乗る時だけでも、ほんの少しお姿を拝見できたら、私はそれで……。聖女様がお元気にしておられる、幸せに暮らしておられる、それを遠目にでも拝見できたら、私は……、私の心は……、充分に満たされると思うのです」
アレッシオは震える声で言うと、顔が見えないように深くうつむいた。
「アレッシオ……」
「聖女様にも、婚姻されるお相手にも、ご迷惑はおかけいたしません。そばに置けぬとおっしゃるならば、遠目にでも、ほんの少し、聖女様の尊いお姿を拝見することだけでも、どうかお許しください……」
アレッシオは身を縮めて、必死で咲希に懇願していた。
(これって、アレッシオは私のこと好きってことだよね!?)
咲希は満面の笑みを浮かべた。
「アレッシオ、それって私と婚姻したいって言ってる?」
アレッシオは慌てたように顔を上げた。
「あの、聖女様……?」
アレッシオは咲希の笑顔に戸惑っているようだった。
「ずっとユニコーンとか馬の格好をしてられたら困るけど、人の姿でいることもできるんだよね?」
「もちろんです! お望みとあらば、一生、人の姿で聖女様にお仕えいたします!」
咲希は考え込んだ。妻が夫となる者に仕えてもらってよいものなのだろうかと。
(奥さんが旦那さんに仕えるっていうのは聞いたことあるし、旦那さんが奥さんに仕えるってことも、きっとあるよね。うん、あるある)
だいたい、しばらくは家事などできそうもなかった。もう少し心が元気になって、安定して毎日の家事ができるようになるまでは、アレッシオのような家事をやってくれる男に支えてほしかった。
(貴族や王様に嫁いだら、メイドや執事なんかがいて、なーんにもしないでいいのかもしれないけど)
咲希には自分が貴婦人の暮らしに馴染めるかわからなかった。貴婦人として屋敷や城で家事をなにもしないで暮らすというのも、あまり想像できなかった。
咲希はとにかく疲れていたので、貴婦人同士でのお茶会を想像してみても、『楽しそう』より『いろいろ面倒そう』が勝った。
なにより、自分の家が誰かの職場で、上司と部下がいて、人間関係があって、という状況を考えると、元の世界での勤務先を思い出して心が沈んだ。
アレッシオが咲希の手をとった。
「聖女様、私と結婚していただけますか……?」
アレッシオは自信なさげに言った。
「いいよー!」
咲希は精一杯、元気に答えた。
「人外のユニコーンでっ! 角を切ると、生えるまで何年もただの馬になってしまいますがっ! 角は切らないよう精一杯、気を付けますのでっ!」
「うんっ!」
「聖女様……!」
アレッシオは立ち上がると、咲希の腰を両手でつかみ、戦利品かなにかのように天に向かって掲げた。
天から一筋の光が差し込み、咲希とアレッシオのまわりだけが、まるで星々が降り注いでいるかのように輝いた。
「おおっ! ついに聖女様が伴侶をお決めになった!」
「神の祝福だ! 天が輝いておるではないか!」
国王が叫び、幼い皇帝が天を指さした。
「ありがとう……! ありがとうございます、聖女様……!」
国王が号泣しながら地に伏した。その隣では、親衛騎士団の筆頭騎士団長のガエタノも、同じように地に伏していた。
厚く垂れこめていた灰色の雲が、咲希とアレッシオを照らしている天の光の源を中心として消えていった。
晴れ渡った青い空からは、暖かな風に乗って、桜の花びらのようなものが舞い落ちてきた。
「奇跡だ! 奇跡が起きた!」
「聖女様! ああ、聖女様……!」
咲希とアレッシオを取り囲んでいた者たちは、その場で泣き崩れたり、まわりの者と手を取りあったり、それぞれが喜びを表現した。
灰色の雲が消えた空に太陽が姿を現すと、あれだけ積もっていた雪が蒸発するかのように消えていった。
ずっと雪の下だった地面からは、不思議なことに緑の草が次々と生えてきて、色とりどりの花があちらこちらで咲き出した。
屋敷のまわりで雪をかぶっていた木々も、あっという間に緑の葉をつけた。林檎のような赤い果物がなっている木まであった。
アレッシオはゆっくりと咲希を地面に下した。
花の妖精たちが、踊るように二人のまわりを飛び回っていた。
小鳥たちが、咲希とアレッシオを祝福するかのようにさえずり始めた。
「愛しております、聖女様」
アレッシオは咲希の頬に触れ、唇に触れるだけの口づけを落とした。
「アレッシオ、私も愛してるみたいよ」
アレッシオはほほ笑む咲希の額にも口づけると、もはや不要になった咲希の白い毛皮のマントを脱がせた。