昨日のイジメッ子は今日の友
むかし、むかしの大むかし。これは浦島という魚村でのウサギとカメの話です。ウサギはカメを見るたびに─♫どうして そんなに のろいか♫─バカにしていました。カメは悔しくていつも言い返していました。
「のろいんじゃない。一歩一歩、慎重に歩いているだけだ」
こう聞かされるたびに、ウサギはいじわるな目をして、
「のろまはのろまさ。ふん」
と、鼻で笑っていました。
こんなふうにイジメられることにカメはとうとう堪忍袋の緒が切れてしまいました。そして勇気を振り絞ってウサギに挑みました。
「♫そんなら おまえと かけくらべ むこうの 小山の ふもとまで どちらが さきに かけつくか♫」
この挑戦状にウサギは、
「競走をするだって? 寝惚けているのかい? ふん」と、また大きく鼻で笑い、「のろまなカメなんかに負けるはずがない。ふん」またまた鼻で大笑います。
こうしてウサギとカメは浦島の小山で一回限りの徒競走をすることになりました。誰が見ても、ウサギが勝つことは明らかでした。
スタートする前から勝つことを確信しているウサギは、レースの途中でぴょんぴょんと跳ねるのを止め、木にもたれて居眠りをしてしまいました。
その横をのっしのっしと一歩ずつ歩みを進め、カメは通り過ぎて行きます。
ウサギが目を覚ましたときには、カメは小山のふもとにいました。首を高く伸ばし、ガッツポーズをとるカメを眺めながら、ウサギは愚痴ります。
「あ~ァ、しくじった~。しょうがない。ちェ」
ウサギが首を垂れ、しょんぼりと住処へ戻ると、仲間内ではこの話しでもちきりでした。
「のろまなカメに負けるなんて、信じられない!」
「レース中に居眠りをする気が知れない」
「同じウサギとして、ご先祖様に顔向けできない」
「負けた責任を取れ。自己批判しろ」
こうしてとうとうウサギは仲間たちから「ウサギ族の恥さらし」と罵声を受け、住処から追い出されてしまいました。
行く当てもなく、ウサギはススキの原で膝を抱え、十五夜の月を見上げて泣いていました。
「どこか遠くの知らない所へ行きたい」
すると、天に昇っていく籠から自分を見下ろす者がいました。それは、月へ帰る途中のかぐや姫でした。かぐや姫は求婚してくるあまたの男たちを袖にふり、性悪な女としてレッテルを貼られ、もはや地上では生きていけなくなっていました。お爺さんとお婆さんはそんな娘であっても可愛いがりました。が袖にされた男たちからの罵詈雑言に耐えきれず、涙を流し月へ帰ることを許したのでした。
ウサギはあらん限りの声を張り上げて叫びました。
「わたしを籠に乗せてください! 月へ連れて行ってください!」
かぐや姫は籠をゆっくりと降下させ、ススキの原に着陸させました。ぴょんぴょんと籠に駆け寄り、ウサギはかぐや姫にこれこれしかじかと涙ながらに哀願するよう事情を説明しました。かぐや姫はウサギの事情を理解し─弱みを握り─、快く籠に乗せて月へと連れて行きました。お爺さんとお婆さんから土産にもらったお月見の団子も食べさせました。
月に着いたウサギはこの大恩に報いるために来る日も来る日も餅を搗き、かぐや姫の好物である和菓子を作りました。こうして、修行を積んだかいあって、ついに月でも屈指の和菓子職人になりました。
かぐや姫は月夜になると、お忍びでお爺さんとお婆さんの家へ里帰りをしていました。そのたびに、ウサギが作った和菓子をご馳走しました。お爺さんとお婆さんはこの和菓子が口にあったのでしょうことのほか褒めました。2人はかぐや姫から仕入れた和菓子を軒下に並べ商売を始めました。仕入れ代金として、自分たちが作った有機栽培の餅米を持ち帰らせました。
一方、カメはウサギとの徒競走に勝ちましたが、歩みがのろくて、浜辺に辿り着くのに日数を要していました。もう数歩で海に入れるというところで、子どもたちに見つかり、棒で打たれていました。そこへ漁師の太郎が通りかかりました。太郎は酒好きで漁にも出ずに昼間から飲んだくれています。今日も酔いを醒まそうと浜に下りてきたのでした。
カメを助けてやろうと、酔った勢いで子どもたちを叱りつけました。
「漁師の子どもが海の生き物をいじめてはいかん!」
太郎は現金収入もなく、このカメを鼈甲屋へ売り飛ばし、酒代にしようと考えました。が、カメから何かお礼をしたいと提案されました。
「美味い酒を飲みたい!」
太郎はろれつの回らない舌で答えました。
すると、カメから海の底には竜宮城という和食料理店があることを聞かされます。そこにはオーナー兼経営者である美しい乙姫様という女将がいるそうです。一瞬にして考えが変わりました。助けてやったお礼として、太郎は「自分をその竜宮城へ連れて行け!」と、命じました。
カメは助けてもらったてまえ一度であればいいだろうと気を許してしまいました。ところが酒好きの太郎は三日と空けずにカメの背中に乗って通ってきました。店では、飲めや食えや踊れや歌えや、ドンチャン騒ぎをします。同席する他の客たちはたまったものではありません。とうとう常連の客たちも寄り付かなくなってしまいました。さらに店の食べ物、飲み物がなくなってしまいそうです。もちろん飲食代は『有る時払いの催促なし』でした。
そこで乙姫様は思案に思案を重ね、「これはVIPにのみ差し上げる最高級のお土産です」と言って玉手箱を差し出しました。「もう来てくれるな」という意味でした。ところが、グデングデンに酔いつぶれていた太郎は乙姫様の忠告も耳に入らず、その場で玉手箱を開けてしまいました。すると、その瞬間、間欠泉が噴き上がるように、小さな水玉が目の前の景色を覆いました。水玉は太郎でなく、乙姫様に降りそそぎました。慌てて顔を伏せるも後の祭り。
水玉が消え去ると、玉手箱の底には1枚の請求書が入っていました。宛名には浦島太郎と記されています。踏み倒そうと思っていた、その金額を見て太郎は一気に酔いが醒め、わなわなと震え始めました。そこには天文学的な数値が記されていたからです。太郎が驚いたのはこれだけではありません。ぼったくられたと思い、悪態をついてやろうと請求書を手に乙姫様を見やると、そこには痩せ細り皺くちゃだらけのお婆さんが立っていました。それほど計り知れないほどの時間が過ぎていたということです。
これでは女将として店には出られません。客足はますます遠のくばかりです。太郎は知恵を働かせ、借金の穴埋めとして店の経営権を買い叩こうと画策しました。脅したり、宥めたりを繰り返し、ついに太郎は乙姫様からただ同然の金額で経営権を譲り受けました。その後の乙姫様の人生は誰も知る由がありません。乙姫様を慕い共に働いていた鯛やヒラメたちも乙姫様と行動をともにしたようです。きっとその鯛やヒラメたちに庇護されているのでしょう。
店の経営を軌道に乗せるために、太郎は、さっそく女将のスカウトをしました。たまたま店で知り合ったオコゼから推薦された女将候補の中から若くて一番の美顔を選び、女将としました。同時に厨房の板さんと仲居として鯛やヒラメも新規採用しました。
太郎は営業基盤の強化に奔走しました。浜辺からの交通路を整備し、カメをドライバー兼車両とするカメ・タクシーも増便しました。とりわけ集客に力を入れました。ある日、シルバー割引招待券を持ってお爺さんとお婆さんの家を訪ねました。そこにはかぐや姫がいました。互いの商売について話をしているうちに太郎とかぐや姫は意気投合し、月で作った和菓子を店へ卸すという商談がまとまりました。ウサギは月夜を選んで、和菓子を浦島の浜辺へ運びました。それを海の底へ運ぶのはカメの役割でした。こうしてかつてのライバルは、かつての決戦の地で取引相手として再会を果たしたのです。
その後、太郎はかぐや姫─オコゼよりはましな美顔─を店の女将に据え替えて、共同経営者となりました。ウサギは和菓子の製造兼運送部長、カメはタクシードライバー兼和菓子の運送部長となり、肩書きの上では同格になりました。
ウサギとカメは部長職に就いても名ばかり(部長)で、太郎とかぐや姫にとことんこき使われていました。それもそのはず太郎は生来の強欲者、かぐや姫は性悪女。過労死のデッドラインをはるかに上回るサービス残業を強いられていました。給料の未払いもありました。典型的なブラック企業です。ウサギとカメはそれぞれかぐや姫と太郎に助けてもらった恩義から、逆らうわけにはいかなかったのでした。実に律儀な生き物たちです。
そんなある月夜に、和菓子を浜辺へ運び終えたとき、ウサギは心に刺さったままの棘をカメに打ち明けました。
「あのときは、カメさんのことをのろまだなんてバカにして、ごめんね」
突然、謝罪を聞かされ、ちょっとうろたえましたが、カメも明るく元気よく微笑みながら心の内を答えました。
「何と、おっしゃるウサギさん、私も身のほど知らずにウサギさんに挑もうとしましたから。こちらこそ、ごめんなさい」
長年のわだかまりが解消した瞬間でした。
すると、ウサギが思い切ってカメを誘いました。
「お互い、過労死させられる前に、ここから逃げ出そうじゃないか」
「もう、十分すぎるほど恩は返しました」
カメは諸手を上げて、すぐに賛成しました。
ウサギとカメは浜辺に和菓子を残したまま、あの小山のふもとを目指して登って行きました。
むかし、むかしの大むかしとは違って、ウサギはカメの歩みに合わせて進んで行きます。カメはウサギに声をかけます。
「ウサギさん。どうぞ、お先に行って待っていてくださいな」
すると、ウサギは答えます。
「いいえ。今じゃあ、わたしたちは『カメ死(正しくは兎死)すれば兎(正しくは狐)これを悲しむ』の仲ですから」
カメも返します。
「『昨日のイジメッ子は今日の友』ですね」
ウサギとカメの小さな影がゆっくりゆっくりと動いて行きました。(了)