三 猫を探して
刑事で上司で恋人の楡松明希警部が猫になってしまった、突然の事に嘆き悲しむ関根環巡査部長。果たして明希は人に戻れるのか?
「綺麗なネコちゃんね」
被害者の母、柴田歩は明希を見るなりしゃがみ込むと、スマホで写真を撮り始めた。
猫が好きなのだろうか? スウェットの上にエプロン姿の柴田夫人は頭の上で大きく結ったお団子が印象的だ。
メガネのレンズ越しに見える細い目と、やや角張った顔が日本の典型的なお母さんという印象を受けた。
「あー、すいません、この猫はあたしの上司で捜査員なんです、楡松といいまして警部です」
常日頃から写真に撮られる事を嫌う明希は、初対面の柴田夫人にパシャパシャやられて機嫌が悪い。
尻尾が二倍ぐらいに膨らみそうだ。
「まー、それじゃさぞかし美人さんなのね」
嗜めたつもりだったが、逆に人の明希をほめられてあたしは舞い上がった。
「そうなんですよ」
あたしは警察手帳をしまったその手で、懐からスマホに貯めた秘蔵の明希ベストショットを取り出そうとした。
「あ! たま……関根君! それより被害者のお話を聞きかないと、奥さん、大丈夫ですか?」
明希は、ゴージャスな尻尾をブンブン振りながら話を遮った。尻尾の具合から見るに、すごく機嫌が悪いようだ。
「英恵ですか? お役に立てるかどうか?」
やはり猫になるショックは大きいようだ、人前に出ることを憚る事もあるだろう。
「やはりショックが大きいですから、無理にとは言いませんが」
「それは大丈夫よ、中で少しお待ち頂けます?」
謙遜? だったのだろうか?
あたしは明希の足を拭くと、(他人のお家に上がるからね)柴田夫人に案内されてリビングに通された。
「少しお待ちになってね」
やはり猫好きなのだろう、部屋の中には猫グッズや、写真やポスターが所せましと飾られていた。
賃貸マンションだから、ペット禁止なんだろうな。
フォトスタンドの三毛猫の写真を見ながら、あたしはそう思った。
「ん? この写真、この部屋?」
あたしは、椅子の上にちょこんと乗っている、明希に写真を見せた。
「この部屋だな、まさか娘さん?」
「いやあ、いくら猫好きでも……」
二人で顔を見合わせていると、リビングのドアが開いた。
「すみません、この娘ったら恥ずかしがっちゃって」
そりゃ猫になったらからですよ。
といいかけてドアを見ると、前髪を真っ直ぐ切りそろえた日本人形みたいな女の子が立っていた。
「え!」
明希と揃って変な声が出た。
「ね、猫になったんじゃ?」
「そうですよ、ほら今お持ちの写真の三毛に」
軽い感じで、柴田夫人が答える。
「もー、お母さんやめてよー、あの写真飾るの」
「いいじゃない、可愛いいんだから」
「よくないよ、もー!」
資料によれば高校生だったはずなので、思春期真っ盛りの女子には、恥ずかしい写真には違いない。
「ちょ、ちょっと待ってください、人間に戻れたんですか?」
明希も驚いたのか、両前足をテーブルについて、にょーんと可愛く立ち上がった。
「ええ。今朝、朝起きたらねえ」
「今朝? その事の連絡は? 警察や病院には?」
のんびり構えている柴田夫人に、詰問口調になりながら、あたしは聞いた。
「あら。忘れてた」
忘れちゃダメだろ。
「ごめんなさいね。特に不具合もないし、元に戻っただけだから連絡、忘れちゃってた」
「だから、病院ぐらい行こうって言いたのに」
英恵さんが、むくれながら柴田夫人を突いた。
「なんか、伝染病みたいな感じだから念のため行こうよって言ったじゃん」
「でも、一日ぐらいゆっくりした方が、猫の時の疲れがあるかもしれないじゃない」
のんびりしているが、柴田夫人なりに、娘の体調を慮っているらしい。
「猫になったのが確か……関根君、資料を見せてくれ」
「三日前です警部。今日が木曜日ですから、資料だと月曜日に猫になっています」
猫の手では、書類がめくれない。あたしは明希に代わって書類を読み上げた。
「今朝起きたら、戻ってました」
「だからうちの娘でお役に立てるか心配だったんですよ」
柴田親子が補足した。そういう大事な事は、もっと早く言ってよ。
「確認ですが、猫になったのも朝起きたら?」
「そうです、起きたら猫になっていて」
明希の時と同じだ。
被害者は口を揃えて、『朝になったら猫になっていた』と語っていた。
「念のためなんですが、いじめや、恨みを買うような事は無いですか? 些細な事でもいいんです」
今回の聞き込みで、一番大事なことをあたしは聞いた。
「いじめですか? それは受けている方でも」
「そうですね、どちらであってもです」
心当たりがあるのか、英恵の顔が曇った。
「あたしじゃないんですけど、隣のクラスの子がいじめれてて。先週、先生に相談に行ったんです」
「担任の先生?」
あたしは、なるべく事務的に聞こえるように言った。この手の告白は、予想してたけどやっぱりしんどい。
「うん、担任の先生……安藤先生に」
「それで、どうなった?」
あたしが、しんどくなったのを察したのか、明希がテーブルに上がって質問した。
「先生が『指導』したって、詳しくはわからないけど、解決したって」
明希はそっとあたしの手に、前脚を乗せる。
冷たくて、柔らかい肉球の感触が心地良かった。
「ありがとう、それで恨みを買ってる可能性もある?」
「先生は、誰から聞いたか言ってないから……」
「先生は信用できる?」
「うん、すごく優しいし、怒ると怖いけど、いい先生だから」
先程まで曇っていた英恵の顔が、明るさを取り戻した。
「いい先生みたいだね」
「うん、とっても!」
明希はそう言いながら、前脚をそっと離した。聞きたい事は聞けたのだろう。
「では、これで失礼します」
あたしは立ち上がると、明希を抱き上げた。
「自分で降りれる」
「ダメです。警部、怪我したらどうするんですか?」
またもぶつぶつ言う明希をそっと下ろすと、あたしたちは柴田家をおいとました。
「後半は、関係ないな」
背後でドアが閉まる音を聞いて、明希が言った。
「どういう事……です?」
「とりあえず、車の中で話す」
そう言うと、あたしを引っ張るように明希は走り出した。人間の時は簡単に追いつけたが、さすがは猫、ついていくのがやっとだった。
「リードを、外せばいいのに」
車に乗るなり明希がニヤニヤしながら言ったのは、運転席でハアアハとヘタっている、あたしに対する嫌みだった。
「そんな事より……説明しなさいよ」
あたしはイラつきながら、助手席の黒猫をにらんだ。
「簡単な事だよ、いじめっ子が一クラスまるまるでもない限り、ここまで広範囲に嫌がらせはされないだろ?」
「ん、でも他のはカモフラージュとかの可能性は?」
あたしは黒猫を困らせてやりたい一心で、思いついた可能性を口にした。
「確かに。その可能性はあるが……柴田英恵の担任が無事なら、いじめの線は忘れていい」
「なるほど……」
流石に明希だ、思いつき程度では太刀打ち出来ない。
「なんにせよ、一ケースだけじゃ話にならんね」
明希にそう言うと、車を出すように促した。
「次へ行こう、とりあえずは情報収集が今できる最善の行動だ」
次回は12/13水曜日の8時更新予定です